真実を知る
何故、メイナードがイベリスになっているのだとか、今までどうして連絡をくれなかったのかとか、聞きたいことは沢山ある。
メイナードの葬儀は胸が引き裂かれそうなほど悲しかったし、世界が終わってしまうのではないかと思ったほどだ。時間が悲しさや寂しさを忘れさせてくれると色々な人に言われたけれども、メイナードを忘れたいと思ったことはない。辛くても愛した気持ちはずっと持ち続けた。
「メイナード様」
「……ごめん、その名前は呼ばないでほしい」
イベリスはバレてしまったことを悔やんでいるのか、背中を丸めて項垂れている。記憶にある彼の姿とは全く重ならない。きっと香水を贈られなかったらデイジーは気が付かなかった。
「イベリス様、とりあえず兜を取ってもらえませんか」
「でも」
「本当に顔に傷があったとしても、わたしはちゃんとイベリス様の顔が見たい」
ゆっくりとした口調で告げれば、イベリスはのろのろと顔を上げた。しばらくためらう様子を見せたが、兜を止めている金具を外した。
一つも見逃すまいと、デイジーは瞬きをせずにイベリスを見つめていた。兜の下から出てきた顔を見て、思わず涙が出た。
間違いなくメイナードだ。
名前を呼ぼうとしたが、呼ばないでほしいと言われたことを思い出し唇をかみしめる。でもイベリスの名前で呼びかけることもできない。
「デイジー、久しぶり」
「……なんでそんなにも普通なの。四年ぶりなのよ。もっと何かあるでしょうに」
「だって、顔を見せるつもりはなかったから」
イベリスの言葉遣いが気安いものに変わった。そのせいか、離れていた時間が一気に縮まる。デイジーは不機嫌に唇を尖らせた。
「はじめから、わたしと結婚するつもりはなかったということなの?」
「そうだね。領地の片隅に引きこもっていると聞いていたから、外に出るきっかけになればいいかとは思っていたけど」
だから顔を隠していたのかと、じっと目の前にいるイベリスを見つめた。前髪を長くして隠している左側の頬には大きな引き攣れた傷跡が見える。優しい顔立ちをしたイベリスに不似合いな傷は見ているだけで痛々しい。
「……あなたが生きているのなら、わたしはあなたと一緒に生きたい」
目を逸らすことなく、イベリスに伝える。彼は困ったように微笑んだ。
「それはできないよ」
「どうして? イベリス様には将来を一緒に過ごす相手がもういるの?」
「そういうんじゃない。僕は――」
イベリスは目を落とした。とても言いにくそうで、きっと生きていたにもかかわらず四年も連絡してこなかった理由でもあるのだと察した。だけど、うやむやにするつもりはない。もし、これが最後の機会であるのなら、なおさら。
「わたしが諦められるように理由を教えて」
「そうだね。死んだと思っていたのにずっと想っていてくれたんだから、説明が欲しいのは当然だ」
自分自身に言い聞かせるように呟くと、イベリスはぽつぽつと事情を説明し始めた。デイジーは黙って彼の言葉に耳を傾けた。
イベリスの話は初めて聞く内容だった。イベリスがポロック伯爵の妹の息子であることも、隣国の侯爵家の嫡男であることも知らなかった。
イベリスの父であるランサム前侯爵には愛人がいた。イベリスは母が流行り病で死ぬまで自分に半分血のつながった異母弟がいることを知らなかった。母を亡くし、悲しみに沈んでいるところに、ランサム前侯爵は愛人とその連れ子を本邸に入れた。
次第にイベリスは後妻とその子供に嫌がらせを受ける。食事を抜かれたり、物を壊されたり。父親に訴えてみても、何も改善しない。
生活することが辛くなっていたところに、母親の侍女が見かねてポロック伯爵家に連絡を入れた。そしてメイナードはポロック伯爵家に引き取られてデイジーと婚約をした。
「父上にとって愛人の子供の方が大切だったんだろう。僕と異母弟を入れ替えることを考えたんだ」
「はい?」
「ポロック伯爵家に引き取られたと言っても養育だけで、メイナードはランサム侯爵家の継嗣であることは変わりなかったんだ」
「だからって、異母弟と入れ替えるなんて……できるわけないわ」
普通はそうだよね、とイベリスは嗤った。その笑みにデイジーの知っている柔らかさはなく、どこか冷ややかさが滲んでいる。デイジーは息を飲んだ。
「父はバカだったんだ。後妻にそそのかされたとしても、お粗末すぎる。破綻していた計画を実行して、僕は四年前に賊に襲われて生死を彷徨うことになった」
メイナードの葬儀を思い出した。ポロック伯爵は顔色悪く喪主を務めていたが、ポロック伯爵夫人は泣き崩れていた。
