⑨ 母への思い
侯爵の宿題の①と②を同時進行で進めながら、アリスは同じ屋根の下に居るライバル(ルイ)に牽制と言う名の、性格の悪そうな陰険な目でチラチラと見ていた。
恋人同士が一つ屋根の下に住んでいるにも関わらず、アリスがあまりにもルイをライバル視し過ぎて、全くラブい雰囲気が出てこないのだ。
それに気付いた侯爵は、アリスを上回る性格の悪そうな笑顔で笑っていた。
それを全て俯瞰で見ていた侯爵夫人は、頭痛がするのかこめかみをモミモミしながらため息をついていた。
「え? これ一番簡単じゃない?」
明日は初めて主催するお茶会と言う日、明日の予習を終えたアリスは、宿題の③を見て、こう言った。
直ぐに解決策を見出したアリスは、すぐに父親の執務室へと向かった。
しかし侯爵はあいにく不在で、ルイとどこかに出かけてしまっているらしい。
拗ねたアリスは、ちょっと気分転換に乗馬でもしようかと思い立ち、早速乗馬服に着替えると愛馬を連れて、コンフラン家の裏庭にやって来た。
広大な裏庭はいくつかのエリアに分かれている。
邸の裏から一直線に伸びる歩行エリアの両側には、木々で道が作られており、その奥には両側共に芝生と花壇で彩られている。
その一本道を進むと目の前にあるのは、巨大な噴水。
大昔の有名な建築家が作ったその噴水は、王宮にある噴水にも負けず劣らずで、侯爵家の潤沢な資産が見て取れる。
そこを愛馬に乗ってカポカポ進んだアリスは、その奥右手側に広がる向日葵畑に目を奪われた。
母親が嫁いでくる時に、父親が準備したその向日葵畑は、侯爵家でこの季節にピクニックをする時に、いつも家族でやって来た思い出の場所だ。
アデルもアリスもここが庭で一番好きだった。
母親の様に、天へと咲き誇る向日葵を見て、アリスは思い付きで明日のお茶会の場所をここに変えようかと思った。
そしてそれは、とてもいい考えだと自己完結する。
(こんなに素敵な場所を家族以外誰にも見せないだなんて、もったいなさ過ぎるわ)
いつも自信に溢れている母親は、絶対にここに貴婦人方を連れて来ない。
それが昔のトラウマが原因だと、アリスは既に聞いて知っていた。
そしてそれを救ってくれた、マノンと言う少女との思い出話も。
少し大人になったアリスは、いつも自信に溢れて見えた母親が、実は肩肘を張って頑張って社交界を牽引している事に気付いた。
『お母様は実は社交が苦手なのよ。裏表の無い、真っ直ぐな性格の方だから』
ある日、最近その事実に気づいた事を何気なくアデルに話したら、アデルは今更だと笑った。
『お母様は騎士にまみれて育ったから、女の裏の顔が分からないのね』
『お姉様は得意よね』
『一瞬で暴いてやるわ』
カップを口元に持って来たまま、アデルは真っ黒な笑顔で「ふふふふふ」と笑った。
目が座っているその笑顔を見て、アリスはちょびっとお漏らししそうになった。
『だからこそ、早く解決してお母様を自由にして差し上げたいわ』
アデルの言いたい事が分かったアリスは、自分も頑張ると鼻息を荒くしたのだった。
そんな事を思い出しながら、アリスは邸に戻って、侍女長と相談して会場を変更にした。母親に黙って。
全ての準備を終えて部屋に戻ろうとしている時に、偶然夫人とばったりと出くわしたアリス。
「あら? 乗馬をしていたの?」「う、ううううううううううううううん!!!」
嘘が下手なアリス。
乗馬をしていたのは事実なのだから普通に返事をすれば良いものを、後ろめたいせいで返事すらまともに出来ない。
そんな娘を訝し気に見た夫人であったが、初めてのお茶会を前に大した悪さはしないだろうと読んで、アリスの挙動不審には目を瞑った。
「ちょっと見せたい物があるから、いらっしゃい」
いまだに瞳孔が開きっぱなしのアリスを連れて、夫人は自分の部屋にやって来た。
侍女長が夫人とアリスの前にお茶を出している間に、一人のメイドが奥のドレスルームから綺麗な箱を持って来る。
