タエ 第二夜 4
本来、月曜日というものは、週初めということもあり、それほど夜の街が賑わうようなことは無い。
大概の人々は、週末を楽しみ、週初めは意気込みだけはあるものの、気の重いものだ。それ故に、週末の弾けたような刺激を求めて夜の街を闊歩する。
当然のことながら『ムーン』に於いても、その例外から外れるようなことはない。
いつもの月曜日であるなら、良くて数人、悪くすると一人の客すら入らないようなこともある。
ここ数ヶ月で、タエの人気なのかどうかは妖しいものの、タエの出勤日には、二桁の人数が入店していることも確かなのだが、それでも火曜日の出勤日には、目立って人数が増えるようなことはなかった。
そのはずなのだが、今日という月曜日、時刻は九時になる手前の宵の口。
若い男が4、5人訪れてカウンターに席を取ったかと思うと、30分と間を置かずに2人、4人、6人と客が増え、閑散としていた店内は、あっという間に満員状態になってしまった。
タエ達とお祝いムードに浮かれていたマスターだったが、急に増えだした客の対応に一人で右往左往してしまっている。
コロコロとした身体を額に汗して動き回る姿は、ある種のゲームキャラクターのようだが、カウンターだけでなくテーブル席にまで行き届かないのは無理も無い結果だろう。
当然のようにテーブル席からは、多少の酒が入っている客も居るのか、苦情というより脅しに近いような罵声が飛び交いだしてしまっている。
そうなってしまうと店内の空気は、一気に嫌なムードに早替わりしてしまう。
なんとかマスターがにこやかな応対をしているが、こちらを立てればあちらが立たずのようなことになってしまう。
タエ達のお祝いムードなど一瞬で吹き飛んでしまって、今や場末の居酒屋状態な気分だ。
さすがにこのままでは、客の中で血の気が多い輩が、酒の力を借りて憤慨と共に立ち上がるのは時間の問題だと判断したタエは、八重樫の方をチラリと見て両肩に力を込めた。
勿論、マスターを少しでも手伝う気持ちの現れだったのだが、八重樫はダルそうな顔付きで首を傾げて溜め息を吐いただけだった。
「……福ちゃん。八重ちゃん連れて先に……」
「おにいさ〜ん。大きい声出しちゃイヤン! 楽しく飲まなきゃお酒が勿体無いでしょ?」
二人に迷惑を掛けるわけにはいかない心遣いから福江に帰るようにと言い終らないうちに、弾けたような甘えた声が八重樫の口から飛び出した。
「ええ〜!? ビールなの? あたしが水割りでも酎ハイでも作ったげるからボトル入れよ? ボ・ト・ル。もち、あたしも呑んじゃうけど」
言うが早いか自分の席を立ち、サッサとテーブル席の熱の上がった連中の中に入り込んでしまった。
苦情を言っていた若者共も、突然に若い美人が甘い声と共に乱入してきたことに驚いたのか、互いに眼をパチクリしていたが、八重樫の美形を確認すると歓喜したように『ボトル、ボトル』と騒ぎ出した。
呆気に囚われるとは、タエも一緒だったろう。
こちらが意気込みも大きく立ち上がろうかと思ったのを空かされたようなものである。八重樫の変わり身の素早さと、すんなりとあの中に入り込めてしまう手腕には、驚きというより尊敬の念をも抱いてしまう。
「多恵果〜、ボ・ト・ル、ボ・ト・ル。ブランデー持って来て〜! 氷と水とグラスもお忘れなく〜!」
ほんの数秒のやり取りの筈なのに、既にあの輪の中心は八重樫に乗っ取られてしまっているようだ。
ブランデーのボトルだと言い出している八重樫に全員が歓声を上げて同意してしまっている。
タエは、短い溜め息を吐き出して立ち上がったが、福江の存在を忘れてしまってはいけない。
「福ちゃん。あたしも手伝うから、もう、帰ってもいいよ。このままだと遅くなっちゃうだろうし」
そう言えば福江は帰るだろうと思っていたのだが、福江は顎に拳を付けて考え込んでいるような感じだったが、
「あたしがぁ、カウンターに入るからぁ、タエちゃん、ホールのお世話してくれるぅ?」
と、小首を左右に振って立ち上がると、さっさとカウンターの中に入り込んでしまった。
「はぁ!?」と言いたくなるのを、喉元で我慢して見詰めていると、
「はじめましてぇ。フクですぅ。今日だけぇ、バイトするんでぇ、虐めないでくださいねぇ」
という挨拶を、カウンターの客一人一人にしてまわり、ニコニコと頭を撫でられていたりもする。
