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エピローグ4(最終話)

 舞台を終えた後の達成感は半端ない。

 長い時間をかけて精根こめて演じた役との別離は正直寂しいが、それ以上に充足感の方が勝る。


「タエ、今日の演技は最高だったぞ!」


 そう言ってわたしの肩を思いきり叩いた男はこの劇団のリーダーで、なんとなく大学時代の同級生であり演劇部の演出家兼脚本担当だった金子に似ている。


「ありがとう、ございます」


 幕間、わたしと水谷の間に生まれた微妙なひずみは、いい具合に後半の愛憎劇に生かされた。それゆえ称賛を素直に受け止めていいものか一寸迷った。


 だが。


「お前は恋愛ものを演じるのが特にうまいよ。この調子で千秋楽まで頼んだぞ」

「……はい!」


 褒められればまんざらでもないのは昔からだ。


 というか。こうして仲間に、そして観客に喜んでもらえたなら、もうそれで本望なのだ。だってわたしはそのために演じたのだから。


(やっぱり演劇続けてきてよかったなあ……)


 心地よい達成感で笑みを浮かべたわたしの視界に、向こうで数人の劇団員と談笑する水谷の姿がふと入った。


 水谷もまたちょうどこちらを見たところで、偶然二人の視線がかち合ったという感じだった。水谷が少しこちらに踏み出そうとした。気配を感じ、わたしの足は自然と後退していた。そのまま、この場から逃げるように立ち去ったわたしを水谷は追いかけてはこなかった。だがいくら適当なわたしでも分かる。水谷はもう、抱える恋情を抑制するつもりはないのだ。


 しばらくは水谷と二人きりにならないようにする他ないだろう。

 とはいえあまり無下にはしたくないという思いもある。


『十年ですよ――』


 時の長さに比例して想いが募るということはきっとある。

 だってわたしもそうだから――。


「ま、今日はさっさと帰って寝るか」


 まだ舞台は五回残っている。その間は舞台以外のことで頭を悩ます余裕などない。考えるのは千秋楽の後だ。さばさばとしているのは昔からのわたしの長所だ。


 女性用の部屋でかつらを取ると、蒸れた頭頂部が爽快感を得て歓喜した。解放感も半端ない。次はこの舞台映えする、言い換えれば普段の場では濃すぎるメイクを落としたい。クレンジングオイルに手を伸ばしかけたところで、劇団員の女の子がノックし扉の向こうから声を掛けてきた。


「タエさんにお客様ですよー」

「はあ?」


 間の抜けた声をあげてしまったのは、まったく正体のつかめない急な客人に頭が疑問符でいっぱいになったからだ。


 劇団とバイト先以外、知り合いの皆無なこの土地で、わたしには舞台初日に招待できる人はいなかった。幼馴染のユイは今は地元で小学校の教師をしているし、親はわたしの大学卒業を機に離婚しており、それぞれが新しいパートナーとの暮らしに夢中になっている。


「だあれ?」


 ドアごしに返事をするのと女の子が焦った声を発したのはほぼ同時だった。


「あ、お客さん! 困ります勝手に……!」


 制止を振りきり開けられたドアの向こうには、おろおろとする劇団員の女の子と見知らぬ若い男がいた。まだ未成年らしきその男は、幼さの見える表情に凛とした男らしさも兼ね揃えていた。


 目が合うやじっとこちらを見つめてくる男の瞳は、初対面のわたしに向けるには鋭すぎた。だがその瞳の奥に、わたしは大学時代によく眺めていた夜の海をかいま見た気がした。暗くて深くて、けれど見つめるもの全てを包むことのできる広大な深海……。


「……やっと会えた」


 男の口から漏れ出た声は年恰好の割には低かった。


「本庄タエ、さん?」

「は、はい」


 本名を呼ばれ、素直に返事をしてしまった。


「あれ? なんで役名と違う本名をあなたが知ってるの?」


 本庄という姓を名乗りたくなくて、わたしはここでは役名を使っていた。

 男の顔がくしゃっと崩れた。


「タエさん、僕だよ。僕のことが分かる?」

「分かるったって……。わたしとあなたは初対面だよね」


 言いながら男の全身を検分していった。頭の先から爪の先まで。だがどのフォルムにも見覚えはなかった。スポーツをやっていそうな短い黒髪、シャツごしでも分かる引き締まった体、背も高くいかにも女にもてそうだ。それが一見してわたしが彼から受けた印象だった。


