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【完結済み】スーパーハニーになりたくて。 ~ポンコツ令嬢はスパダリ製造機~  作者: 西九条沙羅
第三章

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⑧ 野生の獣には、無暗に近寄ってはいけません。



ノックの後少し待ったが返事が無かったため、アリスはそっと部屋の扉を開ける。

小さなベッドが一つと机、そして小さなタンスだけの狭い部屋。

机の上には本が一冊置いてあるだけで、他には何もない。


そんな部屋のベッドの上に、エマはいた。


ベッドの端に膝を立てて座って、壁に凭れ掛かっている。


その顔に、表情は無かった。




「エマ・・・覚えてる? アリスよ」




アリスは部屋の中には入らずにそのまま、エマに話し掛けた。

ドアを塞ぐ場所に立ち尽くすアリスの隙間から部屋の中に入ったキキは、エマが飛び掛かってもアリスを守れる場所に立つ。

七年前に出会った少女は、成長しているが瘦せ細ったままで、あの頃と同じ茶色の髪はぼさぼさのまま肩口で切りそろえられている。


船底に閉じ込められてから見ていたエマと同じ、感情の無い顔。






*****




エマの最初の記憶は、母親の声。





「こんな子、産まなければよかった!」




その時に母親がどんな顔をしていたのか、どんな状況でそう言われたのか、何も覚えていない。


覚えているのは、空腹で力が出ない体を、動かす事が出来なかった感覚だけ。



その次は、ルーアン子爵に金で売られた記憶。


数枚の銀貨を持って、エマの母親は娘に振り返る事もなく、子爵家を出て行った。



それからはつらい日々の連続だった。



朝早くから鍛練をさせられて、その後は色んな事を覚えさせられた。

そしてまた夜遅くまで鍛練させられる。

お腹がすいてひもじい思いをすることは無かったが、鍛練は厳しくて食事も喉を通らない程に辛かった。



そうして過ごしているうちに、自分がルーアン子爵の庶子であるとエマは知った。

自分を都合よく使う駒にする為に、色々な事を学ぶよう強制させられていると。



しかし栄養失調で体の小さいエマは、武術を習得するには時間がかかる。


そして文字すら教わって来なかった為に、勉学もはかどらなかった。


教育に時間がかかると気付いた子爵は、彼女を海賊に預けて、子供達を誘拐する時の駒にした。

子爵の血を引いたエマは、平民らしくない見た目をしていたので、少し良い服を着せれば貴族にも見せることが出来た。

そうしてエマは、誘拐する子供に声を掛ける役目が与えられた。


最初は嫌がったが、言う事を聞かなければ自分が殴られる。


エマは大人しく与えられた役目を全うした。



そうして船底で、誘拐された子供達を見張っていると、エマの中に別の感情が生まれた。

恵まれた環境に育っても、自分と同じ場所に落ちて来た子供達を見ていると、何だか胸がスッとしたのだ。





今でもあの日の事を覚えている。



天使の様に美しい少女と少年。



指示役の男から、王太子の婚約者は騎士が多すぎて手が出せないから、次女の方を狙えと指示を受けた。

子爵からの指示は傷をつける事だったようだが、海賊達はそれはもったいないと、出来れば誘拐する方向で動くようにとエマに言った。


彼女達が自分の場所まで落ちてきたら、きっと今までになく胸がスッとするだろう。エマはそう思った。



「お母さんの形見の指輪を落としてしまったの」

そう言って、二人の注意を引く。


いつもは一瞬でも注意を引いた瞬間に父親役が出てくるが、今回は近くに騎士がいたからか、彼はすぐには合流してこなかった。


エマのいつもの台詞に、心を寄せる子供達ばかりではなかった。

ただ子供達の注意を引くための台詞だから、興味が無さそうな顔をしても、エマは何とも思わなかった。

自分が与えられた役をこなすだけ。


だけど二人は違った。



心配そうにする少女と、必死に海の中に落ちた指輪を探してくれる少年。



(嘘だよ。指輪なんて持ってない)



エマは心の中で呟いた。



エマの心に寄り添う様に接する二人に、胸がムカムカとする。





ここに来てからも、エマはずっとあの日の事を考えている。

あの胸のムカムカは、偽善者ぶった二人に対してなのか。

心優しい二人を、これから地獄に落とそうとする自分に対してなのか。



答えはいまだに出ていない。



机の上に、聖書が置かれている。

読む本は無いから、ずっと聖書だけを読んでいる。

聖書には天使様の描写も描かれている。


あの日にあった少女と同じ色をした天使様。



そんな事を考えていると、医院長から今日は面会があると言われた。

ここに来て初めての面会人は、どうせ自分をここに入れた侯爵だろうと、エマは思っていた。

侯爵以外にエマに会おうとする人はいないだろう。

ノックの音がしても、返事はしない。いつもと同じ。


だけどそっと開いた扉から顔を覗かせたのは、あの日の少女。



(あの子はもしかして、人間じゃなくて天使様だったのかも・・・)


