② 再会
アリス、恋の予感です♡
アリスの専属メイドのキキは、全ての準備を整えて、鏡越しに自慢の姫様の姿を満足そうに、・・・・・・・驚いて二度見した。
そして、器用に右の眉だけを吊り上げた。
因みにこれは侯爵夫人がよくする表情だ。片側の眉だけを上げて感情を表にする。
キキはコンフラン領に生まれ、海の男にもまれて育ってきた。
運動神経に恵まれた彼女に目をつけた侯爵夫人が、未来の王太子妃となるアデルの専属メイドにする予定で、王都に連れて来た。
アデルについたキキであったが、アデルが王宮に行っていて人手が足りなかった時にアリスについた事があった。
目を離した瞬間にどこかに行ってしまう野生児だと聞いていたお嬢様は、姿鏡の前の床にずっと座っていた。
噂と違うな~と思いながらよくよく覗いて見ると、鏡の前で変な顔を作っていた。眉を上げ下げして、「むぅ!」と怒る。それを繰り返している。
後で知った事だが、この時片眉を上げる練習をしていたようだ。
愛らしいな~と、微笑ましく見ていたが、母親と同じ様に片眉だけを上げる事が出来ず、苛立ったアリス。
急に沸点に到達したアリスが怒りの形相で頭を後ろにのけぞらせた。
キキは叫び声を呑み込んで、スライディングでアリスの元に行き、アリスが鏡に頭突きをする前に、鏡とアリスの頭の間に手を差し込むことに成功した。
これを見ていた侍女長の推薦で、キキはアリス付きのメイドとなった。
そつなく全てをこなすアデルに付けても、キキの能力が最大限に活かせないことに侯爵夫人も気づいたのだ。
それから、アリスが何かをする度に、それを解決するたびにキキのボーナスは増えていった。
アリスが裏庭で遭難したのを助け出した年には、目ん玉が飛び出る程のボーナスが出て、キキはホクホク顔であった。
話が逸れたが、真新しい制服に着替えたアリスを二度見したキキは、一つ、また一つとベルトの穴を緩めていく。
「キキ、そんなに緩めたら、ベルトが回ってしまうわ」
そう言われたら戻すしかないが、キキは一つしか戻さなかった。
これは譲れない。
ヴィルフランシュ王国の貴族学園の制服は、紺色のワンピーススタイルの制服で、ボルドー色の細いベルトがアクセントとなっている。
そう。この細いベルトが、アリスのけしからんボディを浮き彫りにするのだ。
(お嬢様! なんちゅーご立派なお山・・・)
キキは、年頃の少年たちの中に、このパーフェクトボディを晒すことに危機感を覚えた。
キキの意図が分からないアリスは、制服の首元のボタンを二つほど外す。
(!!!!!!)
もっとけしからん事になったが、アリスの意図に気付いたため、キキは黙ってとあるチョーカーを取り出してアリスの首に着けた。
黒のベロアからぶら下がっているのは、小さいながらも精巧なカッティングが施されたイエローダイヤモンド。そしてその周りに小さなダイヤモンドが縁取っていて、アリスが動く度にキラキラと光り輝く。
アリスの十五歳の誕生日に、ルイから届いた成人のお祝いのプレゼントだ。
アリスはそれにそっと触れる。
そしてしらうおの様な手が、元あった場所、お腹の辺りに降りていって、しかしそこで止まらずに右わき腹をすっとなぞった。
あの事件以来、アリスが無意識にする造作だった。
アリスの脇腹には、あの日の傷が消えずに残ったのだ。
貴族令嬢には許されない傷。
しかし誰にも何も言わせない。
こんな傷。
コンフラン家の後継者であり、至宝の美貌を持つアリスには、ほんの少しの足枷にもなりはしない。
キキは心からそう思った。
毎年八月の最後の日に開催される王家主催のデビュタント。
その年に学園に入る少年少女達が真っ白の衣装を着て、国王に成人の挨拶をする舞踏会。
一人ずつ呼ばれてお披露目されるその儀式は、爵位の低い順に呼ばれていく。しかし爵位が全てではない。その家の貢献度も順位に影響が出て来るので、我が子がデビュタントの年には、親たちは少しでもその機会があれば王国に進んで貢献する。
この年、最後に呼ばれたのは公爵家の娘ではなくアリスだった。
王国随一の資産家である侯爵家の貢献度はいつも高く、アデルの年も、公爵家の面々を尻目にアデルが最後に登場した。
アリスの登場は、その後何年も語り継がれる程に多くの人々の心に残るものだった。
パフスリーブのプリンセスラインの白いドレス。しかし中にアリスの瞳の色の生地が使われているのか。幾重にも重なったシフォンレースで覆われたドレスが、アリスが動く度に色を変えるように微かにライラックが見え隠れする。
