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ユウヤ 第一夜 4

どうにもペースが上がりません。

予定より「一夜」が長くなり過ぎてます。


もしかすると次回から、もっと長い文面になる可能性が否定できません。


お付き合い出来る方がいらっしゃれば幸いなんですが(泣)


 千佳子の店では、それ以上を千佳子と話すことなく、食事の余韻に浸りながら熱いコーヒーを飲んだ。

 千佳子の旦那が顔を見せるかと思ったが、そんなことも無く、料理のアドバイスを受けた千佳子も

「忘れない内にメモって試してみるわ」

と言い残して、奥に引っ込んでしまって影も見せない。

 タエと話すしかないのだが、先程までの変な雰囲気の残り香のせいで、なんとなくだが会話を弾ませることが出来ない。

 どうでも良い様な話しを、まるで羅列するかのように、ぽつりぽつりと言い合う程度だ。

 それに食事を済ませてから、いつまでも余韻に浸っているのも妙な話だ。

 すでに食後のコーヒーはカップの中に無い。二杯、三杯というわけにもいくまい。

「そろそろ、出ようか?」

 時計の針は、既に午後一時を回って、長針が真下に近い。一時間以上、昼食に費やしたことになる。

 ユウヤの問い掛けに、ちょっと手持ち無沙汰になっていたのか、タエは窓外に視線を向けていた顔を戻して、小首を傾げて小さく頷いた。

 その表情に険悪な雰囲気は無いが、時折、見せるタエの鋭い視線をユウヤは思い出して、僅かに肩を竦めた。

「千佳子。お愛想、お願い。美味しかったよん」

 席を立って財布を取り出しながら、カウンターに歩いた。そこにレジがあったからだ。

「ほ〜い。二人で二千円でございます〜」

 奥から走って来ながら千佳子が応対した。

「おいおい。走るんじゃないよ。大事な身体だろうが。気を付けろよ」

「大丈夫、大丈夫。ちょっとくらい身体、動かさないと余計に辛いんだって」

 まるで何処かのおばさんのように片手を振る千佳子に苦笑しながら、ユウヤは二つ折りの財布から札を出した。

「あっ、待って下さい。あたし、出します。さっき、入場料も払ってないし」

 その背中にタエが、突進して来る様に…いや、事実、突進してきて身体ごとぶつかって来た。

 ユウヤの身体がカウンターに張り付くような感じになったが、さほど痛みはない。が、驚いたことに変わりは無い。

「とととっ。びっくり〜」

「ごめんなさい。前、見てなかった」

 えへっと小さく舌を出すタエに、瞬間、見惚れた。自分の眼が大きく開かれて、その後にホッとにやける表情になるのが自覚できた。

 ハッと我に返って、千佳子に視線を飛ばす。と、両腕を組んで見下ろすような態度だ。

 いかん、誤解されたか? と思ってみても、それを口に出してしまうと、結局は言い訳がましく聞こえるに違いない。

 ユウヤは、眼だけを天井に向けて、肩を落とすしかなかった。

「いいよ。食事くらいおごらせてくれ。誘ったは、俺なんだから」

 半分くらいは力の抜けた声だったろう。千佳子の視線が痛いが、何も言うつもりも無い。

「いいえ。連れて来てもらってるんですから、食事くらい出させてください」

 背中から左横に移ってタエは財布を片手に、グイっと身体を押し付けて前に出ようとする。

 ふわっとする甘い香りが、何処ということもなく、タエの身体から感じられて、ユウヤは息を詰めた。

「……。近い近い!」

 クラっと眩暈がしそうな感覚に、ボウっとする頭が反応するまで、一秒と無かったろうと思うのだが、ユウヤには数分に感じて、焦ってタエの頭を上から右手で鷲掴むと、自分の身体から遠避けた。

「痛い!痛い! ヒドイ!!」

 ラップか? と突っ込みを入れようかと瞬間、掠めたが止めた。気分じゃない。

「今日は、いいよ。今度、おごってくれ」

 頭を押さえながら恨めしげに睨んでいるタエを、苦笑しながら言った。何だか旨く笑えない。

「いいえ! 出します。これくらい、いいじゃないですか〜」

 自分の頭をなでなでしながら、語尾を延ばして不機嫌そうな声を出すタエは、本気で怒っているわけではないのだろうが、頭を掴まれたことには、腹立たしく思っているのだろう。