エマはふとそんな事を思って、心の中で馬鹿げた考えだと自嘲した。



「エマ・・・覚えてる? アリスよ」



アリスの声は、あの頃と変わらない。

涼やかで、優しく響く。大きな声を出していないのに、はっきりと耳に届く不思議な声。

エマは、自分を心配そうに見つめるアリスを見て、笑ってしまいそうになった。


自分に傷つけられた彼女は、それでもあの時と変わらない表情で、心配そうに自分を見つめている。


その瞬間、エマは自分がアリスを待っていたんだと、自然にそう思った。


天使様が今、自分に救いの手を差し伸べたと、エマはそう思った。



「エマ、ごめんね」


何故アリスが謝るのか。悪いのは私なのに。


「私、分かっていたのに」


なにを?


「知っていたの。迂闊に近寄ってはいけないって」


何の話?



黙って聞いていたエマは、話の矛先が見えずにアリスを窺い見る。

キキは、絶対にエマから目を逸らさないが、アリスの話の方向性が分からずに訝し気な表情のままエマを見ていた。





「野生の獣には絶対に近づいてはいけないってこと!」



キキは思わずエマから視線を外し、アリスに顔を向ける。




「お嬢様・・・。何の話ですか?」

「だからね、追い詰められた獣は怯えているから、そっとそっと『よーしよし』って近づいて、保護してあげないといけないのよ。

なのに私が先走ってエマに手を差し出しちゃったから・・・」

「刺されても仕方が無いと」

「うん。エマは悪く無い」


真剣な表情で語るアリスに、キキは自分の眉間をモミモミする。ストレスをそこから絞り出すかの様に。


「今、エマを獣に例えました?」

「うん。子供は皆、獣なのよ。お姉様が言っていたわ」

「アデル様が?」

「うん。だから『よーしよし』ってそっと近づいて、ガスパルトの首根っこを掴んだんだって」

「いやいや。・・・え? アデル様、カイゼルスベルク公爵家嫡男の首根っこを掴んだんですか?」

「うん。手負いの獣だったから首根っこを掴んで、大人しくさせたそうよ。もうルイに手を出させないから大丈夫って、昔言ってた」


「・・・・・」


「だから、エマは悪く無い。私が上手く首根っこを掴んであげれなかったから・・・」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



何の話か分からないが、エマは二人の掛け合いを聞いて、「ふっ」と笑ってしまった。

そしてそんな自分に驚いて、口に手を持って行く。

そっとアリスを窺い見れば、全てを目にしていたアリスが、エマに花が綻ぶ様な満面の笑顔を見せた。



その瞬間に、エマは自分が正しかったと思った。


(彼女は天使様で、私の懺悔を聞きに、私に贖罪を与えに来てくれたんだ)



エマの瞳から涙が一粒零れる。

彼女はそれをそっと掌で触れて、そして確かに濡れているその手を、他人事の様に眺めた。


(久しぶりに泣いた。売られてすぐから泣くことを止めたから、久しぶりだ)


そしてエマは、自分が“エマ"という役をやっている時以外で、初めて笑ったと気付いた。

そう考えた時に、次から次へと涙が出て来た。

溢れ出る感情が制御できずに、エマは零れる涙を忙しなく手で擦り続けた。



「お嬢様!」


叫び声の後に、エマは自分が抱きしめられている事に気付いた。


柔らかくて、いい匂いがする。陽だまりの様な優しい温かさ。



エマは人生で初めて、声を出して泣いた。











エマが零れる涙を何度も拭っている姿を見て、アリスは出会った頃のルイの姿を思い出していた。

零れる涙を何度も何度も拭う姿が痛ましくて、アリスは制止するキキの声を振り払って、エマに駆け寄って彼女をきつく抱きしめた。



「エマは悪く無い。何も悪く無いよ」


アリスは何度もそう言って、エマの頭を優しく撫で続けた。



彼女が泣き止むまでずっと。







結局アリスは何も聞かずにそのまま帰って行った。




手を振って。




また来るね、そう言って。








部屋からアリスを見送ったエマは、考えていた。


コンフラン領の城の地下牢に閉じ込められている時、何度も大きな男性に尋問された。

だから彼らがどんな情報を欲しがっているのかを知っている。

だけどアリスはそれを教えてくれとは、結局一度も言わなかった。



あの日のアリスの声がエマの耳に響く。





『エマの事も守ってあげる!』





エマはこの病院に来て、初めて自主的に部屋の外に出た。

そして医院長室にやって来ると、ただ一言呟いた。



「侯爵様を呼んでくれますか?」



医院長室にいたセリアがエマの前にやって来て、優しくエマの手を取る。



「きっと、お力になれる情報があります」



セリアはエマの震える体を、そっと優しく抱きしめた。





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