引きこもり令嬢、不穏な空気を感じる
「お嬢さま、お手紙が来ております」
この屋敷の家政を一手に引き受けている使用人のエリが手紙を持ってサロンへとやってきた。日当たりの良い窓際でのんびりと刺繍をしていたデイジーは顔をあげる。
「手紙? お父さまかしら?」
フェルトン伯爵領の隅っこにあるこの別邸に家族は誰も来ることはない。エリと下働きの夫婦しかいない別邸は小さいながらもデイジーの城だ。フェルトン伯爵領であったが、父よりもデイジーの命令を優先することが許された場所。
四年前に婚約者が亡くなってから、デイジーはここで一人ひっそりと暮らしていた。訪問者もない静かな暮らしだ。
「先日届いた旦那様からの手紙にはまだ返事を出しておりませんよ」
「ああ、そうだった。じゃあ、誰から?」
フェルトン伯爵家の娘として王都で過ごしてきたときに親しく付き合ってきた友人たちとはすでに疎遠だ。季節の挨拶として手紙のやり取りをする程度で、それぞれが結婚して婚家のための社交に忙しい。十六歳で婚約者を亡くし田舎に引きこもっているデイジーに構っている暇などないのだ。
疎遠になるのをわかっていて、あえて王都から遠い領地で暮らしているのだから特に文句もあるわけもなく。
ただそうなると、この手紙の主がわからずに首を傾げた。
「坊ちゃまですよ」
「ということは、ローマン? あの子、王都の学園に通っているのではなかったかしら?」
弟のローマンはフェルトン伯爵家の継嗣だ。デイジーの四つ年下で、幼い頃はともかく今はあまり交流がなかった。年齢は覚えているが、彼が今どんな容姿をしているのかすらわからない。デイジーの中での彼はいつまでたっても四年前、最後に会った十二歳の姿をしている。
「交流のない姉に手紙を寄越すなんて、嫌な予感しかないわね」
「そう警戒しなくても。何事にも初めてはありますよ」
「その初めてがろくでもなさそうなのだけど」
胡乱気な目でエリの差し出す手紙を見つめる。どこにでもある普通の封書であったが、どことなく黒いオーラを纏っているように見えた。
「坊ちゃまも十六歳になりますからね。お嬢さまのことが心配になったのではありませんか?」
「すごく良心的な解釈だわ。あの子も婚約者がいるもの。結婚を目前にして、田舎に引きこもって役に立たない穀潰しのわたしが邪魔になった。これが真実ではなくて?」
フェルトン伯爵家の継嗣としてよい結婚を考えているのなら、引きこもりの小姑はいてほしくないだろう。
デイジーは唇にそっと人差し指を当てた。そして、色々と考え巡らせ、いくつかの仮説を立てる。
「目障りだから修道院へ行けとかそういう話かしら? それとも、嫁がないなら働けと言われるのかしら。評判の悪い領主の屋敷に入り込んで、不正を見つけたりして」
「お嬢さま、その発想は一体どこからですか? またろくでもない恋愛小説でも読んだのですか?」
どうやらエリはデイジーの推察が気に入らなかったようだ。彼女はデイジーの愛読書である恋愛小説を毛嫌いしている。だが、今回は恋愛小説を参考としていない。
「残念ながら、恋愛小説ではないわ。推理小説よ。新しく雇われた女家庭教師が誰も気づかない犯罪を見つけて断罪するの。犯人の手腕も目を見張るものがあるけれども、犯人を追い詰めていく女家庭教師がまた素晴らしいのよ」
得意気に推理小説だと胸を張って言えば、エリが大きくため息をついた。
「犯罪を見つけるような恐ろしい推理小説を読むなんて嘆かわしい。お嬢さまにはもっと心洗われる有意義な本を読んでいただきたいですわ」
「有意義な本? 創世記のこと?」
有意義の定義がわからず問えば、エリはサロンの壁際にある本棚に近寄った。部屋の飾りの一部として見栄えよく並べられているのはこの国でも評価されている文学本。もちろん飾りなので、デイジーは一冊も読んでいない。
その中から迷うことなく一冊の本を持ってきた。差し出された本を手に取る。
『秘められた愛』
タイトルを見て、顔をひきつらせた。
どう考えても好みではない。デイジーは性格的に愛を秘めることはできないし、大っぴらに心の中の愛を語りたいタイプだ。花を見ては涙を流し、夜空を見上げて想い人への恋情を思いめぐらせることはない。
亡くなった婚約者には常に好きと愛しているを伝えてきた。それは側に人がいる時でも言いたくなったら伝える。デイジーの愛情表現はびっくりするほど大っぴらで、淑女が聞いたら卒倒してしまうほど。
幸いにして、二人の家は仲がよく、デイジーの愛情表現は微笑ましいと受け止められていた。年配者の夫人たちにしたら、情緒も何もないとんでもない娘だったろうが、これといった文句は聞こえてこなかった。
「淑女らしい内面を言葉に忍ばせる詩集がよろしいかと」
「……言葉の裏を考えるのは貴族たちのお喋りだけで十分よ」
「その貴族たちのおしゃべりにお付き合いしたのは一体どれほど前のことです?」
ぎろりと睨みつけられて、デイジーはそっと視線を逸らした。
「そうね、多分だけど……二年ほど前かしら?」
「違います。四年以上前です」
「二年なんて誤差の範囲よ」
うふふと笑って見せたが、エリは誤魔化されなかった。
「もう十分引きこもりましたよ。そろそろお嬢さまも次の幸せを考えるべきです」
「ねえ、今日はどうしちゃったの?」
「今日だからではありません。常々思っていたことです。女性の幸せは結婚ばかりではありませんが、こうして田舎に引きこもって、誰にも会わず暮らし続けることが幸せとは思えません」
まずい方向に話が向き始めた。ここに引っ越してきたときには毎日のように聞かされていたことだ。聞き飽きているし、どんなことを言われても考えを変えるつもりはない。
デイジーは話を中断するように、エリの手から手紙を引き抜いた。
「これ、読むから一人にしてほしいわ」
「……わかりました。ですが、よくお考え下さい。このままではいいとはわたしは思いません」
「エリの気持ちは分かったわ。ちょっと考えてみる」
殊勝な面持ちで頷いてみれば、エリはようやく表情を緩ませた。