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ユウヤ 第一夜 5

 駐車場に車を止めて、さてどうしようかということになってしまうのは、タエ自身が無計画なせいもあるが、大型店舗に駐車したユウヤにも責任が無いとはいえない。

 タエが行きたい場所を指定してこなかったということもあるが、ショッピングモールなど無い地方都市では、デパートが買い物をするメインになってしまいがちなのだ。

 どんなものを買うのか? と尋ねてみても「服」とか「鞄」としか返事が返って来ない。多少のブランドにでもこだわりがあるわけでも無さそうなだけに、デパートという選択も止むを得ない。

 中に入ると、休日ということもあるのだろう。賑わいは結構なものだった。

 高級ブランドのテナントが入っているわけもなく、服飾に詳しくなければ、どこのメーカーかさえ定かじゃない衣類を眺めながら、ユウヤはタエの後ろを呆っと歩いた。

 タエは、スパッツやジーンズ等を物色しながら、時折ユウヤを振り返り、それほど長く時間を掛ける事なくテナントを巡り歩いた。

 退屈ということは無いが、やっぱり少々飽きる。

 そう思っていたところにタエが振り向いた。

「あそこ、行きたい。ブランドバッグフェア」

 指差した方向を見てみれば『有名ブランドバッグフェア 特価20%OFFより 最上階催し会場』なんていうポスターが、エスカレーター前にデカデカと貼られていた。

「ブランド物、好きなの?」

 ユウヤが持つタエの印象では、ブランドに固執するような娘には感じていなかっただけに、意外な感じがしてしまった。

「一応、女ですから。それなりに興味くらいあるもん」

 ちょっとむくれた感じで上目使いに睨んでくるタエに、可愛いとは感じても恐いとはとても思えない。

 クスリと笑いが漏れたのをタエは見逃さなかった。

「馬鹿にしたでしょ? どうせ似合いませんよ〜だ」

 あかんべーとする仕草の方が似合っている。とは思っても口には出さなかった。

「そんなこと思って無いよ。タエになら似合うさ」

 言った後に笑いが込み上げそうになるのを噛み殺して、ぎこちないままに微笑んで見せた。

「その顔で言われても、真実味無いから」

 先程より一層むくれて背を向けるタエを追い掛けながら、ユウヤはまだクスクスと鼻を鳴らしていた。

 催し会場と言っても、広いフロアの一画に硝子張りの仕切りと棚を付けた程度のものだった。

 その周りには不似合いなセトモノ市やふとんの安売り、ネクタイの特売なんてのが軒を連ねている。

 当然、他のものに興味などあるわけはない。

 真っ直ぐに硝子張りの店内に入り込んだ。

 休日の午後ならば混雑を予想していたが、良く考えてみれば週末向けのイベントなのだから、後数時間で終焉を迎えるのだ。

 おばちゃんが三人ほどウロつく程度で、店員の方が多い。

 ユウヤとタエが入って来たのをそそくさと店員が寄り添ってきた。

「いらっしゃいませ。どんなブランドをお探しでしょうか?」

 営業スマイルを張り付けた女性店員は、ユウヤには眼も向けず、タエを奥へと導いて、あれやこれやと説明しだした。

 ユウヤとしても、余り興味のある代物ではない。確かに見る機会は少なくない。だけど、それはこうして連れて来られて「これがいい!」とか「これ買って〜」とせがまれる時だけだ。

