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タエ 第一夜 7

本文に多少の性的描写が存在します。

ご趣味に合わない方は、お薦めいたしません。

「……タエ……今、何て言った?」

 聞き返すかなぁ? ふつう?

 聞かれて、もう一度、改めて言える言葉だと思っているんだろうか?

 そんなはずもない。答えられないことを確信してのことに違いないのだ。

 意地悪だといえばそれまでだろうけれど、ユウヤがこんな言葉に頷くはずもない。

 熱くなってきた目頭が、水玉の盛り上がりを伝えて視界がぼやけてきた。

 膝を抱えるように顔を埋めて、膝頭に両目を押し当てた。

「……タエ……髪…乾かしたら……帰るからな。そのつもりでいろ」

 予想していたような言葉がバスルームから聞こえてきた。

 ホッとするのと切なくなる気持ちが混在するような重い気持ちに、やっと身体が動いた。

 これ以上は、ユウヤの言葉を聞いていたくない。その気持ちからバスルームを出て、そのままベッドに飛び込んだ。

 フトンに顔を押し付けて、グッと湧き上がって来る感情の波を押し殺した。

 出来ることなら、大声で泣き叫んでしまいたい。小さい子供のようにワーンワーンと大声を出せたなら、どんなに気持ち良いだろうと思えるくらいだった。

 いつからだろう。声を上げて泣けなくなってしまったのは。

 声を上げて泣くという行為が恥ずかしいと感じるようになってからなのだろうけれど、それが何時の頃からなのか思い出せない。

 気が付けば、声を押し殺し、涙さえ我慢してきたような気がする。

『あたし、何してるんだろう? ユウちゃんは、バイトしてる店のお客さん。それが、どうしてこんなに切なくなってんの?』

 自分に言い聞かせたつもりでも、その理由など分かり切っている。

 ユウヤに惹かれてしまっているのだ。

 普段のユウヤの優しさや気遣いに触れ、今日のユウヤの意外な一面をあれこれと知って、ユウヤのもっと多くを知りたくなってしまっている。

 いや、本心なら、きっとそれ以上を願っている。先程の『抱きたい?』っていう質問にユウヤが頷いていたとしても、それを拒まなかっただろうと感じるし、もしかしたら嬉しく思ったかもしれない。

 二人の間に、確かな繋がりが出来る。それを快く思っている自分が何処かに存在しているのだった。

 けれど、ユウヤの中に、踏み越えられない一線が存在しているらしいことは、千佳子の含みのある言い方や恵庭の『お前、まだ…』という言葉の中に窺える。過去のユウヤの話を聞きだそうとした時のユウヤの反応もそれを裏付けるものだったろう。

 やっと少し気持ちが落ち着いてきて、ふうっと息を抜くことができるくらいになった。

 ユウヤの過去。それに伴う性格の変化? いや、表現の変化なのか?

 何かがあって、それ以来、上辺の顔を作るようになってしまったということなんだろうか?

 タエは、横向きに寝そべって、夜景の窓に身体を向けた。

 窓外の明かりが、入ってきたときより幾らか減ってしまっている。

 パチンコ屋のネオンや大きな看板の店の照明が見当たらない。きっと閉店してしまったのだろう。

 バスルームからは、未だにシャワーの音が響いてくる。

『……ユウちゃんって、長風呂なのかな?』

 時間を計っているわけではないが、随分と時間が経過しているように思える。

 人を思って切なくなる。

 久し振りな感覚だと思えた。こんな気持ちになったのは、ここ二年以上は無い。

 そう考えると、ふと、変なことに思い当たる。

『あたしって、自分から男を好きになったことって……何回ある?』

 大学に入ってからは、数回の告白を受けたことがあった。けれど、遊びを交えての交友関係から発展しての交際と言われても、タエ自身が足の確保のために利用していた部分もあって、何だかピンとしない感じになっていた。結果、付き合うことも無く、今まできたようなものだ。

 身体だけの関係を求めてきた男もいたのだが、それには結構な数に応えてしまっている。まぁ、扱いにセフレと称されることもあったが、真摯に求めてきてくれる相手であれば、嫌いな男で無い限り断る理由もなかったと言える。が、交際という形を付けられることが、なんとなく嫌だっただけだ。

 高校時代なら、告白されたら付き合ってみて相性や人柄を確かめるなんてことを思ったりもしたが、悟ったことは『男は、結局ヤリたがり』くらいで、自分に飽きてしまえば、すぐに余所見をする生き物だってことだ。

 付き合うという括りを付けることで、いつでもヤレる相手を確保したいだけなんだと思わされてしまう。

 だが、これにはタエの悪いところが無いということではない。

 相手のことを、それほど好きになっていないにも関わらず『じゃ、試しに付き合ってみようか?』という安請け合いが何処かにあったことは否めない。

 好きになる感情。本気になるってことの意味合いが、どれくらいのものなのか?