 というか、黒シャツに黒のデニムって、このクソ暑い夏になに考えてるんだか。自意識過剰なのかナルシストなのか。


 と、そこで思い至った。


「あのさ、わたしナンパ男は好きじゃないから」

「……え?」


 ぽかんとした表情は図星だからに決まっている。

 こういう奴にはきつく言い聞かせる大人が必要だ。


「それにさっきの役はあくまで演技であってわたし自身のことじゃないから」

「それはもちろんっ! もちろん分かってるっ」

「いや、だからさ。わたしは役を通してお客様に舞台の世界を楽しんでもらいたいだけで、勝手な解釈で役者のわたし自身に惚れられても迷惑だから」

「おー、さすがタエさん」


 ぱちぱちと手を叩いた女の子は感心した様子で、それにわたしはウインクしてみせた。


「こんな奴くらいわたし一人で大丈夫。もう片付けに戻っていいよ」

「はーい」


 あっさりと去って行ったのは、わたしが強い女であることを自分自身の言動で常に証明してきたからだ。


 二人きりになったところで、教育的指導とばかりに腕を組んで仁王立ちになる。


「ガキのくせに色気づいてるんじゃないよ」

「ガキって……。そんなの僕のせいじゃないししょうがないじゃないか」


 少し批判されただけで男は顔色を変えた。

 だが容赦はしない。


「ガキはガキでしょ。乳繰り合いたいんならその辺を歩いている女に頼めっつーの。ま、あんたみたいな奴は外面だけの男だってすぐに飽きられるに決まってるけどね。でもって醜態が広まって友達なくすのがオチなんだよ。分かったらほら、さっさと帰んな!」


 はっと鼻息荒く笑ってみせると、男はうつむき肩を震わせ始めた。


「あれ? 泣くの? 泣くくらいなら金輪際ナンパなんてやめるんだね」


 手を抜くことなく攻め続けているのは、この世界にいるわたし以外の女をこういう男の毒牙から守るためだ。それに年端もいかない青少年を正しい道に引き戻すことは大人の大切な義務である。ちょっと言われたくらいで傷ついてしまうくらいなのだから、この男、きっと根本は素直ないい奴なんだろう。今なら清く正しい道に戻せるはずだ。


「……もうこういうことするの、やめなよ?」


 ふっと、うつむく男が息を洩らした。


 これは本格的に泣き出すかも、と思ったら、男はふふふと小鳥の囀るような声を発し、次の瞬間腹を抱えて盛大に笑い出した。


「はははっ。タエさんはやっぱり変わらないや。はははは」


 唖然としつつ大爆笑する男を見ていたら、仕草の一つ一つになぜか胸がざわついた。


 見も知らぬ男。

 初めて口を聞いた男。

 なのにまるでわたしを知っているかのようにふるまうこの男――。


「…………あんた何者?」


 するとドアの向こうから、なんの偶然か水谷がのっそりと姿を現した。

 水谷はすっかり素に戻り、パーカーにジーンズというラフないでたちになっている。


「こいつ何なんですか」


 胡乱気に男を見やる水谷に、わたしは肩をすくめるジェスチャーで返事をした。

 男はわたしの仕草に気づくと、まだ笑いの残る表情で背後に振り向いた。


「ああ、水谷殿か」

「……は?」


 怪訝な顔になった水谷を置いて、男はもう一度わたしの方に振り向いた。


「タエさん、待たせてごめんね。タエさんのことを思い出したのが二年前で、だけど僕も高校生で受験生だったからいろんな意味で自由がなかったんだ。大学生になって、それから片っ端から舞台を観て回って、それでようやく今日こうして……」

