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タエ 第二夜 3

どうも遅筆で申し訳ないことこの上ありません。


どうにかして進めて行きたいんですがねぇ。

何故か落ち着きの無い日々に押され気味なんです。


地震、津波、原発問題と多くの犠牲者と被災者が出てしまっています。

お悔やみとお見舞いを申し上げると共に、少しの気休めにでもなれれば幸いです。


「なるほどぉ。そんな凄い人だったんだぁ」

 二人の説明を聞いた福江は、大仰に頷きながら二人を交互に見た。

 『ムーン』で出会った経緯やデート…といって良いものかどうか怪しい昨日をタエが説明し、その後の『気絶』した経緯は八重樫が説明するという、なんとも変なことになったが、タエには何度も昨夜のことを言葉にする勇気は無かった。

 八重樫のまるで見てきたかのような説明には、多分に空想めいた、いや、妄想ともいえる表現が混じっていたが、それを否定するような気にもなれなかった。

「まぁ、ネンネの福子には理解出来ないだろうけど、ここに体験した本人が実在しているんだから」

 両手を広げてタエにヒラヒラさせる八重樫は、まるで自分のことのように自慢げだ。

「八重ちゃん、いい加減にして! それに福ちゃんは純真なんだから、そんな話、聞きたくないよ」

 これ以上、昨夜のことを思い出すと、全身の血が顔に集まってきそうで堪えられない。それで無くとも熱くなった耳朶が、別の生き物のように脈打って耳の奥までが痛いような気がする。

「ばっかね〜。経験の無い福子に教えてあげてんじゃない。これから体験するめくるめく快感を説明してあげてんでしょ〜よ」

 自分を抱き締めて上を向いてアウアウ言う八重樫は、ちょっと滑稽な仕草だが、タエには昨夜の幻を見せられているようで、思わず横を向いて八重樫を視界から外した。

「ちょ〜、ちょ〜、ちょ〜」

 そこまでを黙って聞いていた福江が、右手を差し出して声を発した。

「超…なによ?」

 アウアウを途中で止めて、八重樫が不満顔で福江を睨みつける。切れ長の眼が細まって恐い感じがするが、口元が笑いの感じに吊り上がっているので、なんともアンバランスな妖艶さがある。

 こんな感じが自然に出来る八重樫は、きっと男達にも同じ表情で接しているに違いないと、タエは自分に無い色気のようなものを羨ましく思う。

「ちょっとぉ、待ってぇ」

 そんな思いも吹き飛ばすかのような福江の言葉に、ガクっと首を折ったのは八重樫だけだったが、タエも同じリアクションをしなかっただけで、気持ちは一緒だった。

「あんた、そういうのは『ちょっちょっちょ』でしょうが。福子みたいに間延びした時間だったら、きっと世界も戦争なんてしないんだろうけど」

 二年近くの付き合いになるのに、福江のゆったりとした会話には、こうして付いて行けないことが多い。

 本人は至極、マトモに生きているのだから、それを非難することは出来ないが、その相手をする側には、それ相応の努力も必要なのだ。

「八重ちゃん! で? どうしたの? 福ちゃん」

 歯に絹着せぬ八重樫を一言、叱責して福江に向き直ったタエは、珍しく福江の不服そうな表情を見た。

 下唇をムッという風に突き出して、太い眉を寄せて眉間にも僅かながら皺が見て取れる。伏せ眼がちの瞳は、本来がタレ眼がちなのでそれほど変わりがあるようには見えないが、どうやら御立腹の様子だ。

「誰も未経験だなんてぇ、言った憶えは無いんだけどぉ」

「は!?」

「…え!?」

 腕を組んでグッと顎を上げる福江は、ちょっと胸を張ったような感じだ。が、言った言葉を聞いた二人は、時間差はあったものの、同義な疑問符を発していた。

「あ、あんた、経験したことあんの?」

 身を乗り出す八重樫は、完全に驚きの表情だ。タエも同じ表情ではあるが、八重樫より驚きが大きかったのか、ちょっと我に返るのが遅れていた。

「誰もぉ、処女だなんてぇ、言ったこと無いも」

 背筋を伸ばして、高みから見下ろすように福江が胸を張る。八重樫が見下されているような格好が、タエには妙な気分だ。

 普段の立場が逆転しているような構図に可笑しさはあるものの、福江の言葉はちょっとしたショックだった。

 福江は、誰が見ても晩熟おくての引っ込み思案に見える。言っては失礼だが、ファッションのセンスもかなり独特で、タエですら首を傾げてしまうほどだ。話す話題にしても、エッチな会話には今まで参加してくることなど無かったし、誰かと付き合っているような噂も聞いたことがない。

