ユウヤ 第二夜 2
熊山の絶叫にも似た雄叫びは、店内にも反響したものか、数人いた店内の客や店員までもが、不信な面持ちでこちらを窺っている。
「おい! よせよ! 昼真っから変態扱いされるのはゴメンだ」
グラスの底に残った僅かな泡を飛ばして抗議したが、熊山の驚きの表情は、そんな抵抗くらいでは意にも介さないのか、額辺りに飛沫を受けても、何の変化も起こさなかった。
「おい…なに、固まってんだ? そんなに驚くことか?」
呆然と、まるで石像にでもなったかのように動かない熊山に、ユウヤは手をひらつかせて窺った。
一瞬だけ眼を大きく見開いた熊山だったが、一気には動けず、目の前のユウヤの手を追うように伸ばした手は、ノロノロとした動きでぎこちない。
「おい! いい加減、馬鹿な真似はよせ! 変な眼で見られてるぞ。大体、男なんだから女くらい抱くだろ? 犬や猫でも抱いたわけじゃあるまいし」
「……お前に限っては、それに匹敵するくらいの衝撃だ……」
虚ろになっていながらも、思考までは停滞していないのか、熊山は瞬きひとつしないで言った。
「まぁ…俺自身も驚いてる。そんな気になったのも数年振りだしな」
熊山を見る視線を空に投げて、胸のポケットから煙草を一本だけ取り出して口に咥えた。
ふと、胸元が軽いことに気付いたのは、その時が初めてだった。
ライターが無い。
昨夜、車の中でタエに奪われたまま、取り返し損ねてしまったことに、今更ながら気が付いたのだ。
そう考えると、昨夜から今までの間、ユウヤは煙草を吸っていないことになる。幾度と無く失敗し続けてきた禁煙というものが、こんな切っ掛けで始まるのかもしれないと思えた。
そんな様子を見て、熊山がライターに火を灯して差し出した。
勿論、禁煙などする気も無い。素直に煙草に移して大きく吸った。
少しクラクラする酸欠状態が、何故か切ないほどに感じたが、気にするほどのことはなかった。
「…あれから5年。端数も入れれば足掛け6年か……」
呟きのような言葉だったが、ユウヤの耳には、確かに届いていた。
熊山も煙草を取り出して火を灯す。ラッキーストライクの箱をテーブルに投げ出して、まだ肌寒い空気に紫煙を流し目で追った。
遅れて吐き出したユウヤの煙も、その後を追うように流れて、幾ばくかの後に四散して消えていく。そんな空気を遠い眼で眺めてしまう自分が、以前より軽く感じるのは、ユウヤ自身にも不思議に思える。
「今は、それほど考えていないよ。忙しいってのもあるんだろうが、忘れてることの方が多い」
熊山に目線も合わせずに言った言葉は、半分は本当で、半分は嘘だろうと感じる。
時間の経過で薄れていく記憶は、確かに以前よりは霞が掛かったようにぼやけてはいる。が、それ以上に強い妄執のようなものが、月日を経る度に大きくなってしまうような威圧感もある。
「今でも行ってるのか?」
まだ、半分も吸っていない煙草を灰皿に押し付けて、熊山が聞いてきた。
どことなくこちらを見ないようにしているのが分かる。こういう気の遣い方は、親友と言える仲でも、一般人とひどく変わらないというのは、結構な皮肉だなと感じる。
「この頃は、忘れ気味だ。言ったろ? 忙しいし、こっちに居ないことも多いしな」
「お前にとって、最大のトラウマであり、最大の難問ってとこだもんな」
足を組んで腕を組む。その体勢で背もたれに身体を預ける熊山は、やっとユウヤを正面から見た。
「そうでもないさ。結論は出てるし、結果も明白だ。それ以上も、それ以下も、語るには推論しか出ない。……やめようぜ。今は、そんな気分じゃない」
吐き捨てるような口調にならなっかのが、せめてものだろう。
ここ数年という歳月で、熊山と同じ話題で語り合ったのは幾度と知れない。だが、いつも推論の域を出ないものに結論という二文字は程遠い。
「そうだな! 折角のお祝いだ! 今夜は派手にやろう!!」
勢い良く腕を振り上げる熊山を、ユウヤはげんなりとした表情で返した。
「何の祝いだ? チェリーボーイの初体験でもあるまいし、変な祝宴をしようとするな」
「馬鹿言え。これだけご無沙汰なら初体験に匹敵するだろうが。それだけの価値があるし、何より、その真相を肴にしなけりゃならん」
一服吸った煙草を灰皿に押し付けて、肺の中に残った煙を熊山に吹きかけた。ちょっと嫌そうな顔をしたが、それだけだ。大して嫌がらせにもなっていなかったようだ。
「お前のツマミになるつもりなど無い。大体、お前、酒も呑めないだろうが」
