タエ 第二夜 5
バタバタとした上半期です。
仕事にプライベートに翻弄されているんですねぇ。
やっと、これから事態が動き始めるっていう大事なストーリー展開が、現実の自分に跳ね返っているようで(泣)
ともあれ、ちょっとづつですが、進んでいきますんで、見捨てない方は読んでやって下さいまし。
タエ 二夜 5 であります。
深夜の2時を回る頃、マスターが帰宅通告をしてきた。
今日はバイトの日ではないものの、途中から仕事に就いたも同然のような状態であった。と、するならば、結局定時で帰ることにも、釈然とはしないが意味があると言っていいのだろう。
苅野と名乗った長身の客も、タエが帰り支度を始めると、会計を済ませてそそくさと店を後にしてしまった。
一瞬『店の前で待たれていたらどうしよう?』と考えたが、八重樫や福江も一緒なのだからと思い直した。
馴染みの客達に挨拶した後、店から地上に出る階段を登りながら、ちょっと憂鬱な気分だったが、通りに出ても苅野の姿は無く、ホッと息を吐いたところで八重樫が傍に寄って来た。
「あの客、ちょっと癖があるみたいね」
「八重ちゃん! 見てたの?」
「癖ってぇ、言うよりぃ、なんかぁ、暗い感じぃ」
「福ちゃんまで!?」
タエを挟むように両腕を取って歩き出す二人は、酔いが廻っているのかまともに真っ直ぐに歩いてはいないが、思考能力までに酔ってはいないようだ。
「多恵果、JIPPO使ってたでしょ? あの音でみんな気が付いてた。ユウヤって人のだって。んで、ちょっと、気になって観察を」
「観察って…騒いでたようにしか見えなかったけど?」
「自分がぁ、会話してると他はぁ、見えなくなってたりしないぃ?」
「福ちゃんも!? まったく、油断も隙もあったもんじゃないわね。でも、それほど癖がある人には思えなかったよ。ちょっと、変な違和感みたいな感じがしたけど、初めての人ってそんな感じじゃない?」
既にタクシーくらいしか走っていない通りを、車道一杯にジグザグとしながら歩く三人は、運転手からしてみれば迷惑極まりないのだが、その辺は深夜の無礼講である。無闇にクラクションを鳴らしてくるような真似などしないし、窓を開けて声を掛けて来る運転手さえいる。
手を振ったり、挨拶を交わしたりする程度で、三人は歩き続けた。
「多恵果って、結構、お人好しな部分あるじゃん。素直って言えば長所なんだろうけど、無条件に信じちゃうのは、どっちかって言うと短所に近くない?」
寄り掛かるというより、しがみ付くように腕に絡まる八重樫を、タエは少し抱えるようにして自分の身に寄せた。
「お客さんを最初から疑ったら、それこそ何処までも疑っちゃうでしょ? 気を許せる程度なら、それはそれで良いんじゃない? 長く顔会わすようになってから、下心が見えてからだって警戒するのは遅くないんじゃない?」
「タエちゃんの場合ぃ、きっとぉ、押し切られてぇ、断れなくなってぇ、そのままぁ、ズルズルなんてことになりそぉ」
隣でクスクスと首を竦めて笑う福江に、キッと目線を飛ばしたものの、はっきりと『そんなことなど無い!!』と断言出来ないのは、タエ自身にもそうならない自信が無いからだ。
「あんっ。多恵果? あんた、ユウヤさんに連絡したの? 時間置くと言い難くなるんじゃないの?」
タエの腰にぶら下がるような感じになっているくせに、頭はまともに働くのか、八重樫が見上げるように言ってきた。
完全に眼は酔った感じに見える。
ずり落ちそうになるのを手で引き上げながら、タエは素早く八重樫の腰を抱いた。
「…まだ…って言うか、ユウちゃんだって確証も無いんだから…」
「あ〜に言ってのよ。確証なんて警察じゃないんだから、そんなの無視無視。状況証拠だけで十分でしょうよ。あたしも、もう一回会いたいんだから、電話しなさいよ!」
どんな理屈なんだと言いたいが、酔っ払いの理屈に正当性を求めても意味は無い。
「八重ちゃんになんか会わせないよ! どうせ、変なこと考えてるんだろうし!」
言うつもりも無かった言葉が口を吐く。
