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1.土方歳三の最期

完結後に執筆したおまけです。

本章ではトシ(土方歳三)に焦点をあてています。

 夏がくるとやけに胸が騒ぐ。


 京都に来てからというもの、土方歳三は笑うことをしなくなった。せめてそのまま黙っていれば美形だとほめそやしおだてることもできようが、夏は常に顔をしかめて怒声を発しているから、元から有する外見の良さをすっかり無効にしていた。


 夏がくるとやけに胸が騒ぐ。

 原因が分からず神経に触る。

 だから憂さを晴らすように隊士を怒鳴りつける。

 不逞浪士を粛清し、女遊びをする。


 周囲の人々は「京の蒸し暑さに慣れないんだろうよ」と半分呆れたように言った。

 それを耳にするたび、局長である近藤が困ったように忠言するのだった。


「トシ、もうちょっと力を抜けよ」

「新選組の副長たるものこれくらいでちょうどいいんだ」

「だがなあ」

「近藤さん、俺は大丈夫だ」


 もの言いたげな近藤の視線を振り切るのもいつものことだった。



 *



 歳三が通りすがった部屋の向こう、平隊士が数人集まっていた。顔を突き合わせて何やら話し込んでいる。


「土方さんほど恐ろしい男はいない」

「芹沢さんの病死というのも本当は嘘で、その実、土方さん主導による粛清だったらしい」

「新選組をここまで大きくした立役者は芹沢さんだぞ?」

「驚くことがあるか。今の新選組にとって必要か否か、それだけがあの人の行動の指標なんだろうよ」


 最後まで話を聞かず、歳三は足音を立てずにその場を通り過ぎた。


 誰になんと思われようといい。

 自分の心の内にある信念に違わなければそれでいい。


「……あの人は鬼だよ」


 背後から聞こえたそれにも、歳三は一人微笑していた。



 *



 山南が死んだ。

 井上が死んだ。


 新選組は京都から関東に拠点を移した。


 近藤が死んだ。

 沖田が死んだ。


 試衛館で共に過ごした仲間は気づけば誰もいなくなっていた。


「土方さん。新選組のことを頼みます」


 会津で別れた斎藤とも二度と会うことはなかった。



 *



 たどり着いた地は日本の最果て、蝦夷だった。

 まさか自分がこんな場所に移り住む日が来るとは、歳三は思ってもいなかった。しかもこの地で戦をするなどと、死ぬなどと……。


 雪解けのとある日、歳三は銃弾に打たれた。衝撃で受け身をとる暇なく馬上から地面に落ちた。打たれた箇所は焼けるような痛みを発し、だくだくと血が流れた。明らかに致命傷だった。


 なのに部下に担がれて物陰へと運ばれていく間、歳三はどこか滑稽な気分でいた。死は怖くなかった。激動の時代を駆け抜けたこの五年間、思い出のすべてが砕け散って砂のように天空へと舞い上がっていった。そして薄れゆく意識の中、「ああ、これで終わったんだ」と不思議なほどの達成感に包まれていた。


「局長! 土方局長! もう少しです、もう少しですからっ!」


 銃弾の飛び交う中、自分を抱えて歯を食いしばり歩む部下に、歳三は小さく笑ってみせた。


「あとのことは……頼んだぞ」

「局長っ……!」


 あおぐ空がどんな色かも分からなくなり、歳三は緩やかにその目を閉じた。



 *



 自分という存在が消えていく過程において、歳三は逆の感覚を、つまりより強いいずこかへと導かれていく感覚をとらえた。あらがえないほどの強力なそれは、近づけば近づくほど、死にゆく歳三の意識を鮮明にしていった。


 真っ暗なその場所に光が差すと、一人の女の姿があらわになった。


 いつからいたのか。見覚えのないその女は、女にしては背が高かった。和装とも洋装ともいえない服を身に着け、髪は肩に届かない位置で大胆に切り揃えられていた。若い女だ。だがこちらに背を向けていて顔は見えない。


 その女が急にこちらを振り返った。


 髪が膨らみふわりと回転し、それとともに女の顔がはっきりと見えた。

 きりっとした表情は女にしては力強かった。

 そしてまっすぐにこちらを見つめてくる瞳――。


 虹彩に浮かぶ煌きは光の速さで歳三の魂に届いた。


 その瞬間、これまで隠してきた自分自身ともいうべき深淵が揺さぶられ――気づけば歳三は丸裸にされていた。


 武士としてあるべき自分。

 新選組副長として、そして局長としてあるべき自分。

 鬼とたとえられ批判され、謗られようとも揺らぐことなく生きてきた自分。

 そういう己が女の目線一つで粉々に砕け散り消えた。


 はらはらと、雪の結晶のような煌きが暗闇だけの世界に舞った。



 *


 

 息絶える直前、土方歳三はこう言ったという。


「これでやっと……会いに行ける」


 涙が頬を伝い、だがその死に顔は非常に静かで満ち足りた様子であったという。

 死してようやく平穏を得たのだろうと、臨終の場に立ち会った部下の言葉は後世に伝わっている。

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