学生時代、熊山は酒を浴びるほど飲んでいた。二日酔いや迎え酒で登校することも珍しくなかった奴なのだが、卒業と同時にピタリと呑むのを止めてしまった変わり者でもある。
身体を壊したらしいのだが、病状などは話さないので、一切の詳細は不明だが、一時期から肌が浅黒くなった感じがするところをみると、肝臓あたりに異変をきたしたことは明白だろう。
「この頃は、付き合い程度には呑む」
ふふんと空を向く熊山は、図体の割りに子供染みている。ナリが大人の癖に、することが子供のようなところが憎めないところでもあるのだが、似合わないものは似合わない。
「俺とは、呑んだことないだろうが」
「お前とは付き合いを考えてまで呑む必要性が無かったからだ。今日はお祝いなんだから、祝杯くらいは頂かないと」
「一度、お前の頭を割って見たいもんだ。友達と呑めないで誰と呑む?」
そう質問した時に、熊山の携帯が鳴り出した。
「おっと」という感じで素早くポケットから取り出して耳に当てた。
席を立つなどという行為はしない。聞かれて困るようなものなど、二人の間には既に無いのだ。
「ああぁ〜、今はお茶してる。………予約だったか? ………お前が面倒みてやれよ。………俺を名指しってのも気に入らん。大体、お前が居るんなら……」
そこまでを聞いてユウヤは、熊山から携帯を奪い取り
「心配しなくていい。すぐにもどるから」
と言って通話ボタンを切った。
「おいおい、勝手に俺のスケジュールを決めるな」
文句を言ってきた熊山に携帯を投げ返して、ユウヤは首を振って見せた。
「仕事だろうが。いくら店長でも、遊び歩いて良いなんてことはない。最低限の責任くらいは持てよ」
図体も態度もデカイ熊山ではあるものの、指先の神経には繊細さが凝縮されているのか、こんな奴でも一店舗ではあるが美容室の経営者である。
当初は、大型チェーン店に勤めるつもりだったらしいが、性格が災いしたのか、本人曰く「肌に合わない」と今の店を自分で立ち上げた。
腕は良いのか、顧客も増えていき、気が付けば二年で開店当時の借金を八割方返済してしまうという快挙を成し遂げた。
が、今は、ご覧の通りのダラケぶりで、店員に店を任せては、ヒョイヒョイと抜け出す始末である。ユウヤでなくとも、少しくらいの苦言を呈しても罰は当たるまい。
「お前に言われんでも分かってるよ。二時間だけ待ってろ。んん〜と、そうだな『鳥若』で待ち合わせよう。逃げんなよ。ちゃんと密偵を送り込むかんな」
イソイソと席を立って歩き出しているくせに、叫び声になるほど遠くになっても指を指しながら何事か話しながら去っていく熊山を、ユウヤは溜め息で見送ったものの、軽く片手を挙げるくらいの愛想は見せてやった。
さて、二時間もの余暇をどうしようかと思い悩んだが、これといってすることもない。
二時間なら映画の一本でもと思うが、この街には十年ほど前に閉鎖された映画館があるだけだ。
本屋で立ち読み、CDショップでアーティスト漁り、喫茶店でのんびりと、など等と考えてはみたものの、行動に移すには何だか身体が重い。
ブラブラと街を横断しつつ、気が付けば待ち合わせの『鳥若』の前だった。
やっと陽が沈みかけたような時間帯に、居酒屋はまだ準備中だ。そこに押し入るほどユウヤも野暮ではない。開店前の飲食店ほど雑用に追われる仕事も無いだろう。
ましてや『鳥若』は、カウンター席の前で炭火で焼き鳥を売る商売だ。今頃は炭に火を入れる大事な時間帯だろう。
やはり喫茶店にでもと踵を返そうかと思ったところに、白木作りの引き戸が開いた。
「どうして兄貴がやると煙だらけになんだよ! 客を燻製にする気かよ!! 火災報知器が反応しないのが不思議だぜ」
聞き覚えのある声と共に若い男がゲホゲホと咽返りながら出てきた。
開かれたドアの奥からは、男を追い掛けるように灰色の煙が這い出して、通りの空へと四散していった。
「うるせーな! これからちゃんと火が付くんだよ!! 仕込み終わらせろ!!」
店内からは、これまた一言を発する度にウェウェと咳き込むような怒鳴り声が返ってきた。
『鳥若』の店主の子供で、今年二十二歳と二十歳になる兄弟だ。
兄は相撲取りのような大柄な男だが、弟の方はまるで欠食児童のような痩せ型という相反する二人だが、性格は両方とも店主の父親に似たのか、かなりの大雑把さだ。
「酸欠で仕込みなんか出来るか! って、あれ? ユウヤさん!?」
