エピローグ1 たとえ何があろうとも
すべてのスポットライトが一瞬にして自分に向けられる瞬間が好き。
わたしを見て。
わたしを感じて。
わたしを通してすべてを感じて。
わたしがここにいる理由を、わたしを形作るすべてを感じて――。
そうすればきっと。
わたしを通してあなたは幸せになれる。
わたしを通してあなたは幸せになれるはず――。
*
二度目のアンコールを終え幕の中に入ったところで、「お疲れさまです」と水谷が声をかけてきた。
額の汗を腕で乱暴にぬぐいながら同じように「お疲れ」と返す。
「タエさん、今日もいい感じでしたね」
「今日もじゃない。いつもでしょ」
「はは。そういうところ、大学時代と変わっていませんね」
「悪いか」
「いいえ?」
子供がいたずらをするときのような無邪気な表情で片眉をあげてみせた水谷は、今はわたしと同じ劇団に所属している。
わたしは大学卒業後、東京の小劇団に入った。三年生の時にコンクールで演じたヒロイン、お夏が劇団関係者の目に留まりスカウトされたのだ。だから就職活動は一切しなかった。今もアルバイトを掛け持ちしながら日々つましい生活を送っている。
だけどたとえ六畳一間のぼろいアパートで暮らしていようとも、給料日前に納豆ご飯にキムチをのせることができないほど困窮しても、わたしの毎日は充実していた。
演じることが楽しくてたまらない。
どんな役でも、たとえ端役でもかまわない。
だってどの役にも必ずその役の基となるバックグラウンドがある。それを想像し、台詞にのせ行動に移すことが面白い。そしてそれが仲間に受け入れられ、本番、舞台上で観客に伝わったことが実感できると、涙が出そうなほどうれしくなる。
わたしはここに来てよかったんだって、そう思える。
演じていてよかった、この世界にいていいんだってそう思える。
トシもきっとそうだ。
トシもきっと幕末の時代において史実通りの華々しい活躍をしているのだろう。
わたしとトシはこうしてお互いの存在を感じ合えているはずだ。
トシと別れて五年がたった。
*
「この後ご飯食べに行きませんか。驕りますよ」
水谷のお誘いはいつものごとく断る。
水谷はある日突然上京してきた。その日、その夜は東京にしては珍しく粉雪が舞っていた。どこでどう調べたのか、練習を終えたばかりのわたしの前にモスグリーンのダウンジャケットを着込んだ水谷が突然立ち塞がり、白い息を吐きながら開口一番こう言った。
「先輩のことを追いかけてきました」
「へ? なんで?」
素っ頓狂な声をあげたわたしを水谷は真剣な面持ちで見つめてきた。
「俺、先輩のことが好きなんです。高校のときに先輩の演じる姿を見てからずっと好きでした。だから同じ大学、同じ演劇部に入ったんです」
それをわたしは笑って流そうとした。
恋情や肉欲でもって自分に近づいてくる人間はそうやっていつも受け流していたから。
だが水谷はそんなわたしをゆるさなかった。
「先輩の心には今もあの人がいるってことは分かってます。ずっとそばにいたんです、それくらい分かります。だけど……俺の方がずっと前から先輩のことが好きだったんだ」
振り絞るように発せられた声は水谷の想いの真摯さを裏付けるかのようだった。
「……早い者勝ちでもないでしょうに」
「でしょうね。でも俺が本気だってことは分かってもらえますよね。俺も来月からこの劇団にお世話になります」
「本気?」
「ええ。これからもずっと先輩のそばにいるのは俺だ。それくらいゆるしてもらえますよね?」
「……ゆるすもゆるさないもない。けど期待はするな」
釘を刺したのに、満面の笑みを浮かべた水谷のことは今でも目に焼き付いている。
寄り道することなくまっすぐにアパートに戻る。
ドアノブに鍵を入れ、回す。
ぎい、と軋む音をたてながらドアが開く。
照明をつけようと壁のスイッチに手を伸ばそうとして――わたしは息を飲んだ。
暗闇の中、部屋の中央で何か淡く光るものが浮遊している。
まるで蛍のような小さくて儚い光――。
ふらふらと、操られるかのようにわたしはその光に近づいていった。
近づき、腰を降ろし、そっと光の玉を手にすくう。
手のひらの上で光の玉が一際明るく輝いた。
その光がわたしの全身を包んだかのような錯覚が起き――次の瞬間、光の玉は消滅していた。
わたしの周りには闇しか残らなかった。
幻想的な光景はしばらくこの場の時をとめた。
だがそれは束の間のことで、わたしは理解するやしゃがみこみ、気づけば嗚咽を洩らしていた。
「トシっ……!」
あれから五年と少しがたった。
そしてトシ――土方歳三は、京都に出立して五年と少しで銃弾に倒れ亡くなっている。
「トシ……トシ……!」
五年間、素の自分では一度も流すことのなかった涙がとめどなく溢れていく。
演じることでおとなくしさせていた心の凪が狂ったように暴れていく。
『運命ってそんな簡単な言葉じゃないよ。恋に運命って冠を付けるなら、それは一生で一度だけのものってことだよ』
そう言ったときのトシの表情は今でも瞼の裏にしっかりと焼きついている。
声も温もりも匂いも気配も……何もかも全て覚えている。
『僕の人生でたった一つの恋、それがタエさんと僕との恋だよ。たとえ何があろうと、一緒にいられる時間が短くても、もう二度と会えない日が来ようとも、それでも僕はタエさん以外に恋することなんてない。それほどの恋なんだ』
たとえ何があろうと。
たとえ一緒にいられる時間が短くとも。
たとえもう二度と会えない日が来ようとも。
たとえ何があろうともーー。
「よく頑張ったね。よく頑張ったねっ……」
「トシは武士だよ、本物の武士だよ……」
「トシを見習ってわたしも頑張ってたんだよ? わたしもトシみたいに生きたい、そう願って演じ続けてきたんだよ……?」
「だからさ……今夜くらい言ってもいいよね……?」
覆う顔の下はぐしゃぐしゃだ。
「もう二度と離れないで。絶対に離れないで。ずっと寂しかった。会いたくて触れたくて……たまらなかったんだよ……」
灯り一つない部屋で、わたしは胸を抱えて一人涙を流し続けた。




