「妹と婚約するからと言われて婚約破棄されました」
ブーゲンビリア王国にある三大公爵家の一つ、
フランシーヌ公爵家の長女マリアンヌは、
この国の第一王子テオドールの婚約者……だった。
──そう、ある日彼から唐突に告げられた言葉を聞く前までは。
■
「マリアンヌ・フルール・フランシーヌ!
お前との婚約は破棄する!!
そしてディアナとの婚約をここで発表する!」
「まぁ……」
ブーゲンビリア王国唯一の学園、
『ベルフラワー学園』の創立記念のパーティーで、
大勢の貴族がいる中、唐突に告げられた。
テオドール・アルセーヌ=マルク・レオナール。
この国の第一王子である彼は、
金色の美しい髪に薄緑色の瞳をした麗しい容姿で、
髪の右側は首下までの長さがある。
容姿端麗だが、彼の魅力はそれだけしかないと言われていたりする。
口元に手をあて驚いた表情で固まっているのは、
マリアンヌ・フルール・フランシーヌ。
三大公爵家の一つ、フランシーヌ公爵家の長女で、
姉妹揃って『美女』と評される美貌の持ち主。
腰近くで綺麗に切り揃えられた黒髪に、
妖艶な青紫色の瞳。
妹のディアナは色が青みがかった藤色で、
少しだけ瞳の色が姉妹で違う。
「婚約破棄……ですか」
「そうだ、理解力のないヤツめ。
今までこの俺のおかげでここにいられた無能が。
父上から了承を得てな。
やっとお前から解放され、愛するディアナと夫婦になれるんだ!」
私の隣に並んで立っているディアナの方をそっとチラ見すると、
その瞳があまりにも冷えきっていて、
テオドール以外のこの場に集まっていた生徒達が震え上がっているのを傍目に確認する。
……そう、王子は知らない──というか知ろうとしないけれど、
私の妹ディアナはテオドール王子が一番嫌いなのだ。
そんな人間から一方的に婚約を宣言されたのだから、
その胸の内に秘めている怒りと憎しみは相当なものだろう。
「さぁ、ディアナ!こちらへおいで」
「……体調が悪いので退場させていただきます。
行きましょう、お姉様」
「……えぇ」
スンッとした顔で優しい声色で自身の名を呼ぶテオドール王子に見向きもせず、
そっと私の手を握ったディアナがそのまま会場から出て行こうとした。
「ディアナっ?どうしてこちらへ来てくれないんだ?」
一切目を合わせないことには気付いたのだろう。
まるで『興味もない』と言いたげな態度にテオドール王子が困惑した声を出していた。
呼ばれていることには気付いているディアナは、
小さく眉を寄せて嫌そうな表情をする。
……そんなに嫌いなのね。
ちょっと殿下には同情──はしないけど可哀想だと思ってはいる。
「それでは皆様、ごきげんよう」
くるりと会場の方を向いてゆっくりと頭を下げる。
あくまでも冷静に対応しているが、
そろそろ妹の怒りゲージが爆発しそうだということは察している。
だからこそ、本来なら不敬にあたる行為をして閉まっている。
とはいえここは公式の場ではなく、
あくまでも学園の創立記念を祝うパーティーに過ぎない。
生徒と教師だけが集って開かれたもの。
そのため、不敬と思われることをしても捕まることはない。
■
「……ほんっと何なのよあいつ」
「落ち着いて、ディアナ」
馬車に乗り込んだ私たちは、
学園の門が見えなくなってから話始めた。
──やっぱり怒り心頭ね。
ギリギリと音を立てるほど強い力で持っていた扇を握りしめるディアナは、
それはもう恐ろしいほど怒っている。
「落ち着いてなんていられないですっ!
あの王子はいつもいつもお姉様を侮辱して……っ!
加えて何なのよさっきの言葉はっ!
役立たずな無能はあっちの方だわ」
「……」
最近になってテオドール王子からディアナ宛の贈り物が大量に届くようになり、
薄々テオドール王子の想いは私からディアナに移ったことには勘づいていた。
──もしかしたら、ディアナも。
そう思ったけれど三ヶ月程前にディアナからテオドール王子への愚痴を聞かされたことで、
あぁ、この子は王子が大嫌いなのねと察した。
■
──三ヶ月前。
テオドール王子から毎日のように届くたくさんの贈り物は全てディアナ宛で、
私宛に贈られたものは一切なかった。
「ねぇ、ディアナはテオドール様のことが好きなの?
それなら私から婚約破棄を進言しようかと思って……「お姉様!」」
ある日のお昼。
いつも習慣になりつつある午後のお茶会で、
私は思い切ってディアナにテオドール王子への想いを聞いてみた。
そもそもはお互いに想いあっているわけではなく、
国王ウィルフレッドの命令で婚約者となっただけの関係だ。
「お姉様は何か勘違いされているわ」
「勘違い?」
「私があの王子に恋心を抱くわけがないでしょう?