 恐らくは福江を知る誰もが、今まで男性と付き合ったことさえ無いと感じていたことだろう。

「福ちゃん。男の子と付き合ったことあるの?」

 言ってしまってから「失礼な質問」だと感じたが、素直な気持ちは言葉になってしまった。

「付き合ったのかなぁ? でも、初体験はぁ、もう四年も前だよぅ」

「なっ!? 十六!? その顔で!?」

 タエより失礼な言葉を八重樫は素直に言葉にした。もう、怒る気にもならないタエは、ははっと苦笑いしか出来なかった。

「付き合ったのかな?って、付き合ってもいない人としちゃったの?」

 この際、八重樫は無視して福江に聞いた。

「んん〜、あたし的にはぁ、付き合った憶えがないぃ」

「あんた! 福子の分際で『とりあえず経験しちゃえ』的なことしたっての!?」

 顎を摘むように上を向く福江に、八重樫は噛み付くような勢いだ。

「そんなこと無いも。ちゃんと好きだったよぅ。ただぁ、お互いに付き合うってぇ、正式に言わなかっただけだも」

 拗ねたように首を傾げる仕草は、どことなく女を感じさせるような気がして、タエも八重樫も眼を何度か瞬いた。

 福江の艶のある表情を初めて見たような気がする。

「同級生だったんだけどぉ、半年くらいだったかなぁ? その後も2、3人と付き合ったみたいだけどぉ、なんかぁ、違う気がして止めちゃったみたいなぁ」

 福江らしいといえばそれまでだが、似合わないと思えるのも付いてくる。

 どう見ても純真無垢に包まれているような福江に、男女の生々しい関係など結びつかない。

「…一度、聞いてみたかったんだけど、あんたって、どういう男が好みなわけ?」

 八重樫が、テーブルに頬杖を付いて聞いた。どこかふて腐れているようにも見えるが、タエにも興味のあることだっただけに、頷きながら福江を見詰めた。

「んん〜、もう同世代はいいかなぁ。なんか飢えてるみたいで、こっちが満足できないんだよねぇ」

 ツンと上を向く福江には、どことなく年上の経験者のような威厳までもを感じて、タエも八重樫もちょっと背筋を伸ばすように身を起こしてしまった。

「福ちゃんて、見掛けによらず、なんか大人な感じ…」

 素直な感想に、タエ自身が笑えた。

 今までに付き合う男のことで年下とか年上などという概念などほとんど無かった。

 同年代の男には多少の未熟さを感じたことは多い。けれど、それを嫌悪したり不足感のように感じたことは無い。絶えず受身である自分は、それなりに楽しめれば、それほど満足感を憶えなくとも良いような気がしていたのだ。

 きっと八重樫もタエと同じ、もしくは同じに近い感覚を持っているのか、窺うように移した視線には、なんとも表現しづらい顔付きだった。タエも同様の顔付きなのだろう。

「あたしのことも言ったんだからぁ、二人にも告白してもらおうかなぁ?」

 まだ一杯目のグラスを傾ける福江は、先刻までのグラスを舐めるような印象が消し飛んでしまった。どことなく大人びた余裕のある仕草に見えてしまうのは、タエの思い違いだとは思うが、見えてしまうものは仕方ない。

「ええ!? あたしたちも? だって、福ちゃんが言い出したことでしょ?」

 確かに呑みながらの告白タイムなるものが無かったことはない。こういう話になったことも少なくないようにも思えるが、それは福江のような貞淑な印象の友達とではない。どちらかといえば遊び慣れている八重樫とするようなことが多い。それだけに福江の提案は、う〜んと唸ってしまうほど意外なものだ。

「タエちゃんからぁ、告白してもらおっかぁ」

「ええ!? あたし? …そんなに変わんないし…」

 酔ってから話すことならそれほどの羞恥心も無く口から出るのだが、今のように中途半端な感じでは、改まって聞かれることに答えるのは、それなりの覚悟のようなものが必要だ。