 自分から進んで来るようなことは無いし、ユウヤ自身がブランド嗜好に無い。故に有名なブランド以外は名前すら知らないし、マークや柄、ロゴを見てもチンプンカンプンだ。

 何人かの女性に鞄やら財布やらを買ってあげた記憶はあるが、それがどのブランドだったなんて、トンと覚えが無いくらいだ。

 手持ち無沙汰に、飾られたバッグを端から見て歩いた。と、唐突にタエが近付いて来た。勿論、笑顔を絶やすこと無い店員も一緒だ。

 何か欲しい物でも見つけたのかな? 安い物だと助かるけど。

 そんな覚悟を決めて、にこやかにタエを迎えたが、タエはユウヤの右腕にすがりつくように身を寄せると、その顔を上に向けてユウヤを仰ぎ見た。

 おねだりするには変な感じだとユウヤもタエを見下ろした。その顔が、助けを求めるように切なく、両眼など潤みを含んで、今にも泣き出しそうだ。

 その後ろで店員が「お客様。お客様?」と騒がしい。

 なんと無く察しが付いた。

 この店員。イベントが今日数時間で最後とあって、結構な押し売りを掛けてきたに違いない。

 言葉巧みに捲くし立てられ、タエも気持ち的に折れてしまいそうになってきたのだろう。

 ユウヤは、二度ほどタエの頭を左手でポンポンと叩いて笑って見せた。

 そのまま店員に向き直り

「すいません。少し二人で選びたいんで、構わないでもらえますか?」

と柔らかく言った。

「え? でも…」としつこく食い下がろうとした店員だったが、ユウヤがもう一度、満面の笑みを浮かべると、「はぁ…」と歯切れ悪く退き下がっていった。

「行ったよ」

 未だ右腕につかまって、何時の間に俯いたのか、タエはそのまま動かなかった。

「どうした? 君ならあれくらい言えたろう?」

 そう言った途端にタエの顔が跳ね上がった。

「また『君』って言った!」

「ああぁ、ゴメン、ゴメン」

 無意識に出る言葉だけに、気を付けていないと目ざとくチェックが入る。

 本当なら気にすることも無いのだが、約束してしまった以上、守るのも道理というものだろう。

「だけど、どうして断らなかったんだ? タエなら物怖じするほどだとは思えないけど」

「……なんかさ、あの人も仕事でやってるでしょ? 悪気があるわけじゃないし、もしかしたらあの人だって嫌々やってるのかも? そう思ったら、なんか断りづらくって…」

 呆れるというより、考え過ぎな思考に感心しそうなほどだ。

「どんな気の遣い方だよ。そんな弱気で千葉に居た時、どうしてたんだ? 向こうの方が接客は激しかったろう?」

「あっちでは、友達が断ってくれたし、一人の時は、そういう人が来たら逃げてたし……」

「なんじゃ? そりゃ? 千佳子に詰め寄った勢いは誰だったんだ?」

「あれは、聞きたいことがあっただけで、別に詰め寄ったんじゃないし」

「ムーンで仕事できるんだから、人見知りってことはないよな?」

「仕事ですから」

 何の切り替えなんだか。これには呆れてしまう。

 やっと腕を放して店員を振り返り、ホッとしたような表情で鞄を覗くタエを、ユウヤは溜め息混じりに笑って見た。

 興味深そうに「へぇ〜」「ほぉ〜」などと小さく声を発しながらタエは陳列棚を舐めていく。

 付いて行くだけのユウヤには、何が「へぇ〜」で「ほぉ〜」なのかすら理解できない。

「これって、シャネルとかいうやつ?」

 見覚えのある柄がバッグにあって、ユウヤはタエに聞いてみた。このままでは、無言のまま歩き続けなくてはならない。

「良く知ってるね? 誰かにプレゼントでもした?」

 振り返りもせずのタエの返事だった。

 何故にそうなる? と聞き返したかったが、何だかヤブヘビになりそうで止めた。

 こんなことで剥きになっても仕方ないと思えた。大人な対応をしていれば、それほど変な話になることなど無いはずなのだ。

「そうだったかもね。これは、なに?」

 チラリとタエの視線がユウヤに向けられたが、すぐに離れて指差すバッグを見た。

 何か含みのある視線に感じたが、敢えて口にするようなことはしない。

「エルメス。こっちはグッチ。あっちのはヴィトン」

「ふ〜ん。聞いたことあるね」

 ひとつひとつを指差しながらタエが説明してくれるが、ユウヤの眼からすれば、どれも同じバッグという感じで、どこに違いがあるのかすら分からない。

 歩いて行くタエは、そんなユウヤに名前を言っていく。

「ディオール、コーチ、フェンディ、プラダ、ラルフローレン、サザビー、ミュウミュウ、クレージュ」

「…………。」

「どしたの?」

 何の反応も返さないユウヤを怪訝に思ったのか、タエが振り返って聞いてきた。

「名前を聞いても、違いが分からん。というか、どれも一緒にしか見えん」

 値札がバッグの中に入っている。そのひとつを取り出して確かめてみたが、確かにタエの言う通りミュウミュウのものだ。値段については、語りたくも無い。

「んん〜。こういうのって、一種のステータスみたいなものでしょ。物を入れて歩くだけなら無印でも構わないんだもん。けど、こうして一流ってブランドを背負った物を身に付けることで、自分も一流の仲間入り! みたいな」

 ユウヤにとっては溜め息しか出ない論理だが、こうして決して安くない値段を付けるものが売れている事実と照らし合わせれば、あながち間違ってもいないと思えるのが恐い。

「問われるのは、持ってる物じゃなく、本人の品位だと思うけどねぇ」

 それを聞いてタエは、少し小首を傾げて目線を空に投げた。何かを考えているような仕草だった。

「んん〜、安物を持ってガサツな女になるより、高級な物を持って上品になるってこともあるんじゃないかな? 安物って乱暴に扱っても気にならないけど、高いと思うと扱いも慎重になるから、自然と行動や仕草も優しくなったりするしね」

「そういうものか? 分からないでもないけど、結局は物だぞ?」

「ユウちゃんだって、高いライターとかだと失くさないようにしたり、壊さないように使ったりしない?」

 ポンポンと胸ポケットを叩いて笑顔を見せるタエは、今までより大人びて感じた。何だか母親か先生にでも言い含められている気さえする。

「言われりゃ、気にしてるかもね。って、俺のライターが高いって、何で知ってる?」

 大人びた笑顔が、一瞬で悪戯好きの子供の顔に変わる。途端にポケットからライターを抜き出して「へへへ」と笑って振って見せた。

「ロンソン限定クラシックライター。ロンソンでは珍しい真鍮造りで銀メッキ。オイルZIPPOの中でも知ってる人が少ないくらいの貴重品」

 蓋を親指で押し上げるとカキンと高い金属音が響いた。それを人差し指で戻すとキンと先程より高い金属音が返してくる。

「だったっけ? んふっ、良い音」

 キンキンと音を響かせながらタエは笑ってライターを弄ぶ。

「まったく、マスターだな?」

 ライターのことは『ムーン』のマスターとしか話したことが無い。ユウヤもマスターもコレクターでは無いが、そういったものに興味はある。話し出してからZIPPO談議になってしまったのを覚えている。

「値段分かんないくらいなんだって? 普段、使うような代物じゃないでしょ」

 何度か蓋を開け閉めして、表面に付いた指の後を袖口で拭き取り、ユウヤの胸ポケットに戻すタエは、そっと解き放つように落とした。

「確かにその通りかもしれないけどね。道具なんだから使わなきゃ、一体、何のための道具だよってことになる。高価なのは価値を付けた奴が居るだけの話で、売り出された時の値段なんか1万程度だったはずさ。つまりは、俺の中での価値は1万程度ってことだ。それほど高いとは思ってないよ」