お姉様に何でもかんでも押し付けるようなやつ……っ!
自分では一切何もしないのにああだこうだって文句言ってくるのよ!?
そんなやつ大嫌いに決まっているわ!」
「そ、そうなの……」
とんでもない勢いで告げられた怨嗟の数々に驚いて上手く言葉を返せない。
いつも穏やかな妹にこんな一面があったなんて……。
それからは侍女や使用人がディアナの気持ちを察して、
ディアナの目に届く前にテオドール王子からの贈り物は全て処分されるようになっていたし、
私も触れてはいけない話題だと知ったから、
それからは一切テオドール王子について声に出すこともしなかった。
■
「はぁぁ……もう、どうしましょう……。
お父様にも相談した方がいいわよね……」
「そうね。私も殿下から婚約破棄されてしまったし、
その報告に行かなくては。……お父様はお怒りになるかしら」
「そんなことはないわ、お姉様!
お父様もテオドール王子のことについては知っていらっしゃるもの!」
馬車にゆらゆらと揺られていたら、
いつの間にか公爵邸に着いていた。
馬車から降りた私たちは玄関ホールに向かう途中で歩きながら今後について話す。
「とりあえずお父様にお会いするしかないわね」
もう既に精神的に疲れてしまったけれど、
まだここからやるべきことがある。
そう思い至って自分に言い聞かせる。
■
「第一王子殿下に婚約破棄された……?」
「はい」
お父様の仕事部屋である公爵邸内の書斎にやってきた私とディアナは、
父アルフレッドに今回のことについて話をした。
眉間に眉を寄せて聞いていたお父様の姿を見て、
やはりお許しいただけないわよね……と少し気持ちが沈む。
「やっとか……」
「え?」
「あのバカ王子めが!私の娘をことごとく侮辱して……っ!
次回の貴族会議で他の公爵家とあの者の王位継承権について話す必要がありそうだ」
「本当にやっとです!やっとあの王子がお姉様から離れてくれたわ、お父様!」
眉を寄せていたお父様が、
安堵したような表情でそう告げた。
……一体どういうことかしらと私だけが置いてけぼりにされてしまった。
貴族会議でテオドール王子の王位継承権について話し合う……ということは、
最悪テオドール王子は王太子となり次期国王として即位することが出来なくなるかもしれないということだ。
この王国では次期国王の指名には三大公爵家の当主から了承を貰わなければならない決まりがある。
例えば現国王が自身の息子の内長男を次代の王としたい場合、
その旨を三大公爵家に報告する必要があり、
そのうち二票以上賛成を貰えなければ国王として即位することができない。
三大公爵家の内二家が反対した場合、
その王子は王位継承権を失うことになる。
事と次第によっては王族から離籍される可能性もある。
「お姉様、これでやっとお好きなことを好きなだけやれますわ!」
「ディアナ……」
「今まであのバカ王子の為にと色々されてきましたけれど、
これからはあのバカ王子に振り回されることなく、
ご自分の好きなことのために時間をさけます!」
ディアナにそう言われて思い返してみれば、
この五年間ほぼ全てはテオドール王子の要求に応えて様々なことをした。
例えば私は入っていない生徒会の仕事とか、
テオドール王子主催のパーティーの下準備の指示とか、
学園の提出物を代わりにやったり。
……今思えば全部ご自分ですべきことを全て押し付けられてきた。
それ以外にも色々とあるが思い出すだけで疲れてきた。
「そういえばお父様、テオドール王子が陛下の了承を得て私と婚約するとか何とか言ってきたのですが、
陛下は本当に了承したのですか?」
「何だと……?国王陛下からそういった報せは来ていないが」
「ということはまたあのバカ王子の独断ですわね」
陛下からそういった旨を聞いていないということは、
テオドール王子は陛下から了承を得たと嘘をついて、
あの大勢の前で私に婚約破棄を告げ、
ディアナに求婚したということになる。
なんということかしら……。
頭を抱えたくなるような気分になってそっとため息をつく。
「明日、陛下に聞いてみるとしよう。
二人とも疲れただろう。今日はもう休みなさい」
「はい」
「お休みなさい、お父様」
私と同じ青紫色の鋭い瞳が優しく緩む。
普段はとても厳しい顔だが、
本当は愛情深く優しい方だということを知っている。
その見た目から厳しくて冷徹だと思われがちなだけで。
■
「またバカ王子から贈り物が来てるわ……」
婚約破棄を告げられてから数日後。
今日も懲りずにやってくるテオドール王子からの贈り物の数々にディアナは眉間を寄せる。
せっかくお姉様と外出の予定だったのに……!
