③ ドキドキドキドキ
ルイが乗って来た公爵家の馬車に乗って、二人で学園へと向かう。
公爵家は侯爵家の援助の元、数年で持ち直し、今では昔の様に潤沢な資産を蓄えることが出来た。
アリスをエスコートしたルイが、アリスの前に座った。
そこでまたアリスが少し寂しそうな顔をした。
寂しがり屋だったルイは、いつも人の温もりを恋しがった。
馬車でもソファでもアリスの横に座る時は、いつも足や腕が当たる程近くに座っていたのだ。
なのに、四年ぶりに会ったら遠くに座った事に、アリスは時の隔たりを感じた。
アリスがルイを見ると、ルイは窓の外を見ていた。
身長もずいぶん大きくなって、父親である侯爵より高くなり、筋肉質な大きな体になっていた。
肌は焼けて褐色になって、どこにも昔のルイの面影は無かった。
アリスは、ルイと繋いていた自分の手を見つめた。
自分の手をすっぽりと包み込んでしまう程の大きな手。ごつごつとした男の人の手。
アリスは感じた寂寥の思いを心の奥底に仕舞いこみ、コンフラン家の門を通り抜ける景色を、馬車の窓から見つめた。
アリスが自分から視線を逸らして窓の外に目を向けたことに気付いたルイは、馬車の窓枠に肘をついたその手を口元に持ってきて、横目でアリスを見た。
肖像画よりも何倍も美しくなったアリスに、心臓がうるさい程音を鳴らす。
前髪を少し長めにして、センターから両側へと流しているため、アリスの美しい顔がすべてさらけ出されている。
陶磁器の様に白い肌、バラ色の頬。輝く瞳はどんな宝石よりも美しくて。
ピンク色の唇はほどよくふっくらとしていて、軽く付けられたグロスがツヤツヤとしていた。
ハーフアップにされた黄金色の髪が、その美しい顔に色を添えるように、ふわふわと下へと流れる。
そしてその髪が、見事な山の上にも流れる。
(けしからん・・・)
ルイは、アリスのけしからんボディに、顔が熱くなるのを感じる。
(あんな体形が分かる服で学園に通うなんて!)
ただの制服である。
だけどルイは、常に自分が側にいなければ、どんなに嫌らしい目でアリスが思春期男子に見られるかを想像し、脳内で怒り狂っていた。
この王国の至宝を誰にも取られないようにする為にルイは算段するが、男とは動く物を目で追ってしまうという習性がある。
アリスのけしからん二つの山の上で、馬車の振動で体が揺れるアリスに合わせて揺れる髪を目で追う度に、顔を赤らめた。
どんなに体を鍛えても、どんなに立派になっても、ルイはまだ十五歳。
健全な思春期の少年だった。
学園の門が馬車の窓から見えた時に、ルイは朝に侯爵家で言えなかった事を伝える為に、真っ直ぐにアリスを見た。
「会いたかった。すごく会いたかった。
アリスが、すごく綺麗になっててびっくりして、さっき言えなかったけど」
アリスはルイの、今までにない真っすぐな賛辞に胸が高鳴るのを感じる。
アリスの瞳に涙の膜が張り、いつもよりきらきらとする。
その瞳に自分が映っている事に気付いて、ルイの胸も歓喜で震える。
「それ、着けてくれて、嬉しい」
ルイが少し頬を染めて、アリスが着けているチョーカーに優しく触れた。
アリスは子供の頃と同じ様に、大きく口を開いて笑った。
「私も。私もすごく会いたかった」
馬車が学園の門を潜り、馬車止めに止まる。
馬車止めは、王家、高位貴族、そして低位貴族で使う場所が変わる。
国王の孫であるルイは公爵家ではあるが、国王の直系がいない事もあり、王家の馬車止めを使うことを許された。
ルイが馬車から出ると、車止めにいた生徒達の誰もが言葉を失くした。
同年代とは思えない、騎士の様な体格をしたルイが威風堂々と馬車から降りて、颯爽と至宝と呼ばれた美少女をエスコートしている。
ルイの幼少期を知っている少女達は、あの儚げな少年がもうこの世にいないことに気付いて、心の中で涙を流した。
そしてルイの幼少期を知らない少女たちは、周りと比べて一人異彩を放つルイの色気にやられて腰が砕けていた。
しかしそこにいた少年少女全員が瞬時に理解した。
手を繋いで歩いていくルイとアリス。
あの二人は二人で完成しているのだ。あそこに入り込む勇気はないと・・・。
しかし、空気を読めずに入り込む輩はいる。
アリスとルイが手を繋いで教室に入ると、一人の少女がアリスに声を掛けてきた。
赤みの入った金髪を見事な縦巻きロールにしたド派手な少女。
腰に手を当てて仁王立ちになって立ち塞がる姿は、どこぞの悪役令嬢。
その見るからに悪役令嬢が、ルイの顔を見て、ポッと頬を染めた。
「イザベラ・・・。顔が赤いわよ? 風でも引いたの?」
「あなたね~・・・突っ込みどころ満載ですのよ!