 それは、今のタエにも、過去のタエにも分からないようなことだった。

 ボンヤリと見詰める夜景が、どことなくぼやけてしまっている。

 暗い部屋に僅かな水音だけが響いて、どうにも瞼が重い気がする。

『………いけない………寝ちゃいそう……髪……乾かさなきゃ……』

 思ってみても身体が動くことを許してくれない。腕を上げようとしたが、鉛のように重たくて途中で諦めた。視界の夜景がぼんやりと滲んで、光りの大きな粒が眼の中に広がっていく。

 直に暗転として、タエの意識は眠りの淵に吸い込まれてしまった。



 夢を見ている。

 そう意識できていたわけではない。

『タエ?』

 呟くような声がして振り返ってみれば、学生服に身を包んだ男の子が立っていた。

 数週間前に友達が紹介してくれた他校の男子だったが、パッと見でカッコイイということもなく、それなりに不細工でもない程度だと思って、とりあえず付き合ってみることにした相手だ。

 彼氏という名称になった時には、それほど感じなかった違和感も、数日前に初体験をお互いに済ませてしまってからは、何となくズレた感じがしている。

「昨日も来たのに、今日も来たの? 塾、休み過ぎじゃない?」

 身体を重ねてしまっ以来、彼氏、和人かずとは毎日のようにタエに会いに来た。

 が、先程の呟くような呼び声は、和人じゃなかったような気がする。

「だって、我慢できないんだからしょうがないだろ!」

 ちょっと怒った風な感じに言われて、タエは悪いことを言ったような感覚にされてしまう。

 お互いが初めての経験であったこともあって、快感を急ぐ和人は前戯もおざなりにしてしまう傾向があって、タエのことを考えてくれない。そのためか、タエには、ここ数日が苦痛の日々になってしまっていると言っていい。

「あんまりサボると、親に怒られるんじゃない?」

 言ってみただけだ。効果がないことなど分かりきっている。

「いいんだよ。なぁ、来いよ。お前だって好きだろ?」

 そう言って抱き寄せられてキスされてしまった。

 確かにキスされて、身体を触られることに快感を覚えないことはない。が、その先があまりに短縮されすぎている気がしてならない。

 和人は、自分の快感を追い求めるのに必死で、こちらの身体を気遣うことなどしてくれない。準備もそこそこに押し入られる身にもなって欲しいとタエは思う。

 そういった意味でタエは、まだ身体を重ねることでの快感を覚えていない。

 昨日は無理やりに「口でして」とせがまれて押し込まれてしまった。苦しくて気持ち悪いとも思ってしまった行為に和人は喜んでいたが、タエには拷問のような感覚でしかない。

 今日もそれに答えなくてはならないかと思うと、なんだか辟易とした気分になる。

 まだ帰宅路だというのに和人はタエのスカートの中に手を差し込んできた。パッと身を離して、その手から逃れた。

 こんな場面を誰か知り合いにでも見られたら大変なことになってしまう。

「何、考えてるのよ! こんな場所で!!」

 怒鳴ったが回りには人気は無かった。が、その角に誰かがいないとは限らない。

「ゴメンゴメン。つい焦っちゃって。俺の家、来るだろ?」

 ふうっと深い溜め息しか出ない。どうせ家に着いて、和人の部屋に入った途端に裸にされてしまうことは予想がつく。

『男の人と付き合うって、こんなことなのかな?』

 不思議に、いや、不信に思う。

 数回のデートをして、キスを経験したと思うと、そこから身体を求められるまでの期間の短いこと。あっという間に初体験をして、その後は発情期の猫のように毎日毎日、求められて答える日々。

 恋愛なのか快感なのか、その差も分からないような関係に、付き合っている彼女とか彼氏とかの区分が必要なんだろうか?

 そう思うと、この男も区分の出来ていない人に思えてくる。

 そして湧いてくる疑問。

『断ってしまっても、この人ってあたしを見てくれるんだろうか?』

 思ってしまったものは、どうやっても消せないし、試してもみたい。

「ごめんね。今日から家で家庭教師がくることになちゃって、早く帰らなきゃなんなくなって」

 当然の嘘であるが、和人の反応を見るには、簡単すぎる言い訳でもあった。

「はぁ? 昨日、そんなこと言ってなかったじゃん。……じゃぁ、明日は?」

 予想した通りにムクれた顔付きになった。

「んん〜、無理かな? しばらくは早く帰って来いって言われてるし」

 両親は夫婦で歯医者である。自分のクリニックで夜の八時まで診察なのだから、そんなことを言われるはずもないし、言われたからといって両親には確かめようもない。

「なんだよ、つまんねぇな。俺、浮気しちゃうぞ?」

 は? なに、それ? たかが二、三日、デキないくらいで浮気って何?

