70.ノストリア王国入り
俺は、昨日盗賊たちが塞いでいた橋を越え、ノストリア王国に入国した。そこには入国税の徴収は愚か、門番の衛兵の姿すらなかった。ちょっと隣の領地に橋を越えてきた、と言った風情であった。
先ず、俺は国境の橋から徒歩2日の距離にある南西の村に入った。だがその村には冒険者ギルドはなかった。村の周囲に一応柵などはあったが、随分と無防備に見えた俺は、村の門番――と言うか村の入口で暇そうにしていた農夫――に魔獣対策など大丈夫なのか聞いてみた。
「なあ、ちょっと聞きたいんだけど」
「ん? なんだい、あんちゃん」
「随分、簡素な柵しかないけど、魔獣とかが出たらマズイんじゃないか?」
「ははは、この辺りじゃ魔獣なんて先ず出ないのさ。出てもゴブリンとか角ウサギが1匹とか2匹さ。柵は普通の獣避けさね」
ふーむ、そうなのかー。俺は農夫に礼を言って、次は徒歩で5日の南の街に向かった。ここには冒険者ギルドがあったので、門番に場所を聞きそちらに向かった。
俺は何となく、嫌な予感がしたので窓口には寄らず、依頼が貼りだしてある場所に行ってみた。予感的中、そこに貼ってあったのは、土木関係の作業や、荷物の積み下ろし、森での伐採作業など、何れも力仕事に関するものであり、魔獣の討伐依頼は皆無であった。
常設依頼での魔獣の討伐はあったものの、Eランク、Fランク向けのものであり、それも日焼けして黄ばんでいた。
俺は改めて窓口の職員に聞いてみた。
「すみません、ここでは魔獣の討伐依頼とかこないんです?」
「ん? ああ、貴方はクレメンツ王国からでもきたんですね」
「ええ、その通りです」
「ここノストリア王国では、魔獣の被害とかは先ずありませんよ」
なん……だと……。ホーリアさんェ……。
「じゃ、じゃあ、Aランク依頼とかも……ない?」
「はっはっは、Aランク依頼どころかBランク依頼すら見た事ないですなあ」
うーん、ホーリアさんめ! 旅に行くならお薦めとか行ってたが、そっちの意味かよ! なんか騙されたっぽい。こうなればホーリアさんの書簡を早々に王様に渡して、魔族の国にでも行くか。
いや待てよ、そういやなんで魔獣の被害がないんだ? んーと、そういや、ノストリア王国に入国してから徐々に強くなってる気配を感じるな……これはひょっとすると。
まあ一先ずノストリア王国の王都を目指すか。
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そうして俺は王都に入った。クレメンツ王国の王都に比べたら随分こじんまりとしており、ちょっと大きめの街って感じだった。だがその分、活気に満ちており、大通りでの市場も色んなものが売られており目を引いた。如何にも異国情緒溢れる、中東かどこかの市場みたいな感じ――まあテレビで見た事しかないんだけどね。
おっ! これは何だ?
俺は民芸品と思しき物を売ってる店の軒先で目を止めた。
これは、ドラゴンを模した仮面か?
頭からはドラゴンのような角を生やし、目や鼻はドラゴンをちょっとデフォルメしたような造形で、上顎の部分までの仮面である。ご丁寧に牙まで生えていた。
へー面白いな、ホーリアさんとルドラへの土産で買って行こうかな? 丁度、子供用の仮面もあるし、勿論俺の分も。
「お兄さん、気に入ったかい、その仮面」
恰幅のいいオバちゃんが気さくな調子で声を掛けてきた。
「ええ、面白い仮面ですねえ。大人用のを2つと子供用のを1つ」
「おや、嫁さんと子供の分かね? お兄さんも隅に置けないねえ」
「あ、いや。そう言う訳では……。でも随分珍しい仮面ですね。この辺じゃ普通なんですか?」
「おや、お兄さん外国の人だね。この国にはね、竜神信仰があるからねえ」
ほう、竜神信仰とな。
「それは一体?」
「この国はね、竜神様であるヴァシュラリル様が守ってくれているのさ。だから魔獣の数も少ないのさ」
「それはかつて竜神様が居たと言う伝説か何かではなく?」
「とんでもない、今もお守り下さってるよ。竜神の巫女様が居らっしゃるからね」
ふーむ、竜神様に竜神の巫女様……。この気配に関係ありとみた。
「オバちゃん、教えてくれてありがとねー」
「毎度ありー」
さてと、王城に向かうとしますか。
王城の城門で、ホーリアさんの書簡と王家の紋章入りの短剣を見せると、実にアッサリと入城できた。その上、恭しく扱われた。
一応、一国の使者と言う扱いなのでそう言う待遇なのだろうが、冒険者稼業をしてる身としては少々仰々しく感じる。
国王への謁見も、殆どノータイムで行われた。国王は気さくと言うか、メチャクチャフレンドリーな方だった。
「おお、その方が、Aランク冒険者であるアマノ殿か。聖女ホーリア殿の書簡によれば相当な手練と聞く」
なに書いちゃってんの、ホーリアさん!