まず友達でも無いのに名前で呼ばないでちょーだい!
乙女の恥じらいを言及しないでちょーだい!
あと、“風”じゃないのよ“風邪”なのよ!!!」
「イザベラ。わたくし達、もう子供じゃないのよ? そんな大きな声を出さないの」
「めっ」と子供に注意をするような優しい声でアリスが注意をする。それがイザベラの怒りという名の火に油を注ぐなどとは考えもせずに。
「友達なの?」
「そうよ。イザベラ・パルフルール公爵令嬢よ」
「ああ、あの・・・。(日和見公爵だから特に貢献もしていなくて、今年のデビュタントでアリスの前に名前を呼ばれたことに、気鋭な奥方から怒られて耳を引っ張っていかれた、あの・・・)」
「・・・・・・友達じゃないし、今なんか心の声が聞こえましたけど・・・」
ルイがごまかす様に微笑むと、イザベラがまた頬を赤らめる。
アリスはその様子を見て、少し心がモヤモヤとした。
しかしそれが何なのか、何故なのかは理解できないまま、二人が視線を交わしている側で立ち尽くす。
それは一瞬の事なのに、永遠の様に感じられた。
「イザベラ・パルフルールでございます。ルイ様と同じクラスメイトになれて光栄ですわ。
今年の新入生代表だなんて、素晴らしいですわ」
「ありがとう」
ルイは視線をイザベラに向けていても、アリスの異変を逃す事はない。
アリスと繋いだままの手に少し力を入れてギュッと握った後、親指でアリスの指を優しく撫でる。
今度はむずむずとした感覚にアリスは陥り、そわそわとし出す。
その感情の流れを横目で確認したルイが、口元に少し笑みを浮かべた。
何だかむずむずして、またどこかに走って逃げたい気持ちに駆られたアリスは、ごまかす様に二人の会話に入る。
「ルイ、新入生代表なの!?」
「そうだよ」
「頑張ったのね、ルイ。・・・ポンコツなのに」
「あ、うん。その設定、まだ生きていたんだね」
アリスはルイが、新入生代表に選ばれたことが誇らしく、満面の笑みでたたえた。
「アリスもすごく頑張っていたって、侯爵から聞いたよ。えらいね」
「当たり前よ。スーパーハニーは何でも全力。手を抜いたりはしないのよ」
えらいえらいとルイが頭を撫で、アリスがえへへと笑って、そのまま二人はイザベラが居た事など無かったかのように、二人でそのまま教室に入って行った。
その場にポツンと一人残ったイザベラ。
「え? 無視??? っていうか、スーパーハニーって・・・。その設定、まだ生きていたんですのね・・・」
*****
無事に入学式を終えて、ルイに送ってもらってアリスは侯爵邸に戻ってきた。
早朝から王宮に行っていたアデルも夜には戻ってきたが、侯爵は入学式の後に仕事に向かい、まだ帰ってきていない。
アデルと侯爵夫人は「女子会ね!」と興奮して、執事長にパーティ仕様のディナーを準備させて、アリスの部屋のテーブルソファでお酒を飲みながら三人でディナーを楽しんだ。
「ルイルイ、すっごいイケメンになってたんだって?」
朝に居なかったアデルが、夫人とアリスの顔を交互に見ながら聞いた。
アリスが、少し恥じらうかのように視線を逸らした為、二人はニマニマとアリスの顔を見ながら会話を広げる。
「そうなのよー! 小さい時から可愛かったけど、もう可愛い要素なんてどこにもなくて、すっごいワイルドになってて~」
「そうなの!?」
「そうなの! 逞しい鍛え上げた体に、少し日に焼けた肌。もうどこからどうみても、お・と・こ!」
「きゃ~~~! 見たかった~~~!!!」
「もうね。新入生代表で挨拶する時なんか、黄色い声がそこら中から上がって! もう誇らしかったわ~。家族席で隣にいた婦人方に、うちの婿なのよ~って自慢したわ」
母親とアデルが文末にハートが付く会話を繰り広げている間、アリスは黙ってディナーを食べ続ける。
アデルは自分の足に肘を乗せて、隣に座るアリスの方に体を傾ける。
「それで? アリスは久々にルイに会ってどう思ったの?」
前のソファに一人で座っている夫人も、ワインを片手にひじ掛けに肘を付いて体を傾ける。ニマニマしながら。
マナーを取っ払ったコンフラン家恒例の女子会。
アリスが話の的になるのは初めてのことだった。
アリスは今日自分が感じた感情の揺れを言葉にするのが難しく、ただ事実を、起こったことを母と姉にもそもそと伝えた。