「ちっ」と舌打ちしたくなる気持ちを顔に出さずに振り向けたとは思う。が、ちょっとばかり気が重い素振りは出したつもりだった。
「やっぱユウヤさんだ。早いっすね? まだ、準備中なんすけど、どうっすか? 遠慮しないで入ってくださいよ」
準備中なら入店を断るのが普通なはずなのだが、弟はユウヤに走り寄ると右腕をがっしりと掴んで引きずってでも連れ込むような力の入れようだ。
「い、いや、邪魔をしても悪いから、また後で出直すから」
と、掴んだ手を引き剥がそうとしたのだが、弟の方はクルリと背中に回ると、腰に両手を回してユウヤを抱きかかえるようにして店の入り口へと進み出してしまった。
「おい! こら! 後で来るって言ってるだろ!!」
なんとか呪縛の手を逃れようと暴れてみたが、ほぼ宙吊りの身体は、難なく戸口を越えて、煙の充満した店内へと導かれてしまった。
途端に煙を吸い込んで咽返る。
「こんなんっすよ。ユウヤさん、なんとかしてもらえないっすか?」
「やっぱり、そんな魂胆か」という言葉は飲み込んだ。というより、咽返る苦しさに、言葉など出ない。出るのは煙に負けた眼から涙が零れるくらいだ。
「換気扇くらい回せ! 排煙装置もあったろうが!」
押し込められたものは仕方が無い。
ユウヤは、厨房に飛び込んで、壁にあるスイッチ類を叩くような勢いで押した。
大型のファンが回り始め、煙が一方向に流れ出す。濛々と白煙を吐き出していた炉も、下に取り付けられた排煙装置が働いて、煙は下へと吸い込まれていく。
「ありゃ? ユウヤさん。早いっすね?」
厨房の隅で団扇を片手に両目から涙を流している相撲取りがにこやかな顔で言った。
「お前達は、何をやってんだ? オヤジさんは?」
二メートルはあろうかという炉に、ダラダラと炭を並べ、その周りに割り箸の残骸が黒く炭化している。どうやら、これで火を炭に移す気だったようだ。
「例によってオヤジは、これっす」
弟が右手を掴むような形にしてクルクルと回してみせる。
「またパチンコか? 好きなものはしょうがないとしても、店の準備くらいは、ちゃんとして行けって言っとけよ」
呆れ顔になってしまっても仕方ない。そんなユウヤを苦笑いで見る兄弟も、ある意味、そんなオヤジの犠牲者と言えなくも無い。
「んで? 開店準備をお前達に任せたってわけか?」
「兄貴が安請け合いしたんすよ」
「あぁ、きたねぇな! お前だって『任せろ』くらい言っただろが」
「言ってねぇよ! 『手伝え』って無理矢理連れて来たんじゃねぇか!」
「馬鹿言え! 『仕込みは、俺がやる』っつったろが!?」
「もう、いい。やめろ。疲れる」
変な水掛け論が始まってしったのを、脱力した両手を挙げて遮った。
このままだと、殴り合いの兄弟喧嘩に巻き込まれないとも限らない。
「いいか? 二人とも一度で憶えろ。ここの炉は、下に排煙のファンが付いてる。普通は下から空気を吸い込んで煙を上に送るんだけど、こいつは、その逆だ。上から下に煙を送る仕組みなんだ。だから火を入れる時は、こうして炭を盛って上からバーナーで炙る」
手早く広げられた炭を中央に盛り上げ、簡易バーナーで上から火を付けると、吸い込まれるように火は上から下へと紅い色を移していった。
全体が紅くなるまでに数分くらいだったろうか。それを今度は手早く広げて中央を開ける。そこに新しい炭を入れながら、幾つか火の付いた炭を乗せる。
「後は、開店までファンを止める。変に割り箸なんかの炊き付けを入れるから煙が出るんだ」
「さっすが、ユウヤさん。兄貴とは腕が違うよなぁ」
「うっせい! いやぁ、手間取らせてすんません。でも、ユウヤさんが居てくれて助かった〜。仕込みの途中なんで、大したもん出来ないけど、酒くらい出せるんで、呑んでって下さいよ」
さぁさぁとカウンターの席に押しやられたユウヤだったが、兄貴が手にした日本酒の瓶を一瞥して驚いた。
「お前! それ『司牡丹』の大吟醸だろうが!? 気安く出す酒じゃないぞ!」
一升瓶の半分を藁で包まれた酒瓶には、牡丹の鮮やかな花が咲いたラベルが貼られている。
地方の居酒屋で手に入れるには、かなりの苦心をする一品を、この兄貴は開封しようというのだ。
「昨日、入ったんすよ。心配しないで下さい。オヤジにいわれてるんっす。ユウヤさんに出すようにってね」
ユウヤの脳裏に髭面の剥げ頭のオヤジがしてやったりという笑顔を浮かべているようで、薄気味悪い気分は拭えない。ということは、ここに誘った熊山もその一端を担っていたのだろうか?