シフォンレースには細かいダイヤが縫い付けられていて、アリスの高貴な美貌に輝きを添えた。
侯爵のエスコートで国王の前まできたアリスは、完璧なカーテシーで国王に挨拶をする。
「これはこれは。コンフラン家の秘された至宝が世に出た瞬間であるな」
国王は優しくアリスに微笑む。
「アデルの時も声を失ったものだが」
そう言って国王が右横にラファエルと並ぶアデルに視線をやれば、
「比べ物になりませんでしょ」
アデルがどや顔で返す。
国王とアデルが近しい関係であることを周りに知らしめる会話であった。
「アリス・コンフラン。そなたはコンフラン家だけでなく、この国そのものの至宝であると言える。
長らく生きてきて、そなたほどの美貌を見たことがないぞ。
みな。アリスが侯爵にエスコートされた為に浮かれているかもしれぬが、この国の至宝に手を出す事はわしが許さぬ。
アリスは既に王家のものであるからな」
国王が会場に集まった全ての貴族に聞こえるように宣言する。
「アリスは、我が孫であるルイ・カイゼルスベルグの婚約者であること、忘れるでないぞ」
社交界にデビューしたアリスのその類い稀なる美貌は、その日たった一日で大陸中に広まったと、人々は話した。
キキはその日の事を侯爵夫人から聞いて、アリスに仕えていることを誇らしく思った。
そんな風に過去を思い出していると、執事がアリスを呼びに来たのだ。
「アリスお嬢様。ルイ様がお迎えにこられました」
執事の一言に、アリスの肩が僅かに揺れる。
何でも無い風を装って髪のチェックをして、またそっとチョーカーに触れる。
小さく一つ呼吸を零して、アリスは鏡の前で笑顔を作った。
「今行くわ」
そう言って、踵を返した。
アリスは緊張していた。
あの日から四年間もルイに会っていないのだ。
毎年誕生日にはプレゼントが届く。
心が籠ったメッセージカードと紫のライラックの花束も。
そしてルイの誕生日には、肖像画を送って欲しいとねだられた。
それはとても小さな肖像画で。
不思議に思ったアリスが母親に聞くと、「ロケットペンダントに入れて、常に持っているためでしょう」と言われた。
それを聞いたアリスは少し居心地が悪くなって、母親の部屋から飛び出して行った。
それから毎年、ルイは誕生日プレゼントに肖像画をねだって来た。
肖像画のモデルになるのが苦手なアリスだったが、ルイへのプレゼントの絵のモデルになるのは、苦ではなかった。
ルイとの思い出を頭に浮かべていると、時間はあっと言う間に過ぎて行ったからだ。
アリスはいつもよりゆっくりと歩き、正面玄関へと続く中央階段の踊り場に着いた。
(ドキドキドキドキ)
小さく鼓動が撥ねる。
逆光になっててよく見えないが、ルイが家族と抱き合っているのが見えた。
(ドキドキドキドキ)
アリスが一歩ずつ階段を下りていくと、ルイがアリスに気付いた。
笑顔を浮かべた顔のまま、アリスに目を向ける。
その瞳を大きく見開いて、ハッと息を吸い込んだのが分かった。
アリスの全てを、その瞳に焼き付けようとするかの様に見つめてくるルイの視線が、アリスを緊張させる。
(ドキドキドキドキ)
アリスが階段を降り終えたのと同時に、ルイが相好を崩す。
黄金色の瞳に、甘い匂いが漂う。
近づいていくと、ルイが知らない男の人に見えて、アリスはさらに緊張した。
昔のルイの面影はどこにも無く、芳醇な香りを漂わせる大人の男の人になっていることに、少し気後れする。
体も大きくなって、背丈もアリスより頭一つ以上高い。
(知らない男の人みたい・・・)
アリスは何だかむずがゆくって、どこかに走って逃げてしまいたい衝動に駆られた。
そんなアリスにルイが声を掛ける。
「それじゃぁ、行こうか」
ルイがそう言って、エスコートをする為にアリスに腕を差し出す。
その瞬間、ほんの少しアリスの顔が強張った。
誰も気づかない程の事だったが、両親とルイは気づいた。
ルイはすぐに自分が間違いを犯した事に気付き、今度は手を差し出した。
「俺たちはこっちだね」
そう言って笑ったルイは、儚さは消えたけれども、昔と変わらない同じ笑顔だった。
アリスはホッとして、玄関ホールに来てから初めて、幼い頃の様に屈託なく笑った。
「うん!」
そうして二人は手を繋いで、新しい世界へと飛び出して行く。
「行ってきます!」
「いってらっしゃい! 後で、入学式でね!」
侯爵夫妻に見守られて、アリスとルイは手を繋いで侯爵邸の扉から外へと出た。
あの頃と何も変わっていないかのように。
だけど何もかもが変わったことを、二人は知っている。