たまご
りか、たまごだいすきー。
まるいものぜーんぶたまごだったらいいのにねー。
公園からの帰り道、愛娘の梨花が言った言葉だった。
玄関で靴を揃えると、もう夕食の味噌汁のいい香りがした。
キッチンには、妻の麻里子が立っている。
「おかえりなさい、早かったのね。
夕食は、肉じゃがにしようと思ってたのよ。」
「ありがとう。
何か手伝おうか?」
と俺が言うと、
「ううん、公園で遊んで疲れてるでしょう。
あなたは、休んでて大丈夫よ。
早めにご飯にするから。」
正直、暑いなか、久しぶりに娘と二人きりで公園へ行ったせいか、
俺はかなり疲れていた。
ソファに座り、テレビを付けると、
夕方のニュース番組がおかしなことを言っていた。
「丸いものに十分注意するよう呼び掛けています。」
「こちら、本日からの現象と見られ -」
丸いもの?
いったいなんの騒ぎだ。爆弾か何かか?
俺は、理解出来ないままテレビの画面を眺めていた。
「こちら、現地からの中継です。
スイカ農家の佐々木さんの所では、甚大な被害が出ており、只今割れたスイカの片付け作業が進んでおります。」
スイカ?
確かに、スイカだ。
だが、割れた中身は赤くない。
俺の知っているスイカとはまるで違う、そう、あれはまるで。
たまごだ。
確かに外側はどっからどう見ても、
緑と黒のしま模様。
丸いスイカそのものだ。
なのに、割れた中から出てきているのは、
透明な白身と、大きな丸い黄身。
これじゃ、ただの巨大な生卵じゃないか。
俺は、真面目なニュース番組が、こんなにシュールな
フェイクニュースを作ることもあるんだなと思い、
可笑しくなって少し笑ってしまった。
思わず、おい、麻里子と言おうとした途端、
「キャッ。何これ」
エプロン姿の麻里子が驚きながら言った。
キッチンのシンクを除くと、そこには、
割れた生たまごが落ちていた。
いや、
よく見ると、
生たまごじゃない。
じゃがいもだ。
正確には、じゃがいもだったものだ。
じゃがいもが割れて、
白身と黄身が中から出ている。
俺は、まじまじと、それを見つめたが、
やはりどう見ても、本物のじゃがいもにしか見えない。
しかし、割れて出てきた中身は生たまごだった。
俺と麻里子は、目を見合わせて、
しばらく黙っていた。
その時だった。
ドドド、ドタン!!
階段の方から、すごい音がした。
二階の部屋には、息子の海斗と、
里香がいるはずだった。
「なんだ。
どうしたんだ。」
俺と麻里子は、慌てて、
キッチンから階段のあるほうへ向かった。
そこには、
息子の海斗が階段の下でうずくまっていた。
どうやら階段から足を滑らせたらしい。
「おい、海斗、大丈夫か?」
俺が声を掛けると、
「うん、大丈夫。」
と、涙を滲ませながら言った。
麻里子が心配して、海斗を抱きかかえた。
血は出ていないし、
どうやら大した怪我ではなさそうだ。
俺は、胸を撫で下ろした。
息子の目ん玉が落ちて割れて、
たまごにならなくて良かったと本気で思った。
そう思いながら、
目ん玉がたまごって。
そんな訳ないだろ。と、
自分で自分にツッコミを入れた。
麻里子が、ぶつけたところを冷やしましょ、と言って
海斗をソファへ向かわせる瞬間、
俺は目を見張った。
ひびが入っている。
息子の左目、
その少し斜め上、
こめかみの上あたりに、
確かにひびが入っている。
俺は、恐怖で声を出せなかった。
もし、あれが、割れたら。
息子の頭が割れるところを想像してしまった。
頭に横にヒビが入り、
パカっと空いたところから、
透明な白身がどろりと流れ落ちる。
頭の中からは、たぷんと大きな黄身が揺れて、今にも落ちそうになり、またそこから白身がたらりと垂れ落ちる。
はっと我に返る。
いや、もしかしたら見間違いかも。
昔の古い傷とか。
いや、海斗の顔に傷なんてない。
小さい頃からずっと見ているんだ。
無いに決まっているじゃないか。
どうする?
病院へ連れて行くべきか?
いや、こんな現象、前例が無い。
医者に治せるのか?
治せる訳がない。だって人類が初めて見る現象なのだから。
もし病院でこんな未知の現象を見た医者は、
なんと言うだろうか。
ありとあらゆる検査を受けさせられ、実験台にさせられる。
海斗の泣き叫ぶ姿を想像した。
もし、医者たちに頭を割られたりしたら?
間違いなく海斗は死ぬだろう。
そんなことになっては、取り返しがつかない。
海斗は、俺の子だ。
俺が護ってやらなければ。
その日は、晩飯も風呂も早めに済ませ、
海斗と一緒に寝ることにした。
万が一、海斗に何かあったらと考えただけで、
落ち付かない。
最悪の事態は避けなくては。
海斗の頭がパカっと割れて死んでしまうこと。
何らかの組織に海斗を連れ去られてしまうこと。
これだけは、絶対に避けなければならない。
そんなことになったら、
俺たち家族の幸せは終わりだ。
最悪の事態だけは絶対に、避けなくては。
幸い、海斗の頭にヒビが入っていることに、
気付いているのは、家族で俺だけらしい。
普段はそれぞれの部屋で寝ているが、
俺は、たまにはいいだろと言って、
海斗を自分の布団に寝かせた。
ひびがあるところ、頭の左側を上にして、
海斗を寝かせる。
柔らかい枕の上で寝ているぶんには、
急に割れたりしないだろう。
大きくなったなぁ。
もう、9歳だもんなぁ。
俺は、海斗の頭を撫でながら、
幸せを噛み締めた。
大丈夫だ。
きっと、明日には傷は治っていて、
普通に日常生活を送れるはずだ。
いつの間にか、俺は眠ってしまっていた。
気が付くと、
ベットから見えるカーテンの外はうっすら明るくなっていて、
どうやら朝になっているようだ。
なんだ、もう、朝か。小鳥の鳴き声が聞こえる。
俺は夢も見ずに、ぐっすりと眠りに落ちていたようだ。
目覚まし時計は、6時より少し前を指している。
そうだ、海斗!
俺は、眠っている海斗の姿に異常はないか確認した。
良かった。
大丈夫だ。割れていない。
まだ寝ている。
割れてさえいなければ、ひと安心だ。
その時、コツコツと
ベランダから、鳥が窓ガラスをつつく音が聞こえた。
なんだ?
俺は、ベットから上半身を起き上がらせて、
窓の方を見た。
コツコツ。
コツコツ。
いや、窓ガラスじゃない。
音が聞こえるのは、もっと近くだ。
俺は音のする方を見た。
俺は、息を飲んだ。
眠る息子の頭。
その頭の内側から、何者かが
殻を破って出ようとしている音だった。