愛する人と、これから
鏡の中の自分を見て、笑みが自然と零れた。
着ることはないだろうと諦めていた婚儀用のドレス。
四年前のドレスは流石に着ることができないので、新しいものだ。二十歳という年齢にふさわしく、膨らみやフリルはほとんど使っていない。すとんと流れるように落ちるドレスは裾が長く、床に広がっている。
このドレスは隣国の流行の形だそうだ。ドレスを贈ってくれたイベリスがそんなことを話していた。
半年前には考えこともなかった自分の結婚。
結婚の準備をしていても、どこか夢心地だった。でもこうして花嫁の支度をするとこれが現実なのだと実感する。
「ああ、なんて綺麗なんだ! お前の花嫁姿が見られるなんて……!」
「今日という日を迎えられて、とても嬉しいわ」
周囲の目を気にすることなく、両親が嬉し涙を流している。その隣にローマンが呆れたような顔をしていたが、どこかほっとして見えるのは気のせいだろうか。
「父上、そろそろ時間です。姉上をよろしくお願いします」
「おお、そうだった。さあ、デイジー。行こうではないか」
花嫁の父親らしく顔をきりりと引き締めると、娘に腕を差し出した。デイジーははにかみながら、その腕に自分の手を乗せる。そんな二人の姿を見て、フェルトン伯爵夫人は再びあふれ始めた涙をハンカチで押えた。
「母上、もうそろそろ泣き止んでください」
「だって、嬉しくて……」
「お母さま、ありがとう。あのヒントが無かったらきっとわからなかったわ」
「そうね。イベリス様は貴女との結婚には後ろ向きだったから」
フェルトン伯爵夫人は娘に柔らかく微笑んだ。娘と母の何やら秘密めいた会話を聞いて、フェルトン伯爵は首を傾げた。
「何の話をしているんだ?」
「お父さまは知らないの?」
「ふふ。男性はね、こういう小さなことは気にしないのよ」
イベリスも気が付かないぐらいだ。そういうものかと、頷いた。
「では、私たちは先に入っていますね」
フェルトン伯爵夫人はローマンを連れて、部屋を後にした。父親と二人きりになって、デイジーはフェルトン伯爵の顔を見上げた。
「お父さま、ありがとう」
「ん? 私は父親だからな。娘の幸せを願うのが仕事だ」
胸を張って、笑顔を見せる。色々思うところもあったが、それでも四年も好きにさせてくれたし、最後はイベリスにも引き合わせてくれた。
「イベリス様の事、いつから知っていたの?」
「ちょうど一年ほど前だな。たまたま商談で訪れた隣国でのパーティーで見かけたんだ。よく似た青年がいるなと思ってな」
「……もっと早く教えてくれたらよかったのに」
「そうは言うけど、あちらは頑として違うの一点張りだった。それにポロック伯爵から聞き出すにも時間がかかってしまった」
ぼやくフェルトン伯爵に、デイジーはにこりと笑った。
「お父さまが粘ってくれなかったら、今日という日は迎えられていなかったのね」
「ローマンにも感謝だな」
ローマンの名前が出て、首を傾げた。
「ローマンがどうしたの?」
「あれがポロック伯爵を泣き落とした」
「泣き落とし……」
生意気な振る舞いしかしない弟が泣き落とししたと言われても、信じがたい。
「ローマンは何も言っていなかったか?」
「ええ。いいところで乱入してきて、淑女として云々と色々と説教されました」
イベリスとの既成事実を作ろうとしていたところに現れたローマンは、いかにデイジーが恥ずべきことをしているのかをしつこいぐらいに責め立てた。デイジーだって淑女としてはあり得ない行動だとわかっていた。でも、それぐらいしなければイベリスは逃げてしまうと思ったのだ。
そのことをかいつまんで話せば、フェルトン伯爵はため息をついた。
「まったくお前は……。メイナード殿のことになると見境がなくなるというのか、手段を択ばないというのか」
「だって逃がしたくないでしょう?」
「まあ、これから長い人生、仲良くやっていくんだぞ」
そんな会話をしながら、二人はゆっくりと聖堂へと向かう。
「本日はおめでとうございます。どうぞお入りください」
扉の前にいた教会の文官がにこやかに挨拶をした。デイジーは静謐な空気に背筋を伸ばし、扉が開くのを待つ。
扉を開けた先にはずっと好きな人が待っていた。父親と一緒に中に入り、イベリスの前で立ち止まる。
イベリスは婚儀用の正装だ。そして、傷を隠すように片側だけの仮面をつけている。デイジーは傷があっても気にしないが、やはり社交の場ではあまり望ましくないようだ。
「デイジー、綺麗だ」
「ありがとう。イベリス様も素敵だわ」
差し出されたイベリスの手を取った。大きな手がデイジーの手を迷いなく握りしめる。
こうして彼と手を繋ぐことのできる奇跡に、胸の奥がジンと痺れた。デイジーだけがそう感じたのではなかったようで、イベリスがかすれた声で囁いた。
「この日が来るなんて思っていなかった」
「わたしもよ」
二人は微笑み合うと、そっと寄り添った。
Fin.