「はっやっくっ!はっやっくっ!!」

 福江の方は、両手をブンブンと振りまくって子供のような囃し立てだ。今までの大人な顔はどこかに置き忘れてきたかのように子供っぽい。

 ふうっと溜め息を吐いたのは、なんだか良い機会のようにも思えたからだった。

 確かに福江の告白は衝撃的なことだった。でも、自分の時はどうだったろうと考えると、それなりに感激していたような気がするが、それを鮮明に思い出せといわれても、その時の感情と同じにはなれないような感覚がある。

 それよりも、ユウヤとの昨夜の方が衝撃的な感覚だったとしか感じられない。

 今、想い起こせるのであれば、初体験の当時の思いを思い出したかった。

「十七の終わりくらいかな? 友達の紹介で知り合って付き合ったの」

 和人の顔がちょっと思い浮かんで、僅かに顔が歪んだような気がした。

「好きな人とぉ、出来たわけでしょぉ?」

 そっと首を傾げる福江は、サラリとした髪を軽く掻き揚げながらタエのことを眼を細めて見詰めていた。

「……そうでもないよ。なんだか、友達の中で遅れちゃうのが嫌で、変に急いでたような気がする。相手だって同じように急いでたんだと思えるし」

「やりたがりの年頃だもんねぇ。みんな、そうなっちゃうのかもぉ? ん? ミッチュ? なんでぇ、無口なのぉ?」

 福江に視線を飛ばされて、あからさまに顔を背ける八重樫は、どことなく落ち着きがないようにオドオドした態度だ。

「ミッチュはぁ、どうなのかなぁ?」

「え? そ、そうね。あたしはぁ、え〜とぉ、あんた達よりちょっと遅いかなぁ」

 歯切れも悪い八重樫の言葉にタエは不思議に思う。

 普段ならこちらから聞かなくともペラペラと話し出すような話題のはずなのに、八重樫の視線は空を彷徨うばかりで、こちらを見ようともしない。

「…どうしたの? ちょっと変だよ、八重ちゃん」

「な、何が変だっていうのよ」

 グラスに手を伸ばす八重樫だったが、その目線はやはり空を泳いでいるようで、タエや福江を見ようともしない。

 ハッとした表情を見せたのは、福江が八重樫の掴んだグラスの上から手を重ねたからだ。

「ちょっと! なに……」

 恐らくは「…すんのよ!!」と強い口調だったはずなのだろうが、福江の顔を睨み付けた八重樫は、その後が出てこないようだった。

 タエですら福江がこんな表情を持っていたなど知らなかった。

 福江は、意地悪な悪女よろしく笑みを湛え、伏せがちの視線を八重樫に向けたまま、口元を僅かに歪ませているのだ。

「ミッチュの初体験はぁ、ほんの半年前だったりするぅ」

 ビクンとする反応と大きく見開かれる眼は、当然の驚きの表情だった。

 しかしながら、その反応を見る限り、福江の言葉が真実であることも語っているようなものだ。

「…八重ちゃん……」

 恐る恐る掛けた言葉に、その後は継げない。

 タエ自身、経験など個人差のあるものなのだから、早いとか遅いとかという概念は陳腐だと思っている。が、高校生時代に経験してしまっているタエですら、その時に周りの経験話に翻弄されなかったと言えば嘘になる。