どうやらタエ自身も、相当な酔いになっているのかもしれない。
「あん? 変なことって何よ? 多恵果、あんたってホント、いやらしいわね。あたし、そこまで考えてないですけど」
墓穴というには、これほど似合うことも無いだろう。
天を仰いでみたところで、八重樫のニヤ付いた眼は変わらなかった。
「大体、こんな時間に電話するってのも常識外れでしょ? 日を改めるってことも有りだと思うけど?」
確かに、酔っているとはいえ、時刻は既に午前を廻ってしまっている。
通常の常識的感覚からしてみれば、こんな時間に電話をすることなど有り得ない。
「あに言ってんのよ! 携帯貸しなさい! こんな時間に寝てるなんて小学生か老人位のものよ」
強引にポケットやバッグを探る八重樫を押さえながら、タエは福江にもたれかかるような体勢になった。
福江に悪いかな? とも思ったが、福江の行動は、タエの想像を超えたものだった。
油断したというより、友人に警戒はしまい。
福江はタエを後ろから羽交い絞めにして、八重樫の蹂躙を手助けしているような行動だ。
「ちょ、ちょっと、福ちゃん? まさか、福ちゃんまで加勢しないよね?」
ジーパンのポケットから携帯を八重樫に取り出されながら言ったものの、この体勢では疑問符を訴えるタエの方が野暮というものだろう。
「タエちゃんはぁ、往生際が悪いのだぁ」
「そ、そんな! 何、言ってんの? 二人ともぉ!!」
身体を捻って抵抗したものの、酔いの廻った身体では、身体をくねらせたようなもので、さほどの抵抗にはならなかった。
「奪取! ええ〜と『キジマ』だから『キ』か?」
取り上げたタエの携帯を悠然と操作しながら八重樫はにんまりと笑う。
「ちょっ! 人の携帯を見るなんて、友達としても最低だかんね!!」
言ってみただけだ。
羽交い絞めにされているタエには、精々が足をバタつかせることくらいが対抗の表れでしかない。
「んん? 無いよ? ああぁ、『ユウヤ』だっけ? 『ユウ』で探せば……ビンゴ!!」
「ちょっと待って!! マジに言ってんの!? ダメだから! 絶対、ダメ!!」
半分は冗談だろうと思っていたが、確かにタエの携帯には、ユウヤの番号が『ユウちゃん』で入力されている。
程無くボタンを押して耳元に持っていく八重樫にタエは、本気で抵抗して福江の腕を振り解いた。といううより、福江が呪縛を解いたのと同時だったのかもしれない。
「八重ちゃん!! 返して!!」
飛び付こうとした八重樫に、ひょいと避けられてしまった。
それでも踵を返して両手で掴み掛かろうとした矢先に、八重樫は面白く無さそうな仏頂面で
「話中だし〜。つまんない」
と言って携帯をタエに投げて寄こした。
取り落とさなかったのは、正に奇跡の所業だったろう。
八重樫は通話を切らずに投げて寄こしたのは確認済みだった。急いで耳に当てたが、八重樫の言う通りに通話中を告げる断続音が聞こえているだけだった。
「こんな夜中に話中なんて、誰と話してるんでしょうね? 怪しくない?」
八重樫が、福江にもたれるようにして口を尖らせた。
時刻は深夜の2時を廻ってしまっている。
普通の生活をしているならば、この時間には深い眠りの中だろう。
呼び出し音が鳴り続けているのであれば、寝ているとも考えられるが、通話中の断続音では、誰かと話をしていることは確かなことだ。
「き、きっと、仕事のことでしょ? 今朝も…なんか込み入ったような話してたし…」
フォローというには、あまりにも説得力の無い言い分だろう。
「あんなモテ男君が、こんな時間までお仕事? 女と深夜の甘い会話って方が納得できるわね」
「ぐっ!?」
言葉に詰まるとは、こんなことだろう。
タエ自身も、ユウヤの女性受けが良いことは知っているし、タエに見せてきた行動や会話などからも、ユウヤが女の扱いに馴れていることも窺い知れた。
当然のことながら、自分以外に多数の女性が居たとしても不思議には思えない。
