③ カイゼルスベルク公爵家
「じぃじ! おうまさんごっこしよ!」
ルイと会えないまま年を越したアリス。そして後三ヶ月でアリスが五歳となる月に、父親と母親、そしてアデルが領地に戻る事となった。
領地を持つ貴族のほとんどは、年に一度、社交シーズンが終わる八月頃から十二月頃までを領地で過ごす。しかし小さな幼児がいる家では、あまり長時間幼児を馬車に乗せるのは酷であるため、あまり帰らなかったりする。
そしてまた、王宮にて大臣職や貴族席を持っている高位貴族も、領地は家族や親戚に経営を任せ、何かあれば出仕できるよう、領地に帰らず王都で一年のほとんどを過ごす選択をする家もある。
しかしそうする理由は、タウンハウスの大きさにも左右される。
王都は物価が高い為、裕福ではない貴族はタウンハウスを持てないし、持っていても領地のカントリーハウスとは桁違いに狭い。高位貴族であっても多くの家が、門も庭も無く道から数段の階段を上ると、もうそこは入り口のドアになるようなタウンハウスに住んでいる。
もっとお金の無い低位貴族になると、ワンブロックに数件の家が建つため、隣家とも繋がっている長屋式の邸宅であったりもする。
しかし王家に連なる公爵家や裕福な侯爵家になると、タウンハウスでさえも門や壁で囲われ、庭も広く取られた豪邸を持っている。
コンフラン侯爵家は、王家に連なる家系を除いた貴族の中で、一二を争う資産家であった。
その為、コンフラン家も前庭も後庭もある豪邸に住んでいた。
普段は侯爵家を継いだ息子の代わりに領地にいる前侯爵夫妻だったが、この度、息子夫婦と入れ違いに王都にやって来た。
その理由は、アリスがタウンハウスに残るからだ。
領土の広いヴィルフランシュ王国の最北端にコンフラン領があり、王都からは馬車で十日程かかってしまう。
そんな長旅にいくら元気溌剌のアリスであっても、まだ五歳にはなっていない為、侯爵夫妻はアリスを置いていく事にした。
「アリス、お父さんとお母さんとアデルは、ちょっと用事が出来たので領地に戻る事になった。
アリスにはまだちょっと馬車での旅行は早いから、アリスはお留守番だ。
いい子で待っていられるかな?」
いつもなら泣いて喚いて我を通そうとするアリスだったが、今回はすんなりと受け入れた。
どうやら差し迫った自分の誕生日に関する何かだと、ポジティブに受け取ったようだ。実際には的外れな考えなのだが・・・。
さらに、年に一度しか会えない祖父母がタウンハウスにやって来たので、アリスは興奮しながら家族を見送った。
侯爵の教育には厳しかった前侯爵夫妻だが、孫であるアデルとアリスには激甘だった。
朝から好きな物を食べさせて、夜も好きな時間に寝かせる。お話しながら食事をしても怒られない。夫人が怒るのは、歯磨きをさぼった時だけ。
そんな祖父母がアリスは大好きだった。
そして、そんなアリスが好きなのが、じいじを馬に見立てたお馬さんごっこ。
夫を馬車馬の様に働かせて悠々自適な暮らしを夢みていたアデルと、老齢の祖父を馬車馬の様に四つん這いで走らせるアリス。
間違いなく姉妹である。
アリスがわんぱくに過ごしている頃、侯爵夫妻とアデルは、王都から北にあるコンフラン領ではなく、真逆の南にあるカイゼルスベルク公爵領に来ていた。カイゼルスベルク領はさらに遠く、王都から二週間かかってしまう。
王族の姫として生まれた公爵夫人だったが、体が弱くとても長生きは出来ないだろうと幼い頃から言われていた為、王宮の奥で大事に育てられていた。もちろん政略結婚もさせられない。なんとか学園に通い出したお姫様は、上級生だった当時のカイゼルスベルク公爵子息と恋をし、そして学園を卒業後に結婚をした。結婚当初、体の弱い夫人の為に、夫婦は一年のほとんどを温暖な気候のカイゼルスベルク公爵領で過ごした。騎士として活躍していたカイゼルスベルク公爵子息であったが、妻の為に王国騎士団を辞め、領地に引きこもった。領地の温暖な空気が肌に合ったのか、夫人は問題なく生活をする事が出来、更に子宝にまで恵まれた。
長男が五歳になった時に王都に戻って来た夫人だったが、次の子を王都で出産すると、産後の肥立ちが悪く伏せがちになってしまった。
すぐに夫人だけでも領地へと帰そうとした公爵だったが、乳飲み子を母親と離すわけにはいかないと、夫人とルイを領地へと帰した。そして、アリスとの顔合わせ以外で領地を出る事はなかった夫人であったが、一月前に風邪を拗らせ、そのまま帰らぬ人となったのだ。
既に遺体はカイゼルスベルク公爵領にある、代々の領主の墓がある教会の地下で眠っている。
今は数日前から、個人を偲ぶセレモニーが公爵領にあるカントリーハウスで一週間執り行われている。
そこにルイの婚約者の家族として、侯爵家の面々は参加をした。
恵まれた体躯を持ち、騎士として名を馳せた公爵は、威風凛然とした人物だった。
しかし最愛の妻を亡くした彼は、憔悴しきり、ただ現実を受け入れられず、過ぎていく時に身を任せていた。
長男はほとんど会えなかった母親の面影を探して、母親の肖像画の前で泣いていた。