 八重樫は、雰囲気的には遊びまくっているように振舞うし、経験も豊富のように話す。けれど、今まで初体験の話を、マジマジとしたことが無かったのも本当のことだ。

「…あんた…福子…それ、どこで?」

 意地悪そうな表情のまま、福江は口元の笑いを大きくしただけで答えなかった。スッと眼を細める感じなど、まるで弱みを握った脅迫者でもあるようだ。

 ちょっとゾクッとする感覚に、タエは右手で左腕を擦った。なんだか寒気を憶えるような感覚だ。

「森チンから聞いちゃったぁ。とっても大変だったってぇ」

 まるで魔法が解けたかのように破顔して言う福江に、ガクッと首を折るのはタエも八重樫も同時だったろう。

 と同時に八重樫も本来の威勢を取り戻す。

「なんで、あんたが森とそんな話してんのよ!」

「森チン、あたしのこと口説いてきたからぁ、あたしの前はだぁれぇ? って聞いたら教えてくれたぁ」

 無邪気という言葉は、時に罪になるかもしれないと感じたのは、タエだけじゃないだろう。きっと話題にされてしまった八重樫にはたまったものではない。

「あんの馬鹿だきゃ〜。言うか、普通?」

 怨嗟の言葉も今更だろう。が、気になることもひとつ、ふたつある。

「ちょっと、八重ちゃん。森君と付き合ってたなんて聞いてないけど?」

 ここ一年ほどは、八重樫と一緒のことが多かったように思う。確かに森という男も何度か遊びに行った仲間の中に居たことは記憶しているが、悪いがタエの記憶に鮮明に残るほどの印象が無い。それどころか、はっきりとした顔も思い出せないところをみると、かなり印象に薄いのではないだろうか。

「え!? んん〜、付き合ったっていうか、酔った勢いっていうか…」

「は? まさか、憶えて無いっていうの!?」

「いや、覚えてるよ。ちゃんと憶えてる。つうかさ、ちょっと大変だっただけで…」

 シドロモドロとまではいかないまでも、澱むような口調は、滑らかというには程遠い。

「ん? そうだ、大変って何が大変だったの?」

 そう聞いたタエに八重樫の表情は眉を寄せてムッと唇を突き出す困ったようなものだった。そうとうに言い辛いものなのだろう。

「聞かせてあげましょうぉ。森チン曰く…」

「ちょっと、ちょっと!! 言わなくていいっての!!」

 福江が言いだそうとしたのを、八重樫がバタバタと両手を振って静止した。もう少しで口を塞ぎかねない勢いだ。

「そんなに大変だったの?」

 なんだかうろたえる八重樫を見ているのも気の毒になってしまったタエは、その質問にだけ頷いてくれれば詳しく聞こうとは思わなかったのだが

「…ああぁ、もう。福子に知られてんなら、もういいわ。多恵果にも話しとくわ」

と、肩を落として話し出してしまった。

「バイトしたての頃『シンフォニー』に来てくれたのよ。あたしも初めて知ってる人が来てくれて調子に乗っちゃって呑みすぎちゃったのよね。不覚にも酩酊しちゃってさ、気が付いたら森の部屋じゃん。まぁ、あっちもその気だったらしくてさ、こっちも酔ってたし、悪い男でもなかったのは知ってたし、初めてだけどいいかなぁって思って」

 そこまで話して、八重樫はグラスの中身を一口舐めた。言い難いことを話すと緊張に口が渇くのだろう。

「酔ってりゃ、初めてでも緊張しないかな?って思ってたんだけどさ。甘い考えには、ちゃんとしっぺ返しも付いて来るんだよねぇ。森の奴も緊張してたんだろうね。なんかそれが移ったみたいで身構えちゃってさ。入ってきた時のあまりの痛さに力入っちゃって、アソコが痙攣したのよ。んで、一巻の終わり」

「は?」

 おどけたように両手を軽く挙げる八重樫だったが、タエにはその言葉の意味が理解できない。自然、疑問符が出た。

「平たく言えばぁ『膣痙攣』ってやつよねぇ」

『ねぇ』という仕草は、首を傾げた可愛いものだが、言葉の意味合いはとても可愛いという代物ではない。

 タエが理解するより早く、八重樫が噛み付いた。

「あんたねぇ! 平たくも何も、そのまんまじゃないのよ!! 面白がってる?」

「いえぇ、同情申しあげますぅ」

 そんなやり取りを聞きながら、ようやくタエは言葉の意味を理解しつつあった。

 言葉そのものは、性的感心が旺盛だった頃に何度か聞いたことがあったが、実際に体験したことも無ければ体験した話も聞いたことが無かった。それ故に滅多なことでは出会うことなど無いだろうと記憶の隅に埋もれていた言葉でもあった。

「あれって、どうなるの?」

 素朴な疑問だといえば、そうなのだろうが、聞かれた八重樫は『うっ』と唸って答えを渋った。

「わかんないわよ! 初めてだったから痛いのが先で何も感じられないし。森が『痛い痛い』って騒ぐし、もう最悪よ!」

「で? どうしたの?」

「……どうしたもこうしたも、抜けないって騒ぐし、あたしは痛いし。救急車も呼べないし、病院に電話しら『すぐに来てください』って言うから、森に抱っこされたまま車で病院行ったわよ。もちろん、コート羽織ってだよ! 裸じゃないけからね!!」