「………ねぇ、あんたが好きなのって、あたし? それとも身体?」

 聞かなくても分かってることなのに、聞いてしまう。

 当然のように和人は、不機嫌な顔付きになって睨みつけてきた。

「何言っての? お前。ヤレないなら彼女じゃないじゃん」

 悲しいも腹が立つも無かった。知っていたことを言われただけのことに、感情の起伏など起こり得ることもない。

 視線を落として溜め息を吐いた。

 確かに、自分だってそういう興味が無いわけではない。友人が先に経験していく中に取り残されたくなくて焦っていたことも認める。が、その内容がこんなものでは、先の魅力もあったものじゃない。

「ゴメンね。やっぱ、無理。別れてくれない?」

 顔も見ないで言った。

 これといった感情さえ湧いてこない。

「な!? ば、馬鹿にしてんのかよ! 理由も聞かされずに納得できるかよ!!」

 和人はタエの肩を掴んで、グッと力を込めてきた。親指が鎖骨の下に食い込んで、タエは痛みから顔をしかめた。

「ちょ、ちょっと! 痛い! 放してよ!!」

 持っていた鞄を振り回して和人の手から逃れたものの、鈍い痛みが残った。

「理由。あたしは、あんたの性的処理役じゃないの。誰か、そういうのが好きな人を探して。終わり」

 言い捨てて背を向けて歩き出した。

 もう、顔すら見ていたくない。

「な、なんだよ! ヤリたがってたんだろが! 飽きたらお終いって、とんだ好き者だったんだな!!」

 背中に和人の声が追いかけてきたが、振り返るともりもなかった。

「お前みたいな女! こっちから願い下げだぜ。バーカ!!」

 走り去る気配と足音がする。どうやら、やっと消えてくれたらしい。

『しっかし、「バーカ!!」って捨てゼリフって。小学生か?』

 笑う気にもなれないが、これほど低レベルの男だったとは、付き合っていたことすら恥ずかしい。

 それにしても、学校の友達が経験しているのも、こんなものなんだろうか?

 「痛い」とは聞いていた。「気持ちよくなる」とも聞いていた。が、タエのここ数日は「痛い」が多くて「気持ちいい」というには程遠い。

 確かに好きな人と抱き合うというのは、魅力的な感じがするが、そういう相手と最初を迎えられることというのは、果たしてどのくらいの割合なんだろう?

 タエだって「好きになる努力」はしてみたつもりだった。けれど、先を急ぐ和人には、身体を求めることが「愛情」だと教えられてしまった。

 確かめ合うということのひとつだとは思うが、それだけでは伝わらないというか、伝わってこないというか……。

『こういうのをジレンマって言うのかな?』

 トボトボと家路を歩きながら考えても、それに答えを出すことなど不可能なんだろうと感じた。

「タエ!」

 不意に後ろから声を掛けられて、振り向いた。大柄な男が、走ってくるところだった。

そうちゃん!?」

 思わず口に出た名前に、酷く違和感があった。

「今、帰り? 学校まで迎えに行こうかと思ってたんだ」

 爽やかに笑うこの青年は、総司そうじといって、タエが和人から数えて五番目に付き合った男だった。

「え? 和人は?」

「かずと? 誰? それ。もしかして、浮気相手なんて言わないよね? 俺ってもんがあるのに」

 つい今し方、和人にお別れをしたばかりのはずだった。なのに、既に一年以上の時間が流れたとでもいうのだろうか?

