第6話 ディック、部屋を得る。
二人が上る階段が二人の体重を受けてギシギシと音を立てて行く、その音を聞きながらディックはふと気づいたことを口にする。
「そういえば……靴、はかなくてもいいのかよ?」
「ん? ああ、すぐに風呂場に連れて行ったから説明が無かったわね。この家は土足厳禁……つまりは玄関で脱がないといけないの」
「? どうしてだ? 靴を履いたままのほうがいいんじゃないのか?」
ベルの言葉に、ディックは首を傾げながら返事を返す。
というよりも基本的に何処の世界も靴を履いたまま家の中に入るのが当たり前なのだ。
その考えがあるのだろうと理解しつつ、ベルはディックへと言う。
「ディック、他所は他所。うちはうち。っていうけど……簡単に言うとね、きみは汚れた靴で家の中を歩き回られたいかしら? しかも、その汚れた靴はモンスターの血が付いてたり、泥やウンチが付いてるのよ? そして掃除をするのは私かきみ」
「…………うっ。それは、いやかも……」
「ね? だから、この家は土足厳禁なの。わかったかしら?」
「わ、わかった……。靴をちゃんとぬぐようにする……」
きっとディックの頭の中では、靴跡が酷いことになった廊下や階段が浮かんだことだろう。
そして、それを掃除することになる自分の姿も浮かんだはずだ。
そんな彼の様子を見ながら、階段を上り終えて廊下を歩き……二人は4つほどある扉の内のひとつの前に立った。
「ここが今日からきみの部屋だよ。とは言っても、中にはまだ生活用品は揃っていないと思うけど……少しずつ揃えていけば良いわよね。時間は、まだまだたっぷりあるんだから。
さ、入って入って!」
「あ、ああ……。っ!?」
優しく微笑みかけながら、ベルは扉を開けるとディックを招くようにして中へと入っていく。
中に入ると、ディックは驚き尻尾をピンと逆立てた。
何故なら部屋の中は彼が思っていた以上に広く、そしてひとり用のベッドが置かれていたからだ。
ディックの様子に気づかないのか気づいているのか分からないけれど、ベルは一足先に部屋の中へと入ると中の様子を確かめ始める。
「んー……ちょっとホコリっぽいかしら? まあ、少し掃除をしたら大丈夫よね? けど、今日はもう陽も暗くなってるし……開けるにしても少しの間だけかしら。それと足りない物は……どうかしたの?」
「ほ……本当に、ほんとうにこの部屋が、おれの部屋……なのかよ?」
「ええ、そうよ。本を読んだりしても良いし、趣味に耽ったりしても良い。そして眠いときはベッドで眠ることが出来る、きみだけの部屋よ」
ベルが優しくディックへと言うと、彼はその言葉に驚きつつもその姿をベルに見せまいと必死に耐えているようだった。
……が、口角が上がりかけていることに彼自身気づいていないだろう。
そんなディックを優しい瞳で見つめながら、ベルは驚かせないようにして……。
「それじゃあ、私も部屋に戻るわね。ディックも疲れてるだろうから、速めに眠りなさいね。それと、明日は足りない物を買いに行きましょう」
「あ、う、わ、わかった……」
ベルの言葉に、ディックはどう返事を返せば良いのか分からないようだったが、しどろもどろになりつつも頷いた。
「良い返事ね。それじゃあ、おやすみなさいディック、良い夢を見てね」
「お、やすみ……なさい」
――おやすみなさい。
そう言われただけ、それだけなのに……ディックは言いようの無い嬉しさが心の中に込み上げてくるように感じた。
久しぶりに言われた言葉を反芻している彼の背後で、扉はゆっくりと閉まり……しばらくすると階段を下りていく音が聞こえ、扉が閉まる音が聞こえた。
どうやらベルの部屋は下にあるのだろう。が、今のところディックには必要の無い知識であった。
というよりもそれ以上に自分に与えられた部屋のほうが重要である。
「……おれの、部屋……なんだよな?」
掃除がされていないから少しホコリっぽい部屋を、彼は見渡しながら……ベッドまで向かうと、恐る恐るベッドに触れる。
見た目とは違って、ふんわりと柔らかい……藁とは違う素材が入っているように感じられるベッドだった。
そんなベッドに自分は今日から眠るのだ。それを理解しつつも、ドキドキと不安と期待を抱きながら……彼はベッドへと腰を下ろす。
「う、――わぁ?!」
ふんわりとした柔らかな感触がベッドに座ったディックのお尻の辺りに伝わり、その柔らかさに驚き……彼の口から驚きの声が洩れる。
座ったお尻を全て包み込むような柔らかさ、お尻だけで……こんなにも素敵な感触、だったら全身だったら……?