 戻ってきたライターを服の上から叩いて、笑ってみせる。

 確かに相当な額の値段を提示されたこともあるが、それは自分の知らないところで貴重品扱いされただけのことだった。だからと言って、売るとか使うのを止めるとかいうのも変な気がして、今もこうして日常に使っている。壊れたとしても、別に惜しいという感覚も、きっと無いのではないだろうかと思える。

「まぁ、百円ライターよりは高価だけどね」

 クスクスと二人で笑い合った。大声で笑うには、何だか廻りが静か過ぎる。

 と言っても、ユウヤとタエを除いて、客は小母さん風なのが二人と店員が数名だけなのだが。

「そうだ、何かひとつくらい、プレゼントしようか? あんまり高い物じゃないと助かるけど」

 こんな店に誘われたのだから、タエだってそれを期待しているに違いない。今までの女の子達もそうだった。まぁ、多少の手痛い出費になるだろうが、少し我慢すれば買ってあげられないわけではない。

「バッグがいい? ポーチってのも人気あるらしいって聞いたことあるけど。財布ってのもありかな………」

 グルリと棚を見渡してから、タエに視線を移した。

 一気に身体が固まった。

 タエの表情は、「あら、うれしい!」とか「本当!? どれにしようか?」などという月並みな顔付きでは無かった。

 眉を寄せて眉間にかなり深い皺が見て取れる。目付きも、グッと斜め下から睨み付けるような感じで痛い。

 完全に不機嫌な顔に豹変しているではないか。

 その右眉が僅かに上がって、ヒクヒクと痙攣しているようにも感じる。

「……どうして、プレゼントされなきゃならないの?」

 普通な声を出そうと努力しているのが分かるくらい無理をしているのだろう。語尾が震えているし、笑おうとしているのか口元の端が引き攣っている。

「い、いや、なんていうか、ほら、そのぅ、え〜と……」

 そんな質問など想定していなかったし、何よりプレゼントされるのに、これほど明白に怒りを露にされたこともない。言葉に詰まるというより、思考自体が状況に追いつかない。

「理由を探さなきゃならないの?」

 更に眼に力がこもったように思える。こんな表情をされた記憶がユウヤには近年、思いつかない。

「いや…その…なんだ…ああ! 今日の記念ってことで!!」

 逃げ口上だろうけれど、自分では旨い言い訳だろうと思い付いたのだが、タエの表情は尚も険しくなってしまった。

「記念って、何の? 何か記念することでもあった?」

 ぐいっと身を寄せるように迫って腕を組む姿は、自分がいけない事をした子供を想像させる。このままでは「軽い気持ちでした」と白状させられてしまう。

「ああぁ…そうだね。そう…んと…タエとの初デートの記念ってのでは?」

 はっきり言って明暗がかなりはっきりと分かれる答えではあった。

 自分に気持ちのある娘になら効果抜群なのだが、そうでない相手には無視されたり流されたりと冷たい態度をされることになる。が、タエは、そのどちらでも無かった。

「ほうぅ。デートなんだ。何時からデートになったんでしょうかねぇ? デートって好き合ってる同士がするんじゃないんですかねぇ?」

 眼を細めて、下から覗き込むように視線を合わせてくる。いつの間にか眼を逸らしていたユウヤの眼前にタエの顔が来て、変に汗が噴出す。

「いや、デートっていうか、今日の記念ってことで良いじゃん」

 このままいくと、どこまでも納得してもらえないようだし、いい加減、面倒臭くなってきたのも確かだ。それに、良く考えれば、こうまで責められるようなことを言ったわけでもないだろう。

「ほうほう、今日の記念なんだ。じゃ、この次に会ったら、ユウちゃんと出会って十四回目の記念だ。その次は十五回目だし。って記念なのかなぁ?」

 小憎たらしい表情ってのは、こういうんだろうとユウヤは思った。

 まるで眼を薄く閉じたようにして、口はワザと尖らせるような突き出し方、おまけに小刻みに首を振る始末だ。

 馬鹿にされているとしか思えない。イラッとしながらも、息をひとつ飲み込んでタエに向き直った。

「君ね。いい加減にしろよ。男からプレゼントされようってんだから、素直に喜びゃぁいいだろ?」

 口調が変になってると思ったが、荒い声にならなかっただけマシだったろう。

「また『君』って言った!!」

 噛み付いてくるのかと思った。勢い付けて迫ってくるように伸びをすると、声まで大きくなるのか、タエの声は店内に響いて注目を集めたようだ。

 が、ユウヤも、ここで天を仰いでゆっくりとタエを見据えた。

「鬱陶しいわ! 呼び名なんかどうでもいいちゅうの!! 女だろ? 少しは素直に人の好意に甘えるとか喜ぶとかしないのかよ!」

 怒鳴るまではいかないまでも、かなり語尾がキツクなっていることは自覚していた。

 一応、他人の眼もある。気にしないなんて出来る筈もなかった。

「今まで、どんな女と付き合ってきたか知らないけど、一緒にされるなんて御免だわ!! 大体、女と見ればプレゼントすれば喜ぶなんて短絡思考、どこで習ったの? 気持ちのこもらない物なんて、それこそ物じゃない!! 値段だけ高い物もらって喜ぶ馬鹿女と一緒にされたくもないわ!! 人を見る眼、無いんじゃないの?」

