2018
「おぉーっあったりぃ~っ!」
いささか誇張したような言い回しで大声を発すると、抽選会場のオヤジが使い古された大きなハンドベルをここぞとばかりに打ち鳴らす。
その大仰な喧伝とカランカランというけたたましい音に、商店街で買い物をしていた人たちが一斉にオレの方を振り返った。
一躍注目の的になってしまったオレは、くじ引きを当てた喜びよりも、ついつい気恥ずかしさの方が先に立つ。
大晦日の下町の商店街。誰も彼もが足早に通りを行き交ってゆく。皆、早く買い出しを済ませ、おせち料理の準備にでも取りかかりたいのだろう。
店側も気がそぞろといった感じらしく、どうやら売る物を売ったら、早く店じまいをしようという考えで、頭がいっぱいのようだ。いかにも年の瀬らしい。
ところが、この抽選会場だけは異様な熱気がこもっていた。無理もない。今まさに、このオレが特賞である金色の玉を引き当ててしまったのだから。
都内の大学にどうにか合格し、上京してから来年で一年になろうとしているオレだが、アパートの近所にあるこの商店街で、あまり買い物をした記憶がなかった。
毎日のように大学での講義とアルバイトに明け暮れ、帰宅するのは決まっていつも深夜。そうなるとコンビニくらいしか営業しておらず、自然と商店街の他の店からは足が遠のく。
それに今の時代、コンビニが一軒あれば、まず日常生活の物は賄えてしまうものだ。そういうヤツはオレ以外にも、この世の中に多くいるはずである。特に独身の男性はそうだろう。
しかし、この大晦日になって、不覚にもオレは風邪を引いてしまった。悪寒と吐き気がWパンチとなって襲って来る。
当然、バイトは休んだ。こんな状態で働いたら死んでしまいそうである。いや、仮に死なないまでも、まったく戦力にならないだろう。フラフラした病人が働いていては、歳末の忙しい最中、却って店に迷惑がかかるというものだ。
連絡を入れると案の定、年末という書き入れ時だけあって、店長にはかなり嫌味を言われたがしょうがない。オレはひたすら謝った。
そんなわけで先程までアパートの自室で死人のように臥せっていたのだが、ふと銀行で金を下ろしていなかったのを思い出した。
――このままでは年も越せないではないか!
フラつく身体にムチを打ち、オレは息も絶え絶えに銀行のATMへ。何とか利用時間内に間に合った。
その帰り、せっかくなので風邪薬を買おうと、商店街の薬局に立ち寄った。解熱剤の他にも栄養ドリンクやマスク、冷感シートなども手にする。
なんだかんだと三千円以上購入すると、お釣りと一緒に手渡されたのは、カラーコピーで簡単に複製できそうな商店街の抽選券だった。
抽選会の期日は本日午後七時まで。ただ捨ててしまうのももったいないので、こうして福引きをやっている会場まで足を運んだというわけだ。
三千円の買い物だと、たった一回の抽選チャンス。別に何かが当たるという予感めいたものがあったわけでもない。
ところが、年末だけ大活躍の抽選器をガラリと回すと、出て来たのはありふれたオレンジ色の玉ではなく、あまり見慣れない金色をした玉だった。
オレは思わず、抽選会場に貼り出されている景品リストに目をやった。
金色は『特賞』とある。
そして、その景品は──
「おめでとうございます! こちらが特賞の景品、特製カレンダーです!」
「はあっ!?」
抽選会場のおねえさんが手渡してくれたのは、何の変哲もない筒状に丸められたカレンダーだった。
オレは反射的に景品を受け取っていたが、当然のことながら釈然としない。
「な……何で特賞がカレンダーなの……?」
そりゃあ、残念賞のポケットティッシュよりはいいだろうが、わざわざ《特賞》とまで銘打つ景品が、この年末の巷に溢れ返っているカレンダーじゃなくてもいいではないか!