 けれど、それを違和感だと感じても、変だとは思えない。何だか自然な流れのようにも思えてしまう。

 と、沸々とした怒りが込み上げてくる。

 感情の変化にも、不思議と当然な感じがする。

「ど、どうしたの? そんな怖い顔しちゃって」

 睨むように下から仰ぐタエに、総司は少し引き攣ったような笑いになったが、それでもタエの頭に手を置いてナデナデといつもの調子であった。

 それを払い退けて、下から睨ね付けるように眼に力を込めた。

「おいおい、どうしったっての? 俺が、何か悪いことした?」

 払い退けられた手を擦りながら、総司はタエを窺うように覗き込む。

 こんな仕草までが、妙に腹が立つ。

「昨日、どこ行ってたの?」

 自分の声かと思えるほどに低い声が、喉の奥に引っ掛かってスムーズに出てこない。

「どこって……言ったでしょ? サークルの合宿だって。長野だよ」

 素知らぬような顔で、ソッポを向いた総司は、チラッと眼だけでタエを見たが、タエの視線とぶつかって即座に空を泳ぐ。

 総司と出合ったのは、クラスの友達に連れて行かれた合コンだった。

 嫌々ながら付き合いで出席したのだが、総司を一目見て気に入ってしまったのはタエの方だった。

 背が高く、筋肉質な身体で、軽くパーマが掛かったような軽めの髪。甘いマスクに愉快な会話も出来るときては、誰もが狙う一番人気になってしまうのは当然だった。

 積極的に迫る……というには、最初の嫌々な気分で連れて来られたタエにはできるはずもなく、一次会から二次会のカラオケまでは参加して、総司の動きを追うくらいしか出来ていなかった。

 何度か喋る機会があったが、そこでの印象は『思っていたより軽そう』くらいだったが、マメに気遣ったり動いたりする総司に好印象以外の何かを感じることはなかった。

 本当は、そこでお開きになるはずの予定だったのだが、帰りの電車が一緒だと言い張って総司はタエを送って帰ると言い出した。勿論、他の友達からのブーイングは激しかったが、タエとしては、嬉しい展開になったとも思っていた。

 電車の中で話す総司は、大学でバスケットをしていることを面白可笑しく話したり、大学の怪談話などをしながら、時間すら感じさせないほどにタエを笑わせた。

 電車を降りても、しばらくはホームのベンチで話し込み、恋愛話や家族のことを話して、意気投合というより、既に総司に感情が入り込んでしまっていた。

 流れという感じで、そのまま駅裏のホテルに入ってしまうまで、迷いなど無かった。

 気が付けばベッドの中で朝を迎えてしまい、携帯番号を交換して『付き合う』ことになった。

 嬉しく思う反面、昨夜のベッドでの総司との行為が、ちょっとだけ違う感じがしていた。

 何だか物足りないというか、本気に入れ込めないというか、一抹の不安のような感じだったのを覚えている。

 それからは、週末の一日を総司と過ごすようになったものの、毎回がホテルに誘われてしまい、最悪な時には、ホテルの前で会ってホテルの前で別れるなんてこともあった。

 それに連れて不安が大きくなる。出合った時に感じた軽さみたいなものが、本当の軽薄さに感じてきてしまっている。

 確かに総司は面白いし優しい。けれど、それはいつもタエのご機嫌を伺うような感じで、タエにとって居心地の良いものではなかった。上辺で繕われているような感じで、本当の総司を感じない。ホテルでの行為も数を重ねる度に、道具扱いされていくような感じが付き纏う。

 普段の総司にも問題がある。

 週末に総司から連絡が来るまでは、殆どと言って良いほど連絡が付かない。

 本人曰く「バスケの練習が忙しい」そうだが、本当かどうかを確かめることは、タエの中では一種の肝試しイベントのように感じて、今まで試すことも無かった。

 それが、昨日、明らかになってしまった。

 タエの学校がテスト休みになり、友人と渋谷に買い物に訪れた時だった。

 109を覗くだけ覗いて、昼を回ったこともあり、食事でもしようかと表に出た時に、総司の姿を見つけた。

 あっと思ったが、声は掛けられなかった。総司は一人ではなかった。隣に大人っぽい女性を連れていた。

『母親……いや……お姉さんとか妹とか……』

 自分を誤魔化してると分かっていながら思い込んでいた。が、女性は総司の腕に絡みつくように身体を摺り寄せている。親や姉妹が、そんなことをするなど、あまりあり得ない。

 友人と別れて、総司の後を尾行しだしたのは言うまでも無い。

 この時間からのデートだとするなら、長い一日になるかもしれないと覚悟したが、総司の行動は意外と早かった。

 109から道玄坂を東急に歩いて、そのまま左に入り込んでいく。誰もが良く知るホテル街だ。

 グッと奥歯を噛み締めて、行く先までを付いて行った。二人の姿が、程無く一軒に消えて行くのは予想していたとはいえ、かなりのショックだった。

 そのまま、何時、どうやって家路についたもかも覚えのないままに、タエは呆然と自分の部屋に戻ってきていた。

 ただ、泣くようなことはしなかった。なんだか、泣くという行為が、自分の中で負けてしまったような印象を受ける。それが無性に嫌だった。

 ベッドに倒れこんで、寝たのかどうかも分からぬままに、今日を迎えたのではなかったろうか?