 タエは、そんな他人の眼など眼中に無いのか、声のボリュームを上げて、ユウヤの胸をドンと軽く押した。

 この行為には、さすがのユウヤも腹立たしく思わずにはいられない。

「お前なぁ…。自分が女の範疇にそぐわないからって、人を否定するんじゃないよ!! いいか、心を込めるとか込めないとかってのは、貰う人間のさじ加減だろうが!! 相手がいくら心込めたって、相手がそれに気付かなきゃ、所詮は物って価値からなんか抜け出さないんだよ!! 自分と相手と相互に思うことなんて、そんな無理なこと望む方が、よほどおかしいぞ!!」

 頭でも付きそうなほどタエに近づいて怒鳴った。既に声の大きさなど気遣ってもいない。

 完全にタエしか視界に入っていなかった。

「おまえって言ったな!? 『君』より酷い!! あんた、どっか考え方、変なんじゃない!? お綺麗に取り繕うとしてるの見え見えなんだから!! そんなんで、人気者だとか言われて、お高く飛んじゃって、まともな気持ち失くしてんじゃないの!?」

「あ、あ、あんただとぅ!? 『あんた』って言うな!!」

「『お前』『君』言うな!!」

「おきゃくさま!!!」

 グッと睨み合ったところで、真横から大声が掛けられた。

 見れば先程、タエを接客していた店員だ。

「す、すみませんが、喧嘩なされるんでしたら、ここでは無い場所でお願いしてもよろしいでしょうか? 他のお客様の迷惑になりますし、何より営業妨害でございます!」

 周りを見渡してみれば、完全に注目の的であるし、小母さん連中は、そそくさと店外に出てしまっている。

 確かに営業を妨害していると思われても仕方ないだろう。

「んんっん。ああぁ、すいません」

「ごめんなさい」

 ユウヤとタエは、それぞれに謝罪の言葉を口にして、小走りで店外に出た。

 そのままエスカレーターまで急ぎ足で移動した。

 肩を並べてエスカレーターで降りながら、ユウヤはタエの様子を横目で窺った。

 先刻までの険しい顔ではなく、ちょっと涼しげな表情にも見える。

「…そういうのって、失礼じゃない?」

 突然にタエが口を開いた。

「え? 何が?」

 言われた意味が理解できなくて、ユウヤは聞いた。

「だから、様子見るみたいに横目で確かめるなんて、失礼じゃないかって。そういうのって、意外に相手に分かるんだから」

 顔だけを向けて少し見上げるような目付きのタエは、怒っている風には見えない。ユウヤとしても、先程までの苛立ちは無いが、なんとなく普通に会話するのも、言い合いをした後としては変なものだと感じた。

「まだ、怒ってるんだろうなと思ってさ」

 とはいえ、タエが普通なのに、こちらが怒っているのも変だろうか? そう思うと、穏やかな声が出た。

「ええ? 怒ってないよ。さっきのでスッキリしちゃった」

 えへへと笑う笑顔は、自然に出たように穏やかだ。つられてユウヤも口元を笑顔に変えた。

「まったく、き…タエには、乱されっぱなしだな。こんなの初めてかもしれない」

 『君』と出そうになったのを鋭く察知してタエの視線が威嚇してきた。言い直せなかったとしたら、数分前の言い合いに逆戻りしたかもしれないと思うと、ちょっと寒くなった。

 タエは、それには答えず、涼しい顔付きでエスカレーターを降りて歩いて行く。

「次は、どこでショッピングですか? お嬢様」

 婦人服売り場を過ぎてしまっている。服、バッグと見て回った後は、何を見て回るつもりなのか。

 前を歩いていたタエが、クルリとこちらを向いて、そのまま後ろ歩きで小首を傾げた。

「別に買いたいものなんて無いよ。見るだけで満足だし」

「はぁ?」

 エヘっと笑う仕草が可愛いのだが、ショッピングしようって言い出したのはタエの方ではなかったか?

「怒って怒鳴ったらお腹減っちゃった。ご飯、食べない?」

 どんなセンサーが付いているものか、タエは器用に後ろ向きのまま歩いても通行人とぶつかることはなかった。大概が、相手から避けてくれているようだが、足並みを見る限り、自分でも避けているようだ。

 が、そんな事を感心に思うよりも、怒鳴ったことでお腹が空いたって事の方が感心してしまいそうだった。

 時間を見れば、何処をうろついていたものか、既に午後六時を回ってしまっている。

 空腹を覚えたとしても、仕方ないのかもしれない。

「何か食べたいものは? ああっ、ひとつだけ注文があるな。『何でもいい』は、無しだ」

 今にも口を開きそうだったタエが、少し眉を上げた。どうやら、その通りの答えを言うつもりだったのか。

 それでも、上を見るような感じで考えた後に、両手を後ろに組んで前屈みになると

「何でも食べられるところ」

と言って来たのにはユウヤも驚いた。

「そんなとこ、あるのか?」

「ないの?」

 ユウヤの問いに無邪気に笑うタエは、どことなく悪戯顔だ。

「わかりました。行きますか」

「やっぱり、あるんだ」

 ユウヤのことを信頼しているのか、それとも思い付きで言っているのか。もしかすると、考えてもいないのかもしれない。

 大きく息を吐いて、ユウヤは思い当たる一軒に向かうことにした。

 考えてみれば、既に永いこと足を向けていない。


 デパートから車で国道を横切り、環状線に乗ってバイパスに出る。そこから大きなパチンコ屋を右折して、細い路地を突き当りまで進む。

 そこに店はあった。

 夕暮れになってしまった街並みは、既に外灯が点き始め、店の看板にもライトが灯っていた。

「レストラン イルマージュ? 洋食なの?」

 車を降りて、タエが看板の文字を声に出した。

 懐かしいという感覚の方がユウヤには大きい。

 この街に食事に来ることも多い。ユウヤの住む街より一廻りは大きいく、選べる店も多いし規模も大きい。繁華街も倍はある。お洒落とは言えないまでも、それに近いものも幾つかあるのだから、女の子を連れ立って来るには最適でもあったのだ。