「ただ、残念ながら我が王国には竜神様がおわす故、アマノ殿の活躍の場がないのじゃよ」
「いえいえ、この国に入ってから、とんと魔獣の姿を目にしなかったのはそのせいだったのですね」
「その通りじゃよ。のう、竜神の巫女殿よ」
「はい陛下」
そこにはまだ年若い女性がいた。清楚な衣を身に纏い、ベールのような物を被っていた。ミラと言う名前らしい。
そもそも竜神の巫女とはどういった存在なのか、これは後日聞いた話なのであるが、千年程前にこの地にドラゴンが現れた際、ドラゴンの怒りを恐れた当時の為政者たちがその怒り鎮めるために――実際には怒っても何でもなかったらしいが――生贄として捧げられた乙女なのだと言う。だが、ドラゴンは「儂は人族の肉など好かぬ」と生贄を拒否。
だが、純真無垢であった生贄の娘の事は気に入ったらしく、その後はドラゴンのお世話係として、ドラゴンの言葉を為政者たちに伝えたり、逆に為政者たちのお願いをドラゴンに伝える役目を担ったらしい。
やがてドラゴンは、ただそこに居るだけで魔獣を払う力を持つ事が知られた事もあり、次第に竜神様と呼ばれるようになり、世話係の娘も竜神の巫女と呼ばれるようになったと言う。
その後、代々竜神の巫女は、初代巫女の家系から選ばれるようになったが、特別なスキルや才能は特に持ってなかったようだ。ただ心根の優しい素直な娘が喜ばれた。竜神の力を背景に野心や不埒な心を持つ娘もいたそうだが、不思議と竜神はその事を敏感に察知し、「貴様からは臭い匂いがする」として罷免させられた。
また、一生独身を貫き通す訳でもなく、何代目かの巫女がある男性と恋仲になって結婚したいと竜神に申し出たところ、喜んで言祝いでくれたそうだ。結婚により巫女の座は交代する事となったが、これは別に竜神が処女厨と言う訳ではなく、これから家庭を持つ巫女に配慮しての事だそうだ。
ひと通りの謁見を終えた俺は王城を辞去しようとしたのだが、一国の使者殿をそのまま帰すのはあり得ないとして、王城に一泊する事になった。
それどころか、国王とその家族と晩餐を共にする羽目になってしまった。晩餐では国王は俺の冒険者としての話を聞きたがった。
なので、王都近くの街道での盗賊捕縛の話から始め、魔獣の森での騒動の話、冒険者仲間とのワイバーン討伐の話、狡猾で何度も村を襲ったブラックワイバーンの討伐話などを面白おかしく話してやった。
魔獣が少ないこの国では、こうした話が殆どないせいか、国王とその家族は大いに喜んだようだった。
晩餐も盛況の内に幕を閉じ、自室に充てられた部屋でベルをモフモフしていたら、部屋に来客があった。竜神の巫女ミラさんだった。
「夜分に失礼をします」
「いえ、お構いなく。それでどういったご用でしょうか?」
「はい。率直に聞かせて貰いますが、アマノ様は竜神様の御使いで間違いありませんのですね」
「は? 竜神様の御使い? 竜神様と言うとヴァシュラリル様のですか?」
「いいえ、そうではありません。竜神様……聖竜、ホーリア様の、と言う事です」
「っ! 聖竜……ですか?」
おぉいっ! バレてんぞ、ホーリアさん。
「違うのでしょうか?」
「あ、えーと……。それは誰に聞いたんですか? 国王陛下とか?」
「いえ、この事を知っているのは竜の巫女である私だけです」
ふぅ、ぎりぎりセーフ?
「なぜ、聖女様を聖竜と仰るのでしょう」
「それは……お聞きしていたからです。ヴァシュラリル様に」
おぅふ、そうきたか。
「そうですか、なら俺も認めざるを得ませんね。確かにホーリアさんは聖竜ですよ。ただ俺は別にその御使いと言う訳ではありませんよ」
「ホーリアさん!? ですがアマノ様からは何かただならぬ気配を感じます。いえ、悪い気配では決してなく、ヴァシュラリル様に似た気配と申しましょうか」
うーん、人化形態の場合、ドラゴンの気配は漏れてない筈なんだが……、竜神の巫女が持つスキルの様なものでもあるんだろうか?
「先程も言った通り、竜神様の御使いと言う訳ではありません。但し、今回はホーリアさんのお使いで来たのは確かですね。それでも宜しければ話を伺いますが」
「それではお願いします。竜神様に、ヴァシュラリル様に是非会っては頂けませんか。ヴァシュラリル様の御命は……もう長くはないのです」