一升が数万円という日本酒を、まるでその辺の特級酒を扱うように封を切る兄貴を溜め息にも似た落胆顔で見詰めながら、何の気なしに弟に視線を移して、またも驚く。
「こ、こら! 仕込みって鳥をさばいてんのか!?」
「そうっすよ。焼き鳥屋なんすから」
簡単に返事が返ってきたが、その所業をユウヤには見過ごすことはできない。
「そいつは、胸とか足とか手羽とかを分けてないのか?」
弟が包丁を入れているのは、内臓を取り出しただけの、鶏の姿をしている。羽根を取り外しているとはいえ、その姿から部位に分けて肉を外すというのは、多少の技術が必要だ。
今日、昨日に包丁を持った人間が、肉の筋に従って解体するなど、無理難題もいいところだろう。
「スーパーなんかで『胸肉』とか『もも肉』とか書いて売ってるだろ? そういう風に分けないと油の部位が違うんだから、焼きにムラが出来るだろうが」
結局、弟の包丁を奪って、バラバラ殺人のような鶏肉を、部位に分けて切り分ける羽目になってしまった。
「何をしているんだか、まったく」という気持ちは言葉にはしないが、なんとも複雑な気持ちで十数羽を切り刻んでしまった。
「オヤジさんは、こんなお前達に何を任せたんだか」
不満というか愚痴というか、手を洗い清めるユウヤの口から零れた。
「ウチは焼き物がほとんどですからね。ここまでしてもらったら、もうすることないっすよ」
そんなことを問題にしているわけでは無いのだが、この兄弟の中では、すでに問題は解決してしまっているようだ。
「この後、連れが来ることになってんだ。こっちの小さい小上がり使わせてもらうぞ」
これ以上、この兄弟と付き合っていると、気になったことを自らの手で始末してしまう可能性がある。世話を焼くことが嫌いなわけじゃないが、こうも無理矢理な工程を見せ付けられるのは、精神的に堪える。
「じゃ、そっちに銚子で酒持っていきますよ。なんか、ツマミあったかなぁ?」
兄貴の声が追い掛けてきたが、構わずに小上がりに上がり込んで、壁に背を預けて一息吐いた。
どうにも身体が重い。頭が重いってのもある。
どうやら寝不足にちょっとした頭脳労働、今の肉体労働が重なって、疲労のピークがきたのかもしれない。
「ユウヤさん。お酒っす。海鼠腸でもツマミにしてください」
弟が顔を出して、テーブルの上に銚子を二本と小鉢を置いていった。
「ああぁ、すまない」
と、言ったのは反射的な反応だったのだろうか。
置かれた酒に眼を向けながらも、それに手を出すような気になれない。
物凄く瞼が重い。何度か眼をしばだたいたが、気力で持ち上がるほど軽めの眠気では無かった。
肩膝を両手で引き寄せた姿勢をしただけで、ぼんやりとした視界は暗転と返した。微かに覚えがあるとするならば、大きく息を一度した。それだけだった。
夕方の公園といえばムードがあるが、既に陽が落ちた公園は、薄暗闇に遊具が点在するだけの空間だった。子供達は、夕飯の時刻だろうし、都会の憩いの場とは違う田舎の公園など、街灯すら無い不気味な空間に変貌してしまう。
お互いの顔も旨く確認できないのに、何故かブランコだけは、はっきりと確認できた。
そこに腰掛けて子供のように二、三回漕いでみせる傍らで、ユウヤは吸っていた煙草を落として足で揉み消した。
「こらこら、子供の遊ぶところなんだから、煙草捨てるなんて有り得ないよ」
ブラブラと前後に往復する身体を、足でブレーキを掛けながら那美が注意してきた。
拾い上げるような気にはなれずに、ブランコの支柱に身体を預けて空を向いたユウヤに、那美は腕だけを伸ばして煙草の吸殻を拾い上げたようだった。
既に東の空は黒い色彩の中に幾つかの光点を煌めかせている。西の空は、僅かな朱色を残すほどだが、ほんの数分でその色を夜の闇へと変えることだろう。
「……納得できる理由があるんだろ?」
言ってみたものの、返って来る返答に納得などできるわけなどない。どんな正当な理由があったにしろ、それに頷けるような気持ちの整理がユウヤには無いのだ。
「わかんないかなぁ? これ以上、お互いが付き合ってても、たぶん擦れ違っていくだけだよ? ユウだって、本当は分かってるでしょ?」
那美は、拾った煙草をポケットに仕舞い込んで、また一度、大きくブランコを漕いだ。
そのまま振られるブランコに任せて両足を揃えたまま高く突き上げた。
「俺が悪いって言いたいのか? ……お前が、そう言うなら、そうなのかもしれないけど。……だったら…」
「ああぁ、ストップ、ストップ。どっちが悪いってことじゃないんだ。言い方が良く分かんないけど、このままじゃ、お互いが、きっと好くない方向に向かっちゃうってこと」
「だからって、こんな突然に別れ話って、理解しろって方が無茶だろ?」