 しかし、この店を選んだことは、今までに無い。

 一人の時に訪れたのは、思い返しても一年以上の月日だろう。

「何でも屋かな?」

 店構えは洋風な白亜で、中規模な教会を思わせる外観だ。とんがり帽子のような鐘堂も屋根の真ん中に生えてる。

 駐車場は、ほぼ満車。人気のほどは、以前と変わらないのかもしれないと思った。

「ここが何でも屋? うそ〜」

「入るよ」

 ステンドグラスの嵌った扉も、記憶にあるままだった。

 扉を開けてタエを先に入れる。

「…ありがと。でも、気を遣ってほしくないな…」

 呟くようなタエの言葉だったが、ユウヤにしてみれば当たり前のことで、気を遣っている気分など毛頭ない。

 軽く肩を竦めるだけで、返事をすることもなかった。

「いらっしゃいませ。空いてるお席にどうぞ」

 入ったすぐにレジカウンターがあり、そこに一人の女性がタキシードを身に付けてお辞儀をした。

「相変わらず、悪趣味なことしてんな」と思ったが、口に出すことはなかった。

 苦笑いが精一杯だ。

「すんごい格式だね。こんな格好で入っていいの?」

 タエが自分のブラウスの胸元を引っ張って見せる。

 確かに都会のホテルのレストランや高級な店ではラフな服装で入店できない店もある。それを心配しているのだろうが、こんな片田舎の街が、そんなことをしていては経営が成り立つものかどうか。

「店主の趣味だ。気にする必要なんてない。馬鹿だから」

 首をふって呆れ顔をすると、タエも安心したのか、クスリと鼻で笑った。

 グルリと店内を見渡した。八分ほどの入りだろうか。空席の方が少ない。数名いるスタッフらしき制服姿が慌ただしく往行している。

 さてと考えてみたが、空いてるのは中央の六人掛けと厨房近くのカウンター、その傍の二人掛け数席くらいだろう。

 さすがに六人掛けを二人で占領するわけにもいかない。空いている店なら兎も角、こんなに入っているのでは気が引ける。

 ユウヤは、タエを即して二人掛けの席に導いた。一瞬、椅子を引いてあげようかと考えたが、そこまですると自分で考えても嫌味なほどに気を遣っていると思われるだろう。

「そこに座るってことは、俺に顔を合わせたくないって意味か?」

 正に腰掛けようかとしているユウヤの背後から、野太い声が掛けられた。

 振り向いて見れば、白い厨房服に身を包んだ巨漢が立っていた。頭はコック特有の帽子を被り、身長はユウヤより高く、百九十はあるだろう。その身体は丸くなる一歩手前のようで、太っているとは言い難いが、中肉とは言えないほどに肥えている。

 ほぼ無精髭な顔は、四角く厳つい。コックの服装でなければ、格闘家と言った方が似合っていそうだ。

「入り口で、空いてる席にどうぞ、と言われたんだが?」

「そいつは教育不足だったな。悪かった。後でしっかりと教え込んでおくよ。お前の席は、永久予約席で、あそこに確保してある。その両側も同じだ」

 そう言って指差す巨漢は、大仰に笑ってカウンター席を指した。

「いい加減にしろ。あれから何年だよ。お互い、もういい歳なんだから、子供みたいな事すんな」

 シッシと犬でも追い払うような仕草を残して向きを変え、タエに向かい合って座ろうとしたが、すぐさま椅子は引かれて消え去った。

 苦々しい顔で振り返ると、巨漢はタエに視線を移していた。

「珍しく女の子連れか? 尚のことこっちに来い。話くらい聞いてやる」

「どんな話だよ。答える気なんて無いし、この子に失礼だろ」

「そう言うな。久し振りなんだから、積もる話もある」

「こっちには無いよ。第一、何を話す気か知らないけど、こっちは客なんだぜ」

「いいです。そっち、行きます」

 なんとか巨漢を言い包めようとしているところで、後ろからタエの言葉が投げられた。

 驚いて振り返ってみれば、既に椅子を立ち荷物も持ってしまっている。

「お? 彼女の方が話が分かるじゃねぇか。まったく、男の意地っ張りってのも嫌だねぇ」

 天を仰ぎたくなる気分で、ユウヤは大きく溜め息を漏らした。

 結局、タエと並んでユウヤはカウンターの席に腰を落ち着けた。

「ここって……オープンキッチンにも程がありませんか?」

 タエの座っての一声だった。

 普通の人が来店した時に、誰しもが持つ感想といえる。

 カウンターは大きく、二十名以上が座れる大きさだが、その向こう側は、壁すら無く厨房そのものなのだ。店内との仕切りはカウンターだけだ。

 オーブン、冷蔵庫、レンジ、ガス台、シンクに至るまでが丸見えだ。どんな手法で調理されて、どんな味付けをしていて、どんな素材を使っているのかも一目瞭然。食器や鍋などが、綺麗に洗われているのかも確認できる。

 まるで家庭の対面キッチンが大きくなったような印象を受ける。

「俺の趣味だ。客の顔も見えない奥で料理したって、客がどんな顔で食ってるんだかも分からん。不味そうなのか旨そうなのかも見られないってんなら、どんな料理を出したって同じだ」

