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1.緊急事態発生

「緊急事態発生!」


 電話をかけて開口一番、この一言だけでユイはわたしの状況を的確に理解してくれた。


『どうしてほしいの?』


 さすが持つべきものは幼馴染だ。阿吽の呼吸とでも言うのだろうか。昨夜もこの一言だけでユイはアパートに飛ぶように駆けつけてくれた。


 だがさすがに次に続く発言は予想できなかったようだ。


「男物の服を買ってきて」

『は? 男の服?』


 絶句した気配はスマホごしでも十分伝わってきたが、構わず話を進めていく。


「その辺の適当な安物でいいよ。あ、サイズはLね。あーでも、LLの方がいいのかな。ねえトシ、LとLLどっちがいい?」


 横を見ると、トシは律儀に答えてくれた。


「そのえるというのが一つと二つとでは何が違うの?」


 耳に当てる薄板に向かって一人話すわたしは珍妙に見えるだろうに……真面目というか素直というか。


「Lが増えるってことは服が大きくなるってことだよ」

「そう。なら大きい方がいいかな。余った部分は腰回りで折ってしまえばいいし、長ければ自分で裾をあげるくらいのことはできるからね」


 トシは着物と勘違いしているが、わたしはトシの最後の発言の方に驚いた。


「ええっ。トシって縫い物できるの?」

「……それくらいはできるよ」

「ごめんごめん、馬鹿にしたわけじゃなくって」


『ちょっと! 何そっちで勝手に雰囲気作ってるのよ! 昨日は土方さんに恋しなくちゃいけないんだってわたしに泣きついてきたくせに、一体なにがどうなってるのよ』


 ユイの疑問はトシに直接会ってもらい事情を説明したら解消できた。


 トシには今、浴室で着替えてもらっている。初めての洋装に戸惑っていたが、着替える前にチャックやボタンの使い方をあらかじめ教えてあげたら難なく理解してくれた。便利な服があるものだな、といたく感心もしていた。でもあんた、もうしばらくしたら現実世界でも洋装になるんだよ、そう言いたい気持ちはぐっとこらえつつ。


 そして部屋に残る女二人組は、トシに聴こえないようにひそひそと会話を繰り広げている。


「……まさかあのエセ催眠術で土方歳三をタイムリープさせることができちゃうなんて」

「エセ? 何言ってんの、ユイのあれは本物じゃん。わたし、ユイの催眠術にかからなかったことなんて一度もないよ?」

「それはタエちゃんだけだから」

「へ? そうなの?」

「そうだよ。テレビで見たのと同じことができるのかやってみたいってタエちゃんがしつこいから、それでお互いに催眠術を掛け合ってみただけじゃない。まさか本当にかかるなんてわたしも思ってなかったし、家族にもためしにやってみたけど一度も成功したことないもん」