「そう、長野だったんだ。じゃぁ、あたしが昨日、見た渋谷の総ちゃんは、誰だったんでしょうね?」

 サーっと血が引いていくような気がする。既に怒りより、冷静な自分の方が強くなってしまっているのだろうか。

「ば、ばか言うなよ。昨日、遅くに帰ってきたんだ。し、渋谷になんて行ってないし」

 目線はタエをチラチラと見ては空を彷徨う。両手が絶えず動いて落ち着かない。動揺しているもいいところだ。

「………もう、いい」

 なんだか馬鹿馬鹿しいと思えた。所詮は、都合の良い女扱いされていただけのことだ。誰が本命ということも、総司の中で決まっていたとしても、それに自分が当てはまっていたとしても、それを許せる気にはならなかった。

 タエの中で総司を疑っていた部分もあったんだろう。そう考えると随分前から、総司に対する気持ちもワクワクするような感じでは無かったように感じる。

「もう、いいって……ちょっと、何、言ってんの? こうして会いに来てんじゃん。そんな見掛けたくらいで」

「ホテルの名前も言おうか? 何時に入ったかも言おうか? 女子高生とヤリたいだけなら、金払ってしたらいいじゃん。あたしは、売ってないから。誰か違う人探しなよ」

 真っ白な顔付きだった総司は、タエを見詰めていた眼をふっと閉じて鼻で笑った。

「そっ。バレたんだ。ま、仕方ないか」

 そう言って頭を掻きながら薄ら笑いを浮かべる。

「もう、終わり。会いにも来ないで」

 ムカムカする感じが、胸の上辺りにわだかまって吐きそうな感じすらする。

 さっさと総司に背を向けて歩き出した。気持ちが悪い。そう思った。

「俺さ、タエの身体、好きだったんだけどなぁ。今からセフレでもダメかなぁ?」

 呼び掛けるような甘えた声だったが、その中身の何とも軽薄なことか。それを言葉にすることも躊躇わないほどにタエを軽く見ている証拠でもあろう。

 ほとほと呆れてしまう気分を押し殺して振り返った。顔も見たくはないが、一言くらい言ってやりたい。

「あたしって、あんたが思ってくれてるほど大人じゃないの。二番目や三番目の女になんかなりたくないし、かといって今更、一番にされてもその他が付いてくる関係なんて許せない。それに、あんたじゃ物足りない」

「はぁ!? 物足りないだって? 俺って結構なテクニシャンで通ってるんだぜ?」

 最初は神妙に聞いていた総司は、最後の言葉に驚いたようで、指をバラバラに動かしながら言ってきた。

 タエ自身は、もう、溜め息以外に答えようがない。

「だったら、今までのは演技だったってのか? 相性良かったと思うんだけどなぁ」

 どうにも総司には、身体の相性が一番で、その他には注目するべき相性というものが存在しないのかもしれない。

 実際、一年数ヶ月前に初体験を済ませた頃と今では感じ方も違い、確かに快感と言えなくもない。が、それもどこか中途半端な感じで、没頭するほどの気持ち良さというには程遠い気がしていた。

