デイジーの事情
一人になったサロンで、椅子の背に体を預けた。
手には先ほどの手紙があるが、気持ちが乗らない。後回しにしようかとも思ったが、きっとエリが確認しに来るだろう。こちらを心配しての説教だとわかっているが、エリの小言は長いのでできれば避けたい。
避けるなら、手紙を読むしかない。
イヤイヤながらローマンからの手紙の封を切った。手紙を広げ、さっと中に目を通す。いいことは書いていないだろうなと思っていたが、やっぱりいいことは書いていなかった。
「役に立たない」「行き遅れ」など父親であるフェルトン伯爵よりも直接的な言葉が並び、デイジーの神経をこれでもかというほどに逆なでる。心の柔らかいところに触れられて、デイジーは手に持っていた手紙をぐしゃりと握りつぶした。
「まったく余計なお世話よ。田舎に引っ込んでいるんだから、放っておいてくれればいいのに」
エリが心配したのと同じように、どうやら両親も弟もデイジーが婚約者を失ってから引きこもりになり結婚もせずに過去に囚われているのを哀れだと思っているようだった。
今までも両親から王都に戻って新しい婚約者を見つける様にと時々言われていたが、まるっと無視をしていた。ここしばらく、煩く言ってくることもなくなったので諦めたのかと思ったが、弟からの手紙を見る限りそうでもなかったようだ。
担当が父親から弟に変更になったことはデイジーにとって頭の痛い話だ。こちらの気持ちを慮ることなく、デイジーが幸せになると信じて色々と押し付けてくることだろう。
「メイナード様以外と結婚するわけないじゃない」
デイジーはそっとチェストの引き出しを開けた。引き出しは二重底になっており、大切な物はすべてここに入れてある。メイナードから贈られたハンカチやブローチ、それに美しいガラスの瓶に入ったリリーの香水は今でもデイジーの宝物だ。
小物を取り出して、一番下に隠していたカードほどの大きさの箱を取り出した。蓋を開ければ、肖像画が出てくる。彼が死ぬ前の姿が映し取られていた。
癖のある柔らかな栗色の髪をした彼は優しい緑の瞳でデイジーをいつも見つめていた。目を閉じれば、楽しかった日々が思い出される。
メイナードは隣接するポロック伯爵家の三男で、デイジーが彼と婚約したのは十歳の時だ。母の友人の一人であるポロック伯爵夫人に引き合わされた。もちろん気が合わなかったらただの知り合いになっただろう。でも、メイナードと顔を合わせた時に、彼しか見えなくなった。あの不思議な感覚をデイジーは今でも覚えている。
瞬きもせず見つめ合う二人の様子に大丈夫だろうと大人たちはさっさと婚約を結んだ。
婚約を結んだ後も定期的に顔合わせを行い、二人で色々な話をした。少し大人しめのメイナードはデイジーに引っ張られて様々な催しに参加した。
どこででも知り合いを作れるデイジーに対して、メイナードはとても引っ込み思案だ。デイジーはメイナードの負担にならないような相手を選んで、交友関係を広めていった。いつも二人で行動していたので、誰もが二人が相思相愛だと理解していた。
「メイナード様、大好きよ」
デイジーはいつもメイナードに気持ちを伝えた。たまたま見た演劇の女性が男性に愛を伝えるシーンがとても素晴らしくて、デイジーも真似たのだ。一番最初にそう告げた時メイナードは顔を真っ赤にして倒れた。
大人たちからそういう気持ちは大ぴらにするものではないと諭されたが、それでもデイジーは止めなかった。会えば挨拶のように、心込めて好きだと伝える。
回数も重ねれば、メイナードも倒れることがなくなった。そのうち彼も言葉に詰まりながら、デイジーに愛していると返し始めた。お互いに伝えあえるようになれば、それがとても自然で。友人たちはそれを鬱陶しそうに見ていたけれども、気持ちが通じる方が大切だから気にならなかった。
初めて抱きしめられた時は自分以外の温もりがすごく恥ずかしかった。触れるだけの控えめなキスをした時も、ふわふわした気持ちで一日過ごした。
だからずっと一緒にいると思っていた。デイジーの方が彼よりも長生きするとは思っていたが、それは結婚して子供ができて孫ができた先で、予定では五十年ほど経ってからだ。なのに、メイナードは馬車の事故であっさりと逝ってしまった。
「ずっと君の側にいるよ、なんて言っていたのに。どうして先に死んでしまったの。本当だったら今頃結婚して、何人も子供がいて」
実現しなかった未来を呟いてみても、やはりメイナードがこの世にいないせいなのか上手く想像できなかった。想像の中でも、デイジーは一人、そこにいる。自分がどんどん年を取っていくのに、隣はぽっかりと空いたままだ。
家族やエリが言うように、デイジーの気持ちはずっとメイナードのところにある。寂しいと思うことはあるけれども、ここから出てメイナードではない誰かと結婚するなんて想像できない。幸い、フェルトン伯爵家はデイジーが政略結婚する必要もないほど豊かであるので、今まで好きに生きてきた。
「お父さまもお父さまよね。メイナード様を忘れるまで静かに暮らせばいいと言っていたのに」
あふれ出る文句を言葉にしていく。貴族なんだから、約束ぐらい守ればいいのにと。
とはいえ、このままここにいたら間違いなく結婚させられる。
錆びついた貴族の娘としての知識を引っ張り出してくる。
貴族家では娘が親の整えた婚姻に否を突き付けることは難しい。もちろん結婚となると、その先にあるのは子供を産むことになるので、相性の悪い者同士とは結婚することは少ない。もっとも、借金の肩代わりや事業の提携のためなどの家に関わる場合はそうはいっていられないものだ。
デイジーとメイナードの婚約は目に見えるような利益はなく、お互いの家のつながりを強化するという面が大きかった。だからメイナードも爵位を得られない三男であったけれども、婚約が調ったわけだ。
しかし今回は違う。明らかにデイジーは条件の良くない娘だ。婚約者を十六歳で亡くし、社交界すら出ない引きこもり。それを四年も続けていたので、貴族令嬢の結婚適齢期も過ぎている。
デイジーが未亡人だったらまだ違う需要があるのだが、どう考えてもまともな結婚は無理だろう。条件の悪い相手の中で、それでも幸せになれるかもしれない相手を選んでくるに違いない。
デイジーはネチネチとローマンに嫌味を言われる一人でいる十年後と色々なものに耐え忍んで誰かの妻として暮す十年を天秤にかけた。
間違いなく、一人でいた方がましだ。
「よし、家を出よう」
いつまでも自分たちの目の届くところで暮らしをしているから、色々と気になるのだ。それならばいっそのこと、修道院に入り世俗を離れ、メイナードの冥福を祈っていた方がいい。幸いデイジーは母方の祖父母から受け継いだ個人資産を持っていた。それを寄付に当てれば訳ありであっても修道院に受け入れてもらえるはずだ。
問題は、フェルトン伯爵領の中でも辺境であるため修道院が近くにないことだ。しかも誰にも気付かれることなく、一人で行かなくてはいけない。修道院も色々なところがあり、貴族の女性が受け入れてもらえるところは寄付が高い。その寄付によって生活水準が変わるとも聞いている。
「とりあえず、町に行ってそこから馬車で王都に出ようかしら」
不確定要素がありながらも、明日までに町から出ないとローマンに捕まる。
デイジーは立ち上がると、荷物をまとめるために自室へと向かった。