が、昨日に知り合ったユウヤの知り合い達は、深くユウヤを知っているようだった。その誰もが、ユウヤを軽いプレイボーイだとは言わなかったし、その逆に、何処かしら影のような部分を吐露しかけていたような気がする。
タエにも感じられた、ユウヤの中の他人を寄せ付けないような部分。
それは今でもタエの心の何処かで、子猫の爪のように鋭く突き刺さり、時折、酷く締め付けるような痛みを伝えてきていた。
「ありゃ? 虐め過ぎたかな? そんな暗い顔すんじゃないわよ! そうそう、仕事よ仕事」
ちょっと考え込んでしまったタエを、八重樫が両手を振っておどけて見せた。
こんなに酔っていても励まそうとしている八重樫に、どことなく悪いような気がする。
「別にいいの! 恋人になったわけじゃないし、1回寝たくらいで独占欲出しまくるほど子供でもないんだから!! ちょっと期待したいってのもあるけど、次に話が出来るまでは、保留ってことでしょ?」
ふんっとばかりに胸を張って見せた。
強がりというのなら言えば良い。虚勢だと笑うなら笑えば良い。正直な気持ちは、自分でも良く理解できてなんかいない。
「……んん〜もう、多恵果って可愛いんだから〜」
予想に反して八重樫がタエに抱き付いてきた。
受け止めるように抱き締めて、
「ありがと」
とだけ言った。
「タエちゃ〜ん。今、帰り? 送って行くよ。乗んな!!」
急に声を掛けられて振り返ると、そこには顔馴染みのタクシーの運転手が手を振っていた。
「あぁ、こんばんわ。でも……」
「タエちゃんから金なんて取らないよ! この間、紹介してもらった客、かなりの上客でさ。儲けさせてもらったから、そのお礼。友達も送って行くよ。それに、その娘。もう、ダメじゃん?」
言われて抱き締めている八重樫を覗き込んだ。
最後の力を使いきったものか、八重樫はタエの腕の中で既に力ない人形のようだ。
こいつを抱きかかえて歩くことなど出来るはずもない。
短く溜め息を吐いて
「んじゃ、お言葉に甘えちゃおうかな?」
「おう! 任されて〜!」
四十半ばで奥さんと二人の子持ちの運転手は、タエのすぐ脇までタクシーを寄せるとドアを開けた。
「福ちゃん! 手伝って!! 八重ちゃん、落としそう」
ぼ〜っと立っていた福江は、タエの言葉で目覚めたように動き出すと、八重樫を抱えてタクシーに押し込んだ。が、どこか不満げな顔付きに見えて、タエは聞かずにおれなかった。
「福ちゃん? どうかした?」
「あたし……ユウヤって人、見たかったぁ」
力が抜けそうな感覚に耐えながら、福江をタクシーに押し込んで、自分も乗り込んだ。
このまま、タエのアパートで雑魚寝になるのかな? と考えながら、タエは、もう一度、携帯の発信ボタンを押した。
通話中の断続音が、まだ続いていた。
朝というには、窓から差し込む明かりは異様に明るい。
寝惚けた身体で携帯を探した。
ムニュムニュとした手触りが感じられるが、昨夜の記憶は薄れていない。
片目を開けて見れば、二体の身体が寝返りを打つところだった。
『シングルベットに三人は、やっぱり無しだよね』
ベッドから降りて、投げ出した服の下からやっと携帯を探し出した。
時刻は十時を廻ってしまっている。
溜め息なのかも妖しい吐息を吐いて、タエは重い身体を起こした。
ライカのケージに近づくと、ライカは既に起きていて、後ろ足で立って前足を器用に手招いていた。
「ごめんね。ご飯、すぐにあげるから。ありゃ? 水も無かった? ああぁ、何やってんだろ、あたし」
ペットボトルにも似た水差しを持って台所に向かい、水を入れて元に戻した。途端に水が受け皿に満たされて、ライカは一心不乱にそれを舐め取った。
ラックの棚からペレットの袋を取り出し、片手に握れるだけを差し出すと、ライカは飛びつくように手に乗って、中の乾燥餌を頬張った。もちろん、ユウヤに言われた通りに視線は合わせない。
それをも無視するかのようなライカの食べっぷりは、少なからずタエが良い飼い主では無いような気分にさせた。
「……ごめんね」
『なにしてんだろ? あたし』
もう一度、心の中で呟いた。