「おじょうさん」

 どうしようかと二度目の天井を仰いだ時、千佳子がカウンターに頬杖を付いてタエに話しかけた。

「男ってね、変なプライドってのがあんのよ。んで、年上の男って、それが一層、高いわけよ。あなたの気持ちは痛いほど解るんだけどね。そのプライドを守ってやるってのも大事なんよ。だから、二度、断られたら、三度目は、引き下がって嬉しい顔してあげるってのも、これまた、大事な女の務めでもあんのよ」

 少し気ダルそうな感じの千佳子の声だけれど、ユウヤはうんうんと頷きながら肯定してやった。まぁ、夜の女が使う正論なのだが。

 タエは、その言葉に「え?」とか「そんな」とかいう反応はしたが、少し考えるように俯いて

「…わかりました。じゃあ、今度、食事した時は、絶対にあたしが払います!」

と、最後の「払います」は、ほとんど力説しているように力強かった。が、

「あたしゃ、お化けと『今度』ってのには、会ったこと無いけどね」

という千佳子の言葉が水を差した。

「馬鹿なこと言ってないで、さっさと会計しろっての。ご馳走様でした」

「そんな〜」という呟きがタエの口から聞こえたが、千佳子の意地悪な発言を真に受けてるかどうか。

 とにかく、ユウヤは千佳子にお札を押し付けて、怒った表情を見せた。

 年下をからかうのは、別に怒る事ではないのだが、タエをからかうのは、少し腹が立つ。

「はいはい。お粗末様でした。近くに来たら、また寄ってよ。違うメニューもアドバイスして欲しいし」

「俺は評論家じゃないし、料理家でもないっちゅうの。自分達の料理は、自分達で完成させろよ」

「あ〜ら、冷たいお言葉。そんなんじゃ、モテないよ〜」

 千佳子が軽くタエの事を指差して笑った。結構、自然な笑顔に、内心、ユウヤは驚いたが、それでもタエに気付かれたのではないかと、その手をサッと押さえた。

 横目でタエを確認してみたが、ブツブツと文句を言いながら財布を鞄にしまい込むところで、どうやら一連のことには気付いていないようだった。

 今一度、千佳子に歯を剥いて睨みを効かせてから、ユウヤは背を向けてドアへと向かった。

 その背に

「ありがとうございました」

と千佳子が声を掛けた。左手を軽く上げただけで答えて、振り向くことなどしなかった。

 ガラス戸を眼の間にした時に、違和感があった。

 後ろに人の気配が無い。

 振り返ってみれば、タエの姿はユウヤを追って来ていなかった。それどころか、千佳子の傍に居て、頭を付けるようにコソコソと話し込んでいるように見える。

「ど、どうしたの?」

 声を掛けて、取って返そうとした時に、思いも寄らない言葉が返ってきた。

「ああ〜、ちょっと来ないで下さい。外で待っていてくれます? すぐに行きますから」

 大仰に両手を突き出して拒絶するタエに、ユウヤはどうしたものかと迷いはしたが、まさか無視して近寄るということも出来ない。

 千佳子と何の話をしているのか、興味というより心配が大きいが、外で待てというのを素直に承諾するのも気分が悪い。悪いのだが、ユウヤは素直に店を出て、車のドアを開けてエンジンを始動させて、エアコンを調節しながら待つことにした。

 店を出る寸前に、両肩を落として芝居がかったように大きく溜め息を吐くことは忘れなかった。ちょっとした、嫌味のつもりだったのだが、果たしてタエに理解してもらえているかは妖しいものだろう。

 カーステレオに手を伸ばしてスイッチを入れた。

 朝のタエが現われるまで聞いていた音楽のサビ部分が流れ出した。

 気分的には、そう悪いことはない。強いて言うなれば、良いになるんだろうとユウヤは再確認していた。

 ただ、変な疲労感が両肩辺りに乗っているようで、グッタリとシートに沈んだ。出来ることなら、シートも倒してしまいたかったが、眠る気にはなれる筈も無い。

 タエが、何時、戻るとも知れないのだ。

 今日、一日。いや、まだ昼時を過ぎたばかりだから、正確には半日と少しだろうか。ユウヤの心境は、変に高揚していたと言って良いかも知れない。

 その自覚もきちんと認識している。その原因も明らかだ。

 しかし、その起因が定かじゃない。

 原因は、タエの存在に他ならない。ユウヤの誘いに乗って、朝、現われたことに驚き、気さくに話しが出来るようになったかと思えば、ちょっとよそよそしくなってみたり。かと思えば、神妙な顔付きで人間学や自然愛護を語ってみたり。そうかと思えば、先刻のように不機嫌な顔付きで睨みを効かせてみたりと、数時間、数分でコロコロ変わるタエに翻弄されているような感じだ。

