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2.運命の恋っていうのは

「お疲れ」


 水谷が顔を向けると、それは前方を歩いていたはずの金子だった。


「あ、お疲れ様です」


 小さく頭を下げた水谷を束の間金子は見つめ、言った。


「……不憫な奴だな、お前」

「なにがですか」


 水谷は不憫だなどと言われたことは一度もなかった。自分はどちらかというと恵まれた側にいる。それはずいぶん前から自覚していた。生まれも容姿も知性も環境も……そして運も。


 水谷の声に珍しく刺のようなものを感じたが、金子はそれを不快どころか心地よく感じたようだった。


「だってお前、ずっと報われない恋をしているだろ?」


 やや見開かれた水谷の目はそれが真実であることと驚きの心境を金子に伝えた。だがそれにも金子は緩やかに笑ってみせた。


「お前さ、なんだってあんな男女を好きになっちまったんだよ」


 それに水谷の表情は素に戻った。


「あの、二つ言っていいですか」

「なんだ」

「一つ目は、なぜこの恋が報われないと決めつけるのかってことです」

「だってそりゃあ」


 水谷の思いもよらぬ切り替えしは金子の言葉を失わせた。

 だがそれは一瞬のことだった。


「片想いをするには無理がありすぎるだろ。タエはお前をそういう目で見ていないし、あいつの演技を観れば分かる。今のタエには好きな男がいる。あの様子じゃうまくいってないのか失恋したんだろうけどさ」


 水谷はそれには返事をしなかった。


「二つ目は」


 その声にはこれまた珍しく苛立ちの色が浮き出ていた。


「報われなくたって恋は恋だってことです。部長は恋しい人がいることの幸せを知らないんですか?」

「……だがなあ。恋ってのは実ったほうがいいだろ?」

「それは確かにそうですけど。でも恋にも種類があるんです」


 金子の足が止まった。


「種類? なんだそれは」


 水谷の足も止まった。


「運命の恋とそれ以外の恋ですよ」



 *



 やや背の高い後輩に見下ろされ、はっきりと言葉に出され。

 金子はようやく水谷の言葉の重み、想いの性質を理解した。


 金子はこれまで恋とは楽しむものだと思っていた。色に例えるならピンク、それに尽きる。幼いころから愛読している少女漫画も、暇があれば遊ぶ乙女ゲームも、心弾み人生に彩りを与える恋が多かった。いや、無意識にそういうストーリーのものを選んでいたのかもしれないが、少なくともヒロインにとっての恋とはそういうものだった。


 今回、コンクールの作品に悲恋を扱ったのは、そんなピンクの恋と対局のグレーの恋を出すことで、恋そのものをより深く味わえると思ったからだ。舞台ではグレーの引き立て役としてピンクを使った。だが、だからこそ舞台を観た客は現実世界でのピンクの重要性を感じるはずだと、そう金子は考えていたのだ。


 金子にとって舞台とは、自分の理想とする恋を伝道するための手段に近かった。

 ただ、熱血漢かつ単純な金子は、そんな自分の深層心理に気づいてなどいなかったが。


 金子が酔いのまわった頭でなんとか思考を巡らせている間にも、水谷は手を緩めることなく語っていった。


「運命の恋っていうのはそう簡単には手に入らないんですよ」

「じゃあお前の言うその運命の恋ってやつはどういうものなんだ」

「部長はどう考えているんですか?」

「最後はハッピーエンドになる恋、少なくとも両想いになる恋……だよな?」


 語尾があがってしまったのは自信がない所以だ。

 案の定、金子の回答に水谷は首を小さく振った。


「両想いになる二人が運命ってことではないんです」

「じゃあなんだよ」


 ややきつい言い方をした金子の目は、酔いもあって座っている。

 しかしそれを見下ろす水谷は酔いではなく確かな信念によって目を細めた。


「服従、でしょうね」

「……服従?」


 金子の目が開いたのは、衝撃的な発言に酔いが醒め、正気に戻ったからだ。それゆえ、部長らしく後輩のために笑ってみせた。


「なんだよそれ。あれか、恋の奴隷ってやつか」


 少し水谷が遠い目になった。


「その表現もあながち間違ってはいませんね。でも恋そのものの奴隷になったつもりはありませんが。……部長、歩きますか」

「お、おう」


 前方にはもう知る者の姿は皆無だった。県道沿い、駅へと続く道路は、ガードレールのすぐそばを途絶えることなく自動車が走っていく。排気ガスの濃密な熱は、夜だというのにこのあたりを一向に冷まさない。無理な運転をした自動車がすぐ向こうで耳障りなブレーキの音を響かせた。


 キイイ……。


 残響が薄れ、この付近特有の低い喧騒が戻りだしたところで、金子が再び口を開いた。


「あのさ、さっきの話だが」

「まだ続いていたんですか?」


 こちらを見ようともしない水谷の横顔が、一瞬、通り過ぎた自動車の放つハイライトによって白く照らされた。


「お前、今からタエん家行けよ」

「は?」

「実はさ」


 擦り切れたジーンズのポケットを探り金子が取り出したものは口紅だった。一本五百円もしないプラスチックの筐体のそれは、ポップな水玉柄から持ち主をすぐに特定できる。タエだ。


「これ会場で拾ったんだけどさ、本人に返すの忘れてたんだよな」


 金子が拾ったのは舞台を終えた直後だった。せっかくだからと、これを渡すついでに演技の出来を称賛するべくタエを探していたところ……長髪ポニーテールに着物姿のまま立ち尽くす水谷の背を見つけたのだった。その視線の先には一人うずくまるタエがいた。


 金子はそのどちらにも声を掛けることができなかった。


「ほらよ」


 水谷の手をとり無理やり口紅を握らせる。反論しようと口を開きかけた水谷に先んじて金子が力強く水谷の背中を叩いた。


「いいから行け! 難しいことを考えるな! 素直になれ、お前の心はどうしたいと言ってるんだ?」


 水谷がはっとした顔になった。

 それは一瞬のことだったが、確かにそういう顔をしていた。


「……ありがとう、ございます」


 口紅を握りしめ、「俺、行きます」と言うや、水谷は金子に背を向けて元来た道を駆けていった。その後ろ姿を金子は見えなくなるまで眺めていた。


「……やっぱ俺の恋は実らないってことかな」


 ふとつぶやいていた金子だったが、すぐに笑顔になった。


「いやいや。実らなくたって恋は恋だもんな。恋しているだけで楽しいっていうのは確かに真理だ」


 うんうんとうなずきながら、金子は自分を待つ者たちの元へと歩き出した。

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