特賞の下に書いてある一等賞は3チューナーを備えたブルーレイレコーダーとあるし、二等賞は温泉ペア宿泊券、三等賞は低周波マッサージ器だ。これらよりも上であるはずの特賞が、ただの壁掛け用カレンダーというのは納得がいかない。
オレは抗議しようとした。
だが、
「はい、そのように決められていますので」
まるで先手を打ったかのような、おねえさんのにこやかな答え。
風邪のせいで気力が萎えていることもあったが、オレはすっかり気勢を削がれてしまった。
ひょっとすると、特賞は景品リストの一番上に明記されているものの、そんなに特別なものではなく、当たった喜びをより多くの当選者に味わわせるためのお茶目な演出なのかも知れない。
オレは落胆を隠せないまま、その後も勝手に盛り上がっている抽選会場をあとにした。
「あーぁ」
アパートへ帰り着くと、どっと疲れが出て、オレはへたり込んだ。出歩いたせいで熱がぶり返したのか、満足に動かない四肢を引きずりながら、敷きっぱなしの布団へと倒れ込む。疲れた。もうダメだ。
着替えるのも面倒くさいので、オレは上着だけ脱いで、早々に寝ようと思った。
その枕元に抽選で当てたカレンダーが落ちて転がる。
景品リストには一応、“特製カレンダー” とあったが、いったい、どんな代物なのやら。
オレは鈍る思考の中で考え、試しに壁掛け用カレンダーを広げてみた。
「………」
それはごく当たり前のカレンダーに見えた。
ひと月ごとにめくるタイプで、それぞれの月に応じた女性の写真が目を惹く。どれも美人揃いだが、無名のモデルなのか、テレビなどでは見かけない顔ばかり。
例えば、一月なら振り袖を着た日本美人だ。年齢は成人式を迎えた二十歳といったところだろうか。ローマ字で「YUME」とある。多分、この女性モデルの名前なのだろう。
彼女もいない侘しい一人暮らしのアパートには悪くないカレンダーだが、それがくじ引きの特賞で当てた景品にふさわしいかは、また別の問題である。
しかし、今さらどうこう言っても始まらない。それよりは風邪による倦怠感と疲労で、早く泥のように眠りたかった。
枕元にカレンダーを広げたまま、オレは冷たくなっている布団に潜り込んだ。横になると悪寒がして、歯の根が合わない。
オレは湿気た布団の中で身を縮め、人生最悪の年の瀬にひどく落ち込みながら、いつの間にか深い眠りに落ちていた……。
翌朝。
それは新年の始まりであった。
カーテンも閉めないまま眠っていたオレは、窓から差し込む日の光が眩しく、目を開けるのが億劫だった。
どうやら、あれからずっと眠っていたらしい。
オレはのろのろと布団から上半身を起こした。
まだ全身が重い感じがしたが、昨日よりは格段に気分がいい。どうやら、熱は下がったようだ。
オレは洗面と着替えをしようと、立ち上がりかけた。室内は暖房してなかったので、とても寒い。オレは身震いしながら、ストーブに火を点けた。
ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴ったのは、ストーブに点火した直後である。
――誰だ?
正月の朝っぱらから、オレを訪ねて来るような者に心当たりはない。
オレは褞袍を羽織ると、裸足のまま小走りで玄関へ出た。
「どちら様で――」
「あけましておめでとうございます」
「はぁ?」
ドアの外に立っていたのは、振り袖を着た美人だった。オレの顔を見て、にっこりと微笑んでいる。知り合いではない。だが、何となく顔に見覚えがあった。
「え~と、君は?」
「私は “夢” と申します。有馬敏松さんですよね?」
彼女はオレの名前を尋ねた。
「ええ。そうですけど……」
「今日からお世話になります。よろしくお願いします」
戸惑っているオレに、彼女は礼儀正しく会釈した。オレも思わず一礼する。
しかし、「今日からお世話になります」とは、どういうことだろう。まさか、一緒に住もうとでも言うのか。
そりゃあ、こんな美人と生活できるなら、オレとしては願ったり叶ったりだが、一面識もない──と思われる──オレの所へいきなり来て、そんな突拍子もないことを言い出す女がまともなのか。
まさか、オレには親同士が決めた許嫁がいて、それが彼女だとか言うマンガチックな展開でもあるまい。
「あのぉ~……」
オレが頭の中で考えを巡らせていると、彼女はおずおずと話しかけてきた。オレは慌てて我に返る。
「は、はいっ、何でしょう?」
こんなに面と向かって女性と──それもこんな美人と会話した経験がないので、オレはうろたえるくらい緊張した。
「ここでお話しするのもなんですから、中に入ってもよろしいでしょうか?」
彼女に言われて初めて、オレはドアを開け放した玄関先で立ち話をしているのだと気づいた。確かに、立っているだけで冬の寒さが身に堪える。
「す、すみません! ど、どうぞ!」
オレはとりあえず、彼女を中に入れてやった。もっとも、部屋は片づけも出来ておらず、散らかり放題ではあったが。
それでも彼女はイヤな顔ひとつしなかった。むしろ、ホッとしたような様子さえ窺える。
オレは彼女を部屋に上げてやると、互いに向き合うような格好で正座した。
「え、え~と、もう一度……君の名前は何だっけ?」
アガリまくっているオレは、最初からの質問を繰り返した。
「“夢” です。初夢の “夢”」
ゆめ――? その名前がオレの記憶に引っかかった。
所在なげに部屋を見回していたオレの視界に、昨日、商店街のくじ引きで当てたカレンダーが飛び込んで来た。
――そう言えば!
オレはカレンダーを手にすると、表紙のページをめくって、一月の写真を見た。
「あっ!」
驚いた。一月のカレンダーで上品にポーズを取っているのは、すぐ目の前にいる彼女──YUMEだった。