──そう、今日はいつものように贈り物だけではなく、
テオドール王子本人が公爵邸に訪れていた。
あれだけ贈り物を返してきたから流石に察するだろうと思っていたのに……!
お陰でお姉様との外出時間が縮まってしまった。
早く帰ってくれないとお姉様と外へ出かける時間がなくなってしまう。
ほんと、恨むわよ……。
「ああ、ディアナ!ようやく会えた!」
「ごきげんよう、第一王子殿下」
「第一王子殿下なんて堅苦しい呼び方じゃなくて良い。
テオドールと呼んでくれないか?」
「本日はどんな御用でしょうか、第一王子殿下」
庭園にあるよくお姉様と一緒にお茶会を開いている白いガゼボに置かれたテーブルを挟んで向かい合う。
テオドール王子の熱を帯びた視線に嫌気がさしながらも、
ディアナは視線を合わせることなく言葉を返す。
あくまでも歓迎しているという体を装って冷静に返答しているが、
その言葉の裏では『早く帰れ』と思っている。
「どうして俺が贈ったプレゼントを返したりなんてしたんだい?
全て君に似合うものだと思って選んだものなのに……」
「私、必要以上の物は持たないのです。
今必要のない物を贈られても置き場に困るでしょう?
それに殿下の贈り物の購入費はどこから出ているのでしょうか」
「……そう。気に入らない物を贈ってしまったんだね申し訳ない。
ディアナが好きな物を教えてはくれないかい?」
私の好きな物も知らない癖に婚約しようとしてくるなんて……と吐き気がしてきた。
それに購入費の出処について質問したのにそこはサラッと流したということは、
やっぱり国庫からね……。
売り払った贈り物で得た資金は孤児院や病院など必要な所へ寄付しているけれど、
出元を断たなければ国の財産が危ういことになるのは時間の問題だろう。
売り払ったり処分したり返品したりと、
この目の前にいる男から一方的に贈られてきた品は全て色んな方法で処理している。
つまりそれだけの数贈ってくるのだ。
……一体どれほどお金を使ったのかしらと考え始めれば頭痛がしてきた。
絶対に大金は国庫から無くなっているだろう。
「第一王子殿下、至急の用でないのならばもうお帰りください。
私はこれから用事がありますの。
その用意をしなければなりませんので」
「何故だい?その用事よりも俺と過ごす時間の方がとても重要だと思うのだけれど」
「私としてはあなたと過ごす時間よりも優先すべきことです」
そろそろ怒りで声を荒らげてしまいそう。
そう思いながらもグッと何とか抑え続ける。
誰がお前のようなクズなんかと一緒にいたいと思えるのかしら!
どこまでも自分に自信があるのはよろしいけれど、
こちらの気持ちも考えてほしいものだわ。
お姉様はよくこんな人間と五年間も一緒にいられたものだわ……。
「今日は一段と機嫌が悪いみたいだね。悩み事かい?
良ければ俺に教えてくれ」
「結構です」
そっと私の手を握ろうとするテオドール王子の手を振り払って私は立ち上がる。
……お母様に言われたから応えたけどもう限界だわ。
そっと公爵邸の二階の廊下から私たちの様子を見守っているであろうお母様に視線を向ける。
視線だけで私はもう限界ですと伝えると、
それを感じ取ったのかお母様がコクリと深く頷きを返してくれた。
「どうかしたのかい?」
「殿下、この際だから私の想いをきっちり伝えましょう」
「……!」
私の思いがけない言葉にテオドール王子が期待したように息を呑む音が聞こえた。
案の定彼に視線を向けていないからどんな眼差しで見つめているのかは想像するしかないけど。
「私はあなたが大嫌いですわ。それではごきげんよう」
「なっ……!」
私の言葉を聞いて驚いて勢いよく立ち上がったテオドール王子を置いて、
私はさっさと公爵邸内に戻って行った。
私とすれ違いで使用人達がテオドール王子の元に向かい、
公爵邸から王宮へ帰るよう促す。
やっっと言いたいことが言えてスッキリしたわ!!
