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ぐっと力を入れてアレクシスから離れようと身を引くのに、相変わらず力には差があって動くことが出来ない。
そんな状況もエレノアを混乱させていたが、頭の中では正解だと思っていたことがまったくの不正解だった事実の方がエレノアの頭を悩ませていた。だってどう考えてもそれ以外の正解が思い浮かばなかったのだ。
それなのに違うとなると、アレクシスの微妙な違いは一体なんなのだろうと思う。
「ほら、口開けて、エレノア」
「っ~」
「そんなに睨んだって罰は罰、ちゃんと受けてほしいな」
今だって昨日の彼とは何かが違う。昨日の事もちゃんと覚えていて、エレノアの知っているアレクシスのはずだが、毎日成長している花のように同じ彼なのに若干の違いがある。
その差異がいったいどこからやってきて何を示しているのかエレノアには分からなくて、困り果てる。
それに無駄に煽ってくるものだから、耐えかねて、何しやがると汚い言葉が口をついて出そうになった。
「っんぐ」
しかし口を開けば待ってましたとばかりに後頭部に手が回って頭を押さえつけた。
柔らかい粘膜がこすりつけられ、その感触に驚いて目をつむった。アレクシスのシャツがしわになるのも気にせずに強く握って体をこわばらせる。
自分のものではない吐息が混ざって暴れるたびに息が上がって頭がぼうっとしてくる。
水音が脳内に響くみたいでその舌を嚙み切ってやりたいと思ったが、まさか本当にそんなことをすることも出来ない。
どうしたらいいのか考えているうちになんだか苦しくなってきて、酸素を求めた。けれどもとぎれとぎれの呼吸しか出来なくて生理的な涙がこぼれる。
「っ、う……はっ、ん」
それでも何のつもりなのかアレクシスはキスをするのをやめる様子はなくて、エレノアは、抵抗する気力もなくなり体の力がくたりと抜ける。
……なんか、うまく、考えられん。
どうしたらいいのかも分からないし、初めてのディープキスってこういう物なのかもわからない。
こんなに苦しい事を当たり前に受け入れている女性というのは、とんでもなく屈強な心を持っているのかもしれない。
「あふ……っ、は」
薄っすら目を開けてアレクシスを見ると、彼の青い瞳はうっとりと細められていて、なんだか嬉しそうだった。
それに多少なりともぞっとした。普通、好いた女性がこんなことになって喜んだりしないだろう。
彼の考えていることはまったくわからなくて、しかしエレノアはどうしたらいいのかも分からない。
何をもってして本当の愛情だと彼が言うのか理解できない以上は、エレノアは求められたら受け入れるぐらいしか出来ないのだ。
それに、今から一線を越えるなら別にそれでもかまわない。それでいいとアレクシスが思っているなら、別にエレノアだっていい。
「……っは。はっ、あ」
やっと長いキスが終わって、顔を離され、すっかり気力を失って肩で呼吸を繰り返すだけのエレノアをアレクシスは楽しそうに自分の膝の上に乗せた。
向かい合うように座らされて抱きしめるみたいに上半身を彼に預けると、ゆっくりと背中を摩られる。
……なんだこれ、結局どうなるんだ?
回らない頭で考えつつ、心地いい感覚に身を任せた。アレクシスの肩口に顎を乗せてぐったりしていると背中を摩るのを止めて彼はエレノアのおろしている長い髪を避けて項にキスを落とす。
「っ、」
驚いて体を揺らすエレノアにまるでとっても嬉しいみたいな、小さな笑い声がして、吐息が首筋を撫でた。
それだけで滅多に他人に触られたりしないエレノアはびっくりして反応するけれど、それを落ち着けるように背中を摩られた。
……遊ばれてる、のか?
まったく妙な行動にそんなことを考えたが、離れようと暴れたらまたキスをされるかもしれないと思うと、ここは大人しくしておくのが良いような気がしてくる。
屈辱的な事に変わりはなかったが背に腹は代えられない。結局、どちらも屈辱的なら苦しくない方がいいに決まっている。
それに結局、どんなエレノアを彼が好きなのだろうと、黒魔法に掛けられなくても抵抗なんかできない、するつもりもない。嫌いではないのだし、夫になる相手なのだし。
……もう何でもいいか、アレクシスの望むようになれば。
あきらめて、思考を放棄しようとするとドンッと壁を叩きつけるような音がして、アレクシスの体がギクッと固まった。
……使用人が何か落としたのか?
エレノアはそう考えて、ゆるりと起き上がって部屋の中を見回してみるがまったく異常のないアレクシスの部屋であり、音の正体はわからない。
首をかしげて、改めてアレクシスを見ると彼はグラディスに怒られている時のエイベルと同じような顔をしていて、やってしまったと顔に書いてある。
「……」
それから、エレノアの方を見て、エレノアのネグリジェを綺麗に整えて、髪をやさしく元に戻す。しかしそれでもぼんやりしているエレノアをものすごく困った顔で見た。
「……ああ、えっと、とにかく俺は、多重人格じゃないし、君は不正解、考え直して」
「……」
「あと、ちょっとやり過ぎた。ここでゆっくり休んでいっていいから」
言いつつも適当にエレノアを持ち上げて自分のベッドに座らせる。柔らかなマットレスに沈み込んで急なアレクシスの変化におどろいたままエレノアは固まった。
「悪かった」
そう謝ってカツカツと歩いて部屋を出ていく。流石に今の状態のエレノアを部屋に帰れと追い出すことは出来なかったのだろう。
それにしても、ものすごく急な態度の変化に本当にまったく彼の事がわからなくなってエレノアは呆然としたまま時間を過ごした。