「……もしかして」


 言葉を遮ったわたしに、男は不快になることもなくただ静かにうなずいた。


「うん、そうだよ。僕だよ」

「……ト、シ?」


 驚愕の表情を浮かべた水谷が何やら言いかけた。

 しかしそれよりも先に――。

 わたしは男に抱きつき、男はわたしを受け止めていた。


「トシ、トシ……!」


 むしゃぶりつくように飛びついた首の位置は以前よりも随分高く、爪先立たないといけないほどだった。


「タエさん……!」


 耳元で囁かれる声は大人のように低くやや掠れている。

 目も鼻も口も、以前とは明らかに別人だ。

 だけど――。


「トシなんだね、トシなんだよね?」


 わたしの心が「この人はトシだ」と叫んでいる。

 絶対にトシだと訴えている。


「ごめんね、すぐ気づかなくて。ああ、トシだ、トシなんだ……」


 より一層すり寄ると、男はわたしの背に回した腕に力を込めた。


「そうだよ、僕だよ。随分変わっちゃったし子供みたいだけど、それでも僕だよ。分かってくれたんだね、僕のことを分かってくれたんだね……!」

「そんなのお互い様だよ! わたしだってあの頃に比べて年とったし、ほら、今だって化粧濃いしひらひらした衣装着てるし!」

「ううん、タエさんは何にも変わっていないよ。演じているところを見たらすぐに分かった。タエさんだって……すぐに分かった」


 はあ、とトシが大きくため息をついた。


「……タエさんは本当に。本当にいつも可愛くてずるい」


 トシがわたしを抱きしめたままくるりと振り返った。

 突然の出来事に硬直していた水谷は、トシの視線を受け顔をこわばらせた。


「水谷殿。タエさんは昔も今も僕のものだからあきらめてもらいたい」


 一瞬、水谷の全身に殺気立った気配が走った。

 だがそれは本当に一瞬のことで、すぐに普段のような朴訥とした表情になった。


「……分かった」


 短く答え立ち去ろうとする水谷に、わたしはとっさに声をかけていた。


「み、水谷!」


 顔だけで振り向いた水谷に、わたしはややためらったものの、言った。


「ありがとね。あと……ほんとごめん」

「ほんとそうですよ。さっさと俺のこと振ってくれていればよかったんです。これじゃあ俺、エドガーそのものじゃないですか」


 眉をしかめ迷惑そうに言われ、わたしはついかっとなった。


「そんなの水谷の勝手じゃん! わたし期待するなって言ったよね?」

「……ああもう、黙って」


 ふいにトシが手を伸ばしたかと思うと、わたしの頬に触れ、そのまま顔を近づけてきた。


 ぱたん、とドアが閉まる音がした。


 ついそちらを見ようとしたところで、もう一度顔の向きを直された。


「だめだよ……僕だけを見て……」


 熱い視線はわたしが心から欲してきたもので、だからわたしは蕩けそうになりながらも必死で見つめ返した。


「そう、それでいい」


 ふわりとトシがほほ笑んだ。


「タエさんは僕のことだけを見ていればいい。タエさんに触れていいのは僕だけだ。こんなふうにタエさんを抱きしめるのも僕だけだ」


 そう言って再度顔を近づけてきたトシに、わたしはついのけぞった。


「……なんで?」

「あの、それは約束できない」

「なんでっ?」

「だってわたし役者だもん」


 少しの沈黙ののち、トシがはーっと深いため息をついた。


「うん、分かってる。それは分かってる。さっきの舞台だって、僕ちゃんと我慢してたよ。でも!」


 勢いよくトシが顔をあげた。


「でもそれ以外のすべては僕だけのものだ!」

「……ふふっ」

「なんで笑うの?」

「いや、だって。可愛いからつい。ふふっ。……ねえ知ってた? わたしずっとトシのこと可愛いって思ってたんだよ?」


 ちょっとした意趣返しにと普通の男が嫌がることを暴露してみせたところ、トシは意外にも誇らしげな顔になった。


「それはうれしいな」


 そう言ってわたしの腰をあらためて引き寄せる。


「可愛いは愛しいの裏返しだからね。つまりタエさんは僕のことを愛しているってことだ」


 きらきらとした表情はたどり着いた結論に自信があるからだ。反発心で否定の言葉を口にしかけたところで、見上げるトシの目が潤んでいることに気づいた。


 嬉しさを素直に表現するその顔において、揺らぐ瞳だけがトシの抱えてきた苦悩を物語っているようだった。


 きっとここにたどり着くまで、数えきれないほどの舞台を行脚したに違いない。その都度わたしを見つけられず絶望したに違いない。しかも幕末期の記憶を抱えながら現代の若者としても生きなくてはいけなくて……。