 これがジェネレーション・ギャップとかいうものかと納得しようかと考えてもみたが、それがあまりショックでもなく、不思議なことに楽しんでいる自分も確かに存在しているのだった。

 タエの影響……。

 そんなことを考えてしまっていた。

 普段の自分であるのなら、飲み屋の女の子とデートしたところで、さほどペースを乱されるようなことなどない。クールで大人なスマートさでエスコートしながら、夜を待って襲い掛かる……なんてことは、あまりしたことが無いが、少なくとも迷ったり失言したりなんてことは有り得ない。

 気を付けているというより、既に自分の中にマニュアルがあるようなもので、その都度、それに合った引き出しから、対応する言葉や仕草が自然と出てくるのだ。まぁ、多分に自分の理想像が入ってしまっているが、それに文句や注文を付けられた経験も無かったことから、それほど間違ったことをしているわけも無いと結論付けてきたのだった。

 それが今日という日に限って、あちらこちらにホコロビが目立つ。

 始まりからそうだった。

 息を弾ませながら現われたタエに驚き、そればかりか見惚れて気の利いたセリフひとつ言えなかった。挙句に『びっくりして…』などと本音を言う始末。

 それだけじゃない。タワーに着いてからの行動も変だ。いつもならば、あそこまで必要に人混みから庇うような真似はしないだろう。というのも、腕を組んで隣に置いておけば、それほど苦労せずに人混みからは守ってあげられる。ミエミエのカップルに身体を寄せてくる他人は、そうはいないものだからだ。

 まだある。タワーでのアザラシ事件。もう、ユウヤの中では事件と銘打っても良い位だ。女の子を連れていながら、あんな態度に出すようなことは記憶に無い。見かけたとしても無視して歩み去るのがいつものことだ。何故に今日に限って、あそこまで気分が悪くなったのだろうか? 考えても答えなど出ない。

 最終的なミスは、この店だ。

 ここを聞いていたことは確かだが、何も今日という日を選んで、それもタエを伴って来ることは無かった。自然と、疑問も持たずに足が向いたという他に言い訳が無い。といっても、自分に向けての言い訳なのだから、最初から無意味なのだが。

「だぁあああぁぁぁ!!」

 左手で自分の髪を掻き回して大声を出してみたものの、そんなことで気分はスッキリすることはない。

 タエという存在が、変に自分の中の理想像を突き崩そうとしている。

 そう考え始めて、ユウヤは軽く眼を閉じた。

 これは、今まで考えないようにしてきたことに直結する疑問ではないだろうか? 違和感のように心の底の方で燻っていて、あるキーワードをはめ込むと、途端に浮き上がってしまい、もう二度と引き返せない結論に行き着いてしまうという危ない方程式ではないだろうか?

 ふっと短い息を吐いて、ユウヤは眼を開けてシートから身体を起こした。

 これ以上の考えは、きっと危険な領域に違いないと判断して。



 タエが店を出てきたのは、時間にして三十分くらいしてからだろうか。

 ユウヤはその間、車の外に出てタイヤをチェックしたり窓を拭いたり、それでも時間を持て余して体操染みたことをしたり空手の型の真似事をしたりと、変に考える事を避けた。

 後ろ回し蹴りを左右連携でクルクル廻っているところにタエがガラス戸を押し開けて出てきた。

 ちょっと驚いたような表情だったが、馬鹿にしたような目付きはせずに、小首を傾げてクスリと笑って見せた。

 そのまま足早に車まで来ると

「行きましょう。何処、行きます?」

と言って、さっさと助手席に乗り込んでしまった。

 ユウヤには複雑な心境ではあった。千佳子と何を話して来たのか? 千佳子を信用していないわけではないが、ユウヤのことを少々、買被ったように見ている節がある。まさか昔のことを告げ口するような女ではないが、そこはかとない不安は拭えない。