 総司との相性は、本人が言うように悪くはないような感じはするものの、夢中になるようなこともなかった。

「なぁ、考え直せよ。週一で、お互いに割り切った関係なら、これからだってうまくやっていけるだろ?」

 どんな『うまく』なんだか……。

「いい加減にしてくれない? どうもあたしって、身体の関係って気分じゃないし、H自体、それほど好きってわけじゃないから。それじゃね」

 総司に軽く手を上げて、そのまま歩み去るつもりだった。

 これ以上を話しても、手軽に快感を得るつもりの総司とは、どこまでいっても平行線だろう。

 後ろから急に抱きつかれたのは、次の瞬間だった。

 ぶつかるかのように抱きすくめられ、後ろから回された手が服の上から胸を鷲掴んでいる。不思議と痛みはないものの、驚きに身が竦む。

「ちょ、ちょっと! なにすんのよ!!」

 首を巡らせて総司を嗜めようとしたが、うまくかわされて相手が見えない。

「なんだよ。乱暴なのは嫌いか? こっちはソソられるんだけどな」

 総司の声じゃない。聞き覚えがあるものの、すぐに顔が浮かんでこない。

「え!? 誰?」

「なんだよ。冷たいな。最初の男も忘れてんのか?」

 左のうなじをヌメっとした感触が這う。悪寒が背筋を走って鳥肌が腕に浮いた。

「か、和人!?」

「どうせヤリまくってんだろ? たまにはこういうのもいいもんだろう?」

 グイグイと胸を乱暴に押し上げられて、苦痛というより恐怖が湧き上がってきた。

「放して! こんなことして、何のつもりよ!!」

「どうって? タエを可愛がりたいんだよ」

 眼の前で甘いマスクがいやらしく歪んでいた。

「総ちゃん!? なんなの!?」

「そうそう、タエを可愛がるんだ」

 後ろで和人が羽交い絞めにした腕に力を込める。グッと息が詰まって、言葉を発することも出来なくなった。

「タエが悪いんだ。俺の申し出を断るなんてさ。俺ってテクニシャンなのに」

 眼の前の総司が、膝の辺りから太ももの辺りを指でなで上げる。悪寒が突き上げて全身が総毛立つ。

 バタバタと足を動かしてみたが、総司が足の間に身体を割り込ませてきて、逆効果のようになってしまった。

 まるで前後からサンドイッチにされたような形で、身動きひとつできない状況に、タエは殆ど諦めたような気分だった。

 どう足掻いてみたところで、男の力に敵うわけもない。ましてや二人の男となっては、抗うことすら無駄だろう。

 こうなってしまっては、無駄な抵抗をして怪我をするより、早めにこの悪夢のような時間を通過してしまう他に最善策は無い。

 タエは、力を抜いて抵抗を止めた。じっと眼を閉じて、嵐が過ぎるのを待つ。

「へっ。やっと観念したんだ?」

「大丈夫。気持ちよくするから。相性は良いんだから」

 身体のあちこちを複数の手に触られながら、身体全体に震えが走るのを堪えた。

「………エ……」

 はぁはぁと荒い息の生き物が身体をいじくり回す中、タエの耳朶に微かな声がしたようだった。

 でも、眼を開ける勇気は無かった。眼を開けて、自分の身に起こっている事実を認めてしまったら。

 そう考えると、情けなさと悔しさに目頭が熱くなった。

 結局、男は女を、そういう道具くらいにしか思っていないという現実が、身をもって教えられているようなものだ。

「……タエ………」

 また聞こえた。犬のような息遣いとは別に、遠いような近いような、どこか定まらないところから聞こえてくるような呼び声。

 知っているようでいて、それでいて聞き覚えがないような。

 今にも全身を蹂躙されようかという瞬間、その変化は起こった。

 身体がフワリと軽くなったかと思うと、荒い息の生き物は、タエの身体から引き剥がされた。それでも追いすがるように伸びてくる手を、違う腕がタエの手を取って引き寄せた。

「タエ、帰ろう」