先刻に確かめた携帯の表示に、着信の履歴は無かった。
ということは、ユウヤからの連絡は、あれからも無かったということになる。
いくら通話中だったとはいえ、着信の有無は残る。それを見ても尚、連絡してこないということは……。
ちょっと寒くなったような感じがして、タエは左手で右の肩から腕の辺りを撫でた。
「何、黄昏てんのよ。起きたんなら、さっさと電話してみたら? 今日、出番なんだから、誘う口実くらいあるでしょうが?」
掠れたような声が背後からして、驚きで手の中の餌を落としてしまった。ライカも驚いたのだろう。ケージの傍らにある巣穴に飛び込んでしまった。
「八重ちゃん……。起きたの? 何か飲む?」
驚きは一瞬で、何だか持続しない。それどころか、気が抜けたような感覚で、虚ろな視界が旨く八重樫を写してくれないような気がする。
「ああ〜、もう! 止めてよね。中学生の恋愛じゃあるまいし、一晩、連絡付かなかっただけじゃん! ユウヤをモノにしたいなら、駆け引きも必要でしょうよ。……そんな、捨てられた子犬みたいな顔してんじゃないわよ」
「そんな顔してない! それに、捨てられてもない!!」と心の中で反論してはみたが、実際に口にするような気分じゃなかった。
半分、気の抜けたような胸の内が、気分の起伏さえ面倒なように感じてしまう。
「……コーヒーでも淹れるね」
それだけ言って、立ち上がるのが精一杯だった。
「……もう少し、素直になってもいいんじゃない? 完全に片思いの少女じゃん。電話くらいしたって怒られないでしょが」
台所でコーヒーメーカーの仕度をしながら、ろ紙を折っていると、八重樫が隣に寄って来てコーヒーの粉を準備しだした。
確かに八重樫の言う通りだと自分でも思う。が、今のタエに明るい反応のユウヤが想像できないのも事実だった。
電話をして「もしもし」と明るく言った後、ユウヤが冷たい声で「なんだ、君か」などと言われでもしたらと考えると、鳥肌が立つような感覚になりそうだ。
それでいて『声が聞きたい』『会いたい』と思う気持ちは強くなるばかりで、矛盾した振り子の間に居るような感覚は、どこまでいってもはっきりとした形を成さないようだった。
「ちょっと、大丈夫? 止まってんじゃん。ちょっと、そっちで座ってたら? あたし、やるから」
眼を開けていてもボーっとする感覚は、今の自分が何をしているのかさえ忘れさせてしまう。
多分、眼に写っているものすら、半分以上を見ていないのかもしれない。
「うん……ごめん」
そう言って、リビングに眼を移して、昨日の風景が蘇る。
ユウヤが背を向けてライカを手懐けていた。その大きな背中に優しさと安らぎが現れていたようで、コーヒーカップを持ったまま、僅かな時間だったが見詰めてしまったような記憶。
昨日までの火照ったような身体が、今ではユウヤを思い出す度に、凍えた風に晒されたような気がしてならない。
「タエちゃん…なんで、泣いてるのぉ?」
「……え?」
ベッドの中で布団から顔を出した福江が、虚ろな眼差しで掠れた声を掛けてきた。
言われて自分の顔を触ってみて初めて気が付いた。
頬が濡れている。
「はぁ!? ちょっと、多恵果? あんた、本当に大丈夫?」
八重樫が走り寄って来て、タエの顔を両手で挟んで涙を親指で拭き取った。
自分でも意識していないことだけに、タエには答えようもないことだった。
確かに切ないような感覚はある。だが、泣くほどのことなんかでは、決して無い。
普段のタエなら、虚勢に胸を張り、馬鹿馬鹿しい考えなど胸の奥に仕舞い込んでしまっているはずなのだ。
それが、出来ない。というより、意識の外で行われる感情のように、自分で制御できなくなってしまっていると言っていい。
「な、何だろ? 大丈夫だよ。変だね。とっても、変…」
言っている自分が、止められない涙を否定しているのに、滲む視界は留まることをしない。
「多恵果……なんで…」
「はいはいぃ〜。そこまでですぅ。タエちゃん。こっちにぃ、いらっしゃいぃ」