 チラリと店の入り口を覗き見れば、千佳子がベーっと舌を出しているところだった。ユウヤに向けてのものに違いない。

 ユウヤは、あからさまにムッとした顔を作って車に乗り込んで発進させた。それでもミラー越しの千佳子に、軽く手を上げるくらいはしてやったのだが。

「さて、何処、行きましょうか?」

 走り出してタエが乗り込む前に言った言葉を繰り返した。

「え? これから? まだ、行きたいところがあるの?」

 これは自分のマニュアルにある返答だ。返ってくる言葉も『まだ時間、早いでしょ?』とか『どこか連れてって』とかが大概である。

「行きたいところは、もう無いです。でも、ユウちゃんが行きたいところがあるかな?って」

「ホテル」と普段のユウヤなら口にしたところだろう。その返事も予想出来る。『やだぁ、エッチ』とか『まだ昼間だよ』とかだ。

 が、それを口に出すことが、何故かためらわれた。

 タエの表情が何処と無く暗い感じに見える。それを悟られまいと明るくしているようだが、ふっと黙る表情に陰が映り込む様な感じで視線が落ちる。それに、一度もユウヤのことを見ようとしない。

「………。帰ろう。君もレポート仕上げなくちゃならないんだろ? それに寝不足なんだから、少し休んでレポートに向かった方が身の為なんじゃないか?」

「………」

 タエからの返事は無かった。

 横目で確かめると、窓外に視線を向けているが、何処を見ているようでもない。ただ、ぼうっと流れる風景に視線を飛ばしているだけに見える。

 何か考え事をしているようだ。

 その邪魔をしないように、ユウヤも黙ったままに運転を続けた。勿論、帰路に向かって。

 市街地を出るまでは、何度か信号待ちで止まったりしたものの、街並みを過ぎてしまえば左右は畑地や牧草地帯の田舎だ。見るものもそう在るものでもない。放牧された牛や馬など見ても仕方ないし、彼方の山々を見たところで変わり映えしない景色が連綿と続くばかりだ。

 二十分も過ぎた頃。ユウヤは、何も話すことの無いタエを、僅かに顔を向けて見た。

 気配では固まったように窓外を眺めているようだったが、いつの間にか眠ってしまったのだろう。窓に寄り掛かるようにして軽い寝息をたてていた。

 自然とユウヤの表情に笑みがこぼれた。

 無邪気な寝顔というには、タエは既に立派な大人だ。子供のようには見えないし、かといって魅惑の寝顔という表現も変だろう。強いて言えば無防備な寝顔だろうか。

 寝顔を表現するってのは、案外に難しいと、ユウヤはタエを見詰めながら思った。

 途端に運転が疎かになっていることを思い出し、慌てて前を向いた。中央線を跨ぐ直前だ。

 こんな感じで不注意な事故が起きるんだなと苦笑しながらも、度々、タエの寝顔を見ることは止めなかった。

 レポートを今朝までやっていたという話しだし、走って来たりはしゃいだり。昼食を食べた後とあっては、腹が膨れたついでに走る車の振動に会っては眠るなという方が間違っているだろう。

 出来るだけ優しい運転を心がけながら、タエの安眠を阻害しないように注意した。カーステレオも切って、静かな空間と振動を送ることが、ユウヤの出来得ることだったろう。

 速度も落としての走行は、ユウヤに運転の時間的延長を余儀なくされる。それでも、タエの寝顔を見れることを思えば、少しでも永くこの時間が続けば良いと感じてしまう。

 一時間以上をかけて走った車は、それでも見慣れた風景に差し掛かる。

 いつも思うことだが、自分の街に帰るということは、こんなにも安心感に繋がるものなのだ。街のほとんどの人達など顔見知りともいえない他人だ。けれど、確かにユウヤのことを知っていて、気さくに声を掛けてくれる人が少ないながら存在する街。その人達の許に戻れることが、いつも嬉しく安堵の気持ちにさせてくれる。

 それが油断だったとは言わない。いつものことだし、それほど油断して運転していたわけでもない。

 ユウヤの街に入るには、大きな川を越えなければならず、必然的に橋を渡るのだが、その橋脚の継ぎ目が、手抜き工事とは言いたくないのだが、段差が大きい。見た目はそれほどのものでは無いのだが、車のタイヤが踏みつけると相当なショックとなって車内の人間を翻弄してくれる。