 固く瞑っていた瞳を僅かに開いた。優しく囁くような声は、タエの心に染みて、先程までの恐怖と諦めの気持ちを溶かしていくようだった。

 狭く暗い視界に、ぼんやりと人影が見えた。僅かに傾げた顔は、優しく微笑んでタエを見詰めている。

「……ユウちゃん……」

 自分で言って、誰だったろうと考えた。

 確かに知っている顔だし、聞き覚えのある名前のようだが、ぼんやりとした頭は、まるで記憶を映さないかのように判然としない。

 既に和人と総司の姿は無く、シンとした暗がりの中に一人の男性以外に見えなかった。

 男性は、何事かをタエに呼び掛けながらスッとタエから離れた。

 心細い感じと、先程までの恐怖が背中の辺りに戻ってきた気がした。

 必死に男性の後を追ったが、まるで沼の中にでも居るかのように前に進めない。

 やっとの思いで男性に追いついた時には、男性は背を向けてしまっていた。

 酷く淋しい気分と心細さに、泣きそうな程に胸が痛んだ。

 スッと男性がこちらを向いたのを見て、ホッとする。が、背中の悪寒はまだ治まっていない。

『……ユウちゃんだ…ユウちゃんだ……』

 不思議そうな顔で見詰める男性をユウヤだと認識できた。頭の中で何度も名前を呼んで、そのことを噛み締める。

「………タエ?………」

 ユウヤの囁くような呼び掛けに、タエの心は溶けた。

 背中に迫ってくるような悪寒から逃れたいような気持ちで、ユウヤの首に腕を伸ばしてしがみ付いた。それでも足りない気がして、自分から唇を押し付けた。

 暖かい感触が唇に伝わって、フワリした高揚感が全身に広がる。それをもっと確かめたくて、回した手に力を込めて引き寄せたが、心細さはまだ残った。

 すぐ背後に和人と総司が迫って来ているようで、一度、唇を離してユウヤを確かめた。目頭が熱い。ぼやけた視界に、切なげな顔をしたユウヤが映った。

「………タエ……駄目だよ……本気になる……」

 言われた意味は判らなかった。それでも拒否されているのは分かる。そのことがどうしようもなく悲しい気分にさせた。和人と総司の腕が背後から伸びてくる気がする。

 ゾクッとする背筋が、一瞬、ユウヤの顔を見失せた。怖さと切なさに、助けを求めるようにユウヤにしがみ付きながら身体を入れ替えた。

 もっとしっかり抱き付こうとして思い掛けず身体を押し付けたのだが、ユウヤの身体が後ろに倒れてしまった。

 構わずに抱き付いたままで倒れこんだ。ふわっとする柔らかな地面に倒れたと思った。身体を重ねるようにユウヤの身体の上に乗ったにも関わらず、ユウヤは抱き締め返してくれようとはしない。

 背中が物凄く怖い。なのに守ってもらえないような気がして、タエは遮二無二、ユウヤの唇に唇を押し付けた。そのまま口を割って無理やりにユウヤの中に舌を押し入れた。

 夢中なことに考えなど無く、ただ守って欲しいという気持ちだけだったのかもしれない。

 それなのにユウヤは、まるで人形のように動かなかった。温かみはあるのに、頼ることのできないもどかしさに、唇を離して肩にすがり付いてしまった。

 切なさに涙が零れてきてしまった。押し殺そうとした声が、嗚咽のように漏れてしまう。

 不意に頭と背中に手が押し当てられた。

 ビクンと身体が跳ねる。和人か総司の手だと思えてしまう。が、その手は熱く燃えるようで、しっかりとタエを抱き締めるように包み込んできた。

「タエ……本気になるって言ったろ? ……タエのせいだからな……って、言い訳だな……俺のせいだ」

 押し付けるように耳元でユウヤの声がした。すっと心が溶けるが、一度固まってしまった身体は、すぐには溶けてくれない。

 抱きかかえるように力がこもるユウヤの腕の中で、タエは身体全体を摺り寄せた。と同時にクルリと身体が反転した。背中が柔らかい地面に触れる。と同時にユウヤの身体が自分の身体を覆い隠してくれた。