「うそお!」

「うそじゃないよ。タエちゃんってもともと単純でしょ。それのせいだよきっと」

「……ユイ、わたしのこと馬鹿にしてる?」

「馬鹿にしてるんじゃない。褒めてるのよ」

「あ、そう? ならいいんだけど」


 へらっと笑ったわたしをユイは束の間冷めた目で見た。


「じゃあなおちゃんが超能力者なのかなあ」

「そんなのわたしに訊かれても分かるわけないでしょ」

「だよねー。ま、いっか。トシがここにいるのは事実だし、考えても仕方ないし」

「……ほんと、タエちゃんのそのポジティブさには毎度のことながら感心するわ」

「やっぱりわたしのこと馬鹿にしてるでしょ」

「してないしてない。でさ、どうするのよ」


 急に耳元でこそこそと言うから、つられてわたしも神妙な顔になってしまった。


「どうしようねえ」

「ばかっ。何の考えもなしでどうすんのよ。これは超常現象だよ? しかも相手はあの『土方歳三』だよ?」

「でもねえ、『あの』土方歳三じゃねえ」


 あごでくいっと浴室のほうを指すと、ユイにもわたしの心情が理解できたようだった。


「……そうだね。『あの』土方歳三だったらなんの問題もないか」

「でしょでしょ? 全然怖くないし、話してみると意外といい奴だし。一緒にいても間違いなんて起こらなそうだし、もし襲い掛かられても反撃する自信あるし」

「タエちゃん言い過ぎ。でも否定できないや」


 たまらずユイが吹き出した。


「鬼の副長があんなぽやんとした人だったなんてありえなくない?」

「たぶん現実ではなおちゃんの教育の効果があったんだよ。それが行き過ぎて鬼になっちゃったんじゃないかな」

「でも土方歳三って生涯独身だったんでしょ?」

「うん、そうらしいね」


 手元にある『新選組』の文庫本をぱらりとめくる。

 こういう状況下においてこれはもはやバイブルだ。


「京都在住の頃は島原で浮世を流していたらしいよ。あ、それ以前に、地元の奉公先で手を出した女の人を妊娠させたこともあるみたいだけど」

「うっそー! 『あの』土方歳三が?」

「ねえ、『あの』土方歳三がそんなことできるのかねえ」


 けらけらと笑い合っていると、頭上から声がした。


「僕がどうしたって?」


 いつからいたのか、トシがすぐそこに立っていた。


 上は無地の黒のTシャツ、下はややラフな黒のチノパンになり、思った以上にかっこいい。ちなみに全身黒にしたのは、黒がトシに似合いそうだと思ったのと、黒が一番汚れが目立たないからだ。


 ユイに買ってきてもらったもう一組も黒。黒の綿シャツと黒のジーンズだ。ちなみにパジャマ替わりのTシャツと短パンも黒で、わたしの一存ですべて黒で統一させてもらった。いや、いくら安物といったって、学生であるわたしにとっては相当に痛い出費なのだから我慢してもらいたい。


 だが当の本人はぺたぺたと胸元を触り落ち着かないようだ。


「タエさん、その、変じゃないかな?」

「似合ってる似合ってる。大丈夫」

「そ、そう? ならよかった」


 ぽっと頬を赤らめたトシに、ユイが胡乱気な顔でわたしをこづいた。


「ねえ、本当にこの人があの『土方歳三』なんだよね」

「うん……おそらく」


 接するたびに自信がなくなっていくのは仕方ないだろう。


 だけどこの家に突然見知らぬ男が現れて、着物と刀という動かぬ証拠があり、夢での光景を鮮明に思い出せてしまうのだから、やはりこいつは土方歳三なのだろう。


 さっきもユイが家に来るまで二人で朝食をとったのだが、トシは冷蔵庫が発する冷風に目を白黒させ、レンジやガスコンロにいちいち過敏に反応し、ウインナーを一口食べ「おいしい」と歓喜の涙を流し、バナナをどうやって食べればいいかおたおたとし……あきらかに現代人ではない反応ばかりをしていた。


 食後、それとなく素性を探ってみたのだが、試衛館で一緒に稽古をする仲間のこととか、石田散薬とかいう土方家に代々伝わる妙薬のこととかつまることなく話してくれた。なかには本に載っていないような、まさに当事者でなければ知っていなさそうなコアな話もあった。それに、うれしそうに語るトシの表情のどれもが嘘を言っているとは思えなかった。


 トイレの使い方を教えたら、その正面に備えられた鏡にうつる自分の姿に仰天してたっけ。髷がないって大騒ぎしていた。動揺の激しいトシを落ち着かせて話を聞くと、顔や体には異変はなく、髪形だけが変わってしまったらしい。


 今度の舞台、水谷演じる土方歳三の髪型とこいつの髪型が同じなのは、きっとわたしの中にある土方歳三像をなおちゃんが再現したからだと思っている。こっちで過ごすのに不便がないように、という配慮なのだろうか。たぶん元いたところに戻れば髪形も戻るよ、と根拠のないなぐさめをしておいたが、「こんなの男じゃない」と随分ショックを受けていた。


 もう僕にはこの刀しかない、そう嘆いていたトシをだますようで悪いが、さっき着替えている隙にこっそり触らせてもらった。トシの保有するそれは鞘から十センチも抜かなくても本物だと分かった。これは絶対におもちゃでも小道具でもない。下手に触れば流血ざたになる代物だ。


 まとめると、状況すべてがこう言っている。


 こいつは正真正銘、本物の土方歳三なんだ……と。

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