 だからスピードを落とし、尚且つ中央線ギリギリを走るようにしなければならない。

 分かっていたいた事なのに、つい欲望に負けてタエの顔を覗き込んだ瞬間に、それが訪れてしまった。

 緩めていないスピードは容赦なく車体ごと人間をも浮かせて、間髪入れずに重力の許へと引き込んだ。つまりは、物凄い跳ね方をしたわけだ。

 ユウヤですら軽く頭が天井に触ったような感じがあった。その横で眠るタエには、抗う術さえ無い。

 咄嗟に手で右肩を押さえて跳ねることはなかった。が、タエの無防備な安眠は、そこで終わってしまった。

 完全な熟睡だったんだろう。充血した眼を見開いて驚いた表情で辺りを見渡して、最終的にユウヤの方を見た。

「…もしかして、あたし、寝てました?」

 起こし方としては最低の部類なのだが、タエの反応からして、何事が起こった事すら理解していないんだろう。

「ちょっとね。ごめん。起こしちゃったね」

 苦笑いになったとしても仕方なかったろう。押さえた手は、タエが眼を開けた瞬間に放していた。気付かれたとは思われ難いはずだ。

「ああぁあ!」

 タエの大きな叫びに、ユウヤが今度は無防備に驚いた。ハンドルを取り損なうことは無かったが、ビクンと身体が跳ねた。

「な、なに? どうかした?」

 横目でチラチラとタエを見る。信号が近いし、街に近いこともあって車の数も多くなってきている。もうすぐで二車線の道路と合流もする。油断してるとすぐに事故に直結しかねない。

「もう地元じゃないですか!? 帰って来ちゃったんですか?」

 がっくりと首を折りたい心境になっても仕方なかったろう。

 ユウヤは、車を出す時点で『帰ろう』と宣言していたはずだ。こんなことを言うということは、少なからずあの時の言葉はユウヤの独り言だったことになる。まぁ、返事が返って来なかったことを考えれば、その通りなのかもしれないが。

「君、レポート、途中だって言ってたろ? 明日までに仕上げなきゃならないんじゃないの? それに、今朝方まで徹夜でやってたんなら、少し寝てレポートに向かう方が利巧じゃないですかって言わなかったかな?」

 一時間と少しで同じセリフを言うことになろうとは、ユウヤ自身、デジャヴなのだが、あえてそのことを言うつもりもない。

「ああ…考え事してて、つい眠っちゃったんだ。何してんだろ?」

 自問自答というより独り言だったんだろう。それに返事を返すほどユウヤは野暮じゃない。

 一度、空を仰ぐような素振りをして、タエはユウヤに向き直った。

「まだ、日は高いですよ。帰るには早いです。ショッピングしましょう。ってか、付き合って下さい」

 まぁ、妥当な我侭ぶりだろうな。そう、ユウヤは思った。

 今までも店外デートした女の子で車中で眠った娘は少なくない。そんな娘達が揃って言うことは、大概がそれに似たようなことだ。

「もちろん、よろしいですよ。お嬢様。何処にお連れしましょう?」

 芝居がかったセリフも引き出しの中にあるものだ。『やだぁ』とか『苦しゅうない』とかいう返事も着いてくる。

「ユウちゃん。あたしのこと『君』って言いました?」

「は?」

 予想していた答えと違うどころか、言ったユウヤですら忘れて置き去りになっていた呼び名に対する質問。ユウヤの思考が白くなる。

「今更なんですけど『君』って呼ばれたくないです。それに夜に会ってる時は『タエちゃん』って言ってるのに、どうして昼間だと『君』になるんですか? あっ、そこ、右です」

「え? 右? ここ? ってか、『君』って、そんなに気になる事なの?」

 言われた通りに右にハンドルを切って、タエに視線を飛ばす。ちょっとムクれたような、考えているような仕草が可愛く映る。

「『君』って特定の、個人を指す名前じゃ無いじゃないですか。あたしには『タエ』って名前があって、『君』っていう不特定多数の呼び名は、名前を知らない人に使うべきじゃないですか? あっ、そこ、右です」

「右ね。って、それって、重要なこと? 主観的なものが介在するんだから、それって個人の意思に左右されることだよね?」

 そう言いながらユウヤの頭は混乱していた。そもそも、そんな話をしていたわけではないし、そんな論議の引き出しなど有りはしない。素の自分が出そうで、何だか違和感がある。