大丈夫なんだろうかと窺っていたが「それではぁ、ご馳走になってしまいますぅ」とビールにトマトジュースを入れるというホステスの常道手段を片手に、カウンター席の全員とグラスを合わせて乾杯し出している。
福江を侮っていたと気付かされたのは数十分前だったが、更にそのことを再確認させられたような気分だ。こういうところのトマトジュースは、缶ジュースなれど一本が五百円はするという暴利なのだから。それがビールと合わされば一杯千円はするという高価な飲み物に変貌してしまうことを熟知しているかどうかは不安なのだが。
そんな二人に店子のタエが負けるわけにはいかないと奮起したのは、八重樫が二度目のボトルコールをタエに呼び掛けた後だった。
タエがマスターとホールを忙しく飛び回り、ツマミや酒、カラオケとこなしていく中、八重樫はホールの別々テーブルを器用に回って気が付けばひとつの集団にしてしまっていた。まるで最初から全員が知り合いだったかのように、ブランデーの瓶を分け合ってしまっている。十人以上の客達は、八重樫の軽快な口調と綺麗な容姿に翻弄されたのか、二時間と経過しないうちに高価なブランデーの瓶を三本も空にして、既に四本目が開けられてしまっている。
福江の方は、カウンター席を端から渡って行って、ノラリクラリと弄られキャラを演じているのか本性なのか分からない具合にウケている。既に全員が何かしらのボトルを入れてしまっているところをみると、福江の腕前も捨てたものではないのかもしれない。
ガヤガヤとというかドヤドヤとしたホールの一団が立ち上がったのは、十二時を少し回ったような時間だった。
足元が覚束無いようなのが半数ほどなのを見ると、自分の適量を見誤ってしまったか、八重樫の御伊達に乗って無茶な呑み方をしたものか。
「んじゃ、んじゃ、アサヒビルの地下の『モンキー』で二次会な! ミユキちゃ〜ん。待ってるからねぇ〜」
両脇を抱えられてしまっているくせに、口だけは器用に動くものか、ヘベレケの男が八重樫を手招いている。
言われた八重樫の方は「うん、まったね〜」と満面の笑顔で愛想を振り撒く始末だ。
店のドアを出て行くまで、口々に何かしら八重樫に呼びかけて行く集団が消えると、店内は嘘のように静かになった。福江の居るカウンターから、小さくクスクスと笑う声が大きく聞こえる。
「八重ちゃん。あんな約束していいの? モンキーって朝までやってる店でしょ?」
集団が返った後の呑み喰い散らかしたテーブルを片付けている合間にタエが聞いた。ノロノロとした動きながら、八重樫もそれを手伝っている。
「ああ〜ん? あんなの本気で行くわけないでしょ」
「えぇ? だって、待ってるって言ってたよ」
「あいつは、このまま強制送還だって。既にあたしと呑んでたことすら憶えてないわよ。それに、半分は明日が早いって言ってから、残ったにしても2、3人でしょうよ。そんなとこにウカウカ行ったら、それこそ危ないじゃない」
「そんなもの?」
「呑んでる時の約束なんて、半分は信じてないわよ。オマケに飲み屋のホステスとの約束なんて、本気にするなら連れ出すくらいしなきゃダメでしょ。『後で会いましょう』なんて、挨拶程度にもならないわ」
まぁ、自分に置き換えてみても、確かに誘われたからといって付いて行くような真似はしないだろうと思う。けれど、それなら『行けません』と断ってしまいそうな気がするタエは、八重樫より経験が足りないんだろうかと考えさせられる。
テーブル席を片付けてしまうと、八重樫は最初に座っていた席に腰掛けて大きな伸びをした。
それを合図にしたように、カウンター席の客達も、数分の間隔を置いたが、それぞれに席を立った。
福江が甲斐甲斐しくドアまで見送るということまでしたのは、八重樫ですら眼を丸くしていた。
入れ替わりのように男二人が、福江を不思議そうな眼で見ながら入って来た。
いつもの常連、カラオケ屋と焼肉屋の店員だ。
「あれ? タエちゃんだ。今日って出番じゃなかったんじゃない?」
「ほんとだ。明日だったよね? って、すげ〜美人!」
タエを認めての言葉だったが、最後のは八重樫を見た焼肉屋の店員の言葉だった。
「いらっしゃい。二人共、真っ直ぐ帰ることって無いのね?」
グラスを洗っていたタエは、とりあえず手を止めてオシボリと二人のボトルを取り出し、手早く水割りのグラスを差し出した。