侯爵家の面々は公爵を励まし、セレモニーが恙無く進行するように裏方として手伝った。
このセレモニーにかかる費用も現在の公爵家では賄えず、王家と侯爵家が折半したのだ。しかし侯爵夫妻も、たった一度しか会っていないが公爵夫人を大変好ましく思っていたため、皆の心に残るようセレモニーの費用を惜しみなく援助した。
アデルは両親の手伝いもせず、公爵家を歩き回っていた。
昨日公爵家にやって来てから、一度もルイの姿が見えないのだ。
アデルはメイドに声を掛け、ルイの部屋に行ってみた。しかしどこにも姿が見えない。
「もしかすると・・・」
そう言ってメイドが案内してくれたのは、広大な裏の庭の一角にある温室。
豪邸の裏側に長く伸びる広大な庭はそのまま森へと繋がっている。王都にある王宮と同じ様式のこの豪邸と庭は、建国の父である初代国王が弟の為に建てた由緒正しい屋敷である。
しかし今は掃除が行き届いておらず、庭の草木も剪定されておらず伸び放題となっていた。コンフラン家のタウンハウスにもある、同じ建築家によって作られた巨大な噴水は、現在使用されていなかった。
温室の中に入ると、そこは綺麗な花で埋め尽くされていた。庭師を雇う余裕は無かったようだが、温室だけは夫人の手で整理されていたようだ。
亡き夫人が、一日のうちの多くの時間を過ごしたその温室の片隅に、ルイはいた。
小さな体をさらに小さく縮こめて、温室の片隅に無表情で座り込んでいた。そして、自分の指を無言でずっとおしゃぶりしていた。
アデルはその姿に、胸が張り裂けそうになった。
悲しみを大きく外に出し泣き続ける長男と、外に出す事が出来ずに、大きな悲しみに呑み込まれそうな次男。
公爵夫人が二人にとって、どれほど大事な母親だったのかがうかがい知れる。
「おいで」
アデルが手を差し出すと、ルイは素直に手を伸ばし、大人しく抱っこされる。
しかし表情は無いままで、そこにルイの意思が無い事が見て取れた。
されるがままアデルに抱っこされたが、アデルの体とは反対側を向き肩に頭を乗せて、おしゃぶりを続ける。
温室に座り込んでルイを抱っこしていたが、そもそも貴族令嬢のアデルには、ルイを抱っこして立ち上がる事も出来ず、どうしようかとその場で悩む。
頭脳明晰で同年代の中でも大人びているアデルであったが、それでもまだ十二歳である。さらにいつも側に居るのは、我が道を行きまくる繊細さの欠片も無い妹だ。
アデルは、まだまだ子供の自分では幼児の心のケアは無理だと感じ、ルイと手を繋いで自身の両親のもとに向かった。
アデルから温室での様子を聞いた侯爵夫人は、セレモニーの間ずっとルイを抱っこし続け、そして自分達が帰る前に、ルイを力いっぱいに抱きしめた。
自分の温もりを記憶させるように。
「ルイ。あなたはアリスの婚約者だから、わたくし達にとっても息子と同じなの。
だから忘れないで。
もしも辛い事があったら、必ずわたくし達を訪ねて来て。
わたくし達に助けを求めて。
絶対よ・・・」
聞こえていない様に意思表示を示さないルイを、侯爵夫人は何度も辛抱強く言い聞かせ、時間が許す限り抱き締め続けた。
その間侯爵は、打ちひしがれている公爵を励まし続けた。彼にはまだ二人の子供が残されているのだ。気をしっかりと持ち、子供達に寄り添う様に根気よく諭す。
コンフラン家の面々は、不安を残したままカイゼルスベルク公爵領を後にした。
家族は皆、アリスを残して長期的に不在にしたのは初めてだったので、今更ながらに不安になってきた。
(((アリス、寂しくて泣いてるんじゃ・・・)))
それぞれが、自身が愛するアリスの姿を思い浮かべて、心がそわそわとする。
侯爵は、泣きながら自分に手を伸ばして「抱っこ」と甘えるアリスを。
夫人は、目に涙を浮かべて自分に抱き着き、抱っこをしてあげると指しゃぶりをしたまま自分の頭と肩の間に体重をかけて甘えて来るアリスを。
そしてアデルは、さっきまで寂しくて泣いていたのか目を赤くさせて、自分に一目散に駆け寄って来るアリスを。
それぞれが、アリスにとっての一番は自分だと自負していた。
そして一分一秒でも早く、寂しさに涙を流しているアリスの元へと帰り、抱きしめてあげなければと考えていた。
そして侯爵家に辿り着いた一行は、エントランスで「はひはひ」言いながら、長時間アリスに馬役をさせられていた前侯爵が、涙目で自分たちの元に駆け付けた光景に、自分たちの妄想を打ち砕かれてしまった。
そして当のアリスはケロッとして家族を迎え入れ、そして自分の誕生日の為に長期不在にしていたわけではなかった事を知り、目くじらを立てて怒りまくった。
そろそろコンフラン侯爵家の面々は、アリスという人間の人物像をアップデートした方がいい。
侯爵と夫人は、繊細さの欠片も無い自身の娘を見て、ただ頭をなでなでした。
「?」
不思議がるアリスを残して、疲れた体を引きずって部屋に戻って行く夫妻とアデル。
キョトンとしたアリスだったが、エントランスに祖父と二人になった事に気付いた。
「じぃじ! お馬さんごっこしよ!!!」
「もう無理じゃ~~~~~!!!」
その日、侯爵邸に前侯爵の泣き声が響き渡った。