「呼ばれる相手が居るんですから、個人のってわけにはいきませんよ。呼ばれた相手が不快に思う呼び名ってあだ名と一緒で、嫌な気持ちになるものも有りますもん。そこ、左です」

 言われてみれば、そうかもしれない。学生だった遠い昔、不本意なあだ名で呼ばれたことが一年ほどあった。その時は、あだ名を付けた人物を恨みに思ったりもしたことがあった。

「左っと。じゃぁ、何て呼べば良いのかな?」

「シンプルに『タエ』で良いです。友達もみんな、そう呼びますし」

「じゃ、タエちゃんかな?」

「ええ!? 『ちゃん』ですか? 子供みたいです」

「んじゃ、タエさん?」

「『さん』って歳でもないですけど」

「韓国みたいに、タエ氏かい?」

「馬鹿にしてます?」

 鋭い視線が、見なくてもユウヤの左頬に刺さる。存在感が有るのか、それともユウヤの気持ちがタエに集中しているのか。

 それでも、少し和んだ気持ちに余裕が出来てきた。引き出しを探るくらいの余裕。

「呼び名で関係が決まるわけじゃないでしょ? 大事に思う事で『君』って呼ぶこともあると思わない?」

 んん〜、大人な意見。と自己満足してみたが、ちらりと見たタエの表情は、裏腹の怒りに満ちた眉間の皺に表れていた。

 瞬時に読み違えたと知れる。

「千佳子さんは『千佳子』って呼び捨てで、あたしには『君』って格差があるから、あたしの方が上級なんだって…まさか、言うつもりなんですか?」

 何の怒りなんだかわけが分からない。恋人宣言でもした彼女であるとするなら、至極、尤もな御意見なのだろうが、タエの立場でそんなことに不平を言われる覚えなどまったく無い。無いのだが、読み違えたとも言えない反応が返ってきてしまっては、またまた、ユウヤの頭は白くなっていくばかりだった。

「ああぁ、なんというか……そうだな…えっと、千佳子と君は、違う人であってね。それを比較されても、その対象ってのは……なんていうか、同じなんだけれど、違うっていうか…」

 まるで言葉が繋がらない。言い訳をしようにも、する理由もないのだが、タエの怒りに押されてしまって、なんだか自分が悪いようにも思える。

 その時になって、運転する車が郊外に向かっていることに、やっと気付いた。

 どうやら計られたようだった。

「……タエ〜。計ったな。こいつは、隣町に続く国道じゃねぇか」

「はっはぁ。やっと気付きましたね。引き返すのなんて無しですよ。それに、やっと『タエ』って呼んでくれましたね」

 言葉の後にハートマークが浮かんでいそうなほど、満点の笑みでユウヤを見るタエを、ユウヤ自身、憎からず思うのだが、もっと深い場所で重い気持ちが増えてもいた。

 それでもタエのここまでの話が、ユウヤの気を逸らすものであったことを思えば、再び引き出しを開けることも可能になる。無意味に本心から言い出したものなら、答える側にも誠意が必要だが、そうでは無かったことになるというものだ。

「引き返さないけど、こっちの要求も呑んでもらおうか」

「何です?」

「です、ます調の言葉は止めようや。年上ですって思い知らされる」

 別にそんなことを真剣に思ってるわけではない。ただ、人間は面白いもので、言葉使いに気をつけていると、中々に本音を口にすることが無い。言いたくても言葉を飲み込んでしまうことの方が多くなる。

 タメ口になると、意外と軽口も叩けるようになって、ポロリと本音が転がり出ることもあるのだ。

「んん〜」

 難しい顔をして上を仰ぐタエは、真剣に考えているかも妖しい。フリだけって感じがミエミエだ。

「いいよ。ユウちゃんも、ちゃんと『タエ』って呼んでよね」

「はいはい」

「『はい』は一回! って言われなかった?」

 爆笑。

 しても仕方ないと思える。クールで大人な対応を心掛ける者なら、絶対にしない行為だろうが、何故か笑えてしまう。

 今までに一度だって、こんな馬鹿笑いを女の子の前でしたことなど無かった。

 タエの影響……。

 そんなものを、再び感じる思いに、ユウヤは楽しいと思いながらも不安な気持ちが隅に陰を落としている気がした。




             つづく




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