「こうやって見れば、すっかり多恵果もホステスって感じだよね」
ダルそうにしながら八重樫がカラオケ屋の店員横に座った。福江もそれに続くように焼肉屋の店員横に腰掛けて、珍しく大きな溜め息を吐いた。
「タエちゃんはぁ、素直キャラだからぁ、あんまり向いてはいないと思うんだけどぉ」
「二人共、ゴメンネ。手伝わせちゃって」
タエの言葉に、二人共に軽く首を振って答えた。
見た目にも疲れが滲み出ている八重樫、そうは見えないが大きな溜め息を吐くことなど滅多に無い福江。その二人に心の中で両手を合わせて『アリガト』と言いたかった。
実際に言葉にするには、気恥ずかしくて言えないが。
「ふぃ〜。何だかバタバタした日だなぁ。こんなに入るなんて数年に一度だ」
厨房から薄くなった頭をタオルで拭き拭きマスターが出てきた。先刻までの客達が何かと注文するツマミの調理と後片付けに追われていたらしい。
マスターの言葉にタエは、くすりと鼻で笑ってみせた。
確かに、タエが働くようになって客は増えたのは事実なのだが、今日のように客が入ったことは記憶に無い。
「済まなかったね。何だか手伝わせちゃったみたいになって」
洗い終わったグラスを手に取って水を一杯、煽るように飲み干してマスターは八重樫と福江に頭を下げた。
「お祝いムードも消し飛んじゃったな。この際だから、好きなもの飲んでくれ。今夜は全部おごるし、バイト代も弾むよ」
ニコニコと話すマスターの言葉に頷いていたものの、タエの中では『当然!!』という気持ちが無かったとは言えない。
八重樫がお相手していた集団は、結局のところブランデーの瓶を5本も空にしてしまった。一本2万4千円が5本で12万円、その他チャームからツマミ等々で合計15万円也。
福江がお相手していたカウンター席の客は、ウイスキーなり焼酎なり安めのボトルを入れたが、福江が飲んだビールやジュース類、カクテル等々で合計8万円也。
客一人の計算でなら1万数千円という金額だが、三時間強で23万円の売り上げになる。
この店で一日の売り上げが20万を越すなど、数ヶ月働いてきたタエになら開店以来初めてのことではないかと想像できた。
「あ〜ら、マスター。まだ、お客さんが居るんだから、まだまだ貢献できるわよ。おにいさ〜ん、あたし、ビール飲みたいな。ご馳走してくれません?」
しなだれかかるようにカラオケ屋の店員に寄り掛かる八重樫は、既に虚ろな目付きだ。あの集団の中で、どれほど呑んでいたかは定かでないが、あの中に居て舐める程度で収まるとは思えない。
それでも酩酊とまではいかないところを見ると、それなりのセーブはしていたのだろうか?
「あたしもぉ〜」
と、予期せぬ甘い声は福江のものだったろうか?
見れば焼肉屋の店員の腕に両腕を絡ませて胸を押し付けるような大胆さだ。それほど表情に現れていないと思っていたのだが、考えてみればビールのトマトジュース割りを飲んだ後は、かなりの数のカクテルの缶を転がしていた。
あまり福江と呑んだ経験が無いタエは、どうやらここでも福江を侮っていたのかもしれない。
ねだられた二人は、こんな経験も少ないのだろう。ぎこちない返事を返すばかりで「うん…」とか「ど、どうぞ…」としか言えてない。
タエもマスターも苦笑するくらいしか出来ないが、確かに売り上げの貢献にはなりそうだ。
カランというドアに取り付けられた鈴が鳴ったのは、タエがグラスを洗い終えたくらいだった。
入って来たのは、見た眼にもかなりの長身と知れる。190センチ以上はあるドアを、頭がスレスレなほどに見える。
体型は痩せぎすな感じで、筋肉質とは程遠い。病的なとまでは言わないが、お世辞にもスポーツマンタイプとは言えないだろう。
店内を一度、一瞥してから、その人物はカウンターの端に陣取った。
「いらっしゃいませ」
自然と身体が動いて、オシボリを開いて手渡す時になって、タエの中に短い溜め息が漏れた。
『こういうのを板に付いたっていうのかな?』
そう思いながらも客の観察は忘れない。二度目、三度目ならば「初めまして」とは、決して言えないからだ。
カウンター席に腰掛けた男は、長身だという印象だったのに、並んだ焼肉屋の店員やカラオケ屋の店員と大差がないような高さに頭の位置がある。