「……うんそう。わたし、トシのことを愛してるの」


 伝えるべきときに伝えるべき人に想いを打ち明ける。

 そんな単純なことを、わたしはようやく実行できた。


「トシのことが好き。愛してる」


 寄り添う二人の体はいつの間にかぴったりと密着している。

 胸に、腹に、太ももに。トシの体が触れている。

 生きているからこそ発せられる熱、その体に触れることのできる奇跡――。


「もう二度と離れないでね。ずっとそばにいてね」

「うん。約束する。僕も……愛している」


 見つめ合う二人の顔が近づき、わたしはようやく目を閉じることができた。




 スポットライトを浴びるとき、わたしは眩しさに負けじと目を見開く癖がある。

 そうやって舞台で演じてきた。

 だけどこうしてトシに見つめられ、わたしは自然と目を閉じることができた。


 そっと舞い降りた唇の感触は、今までのどの愛の行為よりも幸せに満ち溢れていた。

最後までおつきあいくださりありがとうございました。


この作品は2017年夏の企画「恋に身を焦がす夏」参加作品です。

本企画名でキーワード検索すると、他の参加された方々の珠玉の登録作品を読むことができます。

ぜひどうぞ!


*今後web拍手に後日談やヒロイン以外の視点でのストーリーを掲載するかもしれません。

 その際は活動報告にてお知らせします。



-----



おまけです。



本作は「鬼の副長と呼ばれた土方歳三が実は演技をしていたら?」という仮定から誕生しました。

実は作者はずいぶん前から歴史上の人物を作品中で取り扱ってみたいと思っていました。それは時代劇でも伝記でも、本当にいた人物の話は感動もひとしおだからです。今回初めて扱うことができてすごく楽しかったです。


また、作者は「プレイタイムを続けよう」という作品でも演劇を扱っているのですが、もう一度あらためて扱ってみたいと常々思っていました。それも叶ってうれしかったです。

かといって演劇についてはどういうふうに扱うかは色々と候補がありました。

その候補の一つが「演じられた役が本人の面影を残さない場合がある」ことの不思議さで、今回は先に書いた土方歳三の話とうまく繋がってよかったです。


新選組は数多くの作品で扱われているため、どう本作品で扱うべきかは悩みました。

読了された方ならお分かりかと思いますが、本作品は現代人同士、たとえば作曲家の卵と俳優の卵の恋愛ストーリー等にすることもできます。タエの恋の相手はある意味誰でもいいのです。

なので現代人同士にしようかな、と悩みつつ、結局は「ここは思いついたとおり土方歳三を使うぞ!」と決めた次第です。



次に。


本作品が日がすすむにつれR15的描写や行為が増えていく件ですが、実は当初はその予定はありませんでした。

たとえば病院帰りのタエとトシがなだれ込むように色々していますが、最初は何もさせてませんでした。

ですけど書いていて、「なんだかこの作品、マディソン郡の橋みたいだな」と思ったんです。

数日間だけの恋ってところや激しい恋をテーマにしているところが。

ならば企画名からしてわたしは本作品をもっと激しくしなくてはいけないのではないか?と思い、マディソン郡の橋にちなんで濃い描写にしていきました。

結果、作者的にはより良い作品にできたと満足しています。

ちなみに。

幕末の男は「愛してる」なんて言わないはずですが、この部分だけは創作上の表現と許容していただけると幸いです。



最後に。


エピローグは読者様によってはアリかナシか意見が分かれることと思います。

新選組も関係ないし。

作者自身、第五章で終わりにしてもよし、最終章エピローグ1で終わりにしてもよし、と色々な終わり方が許容されると思っています。ぜひお好きに解釈してください。


それでは、本当にありがとうございました!

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