 カウンターの向こう側で巨漢は胸を張る。タエは「へぇ〜」と感心顔だが、ユウヤの方は呆れ顔で横を向いている。

「メシ喰いに来たんだろ? 何にする?」

 タエの反応に気を良くしたのか、巨漢は笑顔でタエだけに聞いてきた。

「あの…メニューは?」

 当然ながら、未だメニューどころか水すら運ばれていない。何かを注文するにしても、メニューを見なければオーダーは出来ないだろう。

「あ? メニュー? 見るのか? 当たり前のもんしか載ってないぞ」

「ここにメニューを求めても、ハンバーグとかステーキとかミックスフライとかしか載ってない。パスタ、サラダ、魚のソテーくらいだ」

 巨漢とユウヤが、何も知らないタエに異口同音な店のメニューを教えてあげた。

 ユウヤが、それでも手を伸ばして、カウンターの隅に立て掛けられた二つ折りのメニュー

を取ってタエに渡して開いた。

「ホントだ。こんな幅の狭いメニューで、こんなに繁盛してるんですか?」

「元はいっぱいメニューはあったんだ」

 巨漢が苦笑しながら、カウンターの下に手を突っ込んで一冊の本を出してきた。見た眼で数ページはある。

「総勢二百六十三種類。ページにして十五ページに渡るメニューだ」

 ワハハと広げる中身は、パスタだけでも一ページに収まっていなかった。サイドメニューも加われば、それくらいの量になるのかもしれない。

「どうして、それがこんなシンプルになったんです?」

 当然の質問に巨漢は、黙ってユウヤを指差した。

「指を指すな! 失礼な」

 この男は昔から無神経だ。おまけに直ぐに趣味に走りたがる。その結果が分厚いメニューになったしまったはずなのだが、それを自覚する能力があまり発達していない。自分で自分の首を絞めながら、笑って死んで行くタイプなのだと、改めてユウヤは確信した。

「どういうことです?」

 タエが食いついてしまった。身を乗り出すように巨漢に質問した。

「こいつな、ここでバイトしてたことがあってよ。そん時にゃ、この店も閑古鳥でな。それをここまでにしちまったのが、何を隠そう、こいつの知恵と腕ってわけだ」

 まるで自分のことのように巨漢は胸を張った。が、言われたユウヤは頭を抱えて下を向いてしまった。

「ええっ? なんで、なんで?」

 かなりの興味を示し出してタエは、一層身を乗り出した。

「それはな…」

「おいおい! いい加減にしろっての! メシ、食わせる気があるのかよ?」

 詳細を話されるなど真っ平だ。ここでのことは、自分の中でも良い思い出ではあるが、他人に自慢するように話すことでもないと思っている。

「そうだったな。何が喰いたい?」

 完全に忘れていたのだろう。巨漢は大袈裟に両手を叩いて「肉か? パスタか? 魚か? ピッツァか?」と並べ立てる。

「めし!! 任せるから作れよ!」

 話し足り無そうな顔で、巨漢は「う〜む」と腕を組んだが「米だな?」と叫んで、いそいそと料理に取り掛かりだした。

 大きい割りにちょこまかと素早く動くし、手早い。それは今も昔も変わっていないとユウヤは感じていた。

「懐かしそうな眼になってるよ。顔がニヤけてるし」

 いつの間に見詰めていたものか、ユウヤの横でタエは頬杖を付いて笑っていた。

 気恥ずかしさに横を向いて顔を隠したが、今更な感じだろう。

「昔をあたしに知られるのって嫌なんだ?」

 不意に少しトーンの落ちたタエの声がして、慌てて顔を窺った。

 無表情というか、何とも感情の表れの無い顔をしている。それでも、眼だけは僅かに細く「どうして?」という問いが投げ掛けられているのが分かる。

 タエでなければ、話を他に摩り替えて誤魔化していただろうと思った。だが、今日一日がユウヤの中で変な作用をしているのか、そんな気になれない。普段は表面に出ない感情が、今日という日に限って乱出してしまって、正常な日常と食い違ってしまっているせいかも知れないと感じてもいた。

「知られたくないわけじゃない。昔の自分が嫌いなだけで、そんな自分に会いたくないと思ってるだけだ」

 精一杯の表現だろうと思う。言葉にするならば、きっと、こういう風にしか言えないだろうと考えていた。

「昔の自分かぁ。じゃ、今の自分は?」

 視線をずらして、厨房で中華鍋を振り回す巨漢を追うタエを、ユウヤは横目で見ながら少し考えた。

「嫌いじゃない。が、好きでもないかな」

「ふ〜ん」

 関心無さそうな返事に、ユウヤはちょっと安堵した。面白くも無い話を続けられるよりは、無関心にされていた方が気が楽だ。

「あれ? 多恵果たえか?」

 黙ってしまった二人の背中に、明るい女の声が掛けられた。が、ユウヤには、聞き覚えが無いし、多恵果という名前にも覚えが無い。その横で、タエがビクンと反応するのが分かった。

 声の主を振り向いてみた。

 やはりユウヤには、見覚えが無かった。

「やっぱり多恵果だ」

 ニコニコとしながら派手な赤いワンピースの女が立っている。年の頃ならタエと変わらないくらいだろう。髪は長く胸元辺りまでサラサラとしているが、かなり剥きが入っているのか、肩先あたりからスッキリとした感じがある。顔立ちは面長で、眉は少し太いかもしれないが、恐らくは書き足しているのだろう。小鼻がスッと通って、口は薄めで小さい印象だ。