一見すると華奢な感じがするが、肩幅は結構広い。が、厚みが無いので細い印象がするのだ。
ポロシャツにジーパンという軽装。それなのに安っぽさが無いのは、この男の着こなしが好いせいだろうか。
サイドを短く刈り上げたような髪型も清潔感を感じる。面長な顔付きも、大きな身体には吊りあっている。小さめの薄い唇。高めの筋の通った鼻。太い眉。どれもが、どこか身体に似合った感じがする。
唯一、違和感というのなら目元だろうか。くっきりとした二重の瞳が、僅かに目尻で下がったような感じがする。
全体的に甘いマスクと表現しても良いかも知れないとタエは思った。
だが、タエの記憶の中には、この男の記録は無い。タエの出勤日以外に来店していなかったとは言い切れないが、タエには初めてなのは変わりない。
「初めまして。タエって言います。お客さんのお名前、聞いてもいいですか?」
ちょっと彷徨っていたような視線が、その時になって初めてタエを見た。
少しドキッとしたような感覚が、タエの胸の中で疼いた。
はにかんだ様な笑い顔が、切なげに見えてしまったのだ。
切ない…表現としては適当だったかどうかは分からない。ただ、儚いという寂しさが浮き出すような、そんな感じだった。
「とりあえずビールを貰おうかな?」
男にしては、ちょっと高いようなテナーの声。
身体を斜めに傾けて、長い足を組む様子は、様になり過ぎていてドラマの中の主人公とでも言えそうだ。
もしかするとマスターの知り合いかもと振り返って見たが、マスターは不思議そうな顔付きで厨房へと下がって行くところだった。
見知った客に一言も無いマスターでは無い。タエの噂を聞きつけてやってくる客も少なくない近頃では、マスターが相手をしない客も居る。
灰皿を出して、ビールのサーバーに向かうタエだったが、そんな様子を男は眼で追うようにしながら微笑んでいた。
妙な感じだとタエは考えていた。
胸騒ぎ……というには小さい。僅かなザワつきのような、モヤモヤしたものが喉元あたりで飲み込めない痞えのようにわだかまっている。
「…どうぞ…」
ビール八割、泡二割。この頃は、失敗することの方が珍しくなったと自分でも思う。
生ビールのジョッキを差し出した時に、不意に男が煙草を咥えた。咄嗟にカウンターの上にライターを探したが見当たらない。いつもは、こんな端に客が座ることが無いせいもある。
お客さんの煙草に火を付ける。これは最低限の接客でもあるのに、そのことに手間取るなど素人と言われても仕方ない。ましてや本人に火を付けられてしまっては、接客のイロハからやり直さねばならない。
ポケットの何処かにでも入ってないかと探った時に、ジーンズのポケットがずしりと重い感覚を伝えてきた。
瞬間に思い出す。今朝、着替える時に零れ落ちた物を、そのままポケットに入れて来てしまっていたのだ。
間髪入れずに取り出し、でも、焦った様子は見せず、割と余裕ですよくらいの面持ちで、両手に包んだ物を差し出して、男の煙草の前で押し開けた。
隣で騒いでいる4人の声にも、カキーンと尾を引く金属音は、綺麗な波紋となって店内に響いた。
火を付けて差し出すと、マジマジとそれを見詰めていた男は、我に返ったように煙草に移して一息吐いた。
すかさず蓋を閉めると、キーンという永い尾を引く。
昨夜、返し忘れたユウヤのライターは、こんなところでもタエを助けてくれたようだった。
「…女性が持つには珍しいね」
男がそう言って笑った。
見る人が見れば高価なものだと見当が付く代物。タエは、手の中から出さずに、そのままポケットに仕舞い込んだ。
「とっても大事なものなんです。残念ですが、お見せできません」
首を傾げて、思い切りの笑顔で答えた。興味を持たれることは仕方ないにしても、他人の手に渡して見せるなんて行為は、ユウヤとタエしか触れられない形ある物という意味から、絶対に承諾できない。
「そう。それは残念だ。でも、煙草を吸えば、次も見られるよね?」
そう言って笑う男は、眼が無くなってしまうほどニッコリとして、先程、感じたような切なさなど掻き消えてしまったようだった。
「初めてですよね? 良く呑みには出られているんですか?」
話題を変えなければ、変にライターに執着されても返答に困る。そんな思いからの言葉だったが、初めての客には大概に言う台詞でもある。