那美の方を向いたユウヤだったが、暗闇に閉ざされた空気の中では、那美の輪郭は確認できても、その表情までは伺い知ることは無理だった。
「……ちょっと、お互いの距離を置いて、時間を費やしてみようってこと。会いたくなったら会って、声が聞きたくなったら電話したらいいし、何も変わらないんじゃない?」
「だったら、なんで『別れたい』なんだよ? 言ってることがわかんねぇよ」
ザザっと地面を擦る音がして那美の身体が動きを止めた。
首から上が動いたのを確認できたのは、那美がユウヤの方を向いたからだろう。
「恋人っていう括りから友達に戻るだけ。呼び名が変わることが、そんなに重要なこと?」
グッと奥歯を噛み締めてみても、今までの付き合いが6年にもなろうかという二人に、これからの友人という括りに何の意味があるというのか理解することも出来ない。
ほぼ毎日の学生生活を共に過ごし、社会人になってからも既に二年をこうして過ごしてきた。
大きな喧嘩も何度かあったが、それすら今では二人にとっては良い調味料のように感じてもいた。
それが今日という日を境に友人になろうというのでは、そもそもの原因すら思い当たらない。
ここ数ヶ月は、仕事の忙しさもあって、会えなかった日があったが、一週間も空けたようなこともない。
まるで天から降って湧いたような話に、ユウヤ自身が戸惑うのも無理の無いことかもしれなかった。
「別れる理由くらいあるだろ? そりゃ、気持ちの上で揺らいだこともあったよ。でも、浮気なんてしたことないし、お前に寂しい思いさせたこともなかっただろ?」
別れる大きな原因といえば『浮気』だろうと単純に考えるユウヤは、確かに那美と付き合いだしてから皆無といえる。しかし、気持ちの中で、昔に付き合っていた女性を密かに思っていた時期も無くはなかった。
だからといって、今もそうなのかと言われれば、答えは『否』と即座に言えるだけの自信はあった。
順調に思えたからこそ受け入れられない別れ話にしか思えないのだ。
「…そうかなぁ? もう、違うんじゃない?」
ゆっくりと揺れる那美の身体は、仄かに吹く風に押されているようだ。
「違うって、何が?」
喉の奥が乾いてひりつくような感覚がある。
言われていることに心当たりなどないが、那美の口調は、どこか笑みを含んだような感じで、ユウヤの心をザワつかせる。
「だって、もう、抱いたでしょ?」
大きく一度だけブランコを漕いで、その勢いでブランコを降りると、フレアのスカートがフワリと膨らんでスッと落ちる。
背中を向けた那美は、んん〜という風に首を傾げているようだ。確かな姿は見えないものの、暗闇の中、シルエットはサラリとした髪を風に幾重かなびかせている。
「抱いた? 誰をだよ?」
手を伸ばせば届くはずの距離が、ユウヤには酷く遠い距離に感じる。心の距離なのか、それとも暗闇が感じさせる幻想なのか。
「……ねぇ、ユウ……〇〇、どこにやったの?」
手を後ろに組んで、満天の星を見せ始めた空を仰いで、那美は呟くように言った。
「なんだ? 何を、どうしたって?」
声が小さかったせいか、細部まで聞き取れなかったようだ。
「ふうん。まだ、わかんないだ。いいよ、急いでないし」
那美は、そのまま前へと歩き出して、ユウヤと距離を離していく。
「おい! 話は終わってないぞ! このまま帰る気かよ?」
追いかけようとしたが、身体が思うように動かない。伸ばそうとした腕も、まるで鉛でも持ったかのように重くて旨く上がらなかった。
数歩歩いた那美は、不意に立ち止まるとゆっくりと首だけを横に向けてユウヤを見た。
それまで輪郭すら確かめられなかった暗闇に、那美の眼だけは、はっきりと見ることが出来た。
今までのどんな瞬間より冷たく、どんな場面よりも悲しげな瞳は、ユウヤを見ているはずなのに、その姿を映しているようには見えなかった。
「わからないなら、わかるまで、そうしてたらいい。また、聞きに来るから……」
一度、閉じた瞼は開かれることなく、すぐに顔を背けると、スタスタと歩き出してしまう那美を、ユウヤは言われた意味もわからずに見詰めてしまっていた。
「…お、おい! ちょっと、待て!」
言ってみたが、那美が振り返ることは無く、夜の闇の中に消えていく背中を、動けない身体でもがきつつユウヤは叫び続けた。
「待てっていってるだろ!!」
「ユウさん!! 大丈夫!?」
眼に前に女性の顔があって、ユウヤは驚いた。
那美かと何度か眼をしばたいたが、長い髪を後ろに束ねたポニーテールは、那美の面影とは掛け離れ過ぎていて、思い違いだと悟った。が、その判断までに、幾ばくかの時間を要した。
「うなされてましたよ。悪い夢でも観てました?」
「愛美ちゃん?」
うりざね顔の可愛い輪郭に、小鹿のような大きい眼が印象的な彼女は、背中の真ん中ほどまである髪を一本に束ねるポニーテールだ。