「中はぁ、裸だった癖にぃ」

 福江の言葉に、片手で顔を覆う八重樫は、いつもの調子が取り戻せそうになかった。

 今度は福江に叱責の目線を向けながら、タエは八重樫の肩を二度三度叩いて笑顔を向けた。

「で? 病院では、どんなことしたの?」

 もしかするならば、自分にも降りかかる災難かもしれない。知っておいて損は無いという考えからの質問だが、八重樫にすれば恥の上塗りに思えたとしても仕方ないことだろう。

「簡単だったわよ! 筋弛緩剤っての打たれら、あっという間に離れたわ。森のアソコは、かなり悲惨なことになってたけどね」

「……悲惨って?」

「輪状うっ血でぇ、二ヶ月くらい内出血の痕が消えなかったらしいよぉ」

 八重樫の代わりに福江が答えた。

 キッと睨む八重樫と驚きに眼を見開くタエに対象が面白かったのか、福江はクスクスと鼻を鳴らして笑っている。

 そんな驚きを深く掘り下げるのもどうかと思うタエは、もうひとつの疑問を口にした。

「でも、八重ちゃんって、あたしが見ても相当の美形に見えるんだけど」

 同意を求めるように福江を見れば、もちろんと言うように二度ほど首を縦に振る。

「んん〜、自覚はあんま無いけど、とりあえずは『ありがとう』って言っとくわ。んで?」

「高校生の頃からだって、そうそう変わったってこともないでしょう?」

「そりゃ、そうね。多少、化粧が濃くなったとか、髪型が変わったとか、お酒呑むようになったとか」

「きっと、高校生時代から男の子にはモテたよね? なんで初体験が、つい最近なわけ?」

 これについても、素朴な疑問という他にないのだが、問われた八重樫の方は『は?』というように口を開けてしまっていた。が、大きく肩を落として、短く息を吐いた様子は、どことなく諦めたような表情が窺える。

「まさかこんな話の流れになるなんてね。変わんないのは、性格も同じよ。こんな性格だから、遊んでるように周りからは見られてたみたい。噂では、あたしの初体験は中学生だったみたいだし。そうなると寄って来るのは、遊び相手探しの軽い奴ばっかだったから、自然と敬遠してたみたなもんね」

