地下1階
地下というくらいだからかなり薄暗くて湿っぽい陰鬱な空間を思い浮かべていた香霞だったが、予想は外れて、中はかなりしっかりと整備された空間だった。多少壁がでこぼことした岩肌剥き出しのような場所もあるが、足場は悪くなく、等間隔で灯された燭台によって、夜目が効かなくともそれなりに進めそうなほど視界も開けている。
住処にしている風魔いたち族を初め、妖怪は基本どの種族であっても夜目が効くためそれほど明るくする必要はないが、その明るさが香霞にとってはとてもありがたい。
もちろん、その理由は香霞が夜目が効かないという意味ではなく、別のところにある。
先程から手を繋いでくれている緑陰の意図もおそらくそこにある。近くによく知る存在がいれば別に暗くともそこまで身体が竦むことはないが、香霞は気遣ってくれる緑陰に素直に甘えることにして手を引かれていた。
晶椰の手前恥ずかしく思う気持ちもあってちらりと彼の方を見遣れば、晶椰は緑陰から漏れ出る抑えきれない覇者の闘気に当てられ、それどころではないようでほっとする。
「若君の側近殿の地図によれば花音様が囚われて居るのは恐らくこの先の階段を降ったところ.....地下4階の一番奥の空白部分が怪しいかと思われます。」
「ええ、私もそう思うわ。...兵奇は近くにいるかしら.....?」
頭の中でここに来る前に晶椰の部屋で見せてもらった地下の見取図を広げて緑陰の会話に応じる。見取図は細部にわたってしっかりと書き込まれていたが、地下4階は見張りが厳重なのか不完全でまだ空白が残った状態であった。おそらく、調査が途中なのであろう。しかし、他の構造を見る限り、不自然に空いたその空間こそ人質を置いておくには都合が良さそうだと香霞は睨んでいる。
「兵奇は一緒にはいないでしょうね。.....怪しいのはこの先の突き当たりにあった神殿のような場所か...あるいは、地下2階の中間、広めですがやや奥まったところにある部屋かと。」
随分と自信がありそうな緑陰の様子に香霞は晶椰と2人で顔を見合わせた。
「なぜ?」
「どうしてそう思われるのですか?」
不思議そうな2人に尋ねられた緑陰は口角を吊り上げ、ニヤリと不敵な笑みを浮かべるとこう言い放った。
「私が彼ならそうするからです。」
説得力のありすぎるその一言に2人は納得して頷く。つまりは、狡賢い相手の考えそうなことを前提にしたと言うだけの話。
「一番奥の手が出しづらい場所に人質を置き、手前の安全な場所.....つまりはこの地下の地形を最大限活かして侵入者に対抗できる場所で高みの見物、といったところでしょうか。それができるのはこの2箇所であると思われますが、より可能性が高いのはやはり地下2階でしょうね。」
緑陰の推測はおそらく正しい。兵奇よりも余程策士である緑陰の言を信用することに決め、それを元に香霞は口を開いた。
「じゃあやっぱり当初の予定通り手分けした方が良さそうね。緑陰は...」
言いかけた香霞が口を噤んだのと緑陰が香霞を庇うように前に出たのはほぼ同時であった。
前方から微かな話し声とともに数人の気配を察知したのである。
出来ればまだ兵奇に自分たちが入り込んでいることを知られたくない。できる限り音を出さないよう静かに処理せねばと思案したところで香霞の背後の気配が俊敏に動く。
一陣の風が吹き抜けるが如く前方の気配に向かった晶椰は相手が気づいて声を上げるより早く、的確に相手の急所を狙って次々と倒していく。
「......ほお。」
頭の上で声がして、緑陰が晶椰の動きに感心するようにやや目を細める。
「薬、かしら?」
「ええ、おそらく痺れ薬の類いかと。さすがですね、秘薬を受け継ぐ者と言うことですから、これくらいの薬の調合はお手の物という訳ですか。」
頷いて敵を相手にする晶椰を注意深く観察すれば首筋に食らわせる拳に細い針のような物が光るのが目に入った。
なるほど、あの針の切っ先に痺れ薬を仕込んで敵を気絶させているようだ。
痺れ薬といえば、徐々に効いてくる物が多いが、晶椰が調合した薬は即効性らしい。何が起こっているのか敵が理解した頃には既に身体も舌も痺れ切って声も出せない様子に香霞はぞくりとした。
彼が味方で良かった。いくら命に別状は無いとはいえ、あんな薬を我が身に使われたくはない。
双瑠璃である香霞が晶椰に遅れを取るようなことは万に一つも有り得ないであろうが、即効で舌が痺れるなど考えるだけでも恐ろしい。
秘薬を受け継ぐ者である晶椰は治癒に特化しているため、攻撃力は他の風魔いたち族に劣ると聞いていたが、薬を仕込んだ針を使う戦法は彼に良く合っていて実に見事である。
地下1階、徐々に敵の数が増えてきたところで晶椰が提案する。
「ここは僕に任せて、香と緑陰様はどうぞ先へ!」
言いながらまた一人、晶椰は彼の背後から妖力を込めた風の刃を放ってきた敵の首に後ろ手に針を刺して地面に転がした。
一人一人はそれほど強くないが、いかんせん数が多い。できる限り兵奇に知られずに戦力を削ぎ落としたいところだが、奥から奥から出てくる敵にそうも言ってられず、少しずつ戦闘音が響き始め、地下内部が騒がしくなる。兵奇に侵入がバレるのも時間の問題だ。
時間が惜しい香霞は晶椰に向かって頷くと、緑陰と共に地下2階へと続く階段を駆け下りていった。
次のタイトルは「地下2階」です笑
順当に降りて行きます。
次回更新は12月13日です!