化粧は殆ど施していないが、つるんとした卵の剥き身のような肌質が、活き活きとした健康美を醸し出していて、スタイリッシュな身体と共に彼女の魅力となっている。
美人系というより、行動派の健康美というフレーズが似合う。
「すんごい汗。そんな、怖い夢みてたの?」
ハンドバックからハンカチを取り出して、ユウヤの額を拭う愛美は、心配そうな表情を向けている。
「い、いや…そんなわけじゃ…。ありがとう。もう、大丈夫だから…」
愛美の手を払い除けて、自分の袖で一度、顔を拭った。汗を吸って色が変わる袖口は、腕の方まで広がって、ユウヤの驚きは深くなった。
それほど怖い夢ではなかった。
それどころか、今までの悪夢のようなものから比べれば随分とソフトな感じに思える。なのに、身体の反応は、いつもと変わらないような感じだ。
布団の中では、それこそ水にでも浸かったかのようになってしまい、下着からパジャマまでを取り替えなくては気持ち悪いほどになる。
その時と比べれば、首から上に汗は掻いているが、身体の方はそうでもない。が、起こされていなければ、それとてどうなっていたかはわからないかもしれない。
一度、大きく深呼吸して眉間の辺りに力を込めた。
愛美から見れば、ちょっと険しい感じに眼が細まったくらいにしか見えない変化だろう。
「愛美ちゃんこそ、どうしたの? まだ、仕事じゃないの?」
首筋を手の甲でひと拭きすると、汗は嘘のように引いていく。
気持ちの切り替えに、僅かな違和感は残るものの、不自然な笑顔にはなっていないことには自信があった。
「…大丈夫そうだね? なんか苦しそうだったんで、ちょっとビビッちゃった」
ホッとした表情に、いつもの幼さが残る笑みを浮かべて愛美は眼を細くした。
添田 愛美は、熊山と交際三年になる女性だ。今年で二十三歳という愛美は、都会の女子短大を卒業後、報道関係に入社を希望していたが、ことごとく失敗。第二希望であった雑誌社の記者になろうと努力したのだが、そこも門前払いになった。
結局、潜り込めたのは胡散臭いゴシップ雑誌社だったのだが、そこでの仕事は、嘘から真を作り出すという、一種の詐欺雑誌だった。幻滅と失意と社会の厳しさといい加減さを同時に味わったような気分に半年もせずに退社。そのまま地方行きの飛行機に飛び乗り、途方に暮れていたところを熊山にナンパされ、下心なのか親切心なのか事情を聞いた熊山は、この街周辺を取材対象にしているタウン誌を発行する会社に愛美を就職させたのだった。
当時は、付き合うようなことは無かったようだが、気が付けばいつも一緒に居るような関係になり、現在に至るようだ。
本人達ですらはっきりとした区切りを認識していないのかもしれない。どちらに聞いても付き合いだしたのは『三年前』と言うばかりだ。
「あたしは、ユウヤさんの見張り役ですって。貴ちゃんが言うには、油断すると違う店に呑みに行くから、俺が行くまで見張ってろって」
熊山が別れ際に「密偵」と言っていたのは、どうやら愛美のことだったらしい。
まぁ、そんな気がなかったといえば嘘になるユウヤにとっては、多少の苦笑いになった。
「仕事は、終わったの?」
「ま〜だ、取材途中。ほら、駅前の新しいビジネスホテルが、一部改装して観光客向けの温泉とサウナを完備したでしょ。あれを写真に収めなきゃなんないの。……もう、今日は諦めたけど」
ユウヤの様子が、愛美の知るいつもの雰囲気に戻ったのを確認してから、ユウヤの向かいにテーブルを挟んで腰掛けた愛美は、大きめのショルダーバッグから真新しい一眼レフのデジタルカメラを取り出してユウヤに向けた。
「新しいの買ってもらえたんだ? 広角レンズかい?」
わざと顔の前に手を持ち上げて、顔を隠すようにしながらも、愛美のカメラを観察することは忘れない。
「あれ? 広角ってわかる? 貴ちゃんじゃわかんないのよねぇ」
クスクスと鼻で笑う愛美は、制服を着ていれば女学生と言っても信用されそうなほどに笑顔が幼い。
つい数週間前まで、玩具のような小さなデジカメを持たされていたことを鑑みれば、他人の評価もそれほどユウヤが感じる幼さと大差はないのかもしれない。
「ユウヤさん。これ、置いていきますんで、好きに飲んでいってください」
不意に小上がりの入り口から弟の顔が覗くと、言い終わらないうちに『司牡丹』の一升瓶がドンと置かれた。
「おいおい、こんなものを置いて行くな。さすがの俺でも呑めやしない」
文句を言ってみたが、弟の方はケロッとしたもので「残しても次がありますって」と手を振る始末だ。
「こんな高いお酒、呑んでるの?」
愛美も嫌いな方ではないのは、何度か会っているユウヤにもわかっている。ただ、熊山が好んで酒を呑む男ではないために、愛美が呑める機会といえば、こうしてユウヤと一緒の時くらいなのだろう。
