心の距離
もう28話ですって!びっくりです!
午前の授業を終え、日直の仕事を片付けて香霞はお弁当を片手にいつもの空き教室へと向かう。
今日のお昼は花音と2人きりだ。教室に入ってきた香霞の姿を澄んだ冬空のような水色の瞳が捉え、ゆるりと嬉しそうに細まる。
「久々に2人ね。」
「うん。今日も豪華なお弁当だね。」
机の上に広げられた3段の重箱の中には季節の野菜と海老の天ぷらがたっぷりと入っていた。パープルティンク家お抱えの料理人が作る料理はどれも一流品である。
冷めてもベタつかない衣は、花音の小さな口へと運ばれてさっくりと美味しそうな音を立てている。
見ているだけでお腹の空く光景に、香霞も自分のお弁当を広げると甘辛い香りが鼻腔を擽った。
そういえば、今朝緑陰が角煮作りに挑戦して上手くできたと自信たっぷりに微笑んでお弁当を渡してくれたなぁと香霞は淡く微笑する。
「あら、香霞のお弁当だって美味しそうだわ。その角煮、あのイケメンのお兄さんが作ってくれたのでしょう?」
「うん、すごく美味しそう。」
「わたくしも1つ食べたいわ。海老の天ぷらと交換しない?」
どうやら、花音は先程香霞が海老天を物欲しそうな目で見ていたことに気づいていたらしい。
目をきらきらと輝かせて角煮を見つめる花音に、食べたかった物との物々交換を提案された香霞が即答したのは言うまでもない。
「「美味しい!」」
交換した互いのおかずを頬張った2人は異口同音に感想を述べ、顔を綻ばせた。
予想通り、衣はさくさくで中の海老はとても新鮮なのかぷりぷりと弾力があって美味しかった。冷めたことでさくさくな食感にもちもちとした食感が加わっているのもポイントが高い。流石一流の料理人の品である。
最高級の味を噛み締めた香霞は、緑陰が朝早くから香霞のために腕によりをかけて作ってくれた角煮を口へと運び、またも感嘆に目を瞠る。
砂糖、醤油、みりん全ての割合が程よく、口の中で豚肉がほろほろと解けて溶けていく。脂身の部分もとろりとしていて舌の上で肉質な部分と絶妙に絡まり合う。
本当に緑陰は一体どこを目指しているのだろう。
ひとしきり美味しさを噛み締めながらそれぞれのお昼を楽しんだ2人は、食後のお茶を飲んで一息ついていた。
いつもは、このまま3人でゆるゆるとお喋りを楽しんだり、読書をしたり、お昼寝をしたりとそれぞれ思うように過ごしているが、今日はなんだか花音の様子がおかしかった。
そわそわとこちらを覗う彼女が何かを言い出すのを黙っ待っていると、意を決したようにして彼女がテニスボールサイズの彼女の瞳の色と同じ色をした水晶玉を取り出して机の上に乗せた。
香霞は自らが持つ瑠璃の玉と同じくらいの大きさの水晶玉をまじまじと見つめる。
もしかして雪女の瑠璃のような物なのだろうかと気配を探るが、妖気は特に感じられない。代わりに洗練された霊力を感じるため、彼女の一族で使う道具か何かだろうと当たりをつけていると、彼女の口から正解がもたらされる。
「ねえ、わたくしにあなたを占わせてくれないかしら。」
どうやらこれは占い道具らしい。
「占い」という言葉に香霞の肩がぴくりと震える。
花音の占いの実力は如何程のもので、占うとどこまでのことが分かってしまうのかは、占いに詳しくない香霞には見当もつかないが、知られては困ることが沢山あるのは事実であるため、香霞は黙って花音の表情を窺った。
一体彼女は何を考えているのか。何が目的で、何を知りたくて私を占おうと言うのか。
彼女と過ごした日々は数ヶ月という短い期間だが、香霞にとって花音は少なくとも香霞に不利益になるような事はしないと思える程には信頼できる存在となっていた。
しかし、同時に本性を知られることをーー知ってしまった花音が本当に一族のために香霞を裏切る可能性が全くないとは言えないことを、畏れていた。
彼女を信じきることができず、あと一歩踏み出すことの出来ない臆病な自分が顔をのぞかせる。
「占いって言っても全てが鮮明に見えるわけではないわ。香霞に秘密があることも分かっているし、それを無理に暴こうと思って占いを提案したわけではないの。」
戸惑う香霞に花音は艶然と微笑んで見せる。彼女の美貌も合わさって、まるで聖母のような雰囲気を醸し出す花音がそろそろとその白い指先を伸ばしてきて、香霞の両手を軽く包み込んだ。
「鮮明な答えは出せないけれど、ぼんやりとしたヒントのような物は出せてよ。何か気になっていることがあるのではなくて?わたくしに力になれることは本当にない?」
「...かの、ん......?」
花音は聡い。ずっと踏み込まずに開けられていた僅かな距離を明確な意思を持って踏み込もうとする気配に香霞の心がふるりと揺れる。
花音は、自分を信頼しろと言っているのだ。踏み出せない香霞に、秘密があってもいいからもっと頼って欲しいと縋るフリをして、香霞に手を伸ばす理由をくれようとしている。
さて、香霞はどうするんでしょうね。