二人の瞳には、恋を自覚していなくても、確かにアリスの中に若葉が育ち始めていることが見て取れた。
初々しい少女の横顔に、侯爵夫人は昔の自分と重ね合わせてキュンキュンしている。
「もっと自分の心に寄り添って、その感情に名前を付ければいいわ。アリスの歩幅でゆっくりと進めばいいわ」
母の顔に優しさが広がる。だけどそれは、今までとは違うものにアリスは見えた。
このモヤモヤの、そしてドキドキの答えが分かれば、きっと母の、あの表情の意味が解る気がする。
元気いっぱい、猪突猛進のアリスの夜は短い。
あくびをし出した末娘をベッドに向かわせ、侯爵夫人はワインを片手に今度は長女に狙いを定める。
「あなたはどうなの? 最近、上手くいってるの?」
「まぁ、そこそこには・・・。燃え上がるような恋ではないけど。
やっぱり女は愛する人と一緒になるより、愛してくれる人と一緒になるのが一番いいのよ。
尻に敷いてこき使ってやるわ」
アデルは澄ました顔で応える。
あと数週間で、アデルは結婚して王宮に住まいを移すのだ。
侯爵夫人は、いつも全てをそつなくこなす娘をジッと見つめた。
「あなたがもしも、本当に嫌だったら、今からでも結婚を止めてもいいのよ? コンフラン家にはその力があるわ。
私は、あなたにもしっかりと恋愛をしてもらいたいの」
母親の言葉を胸に、アデルもワインを口に含んだ。今日はやけにワインが苦く感じる。アデルは苦い薬を飲み込むかのように嚥下する。
そして、自分の中にずっとあった気持ちを、初めて言葉にした。
「私ね、いつも全てを理性的に見てしまうの。
物心ついたころから、全てを俯瞰して見てきたわ。
何にも熱くなれずに、いつだって冷静で。
だから物語が大好きだった。小説は夢中になれるから・・・」
アデルは別に、小説の中のヒロインになりたくて読んでいたわけではない。ただ、小説を読んでいる間だけは、自分の中に感情の起伏を感じる事ができるから。
「あの事件の時、ラファエル様はずっと側に居てくれた。
侍従に帰るように諭されても、ずっと私の傍に居て、支えてくれた。
私はあの時、あの人に救われたの・・・」
立っているのもやっとな自分に、そっと寄り添って支えてくれた人。
震える手を、ずっと握ってくれた人・・・。
確かにあの時、アデルの中に生まれたものは、感謝だけではなかった。
アデルはそっとワイングラスをテーブルに置いて、ソファの上で居住まいを正した。
「お母様、私にアリスをくれてありがとう。
感情のままに笑い、泣き、怒るあの子がいなければ、私は冷たい、何も感じない女になっていたかもしれない。
あの子を愛したから、私は愛情を知る事が出来たのかもしれない」
アデルは、急に涙が溢れてきたことに驚いた。悲しいわけでもないのに涙が零れて来て、アデルは感情をコントロールできない自分に驚いた。
侯爵夫人は立ち上がってアデルの横に、先ほどまでアリスが居た所に座った。
そして、泣きたいのか堪えたいのか、それすらも分からないような表情で黙り込んだ娘を、ただ抱きしめてあげる。
「あなたは感情のある子よ。大丈夫。あなたはアリスが生まれる前から、このお母様に優しい子だったもの」
背中をポンポンと優しく叩くようにあやされて、アデルは母親にしがみついて泣き出した。
そのまま母親の胸で泣き続けたアデルだったが、理性を取り戻したのか、少しすると恥ずかしそうに起き上がって涙を拭いた。
その姿を見て侯爵夫人も笑ってしまう。
アリスだったら泣いて泣いて、冷静になる前に泣き疲れて眠ってしまうからだ。
すぐに冷静に戻り、自分の感情を隠してしまう。それは母親から見たら不器用な娘に見えた。
侯爵夫人は、アデルの乱れた前髪を手で整えてあげる。
栗色の髪は侯爵夫人と同じ色。
サラサラのその髪を優しく撫でる。
「つらくなったらいつでも帰ってきなさい。ここはあなたの家なのだから」
アデルは、赤く染まった目で真っ直ぐに母親を見つめ、そして――—
「大丈夫です。私に辛酸を舐めさせたあの女を王宮から蹴りだして、私が住みやすい場所にしてやるわ」
そう言って、腹黒い顔をして笑った。
侯爵夫人は口を開けて大きな声で笑いだした。
「それでこそコンフラン家の娘ね!」
二人は遅くまで飲み続け、酔っぱらってそのままアリスのベッドルームに突入した。
朝起きたアリスは、いつの間にか母親と姉と三人で川の字で寝ている事に気付いたのだった。