「噂を本当にしよう‥とか考えなかったの?」

「う〜ん。半分はあったかな? でも、そこまでする相手も理由も無かったからかなぁ? 初体験の時期で価値が変わるとも思ってなかったし」

 ちょっと視線を落とした八重樫は、暗めの照明のためだろうか、もともとが美形の憂いが溢れたような大人っぽさが見えて、タエは少し恥ずかしくなった。

 タエ自身、同級生の成長過程に遅れたくないような下心が無かったとは言い難い。

 初体験の相手が本心から好き合っていたとは、今の自分に問うてみても『YES』と答える気にはならない。

「なんで多恵果が暗い顔すんのよ。大体、あんた、こんなことしてていいの? 一番の功労者に知らん振り?」

 ちょっとした哀愁とでもいう感慨に耽っていたのだろうか。タエの視線は、いつのまにか下方を向いてしまっていたらしい。

「功労者って?」

「決まってんじゃん」

「キジマ ユウヤってひとぉ」

『えぇ?』っていう表情が、隠しようも無く出ていただろう。

「まさか、このまま『しめしめ』って感じで無視する気じゃないでしょうね?」

 八重樫の斜に構えた姿勢の嫌味な目付きは気に入らないが、タエとて気にしていなかったわけではない。

 余計なことをしてくれたとは思わないが、それでも自分の負担を了解も無く軽減してくれたことに感謝と憤りの両極端な感情が入り混じっている。

「……どうしろっていうのよ」

 素直に受け取るのなら、窮地を救ってくれた恩人には違いない。が、タエの心の中としては、かなりなお節介と感じることも事実。

 何より、専門的に勉強してきたはずのタエよりも、数段レベルの高いレポートを作り上げたユウヤに嫉妬のような感覚が無いとも言い切れない。

 諸手を挙げて喜ぶには、タエの心情はあまりにも複雑すぎる。

「お礼のひとつでも言っておけば、これから先のレポートも安泰かもよ?」

 ニヤけた顔をする八重樫に、タエは小鼻に皺を寄せて『イイ〜!』という顔を見せた。

「そんなズルイこと考えてないわよ。知り合ったばっかだし、謎も多い人だし」

「なぞぉ〜?」

「身体まで知っておいて、何を今更」

 八重樫も福江も、昨夜の事情を知ってしまっている以上、タエとユウヤが普通に親密な関係だと思っている。

 当然の結論なのは理解できるタエだが、その中身はどうにももどかしい。

「…優しいし、気が付くし、物腰も柔らかいし、顔も悪くない…とは思うよ。けど…表現し辛いんだけど…踏み込めない一線ていうか、変に陰があるっていうか。あたしが入り込んじゃいけないような過去があるみたいな…」

 軽くフワフワするような頭を、何度か左右に傾けながら、昨日、今日のユウヤを思い返してみる。

 アルコールが回りだした頭で記憶を手繰るのは面倒臭く思えるが、千佳子や恵庭といったユウヤの知り合いの言葉の端々に、ユウヤの過去が潜んでいることは理解できた。

 それを知られたくないとユウヤが思っていることも…。

 確かにユウヤには、今までに持ったことの無いような感情が生まれてしまっていることを否定する気は無い。けれど、それが身体という快楽的なものからもたらされているものなのか、それともユウヤという人物の内面的魅力によるものなのか、今のタエには微妙過ぎて判断しかねるような気がした。

「あんたが暗い顔になって、どうすんのよ。変に深く考え過ぎてんじゃないの? 利用できるなら利用した方がお互いの為ってもんでしょ?」

 どこまでいっても利害関係でしかお互いを考えられないのかと思えてしまう。

 八重樫にとって、男女の関係は、逐一利害が伴うのだろうか? いや、もしかすると友人関係においても、その意識は生かされているのかも知れないと思うと、少しだけ背筋が寒くなった。

「ミッチュはぁ、損得勘定でぇ人間付き合いしてるのかなぁ? 心にも無いことぉ、口にしてるとぉ、損してばっかりだよぉ」

 上目遣いにする福江は、責めるというよりは同情的な叱責だったかもしれない。

「福子って、あたしの人格を壊す気なのね。あんた達だから言うに決まってんじゃん」

 フンとそっぽを向く八重樫が、本来の人格であることは分かっている。が、口に出されてしまうと、その本意が薄くなってしまうのは、タエ自身、まだまだ人間観察の修行が出来ていないのかと思えてしまう。

 そういった意味では、福江の方がタエより幾分、八重樫の本質を見抜いているのかもしれない。

「タエちゃんはぁ、キジマさんにぃ、今、会いたいって思わないのぉ?」

 福江が聞いてきたことに、一瞬だがタエは迷った。

 会いたいと思うとか会いたくないと思うとかの問題なんだろうか?

「ええ!? う〜ん、どうだろう……」

 そう答えてみたものの、本心など言われる前から決まっている。

『会いたいに決まってる』とは、恥ずかしくて口に出せるものではない。

 会って沢山の話をして、もっと多くのユウヤを知って、何気ない感じで触れ合っていたい。

 でも、それが『恋』とか『愛』とかいう括りで表現されるのは、変な違和感があって納得できないとも思える。

 目的地も決めずに走り出してしまった車を運転しているような感覚が、タエの今の正直な気持ちでもあった。

「タエちゃん……」

「お待ちどうさま!!」

 福江が何か言いたそうな顔つきでタエを見詰めたような時、バッドタイミングなのかナイスタイミングなのかマスターが大きな包みを抱えてドアを押し開けてきた。

「タエちゃんのお祝いに寿司、握ってもらってきた!! 特上だかんな! さぁ、喰え!!」

 毒気を抜かれたのか、刺されたのか。

 そんな想いも宙に浮いたまま、三人は執り合えず滅多に口に入れることの無い『特上寿司』を頬張ることに決めた。

 そんな中にも、タエは『遅くなっても電話して、ユウヤと話した方がいいかな』くらいは考えていた。






              つづく


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