薄いがそれなりの大きさのある箱を両手で受け取った夫人に、アリスが身を乗り出す。
「何、それ?」
どう見ても古びたその箱を丁寧な手つきで夫人が開けると、中から出てきたのは繊細な刺繍が美しいウエディングベールだった。
「わぁ!!! すっごい綺麗!」
アリスが大口を開けて驚いてしまう程、その長いベールは細やかなレースと繊細な刺繍が施された逸品だった。
「お母様がお父様との結婚式に使ったベールよ」
ベールに釘付けになっていたアリスだが、ベールの上に優しく手を滑らせる母親の顔を覗き見た。
大輪の花の様な美貌の母親が、少女の様な表情でそのベールを見つめているのに気付き、母親の母親らしからぬ表情に何だかソワソワとしてしてしまうアリス。
アリスは急に「てへてへ」と笑いながら夫人の肩口に頭をぐりぐりと押し付けた。
「何なのよ、もう変な子ね」
夫人は呆れた声でそう言いながらも、アリスの頭を優しく撫でる。
普段の母親の表情に戻った事に気付き、アリスは何でも無いと言うかの様に、口を少し突き出しながら頭を持ち上げる。
侯爵夫人は視線をベールに戻して、アリスに言った。
「これをね、出来たらあなたに使ってもらえたらな、・・・て」
結婚式の準備は一つも始まっていない。
それどころか、いつ出来るかも不明なのだ。
アリスは母親の意図が分からずに、母親の顔を見つめた。
「きっともうすぐ全てが終わるわ。
もう国王陛下とお父様の間で、いつを決行日とするかのおおよその段取りはされているはず」
知らない間にもうそこまで行っていたのかと、アリスは驚いた。
自分が知らない間に。
アリスの表情を見て、侯爵夫人は愛娘の頭を優しく撫でる。
「きっと全貌が見えていないあなたには分からないかもしれないけど、あなたがどれ程凄い事をしたのかは、きっともうすぐ分かるわ」
「私、役立ってるの?」
「ええ、もちろん。きっと一番の功労者よ。国王様から報奨がもらえるかもね」
アリスは自分が一体どんな役に立ったのか分からなくて、かなり悩んだ。
卒業してから彼女がしたことは、天使の振りをして、病院に視察に行って友達に会って、そしてお茶会の準備をしただけだ。
言葉にすると、絶対に役に立っていない。
だけど昔から侯爵夫人の言う事を100%聞き分けるお子様だったアリスは、十八歳の成人になった今でも、母親の言葉はそのまま受け止める。
つまり、大活躍したのだ。
「えへへへへ~」
満面の笑みで喜ぶ娘に微笑んで、夫人はベールを箱に戻してアリスに手渡した。
「別に結婚の準備を始めるわけじゃなくて。どんな式がいいかな、とか。どんなドレスがいいかな、とか。そんな事を考えながら自分の好みややりたい事に、少しずつ目を向けて欲しいの」
「分かった」
「もちろんこのベールを使う必要も無いわ。これよりも良い物があったら、そちらを選んで欲しい。だけど、これを手元に置いておくことで、時々は近い将来に思いを馳せて欲しくて」
アリスはもう一度箱を見つめて、当たり前の様に言う。
「絶対このベールを使うわ。たぶんこのベールに似合うドレスを選ぶと思う。だって、お母様の思い出が詰まったベールだもの」
娘の一言が、侯爵夫人の心を温かくする。
こんなに立派に成長した娘が、自分の目の前で笑っている。
そんな当たり前の幸せが、どれほど価値があるのか、大事な人を亡くしたアポリーヌには、痛い程分かっていた。
「すべて自分で決めなきゃいけないけど、悩んだら相談しなさい。だけど、アデルには出来るだけ言わないようにね。
でないとまたアデルの趣味を押し付けられて、昔の様に着せ替え人形にさせられてしまうからね」
夫人がおちゃらかす様にそう言ってアリスにウィンクをすると、アリスもその場面を簡単に想像できたために、真剣な顔で頷いた。
「お姉様には黙って準備するわ」
夫人が声に出して笑って、そのまま二人は侯爵とルイが帰ってくるまで女子会を続けたのだった。