 タエを可愛いと表現するなら、こちらは綺麗といえるだろう。

八重やえちゃん…」

 驚きの表情でタエが振り向いていた。

「偶然だね? あれあれ? もしかしてデートだった?」

 ちらりとユウヤに視線を走らせて、悪戯そうな顔でタエに寄って来る。

「ち、違うよ! 遊びに…行った帰りだし…」

 何だかタエの口調が重そうだった。さすがに、店の客と店外デートですとは言い難いかもしれない。

「初めまして! 多恵果と同じ大学に通ってます『八重樫やえがし』っていいます」

 タエの横に座って、女はユウヤにペコリと頭を下げて名乗った。

 その名前にユウヤは聞き覚えがあった。

「知ってるよ。『シンフォニー』のミユキちゃんだね?」

「あれ? あたしを知ってるってことは、お客さんでしたっけ?」

 大きく眼を見開いて八重樫はユウヤを確かめるように乗り出した。

「い〜や。君のところのママに聞いてる。大学生のバイトを入れたら、お客が増えたってね。かなりの美人だって聞いてたから、そうじゃないかと思ってね」

 優しく微笑んで、少し首を傾ける。こんな感じだったかな? と思いながらの仕草だった。今日のヘンテコな感情の羅列みたいなもので、昨日までの自分の仕草がしっかりと思い出せない。

「うわぉ。いい感じの人。多恵果、紹介してよ」

 その言葉に眼を細めて笑顔を深くする。大概の人は、これで好印象を勝ち取れる自信があった。

「すいません。失礼ですが『大城物産』の来嶋きしま裕也ゆうやさんではないでしょうか?」

 八重樫の方にばかり気を取られて、横に近づいて来た男にユウヤは気付かなかった。

 見ればグレイに黒の縦縞が入ったスーツを着こなした若者が立っていた。歳はユウヤより若い印象がする。茶髪より少し黒い髪を自然に流してウェーブをかけている。大きな瞳が意志のの強さを感じさせ、鼻も高く唇も大きめで創りが濃い。が、輪郭が華奢なのか、ゴツイ印象ではない。

 今風の若者というより、デキルサラリーマンという表現だろうか。

「そうですが…あなたは?」

「失礼。僕は『レッドサークルホテル』グループの北日本支部販売担当の外村そとむらといいます」

 外村と名乗った男は、素早く名刺を取り出すと、ユウヤに手渡して、横に座り込んでしまった。

真人まさとちゃん、この人、知ってるの?」

 タエの向こう側から八重樫が顔を出した。

 それを横目で確かめた時にタエの顔も眼に入った。

 表情を変えなかったことが奇跡だろう。タエの眼が、かなりの怒りを含んでユウヤを見詰めていた。

 驚きよりも恐怖に近い気持ちだったかもしれない。タエの怒りを買うような行為をした結果の表れなのだろうが、ユウヤ自身にまったく身に覚えが無い。

「この辺りの業界では有名人ですよね。大城物産の救世主とも呼ばれるくらいだ」

「うわぉ。エリートさんだ。多恵果、凄い人、捕まえちゃった?」

「エリートだなんて失礼だ。上に『超』が付くね。倒産寸前の会社を再生させたばかりか、本州との大型店と提携して販売拡大した挙句、全国展開にまで持ち込んだ男。数百万程度の売り上げを、二年で億単位にまでしたんだ。伝説にもなろうってもんだ」

「すっご〜い。神? 奇跡の人って感じ?」

 ユウヤとタエのことなど無視して、外側の二人は会話を弾ませているが、ユウヤの視線を受けたタエの眼は、更に怒りの度合いを強めたようで、ユウヤの背中に冷たい汗が流れる。

「す、すみません。こんなナリなんで、名刺を持っていません。ですがレッドサークルは聞き及んでいます」

 変に持ち上げる会話が外野で続けられるのも気持ちの良い物ではない。

 タエの絡みつくような視線を外すのは勇気が要るが、このまま自分の話をされたくもない。顔をゆっくりとずらしながら、最後に視線を外してユウヤは外村に向き直った。

「昨年にかなりの額の外資を注入して生まれ変わったようですね。グループ全体もホテル業だけでなく、販売や観光事業にも参入されている。今年の上半期の決算発表が待たれる期待株の上位でもありますね」

「さすがに良くご存知ですね。僕も外資から派遣されている一人なんですよ。本部からは、きついノルマを課せられてましてね。東北は何とかクリア出来そうなんですが、如何せん、こちらの売り上げが伸び悩んでましてね。僕が直々に采配をしに来たんですが。さすがに苦戦してます」

 自分の会社を褒められたと思ったのか、外村は柔和な表情で話しだした。ユウヤも軽い微笑で答える。

 背後では、タエと八重樫ミユキが、何事かコソコソと密談しているようだが、聞こえてくるほどではない。

「苦戦しているのは、あなたの存在ですよ。来嶋さん」

 その表情を一変させて、外村は真顔でユウヤを軽く指差した。

「地方での信頼関係は、意外に固いものだと聞いてはいたんですがね。あなたの存在が、何処に行っても付いてきます。あなたを知らないと、そこから交渉の話にも持ち込めない。一度、お会いしたかったんですよ。どんな魔法をお使いですか?」

「魔法もなにも、僕にそんな特別なものなんかありませんよ。他人と変わったようなことをしているわけでもありません。普通にしてます」

 窺うような、それでいてどこか挑戦的な眼差しの外村に、ユウヤは本当に穏やかな笑顔で答えた。それが本心なのかと問われれば、首を捻るかもしれないが、そうでは無いとも言えない自分も存在しているのだった。