そう思いながらお母様と一緒に見守っていたお姉様の元へ駆け寄る。
「お疲れ様、ディアナ」
「やっと終わった……さあ、出かけましょう!お姉様」
「そうね」
勢いよく抱きついた私をお姉様が優しく受け止めてくれ、
お母様が優しく私の頭を労わるように撫でてくれる。
あの驚いて傷付いた顔をしたテオドール王子の姿だけは私はこの瞳に映した。
悪趣味かもしれないけれど私にとって大迷惑な存在だったんだもの。
これであの王子も諦めるだろうと思い、
お母様とお姉様と一緒に公爵邸の門前に既に用意されていた馬車に乗り込んだ。
■
「何だかすごく機嫌が悪かったね、兄さん」
「第二王子殿下、あまりその話題には触れられない方がよろしいかと」
その日の夜。
王宮にある一室で優雅に紅茶を飲んでいた第二王子、
ヴィンセント・アルセーヌ=マルク・レオナールは、
普段プライドの高い兄が見るからに機嫌を悪くしている様子を見かけた時のことを思い出す。
……確か、創立記念のパーティーでマリアンヌに婚約破棄を告げて、
その妹ディアナと婚約するって宣言したんだっけ。
三ヶ月前からフランシーヌ公爵家へ何か大量の贈り物を送り付けていたのは知っていたけれど、
あれは全部ディアナ嬢に向けた贈り物だったのだろう。
「ねぇ、今度ここにマリアンヌを呼んでもいいかな」
「それは……陛下にお伝えしておきます」
「ありがとう」
自分付きの使用人にゆったりとした口調でそう伝えたヴィンセントは次の予定を立てる。
「マリアンヌには久しぶりに会うなぁ……。
まぁ、父上が許してくれないと会えないんだけど」
そっと呟いた言葉は静寂に包まれた月明かりが照らす部屋に誰にも聞こえることなく響き渡った。
■
「えっ、ヴィンセント王子から?」
「ええ」
テオドール王子が公爵邸にやって来た日から数日後。
夕食を食べた後、お母様──マリアーナに呼ばれて部屋へ訪れた私に告げられたのは、
第二王子ヴィンセントから王宮への招待状だった。
彼に会ったのは国王陛下のお誕生日のパーティー以来。
もう半年以上も前のことだ。
一体私に何の御用があるのかしら……?
そう思いながら私は明日、王宮へ向かうための準備を整えて眠りについた。
■
「久しぶりだね、マリアンヌ」
「お久しぶりです、ヴィンセント殿下」
王宮にやって来た私を出迎えたのは、
白と青藍色の礼服に身を包んだ麗しい青年の姿だった。
金色の首下まである髪に水色の瞳。
テオドール王子とはまた違った不思議な雰囲気の持ち主。
「今日は一体どうなされたのですか?」
「うん、君が兄さんに婚約破棄されたって聞いたから、
これはチャンスだなと思って婚約の申し込みに呼んだんだよ」
「えっ……」
突然のことに頭が真っ白になる。
そもそもヴィンセント王子はあまり私と個人的に関わることが少なかった。
いつも公式行事の場やテオドール王子を挟んで話すことが多かった。
「それは王家のためですか?」
「確かにそう捉えられてもおかしくはないね。
王家としては次期国王の決定権を持つ三大公爵家の内のどこかと内縁関係にあった方が良い。
けれど、これは俺の個人的な思いで動いているだけだよ」
「どうしてですか?私たちは面識はあれど、
あまり話したりなんてしたことがありません。
どうしてヴィンセント殿下が私に対してそう思われるのかが分かりません」
ヴィンセント王子の個人的な想いで動いているということは、
少なからず私に対して好意を抱いているということになる。
どうして好意を抱かれているのかが分からない。
困惑に困惑を重ねて思考が止まりそうになる。
「急に言われても驚くよね。
俺はね、君に初めて会った日──八年前の母上の誕生祭の時に、
公爵夫人と並んで挨拶にきたあの時から君に一目惚れしてた」
「私に、ですか……?」
「そう。あの時はまだ幼かったから、
この気持ちが何なのか分からなかった。
君に恋心を抱いているんだって知ったのは、
君が兄さんと婚約関係になってからだった」
八年前から好意を寄せられていただなんて思わなかった。
いつもどこか達観したような目で周りを見ていたから、
そんな恋愛感情とは無縁なのかと勝手に思ってしまっていた。
「私に好意を抱いてくださっているのは嬉しいですが……まだあまりヴィンセント殿下について知りません」
「そうだね。だからこそ、俺を知ってもらうためにも、
しばらくの間君の時間をくれないかな?
もちろん嫌なら嫌で構わないよ」
「……嫌ということはありません。
気遣ってくださりありがとうございます。
私の時間といっても一体何を?」
「何も特別なことはしないよ。
ただ今日みたいに一緒にお茶をしよう」
「……分かりました」
──まだヴィンセント王子についてよく分からない。
だけれど一つ確信を持って言えることは……。
テオドール王子よりも好意的に感じているということ。
いつもテオドール王子といる時はピリピリとした冷たい空気感が漂っていたけれど、
ヴィンセント王子の傍は暖かくて心地よい。
あの気まずさを全く感じない。
家族以外の人といて、こんなにも安心したのは初めてかもしれない。
暖かく感じる理由がまだ分からない。
この理由もいつかは分かるのかしら──?
【終】