「後妻は平民だから、異母弟は爵位を継ぐことはできない。だけど侯爵に愛されている自分の子供が爵位を継げないのはおかしいと考えたそうだ。子供を入れ替えるために、異母弟をメイナードと呼んで育てていたんだ」
「そんなに似ているの?」
「いいや。お互い母親似だから、似ても似つかない。それに周囲の人間を誤魔化せても、僕がポロック伯爵家に引き取られていることはきちんと手続きされている。僕の存在を消すことなんてできない」
いくら名前しか知らない侯爵家の継嗣であっても後妻とよく似た前妻の息子が社交界に出てくれば、不審に思う人間は出てくるわけで。侯爵家をよく思っていない派閥が、探り始める。そのことに慌てた後妻はメイナードを殺してしまおうと引き起こされたのがあの事故を装った襲撃だった。
名前が変わったのは、異母弟もメイナードであるため。メイナードが侯爵家に戻ると、真っ先に名前をイベリスに変更した。
「死んでもおかしくなかった。生き残ったのが奇跡だと言われたよ」
「そうだったのね」
メイナードの過酷な過去を思い、デイジーの目に涙が浮かんだ。イベリスは息を吐き出す。
「そういうわけでデイジーとは結婚できない」
「ちょっと待って。どうして今の話とわたしとの結婚が繋がるの?」
「は?」
イベリスは当然のようにして結婚しないと言ってくるが、理由が全くわからない。デイジーは目じりに浮かんだ涙を指でふき取り、姿勢を正した。
「もしかしてまだお家騒動は収まっていないの?」
「いや、父親も後妻も異母弟も全部相応の対応をした。もう二度と僕の前には出てこないはずだ」
「そう。じゃあ、膨大な借金でもあるの?」
「家は後妻と異母弟が散財していたから傾いているが、借金返済のめどは立っている」
デイジーは首を傾げた。
「ほとんど片付いているじゃない。わたしと結婚できない理由がわからないわ」
「だから、僕は生死を彷徨って」
「うん、そうみたいね。でも今目の前にいるイベリス様は元気そうだわ。筋肉すごいし」
「寝たきりは嫌だったから鍛えたんだ。ちょっとやり過ぎたけど」
「そうなのね。メイナード様の儚さも好きだったけど、筋肉も大好きよ」
至極当然のように頷くデイジーに、イベリスは言葉が返せなかった。デイジーは不思議そうな顔をして、イベリスを見ている。
「……体中、傷だらけなんだ」
「まあ、そうなの?」
「すごく気持ちが悪いと思う」
そこまで言われて、デイジーはようやくイベリスが何を気にしているのか理解した。初めて顔を合わせた時に言っていたではないか。女性からは倦厭されるほどの見た目をしていると。彼女達の反応は顔の傷に対するものであったけど、普通の令嬢は一連の騒動を彷彿とさせる傷を恐ろしいと感じるのかもしれない。
「ねえ、ちゃんとわたしの言葉を聞いていた?」
「えっと、多分」
自信なさげな答えに、デイジーはため息をついた。
「わたし、メイナード様以外と結婚するつもりはなかったの。生きているのならずっと側にいたいと思うのはおかしい?」
イベリスが辛そうに顔を歪めた。期待する気持ちが彼の目にちらちらと見え隠れする。
「きっとその傷のことで沢山嫌な思いをしたのだと思うわ。わたしを信じてほしい」
「頭では理解できるよ。でも君から奇異な目で見られるかもしれないと思うと……」
迷うイベリスを見て、デイジーは立ち上がった。そしてイベリスのすぐ側に近づいた。イベリスは目の前に立つデイジーを座ったまま見上げた。彼女は両手でイベリスの頬を包み込むと、ちゅっと傷ついた方の目元にキスを落とす。イベリスが驚いたように目を見開いた。
「襲われる準備は良い?」
「は?」
「イベリス様はわたしのためと言い訳して逃げそうだから。既成事実を作ろうと思って」
にっこりとほほ笑むと、そのまま彼の膝の上に乗った。唖然とするイベリスの顔を覗き込む。どんな傷があっても、デイジーが待ち望んでいた彼だ。迷うことなく、彼の上着のボタンを指でつまむ。
「ちょっと待って! 本気?!」
「本気よ、男なんだから腹を括りなさい」
「ダメだろう、嫁入り前の令嬢が!」
「気にしてくれてありがとう。イベリス様が責任を取ってくれたら問題ないわ。大丈夫、わたしにまかせて。沢山、恋愛小説を読んできたからきっと上手にできるわ」
デイジーは真面目な顔をして頷くと、上着のボタンを一つ外した。
「デイジー!」
イベリスが慌ててデイジーの手を抑え込んだ。と同時に、扉が乱暴に開いた。
「姉上、そこまでです。それ以上は結婚してからにしてください」
呆れた顔をしたローマンが扉の所に立っていた。