「愛美ちゃんも、どう?」
高い酒を目の前にしてちょっと考え込むような素振りではあったが、愛美が日本酒を嗜んでいるところを見たことはない。いつも焼酎かカクテルくらいだ。
「あたしは、やっぱり酎ハイくださいな! 日本酒は嫌いじゃないけど、悪酔いしちゃう方なんだ」
「はいよ! 酎ハイね! 焼き物、適当に盛ってこようか?」
弟がニコニコしながら注文取りしているのだが、その後ろがやけに騒がしい。
どうやらユウヤが眠りこけている間に、店は開店してしまっていたのだろう。何人かの人影が店内を横行しているのがわかる。
「そうね。あと、おにぎりも何個か出来ない? お腹、空いちゃって」
「わかりやした。んじゃ、ちょっと、お待ちを」
パタンと小上がりの襖を閉めて消えた弟を待って、愛美はユウヤに向かい直した。
「でも、驚いちゃった」
そう言う愛美の眼は、少し意地悪そうな感じに細まって、口元にも薄い笑いが見える。
「そんなにうなされてた?」
先程の自分の様子を言われたのだろうと思ったユウヤの素直な言葉だったが、愛美の方は一瞬だけ怪訝な顔を作った。
「ああぁ、そっちじゃなくて、『女性解禁』おめでとうございます」
恭しく、さりとてかなりのわざとらしさで頭を下げる愛美に、さすがのユウヤも眼を丸くした。
が、すぐに熊山の告げ口だと悟り、苦々しい顔付きで自然と右手を額に当てた。
「ったく、口が軽いよな。そんなこと愛美ちゃんに言うなんて」
自笑気味に言ってみたものの、気心の知れた者同士、ましてや愛美は熊山の恋人でもある。おまけにユウヤと愛美も、既に三年の付き合いでもある。
ユウヤが、女性を抱かないということも先刻承知のことなのだから、それを知られたからといって多分に変な話でもないのだ。
「ま、ま。折角のお祝いにしようって言うんだから、貴ちゃんのことは怒らないでね」
「怒るつもりは無いが、これからの付き合いは考えさせてもらおう」
「ええぇ!?」
軽く首を振って言うユウヤに、大仰に驚いてみせる愛美だったが、言葉自体に本気さが無いことなど分かりきっている。
「童貞を卒業した高校生でもあるまいし、今更、何を祝うってんだか」
多少の呆れ顔と声音に不機嫌さを混ぜてみたものの、愛美相手では本気で無いなど見透かされているだろう。
ユウヤは、既に冷えた銚子を取って、お猪口に注ぐと一口に飲み干した。
「もう、冷えてるでしょ? 新しいの貰う?」
「いや、燗冷ましってのもオツなもんさ」
こういうところは、自分が酒呑みであると笑いたくなる。
普通は燗冷ましなど料理に使うくらいが関の山なのだが。
「でもさ、不思議には思ってたんだよね」
何度かカメラをユウヤに向けては、旨くタイミングを外されてシャッターを切れないままに、愛美はやっと諦めたのかカメラをバッグに仕舞い込んだ。
「なにが?」
一々、お猪口に注ぐのが面倒になったユウヤは、銚子の口から直に呑み出していた。汗を掻いたせいだろうか。やたらと喉が渇く。
「だって、初めて会った時からユウさんて、女性には興味ありそうなのに、エッチしたのって聞いたこと無かったじゃない。ゲイやホモってわけでも無さそうだし、EDなのかなって疑ったりしたけど、それもピンとこない感じだったし」
そこまでを言って、愛美はテーブルに肘を乗せて、考え込むような表情でユウヤを観察していた。
ユウヤの手も、その言葉で僅かに動きを止めたものの、表情の変化までには至らなかった。
内心では、ドキっとするような鼓動が数回、脈打ったが、表面に出すようなことは、今までもこれからも無いだろうと感じていた。
ただ、愛美に返す言葉は見つからない。
「それが、今回解禁になったってことは、何かしら心境の変化があったってことでしょ? 今時、本気にならなきゃ抱けないなんてロマンチストがいないってことは無いかもしれないけど、ユウさんがそれに当てはまるとは思えない」
愛美の目付きが、観察するようなものから、少し睨むような探りのある視線に変化してきている。職業柄、旨く言葉を回しながら、相手の表情を読んでいるのだろう。
「おまち!!」
ガラリと小上がりの引き戸が開けられて、弟が顔を出した。
「酎ハイに焼き物、焼き鳥に豚、砂肝に雛皮。とりあえず盛ってきた。…ありゃ? なんか、深刻な話だった?」
ユウヤにとってはタイミング良く、愛美にはタイミング悪く、弟は二人の表情を交互に見て、すごすごと顔を引っ込めた。
二本目の銚子を手に取って、ユウヤは軽く愛美に向かって掲げて見せた。
「祝ってくれるんだろ?」
「え? ああ、そうでした」
毒気を抜かれてしまったような気分だった愛美は、酎ハイのジョッキを引き寄せて、ユウヤの持ち上げた銚子に軽く当てて口を付けた。
ユウヤの方は、銚子に口を付けて、一気に飲み干すように顔を上げる。人肌より随分とぬるい感じの酒が、喉元を過ぎて胃に落ちてから柔らかい熱みを伝えてきた。