今にも抱き締めてしまいそうな素振りの八重樫を、ベッドから抜け出た福江が引きずり奪った。
「ちょっと! 福子!!」
「うっさい!!」
文句のひとつでも言おうかと身構えた八重樫に、福江はこれまでに聞いた事も無いような歯切れの良い一言を返して、タエの頭を撫でながらベッドの縁に腰掛けさせた。
言われた八重樫の方は、突然の福江の変貌に鼻白んだまま、キョトン顔で見詰めてしまっていた。
「タエちゃん。ちょっとだけぇ、考えるの止めてぇ、休もうよぅ。もう少しぃ、眠ろうかぁ。あたしも付き合うしぃ」
人前で泣くなんて行為は、既に記憶に無いほど昔の話ではないだろうか。
泣くことで何かが解決したような記憶も無いし、泣く事で自分が惨めに思えたことはあっても、誰かに救われたような事も無い。
すべからず何事も、自分が何とかしようとしない限り、何処へも転がりはしないし、自らが導かなければ好転など有り得ないと知ったのも、既に昔の話だ。
『こんなこと、有り得ない。有り得ちゃいけない』
そう思いながらも、福江の胸の辺りに押し付ける顔は、嗚咽こそ出ないまでも、止められない涙は、福江の服を濡らしてしまっていた。
目覚めるというには、かなりな窮屈さが伴っていた。
横向きに、酷く暑いものにしがみ付いているような感覚と、後ろから抱きすくめられているようなサンドイッチ感に、息苦しさを感じたような。
眼を開けて、自分の現状を確かめる。
何の事は無い。福江の胸の中に顔を埋めて、背中を八重樫がすっぽりと抱きかかえて、その間に自分が埋もれているのだ。
朝のやりとりから、そのまま三人で、又もベッドに入り込んだ結果なのだろう。
気分としては、かなりな感じで軽い。
福江が言った通り、考えないことも大事な感情のバランスを保つ方法なのかもしれない。
が、窓から差し込む日差しを鑑みると、既に朱色の光りが濃い。
静かな寝息を続ける二人には悪いが、このままというわけにはいかないだろう。結果的には、三人とも大学を休んでしまったのは、言い訳も出来ない事実だ。
というより、時刻が気になる。
七時には、夜のバイトに行かなくてはならない。
何より、ユウヤが来るのだから、何が何でも遅れるわけにはいかないのだ。
「だぁ〜!! 今、何時!?」
思ったが早いか、叫んで起き上がったのが早いか。
「わぁ〜ぁ! なにぃ?」
「うぉおお! どうした!?」
後ろと前から、動揺した掠れ声が、状況を把握していない驚きとなって口から出た。
「何時? 何時? 遅れちゃわない?」
キョロキョロと時計を探すタエに、八重樫が腕を上げて付けた時計を片目で確かめた。
「六時前だっちゅうの。驚かすなっちゅうの。もう、寝起きで心臓バクバクって……」
タエが何を騒いでいたのかを知ると、二人とも起こしかけた身体を布団に押し付けた。
「少しはぁ、元気になったかなぁ?」
福江がモサモサになった髪を手櫛で掻き回しながら眠たげな眼を僅かに開いていた。
「……ありがと。なんか、自分じゃなかったみたい」
「バイオリズムやぁ、感情の起伏みたいなものでぇ『落ちる』ことなんてぇ、良くあることなんだからぁ、そんな時はぁ、考えるの止めてぇ、ゆっくり休むこともぉ、必要なんだよぉ」
『ふみぃ〜』とでも言いそうな感じで、福江は両手を伸ばして伸びをした。
「あたしは、まどろっこしいの嫌いだから、直接対決の方が気分的には良いんだけどね」
後ろで八重樫が肘枕をしてタエを見上げていた。
「二人とも、ありがと。今日は、これから仕事だから無理だけど、そのうち、ご飯でも奢らせてよ」
二人の間から勢い良く飛び出すと、台所横の給湯器に火を入れて、クロゼットに頭を突っ込んで下着をつかみ出した。
程無く、給湯器の準備が整ったと電子音が響いた。
これでお風呂のシャワーが使えるようになる。
「二人も入るでしょ? 新品の下着、一番上の棚にあるから使って。ブラは……二人には合わないよね?」
三人が三人とも、自分の胸を見たのは、ちょっと笑えるような光景だったかもしれない。
つづく