 眼の前でユウヤが自分の顔を間近に見詰めている。

 涙に濡れた顔が恥ずかしくて、横を向いたが、ユウヤの手が顔を挟んで元に戻された。

 先程より近い位置にユウヤの顔があって驚いてしまった。ユウヤはジッとタエの眼を覗き込んできていて、タエは頬が熱くなるのを感じて眼を逸らした。

 途端に唇を奪われた。ちょっと首を竦めたが、暖かい感触が恋しくて、そっとユウヤのシャツに両手の指で掴まった。

 苦しくないほどにユウヤの身体の重みを感じて、身体もようやく溶けてきていた。押し付けられる唇の感触も心地良い。

『夢なのかな? ユウちゃんとこんなことしてるなんて、夢以外にあり得ない。だって、ユウちゃんは勢いでこんなことしたりしないもん』

 そう思ってみても、ユウヤとキスしていると思うだけで、胸の奥がジーンと暖かくなる。

 すっと唇にスベスベした物が触った。

 ユウヤの舌だと理解はしたが、うなじを這い回った感触が忘れられず受け入れる気にならなかった。さっきの自分から押し入れた舌のことなど、既に頭の中に無かった。

 強引に押し入られたならば、今のタエには堪えられずに拒否していたかもしれない。が、ユウヤの舌は、ゆっくりとタエの唇の合わせ目をなぞって往復する。

 くすぐったいような感覚に僅かに唇に隙間が出来た。その隙間を見つけてもユウヤはチロチロと何度も舐めるようにして待っている。

 その間にも、ユウヤの右手はタエの耳の後ろに回ってうなじから首筋までを優しく包み込んで擦り上げていた。

『そこ。そこに和人の舌が……』

 まるで和人の感触を消すように擦り上げるユウヤの手は、熱く感じられるほど熱を帯びている。

 暖かさに頭までが痺れてくるようで、タエは唇を更に開いた。スッと自然にユウヤの舌が入って来た。が、歯までは開くのを躊躇った。

 ユウヤの熱い手に包まれて、和人の感触など綺麗に消え去ってしまっている。それでも歯を開かなかったのは、ユウヤに対するちょっとした意地悪な気持ちだったかもしれない。

 ユウヤは、そこからも焦って入り込んでくることはなかった。歯の一本一本を確かめるように行き来して『開けて』と言わんばかりに前歯をノックしてくる。

 その感触がくすぐったい。二度目のノックで『仕方ないなぁ』という感じで僅かに開いた。

 その隙間に舌先が入って『もっと』と言っているように歯の先を軽く押してくる。

 くすっと笑えてしまうほどに子供っぽいと思えてしまう。

 包まれた身体は、もう完全に力が抜けて、ユウヤの身体の温かみに委ねられてしまっていた。

 ゆっくりゆっくりと歯の隙間を大きくして行くと、それに呼応したようにユウヤの舌も徐々にタエの中に入り込んできた。

 すっかり開いてしまった扉を嬉しがるようにユウヤの舌がタエの中で大きく円を描いて中の様子を窺っているようだ。

 時間を掛けすぎたためか、口の中が少し乾いた感じがする。と、一度ユウヤの舌は出て行ってしまった。すぐに戻ってきて、潤ったユウヤの舌がタエの中に呼び水を持ってきた。そのまま奥まで入り込んでくる。

 舌を絡めるようにしながら、ユウヤの顔が真横を向いた。口を大きく開かねば、ユウヤの舌を傷つけてしまいそうだ。

 が、何時までも息を詰めていられるわけも無く。苦しくなったタエは、僅かに開いた口の端から息を継いだ。

「うんく……はふっ」

 自分の喘ぎが大きく聞こえて恥ずかしい。

 そっと薄目を開けてユウヤの表情を確かめた。驚いたことにユウヤもタエのことを見詰めていた。眼が合うとユウヤは優しく微笑んで舌先をチロチロと動かした。

 すっと隙間も無く塞がれる口。同時に首に当てられた手が持ち上がって、顎が上を向く。

 途端にユウヤの舌が口の奥まで入って来た。驚くことに喉の奥付近まで舌先が届いた。

「んん!? んん……うん」

 思わず漏れた声は二人の間でくぐもって消えてしまう。

 驚きと初めての感触、息苦しさも相まって、手が勝手にバタバタと動いた。ユウヤの背中に回してしがみ付くように力を込めた。

『き、気持ちいい……』

 快感というものなのかどうか妖しい感じだが、嫌な気分ではない。むしろ痺れるような感覚に、そのままユウヤの舌が、喉の奥まで通過してくれないだろうかと思ってしまったほどだ。

 口内を隅々まで舐め上げられた頃、忘れていたことが苦しさになって込み上げてくる。息をしていない。酸素不足になっている。が、ユウヤは離れてくれようとしない。

 我慢の限界にタエは、ユウヤの背中に回した手を頭に持っていって、強引に引き離した。

 二度三度と大きく息を吸って、ユウヤを見ようと眼を開けかけた。

 フルフルとユウヤが頭を振ってタエの手から逃れると、再び唇を求めてきた。

 勿論、拒むつもりなど有りはしない。自らも口を開いてユウヤの舌に絡めて、そのままユウヤの中に差し込んでいく。強く吸われて引き抜かれるかと思うほどに求められる。

 焦る気持ちが息苦しさを煽って、一度、顔を背けて逃れて息を継いだが、すぐに戻されて舌を掬われる。

「うぐっ……うんん〜……」

 執拗に唇を求めてくるユウヤは、しっかりとタエを抱き締めている。

 お互いの舌を絡めあうのに、これほど夢中になったことなどなかった。それだけで、身体の芯が燃えるように熱くなって、ドキドキする胸が早鐘を打ち始める。頭の後ろ辺りがジーンと痺れたようになって、気持ちが良い。

 それでももどかしさは、タエの方が強かったのかもしれない。

 触れられた手から電気が走るような感じがするのに、触られたい場所からは遠い。

 思わずユウヤの手を取って自分の胸に押し当てた。

 服の上からだというのに、感電でもしたかのような衝撃が走った。

『何、これ!? 夢? 現実?』

 片目を横に向けて辺りを見る。窓に疎らな明かりが点々と見て取れた。

『うそ!? 現実!? でも……』

 半分現実のようで、半分夢のようで。

 そんな感覚に身を任せて、ユウヤの身体をまさぐった。ユウヤの指が、ゆっくりとした動きでタエのブラウスのボタンを外し始めていた。

『現実の方が、なんか嬉しいような……』

 それでも離れない二人の唇が、何度も舌を絡めて互いを求め合ってしまうのを止まられなかった。


 タエとユウヤの熱い一夜の始まりだった。





           つづく


次回はHシーン一色なので「ノクターン」に掲載させていただきたいと思います。

お読みになられる方のみ、お楽しみ頂ければと思います。

話しの進行には、あまり関係することにはならないように気を付けていますが、もしかすると支障が出ないとも限りませんね(苦笑)

こちらでの続きは、翌朝からになります。

タエから始めるつもりですが、少しの猶予を頂きたいと思います。


では、次回でお会いしましょう。


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