 ふっと息を短く吐いて、外村は破顔した。屈託の無い笑顔は、この男の残り火のような幼さにも思える。

 ちらりとユウヤの後ろを覗き込んで、そっと顔を寄せてきた。

「実は、来嶋さんを知るために夜の街に通ってまして、それであの娘と知り合いましてね。今日、やっとデートにまで漕ぎ着けたんですが…あのバッグ。高いものに付いちゃいました」

 ちらりとユウヤも視線を投げて見れば、八重樫の肩にはクリーム色の皮のバッグが吊るされている。記憶に薄いが、先程のデパートで見た物の中に、それらしい物があったような、無かったような。

 ユウヤは、フッと口元で笑っただけで答えた。何か言うべきことも思い浮かばない。

「ですけど、つまみ食いする程度の女ですから、一時、高いものに付いたって仕方ないと思ってますけどね」

 この言葉に、ユウヤの眉が僅かに上がった。

 外村の表情は、変わらずにこやかだったが、眼の端にイヤラシイ歪みが見える。

 モヤっとした感情が、ユウヤの中で外村に対して芽生えた瞬間でもあった。

 そんなユウヤの変化を見逃さず、外村はニヤリと口元まで歪ませた。

「そりゃぁ、そうでしょう。所詮は、水商売を仕事に選んでしまうような女ですからね。これが官僚や政治家の娘だっていうなら別でしょうが、真剣に付き合う価値のある女とは、さすがに言えないでしょう。これくらいの付き合い方が妥当だと思いますよね」

 同意を求めるような語尾に、ユウヤは何も答えなかった。軽く笑って流すような態度が精一杯の対応だった。

「今日、決めて、具合が良ければ、その後も考えますけどね」

 ヒヒヒと笑う外村を、溜め息混じりの笑顔で受けた。

 小声の外村の声が、後ろの二人に聞こえていないとは思うが、首を僅かに向けて窺ってみた。

 未だにヒソヒソと密談中らしい。

「聞こえませんよ。来嶋さんだって、ミユキと友達ってことは、そういう仕事してる彼女なんでしょう? あなただって、そう思うでしょう? 遊びには使えても、公式な場に連れて行ける女じゃありませんからね。今時、銀座の女も質が落ちて、連れて歩けるレベルじゃなくなってますしね。こんな素人みたいな女で遊ぶのも悪くない気がしますよね?」

 静かに笑うユウヤだったが、心の中では「この男は、何故にこんなに同意を求めるのか?」と疑問に思っていた。

 若いそうに見えるのに『銀座の女』と言うところをみれば、それなりに高級なところも知っていそうな雰囲気だが、自分の考えに同意してもらって正当化したいとでも考えているのだろうか。

「お待ちどうさん! 餡かけチャーハン、冷静パスタサラダ、エビワンタンのトマトスープだ!!」

 突然、カウンターの向こうから大声と共に、幾つかの食器が眼の前に並べられた。

 振り仰いで見れば、巨漢が仁王立ちして笑っていた。

 そういえば、食事の前だったことを思い出した。

「真人ちゃん。食事の邪魔しちゃ悪いから、もう、行こう」

 八重樫が、ストンと椅子から飛び降りて外村の腕を引いた。

「わ、わかったよ。それじゃ、来嶋さん。また、お会いしましょう」

「……ええ。そうですね……」

 一応、笑顔で答えたものの、どこか自分でもぎこちない感じだったと思う。

 少し不信顔のまま、外村は「早く、早く」と引きずられて出口へと向かった。

 一旦は背を向けて、目の前に置かれた湯気の立つ食器類を眺めたが、ふとタエを見た。

 先程のような恐い眼つきではない。何やら心配顔のように見える。眉が八の字に寄って、困った顔にも見える。

 何だか悪戯したくなって、ユウヤはタエの眉間の辺りに人差し指を当てて、上に押し上げた。

「困った顔」

 驚いたように眼を見開いて、タエが身を引いた。その表情と仕草が、とても可笑しくて笑いが毀れた。

「ちょ、ちょっと!」

 文句を言いたげに前に出ようとするタエから視線を外して、既に出口付近に歩いて行く外村を振り返った。

「外村さん!」

 ユウヤの声に、外村は足を止めて振り返った。笑顔混じりの「ン?」って顔が、無邪気そうだ。

「あなたに言いたいことが、ひとつありました」

「なんです?」

 ほぼ、店の端と中央だ。自然と声を大きくしなければ、他の客や雑音で聞き取りにくい。

「僕は、あなたが嫌いです」

 それだけを言って、満面の笑顔を作った。

 言われた外村は、唖然としたような表情だ。店内の音も、その瞬間に途絶えたかのように静かになってしまった。

 大声で他人を『嫌い』と公言する人間を、誰しもが注目したのかもしれない。

 一瞬の後、外村は憮然とした表情に一変すると、周りを鋭い目つきで一瞥して、未だに隣で大きく口を開けて驚いている八重樫を引っ張って出口をくぐって行った。

 その背中を見送ってから、ユウヤはカウンターに向き直ってタエを見た。

 どんな表情なのかと期待していたが、カウンターに肘を付いて顔を乗せ、口元をアヒルのように尖らせながら目元を笑いにしているという、ちょっと感情を読めない顔付きだ。

 一瞬の静寂も、過ぎてしまえば過去なのか、既に店内は変わらない音と声がざわついている。

「……なんだ?」

 つい、気になって聞いてしまった。

「いえ、いえ」

 表情も姿勢も変えず、タエは首だけを軽く振って言った。

「いえ、いえ」

 カウンターの向こうからも同じ言葉が野太い声でした。

 思い切り溜め息を吐いて、ユウヤは傍らに置かれたレンゲを手に取った。

「喰うぞ!!」




           つづく


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