「ご、ごくり……!」
試してみたい。そんな期待を抱きながら、彼は座ったままの体を倒し……ベッドの中へと潜り込んだ。
すると、ふんわりとした……お尻に感じた柔らかさが、全身を包み込んだではないか。
「ふわぁぁぁぁぁ~~…………! すごく、きもちいぃぃ~~……」
その素晴らしい感覚に耐え切れず、彼の口から甘ったるい声が洩れる。
だけどそれを恥かしいと思う余裕が、今の彼には無かった。
更に言うならば、ベッドに全身が包まれると、体と精神が疲れていたのか……トロンと目蓋が落ちてくるのを感じた。
(だめ、だ……。すごく、きもちよくて……ねむくなる……。ねたら、きっと……なにかされるに、ちがい……ない、の……に…………)
ベルが何かをしてくる。そんな不安と恐怖が彼の頭に一瞬浮かぶ……。
だが、眠る意思に逆らうことが出来ず、気づけばディックは夢の世界へと落ちていってしまっていた。
そして部屋の住人であるディックが眠ったことをまるで察しているとでも言うように部屋の明かりは静かに消え、室内は窓から降り注ぐ星と月の光だけとなった。
……こうして、ディックは『賢者』の家族となったのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「……やっぱり疲れてたっていうのもあるし、緊張しすぎてたみたいね」
そう小さく呟きながら、ベルは瞳に描かれた魔方陣を閉じた。
すると、彼女の視界に見えていたディックの部屋の様子は見えなくなり、今は自分の部屋だけが見えていた。
「さてと、取り敢えず今の内に出来ることをやっておこうかしら。先ずは……ディックの部屋の必要な物ね。次にディックを貰って来た旨を伝えたほうが良いわね」
指を立てながら、ベルはやるべきことをリストアップしていく。……が、まだ2つしかないようだった。
なので、彼女はつい先程ディックに見せていた文字板を取り出すと、ガリガリと必要な物を書き始める。
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・服一式数点(靴含む)
・パジャマ
・カーテン
・専用の食器
・
――――――――――
「……んー……、とりあえずはこんなところかしら? まあ、足りない物欲しい物があったらその場で聞けば良いか。じゃあ次に……っと」
ある程度必要な物をピックアップし終えると、今度はゴールドソウルの王に対しての手紙を書くことにした。
とは言っても、簡単な挨拶とディックを貰うことだけだ。
……いや、それだけだと少し味気無いか。
そう考えたのかベルは可能性としてある王女が兵を差し向けるのをやめるようにも最後の辺りに書いておいた。
「万が一それを護れないというならば、毛根が寂しくなる魔法をかけてみせます……っと。完成」
呟き終えると、彼女は書いた手紙を封筒に入れと再び『ウォッチ』を使用する。
ただし、今度はディックを見るのではなく、ゴールドソウルの王の間だ。
「……出ました出ました。……って、性格が歪んでると思っていましたが、体型も酷いことになっていますねこの王女……」
魔方陣がベルに見せる王の間では、キンキンの金切り声を上げながらオークさながらの肥満体型の女性が父親である王に問い詰めているところだった。
どうやら自分のペットでおもちゃが持って行かれたことにご立腹なようだった。
苛立ちながらドスドスと踏み鳴らす音が聞こえる。
……というかこれは王女としてはどうなんだろうか?
あまりにも酷い王族の状況に何とも言えない表情を浮かべながら、ベルは『デリバリー』と呟き……瞳に浮かべた魔方陣とは別の魔方陣を机の上に展開させる。
「どんな反応をするかは分からないけど、最悪な方向に進まないことを祈るわよ?」
そう呟き、彼女は持っていた手紙を魔方陣の中へと入れた。
すると視界に映る王の間に、小さな魔方陣が展開されるのが見え……中から手紙が出てくるのが見え、それを確認してからベルは展開している『ウォッチ』と『デリバリー』を解除した。
「ん、ん~~……! さて、それじゃあ明日は早いから……眠ろうかしら」
体を曲げたりして解しながら、ベルは着ている服を脱ぎ……パジャマに着替えるとベッドへと潜り込む。
すると、部屋の主が眠ることを察したのか部屋の明かりは暗くなる。
自身を照らす星と月の光を感じながら……、ベルはゆっくりと目を閉じた。