不自然な笑顔になってないといいけど、と考えはしたが、どうにも口元辺りがヒクつくところをみると、違和感が無いとはとても言えないだろう。
一瞬、男の眼が僅かに開いたような気がした。
「いや、二日前に越して来たばかりでね。こっちで商売しようと思って準備してたんだけど、自分の方が疎かになって、仕事は始められるのに、僕の住む場所が無いっていう変な状況になっちゃって」
男は、如何にもドジな感じにエヘへと笑って頭を掻いて見せた。
無邪気そうな笑顔にタエの最初に感じた印象も気のせいくらいに思えてきた。
「へぇ、お客さん、お店でもやられるんですか? あ!? もしかして同業種ですか? だったら敵情視察とか?」
話の発端さえ掴めれば、広げるくらいにはタエの話術も進化している。始めた頃のような自分の話しばかりするような真似などしない。これも、多分にユウヤとの会話で学んだことなのだが。
「いやいや、そんな不敵なことしないよ。どっちかって言えば、助け合いの関係かな?」
軽く口を潤すようにビールを飲みながら、男はにっこりと笑う。
自然な仕草のようなのに、タエには何だかちょっとした違和感があった。いや、それよりも機微な感じだったように思える。
それが何だかは、タエには判らなかった。ただ、ちょっとした変な感じだったような気がしただけだ。
「助け合いって……酒屋さんとか?」
そんなことを顔に出しても仕方ない。人は千差万別、自分が常識なんてことは当てはまらない。
そう言い聞かせて、会話に戻った。
その隙に隣の4人を窺ったが、どうやら男連中は八重樫と福江に誘惑されて、会話の代償に色々な飲み物を進呈しているようだ。こちらにはあまり興味を示していないのも、その証拠だと言えるだろう。
「酒屋が助け合いかい? 商売相手になるでしょ?」
「え? そういうものですか? 助け合いな商売って、他にあります?」
「ヘルパーだよ。代行運転手ってヤツ。飲み屋さんが儲かってくれないと、僕らはおこぼれに有り付けない」
「なるほど〜。あっ、でも、この辺りって、もう2社くらい入ってますよ。新規なら結構、苦労するんじゃないですか?」
「そうなんだ。だから、こうして営業していこうと思ってね。これがチラシ」
そう言って差し出した名刺大の紙片には『苅野ヘルパー』という名前と電話番号が大きく印刷されていた。
「苅野さんて言うんですか?」
「あれ? 名前、言ってなかった? それは失礼。苅野 浩道です」
アハハと頭を掻く仕草は、どこか取って付けたような感じだが、無邪気そうな表情に消されてしまって、不自然さは窺えない。
ただ、ちょっと気になる。それが、形になってくれないようなもどかしさに、タエは僅かに眉を顰めただけで、気のせい気のせいと流してしまった。
「ここでも、車で来た人にはプッシュしてもらいたくてさ。僕も出来る限り通うから、少しだけ他の会社より優遇してくれないかな?」
お願いという感じに両手を合わせる苅野は、ふざけているような感じが半分以上だろうけれど、何度も頭を下げる素振りにタエも笑いが込み上げてきた。
「あたしは良いですけど、あたしって週に2日しか出てないんで、マスターに受け入れてもらえなかったら諦めてくださいね。あたしの出てる日なら優先してあげますよ」
これくらいならタエでも手助けできそうだと判断した。タクシーの運転手も数人知っていて、タエの出番の日には、何度か優先して指名してあげたこともある。それに、今ある2社のヘルパーは、繁盛している店には営業しているようだが、閑古鳥が鳴く日が多い『ムーン』のような店に顔を出したことすら無いのだから、義理立てするようなこともない。
「へぇ、常勤さんじゃないんだ。別に仕事してるとか?」
苅野が持っていた煙草を灰皿に押し付けた。と同時にすぐ様、新しい煙草を咥える。
ハッとしてポケットからライターを出して蓋を跳ね上げると金属音が綺麗に響いた。
火を付けて差し出し煙草に近づけるまで、苅野の眼はタエの手の中を細めた眼で凝視しているような感じだった。
「ありがとう」
ライターをポケットに仕舞い込んで、苅野が紫煙を吐き出してから言った。
『この人、この値打を知っているのかも? 早くユウちゃんに返した方が良さそうだな』
そう思いながらも、ユウヤの持ち物を自分が持っているという優越感は、タエの中にとても大きな快感となって胸に染みていた。
つづく