ふうっと息を吐いたのは、そんな熱を吐き出したような気分だ。
「貴からは、何も聞いてないの?」
やっと途切れたはずの話題を、自分から戻してしまうのは、愚行なんだろうと思えるが、なんとなくだが、今夜は少し自分を見つめ直したいような気がする。それが自分にとって吉と出るか凶と出るかは、判断する材料が多すぎてわからない。
「ああぁ、貴ちゃんは『ユウ個人の問題だから、他人が口出ししたり詮索したりするな』っていうだけで、そのことは話してくれないの。それに、その話題になると不機嫌になるし」
愛美は、舐めた程度のジョッキを置いて、ユウヤから僅かに視線を外してバッグを自分の後ろに押しやった。
「そうか。あいつは、あいつで考えているのかもな」
敢えて考えないように、思い出さないようにしてきたことは、当時、どんな形で結びついていたとしても、それぞれが違った考え方をしているのだろう。
熊山にとっても、ユウヤの親友であるが故に、当事者の範疇に入ってしまっている。
お互いに話し合ったことなど無いが、当時のことを思い浮かべれば、それなりに傍に居たことは間違いない。
「…遠い眼をしてるよ。大丈夫?」
チラチラとする目の前が、愛美の手だと理解するのに僅かながらの時間が必要だった。
「ああぁ、悪い…」
言ってみたところで、気持ちなど入ってはいない。そんなトーンだ。
「ああ、あたしもユウさんの近くの人なんだ」
「なんだ、そりゃ?」
ニコッとジョッキを挙げる愛美は、満足そうな表情で眼を細めた。
幼い感じの印象が、僅かながら歳相応の女らしさを匂わせるような感じがする。
「貴ちゃんが言ってたの。『ユウは、傍に居て安心する相手だと、時々だけどボーっとしたように遠い眼をする。気を抜いてる証拠だけど、放って置くと何時間でもそうしてるから、いい加減で遮ってやらないと』って」
その言葉に口をへの字にして大きく鼻から息を吐いた。
言われてみれば、確かにそうかもしれないと思う。が、それを意識していなかったのも確かだと思う。
普段が気を張ったような仕事をしている意識は無いのだが、色々と考えながら会話していることの方が多い。呑みに歩いているような時でも、会話そのものを楽しんではいるが、こうして想いを巡らすようなことは有り得ない。
「こうしてユウさんと二人っきりで話すことも少ないし、少し不安だったんだ。『貴ちゃんの彼女』って括りで相手してくれてるのかな?って」
「最初はそうだったかもね。でも、今はお互いの私生活もある程度知ってるし、性格云々もそれなりに知れてる。一線を引くには、ちょっと近くに居過ぎだろ?」
愛美に対しての印象は、熊山から紹介された時とさして変わりは無いと思っている。思ってはいるが、熊山と会う頻度が高いユウヤには、セットのように愛美が付いてくる。意識して変わったわけではないが、こうして二人っきりで会っても、自然な会話が出来る以上には進展した関係とも言える。
「やった!! 認めてもらちゃった」
嬉しそうに満面の笑みを浮かべる愛美は、結局は無邪気な子供に戻ってしまうようだ。
「じゃさ、じゃさ。あたしにも教えてくれないかな? ユウさん達の昔に何があったのか?」
「え!?」
油断していた気持ちが声になった。
どうしたものかと考えるよりも、真っ白になった思考が次を出してくれない。
「だって、それがそもそもの原因なんでしょ? 貴ちゃんは教えてくれないし、ユウさんにも聞き難くかったし。でも、女性解禁したってことは、そのことを乗り越えたわけでしょ? だったら、聞くのは、今しか無いって感じじゃない? 予想は出来るよ。女性関係なんだろうなって。でも、こっぴどくフラれたくらいなら、余程の精神薄弱じゃない限り、女の人を抱けなくなったりしないだろうし、肉体的欠陥を指摘されて深く傷付いたっていうのも考えられるけど、解禁したってことは、それでもないってことだし。なんか、興味をそそられる話なのよね」
酎ハイが回ってきたのか、愛美は饒舌に話している。が、ユウヤにはその殆どが耳には入ってきていなかった。
まともに面と向かって聞かれたことが無かったこともあるが、瞬間的に全てのことが思い出された。
フラッシュバックというものかもしれない。
グッと苦しくなるような胸の辺りを拳で押さえながら、自然と視線が落ちた。
「ね、ね? 今なら教えてくれるでしょ?」
身をテーブルに乗り出すように愛美は迫ってくるが、ユウヤはグッと唇を噛んで口さえ開けない。
「お前が、それを知ってどうしようっていうんだ!!」
怒声というより雄叫びだったような声が、二人の頭上から投げ掛けられた。
驚きというより苦しさに堪えかねて上げた視線の先に、憤怒の表情で仁王立ちする熊山の姿があった。
つづく