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3.二人は固く深く繋がっている


 *



 休憩をはさみつつ、通し稽古は五回続けられた。


 すっかり夜は更けている。太陽が姿を消すと、少し風が吹くだけでもむき出しの二の腕に鳥肌が浮いた。だけど昼間たくさんかいた汗はじっとりと服を濡らしていて、体内にこもる熱をいつまでも保持している。


 もう寒いのか暑いのかよく分からない。

 ひどく疲れた。

 けど気分はありえないくらいに高揚している。

 いつまでもこうして演じ続けていられそうだ。

 何十回でも、何百回でも。

 永遠にでも――。


「タエ、お前はなぜそのようなことを知っている。……ひょっとして長州か薩摩の間者なのか」

「違うっ」

「じゃあ……」


 最後の重要なシーン、そこでなぜか、トシが通常の倍以上の長い間を置いた。


「…………お前はいったい何者なんだ」


 この部分は演じるたびに心を締め付けられる。

 もううつむく以外のことは何もできない。できるわけもない。


 だが。

 ここで「そうか」とつぶやき立ち去るはずのトシに、なぜかわたしは抱きしめられていた。


「……タエさん」


 声音が高い。

 故意に低音で発していたトシの声が素に戻っている。


 トシの突然の役の放棄にわたしの頭はついていかなかった。

 だから何も言えず抱かれたままでいるしかなかった。


「タエ、さん」


 もう一度トシがわたしの名を呼んだ。


「タエさん、タエさん」


 かすれるトシの声が震え出し、わたしを包む腕が一度大きく震えた。


「タエさんっ……!」


 ぶつけるように重ねられた唇は、最初からトシの激情を痛いくらいに伝えてきた。


 まるで今日を限りに別れてしまうとでもいうかのような悲壮感を漂わせ、鬼気迫る表情でトシはわたしを強く抱きしめている。背中に回された腕がわたしの上半身をねじるように締め付けていく。皮膚も骨も痛い。息が苦しい。


 だけどわたしも負けじとトシにすがりつく。何度でも唇を押し付ける。なにも辛くて悲しいのはトシだけじゃないんだ、わたしも同じなのだと競うように。


 トシとわたしの心は固く深く繋がっている。

 なのに心を通わせるたびに認識させられる。わたしとトシは違う時を生きる存在なのだと。


 演じれば演じるほど――トシが近くなり遠くなっていく。


「はあ……。タエさん、僕はもう……」

「わたしも……。お願い、今すぐここで抱いて……?」


 トシが躊躇するかのように息を飲んだ。

 しんと静まり返った浜で、ざざん、と波が打ち寄せる音がなぜか遠くから聞こえるようだった。


「……ここで?」


 わたしはトシの胸に顔をうずめ、大きくうなずいた。


 本当はこんなことを口に出すなんて恥ずかしくてたまらない。

 昨日の今日で自分から言い出すなんてありえない。


 だけどトシはこんなわたしを軽蔑することなんてない。

 驚きはするものの、きっとわたしの望みをかなえるだろう。


 だってトシも同じことを望んでいる。

 顔を寄せた胸元、聞こえる鼓動の速さと熱いくらいの体温がそれを証明している。

 だからトシはわたしが望むとおりにしてくれる。


 自分を好きになりたい、わたしはずっとそう思っていた。だからこそ同じ心を持つトシのことを好きになった。でも何度も演じることで自分とトシのことを見つめ直し、わたしは気づいた。自分を想う人は他にもいて、自分を好きになるためにはそういう他人にこそ心を砕かなくてはいけないということに。


 トシのことを試衛館の面々が待っているように。

 わたしのことをユイや演劇部のみんなが待っているように。


 実は謹慎生活に入ってから、わたしのスマホには演劇部のみんなから大量の応援メッセージが届いていた。演劇部共有のタイムライン上に、今日はそれこそほぼ全員が送ってくれていた。


『ヒロインはやっぱり先輩です!』

『タエはきっとやれるはずだ。がんばれ』

『本庄さんが戻ってくるのを待ってます』

『先輩は俺のたった一人のヒロインです。絶対に負けないでください』

『タエの演技楽しみに待ってる!』


 その一つ一つを読みながら、わたしの気持ちは固まっていった。

 初めての恋に溺れ翻弄されながらも――わたしの一部は常に冷静さを保っていた。


 わたしもトシも生きる道を定めてしまっている。定める過程で捨てることのできない他者との繋がりを作ってしまっている。


 だからやっぱり、わたしたちの恋は終わらせなくてはいけないのだ。


 何度も何度もこの劇を演じて、何度も何度もトシと触れ合って。

 たどり着いた結論はいつでも変わることなく同じだった。


 だけどもしもわがままがゆるされて、別の未来を選べるというのであれば――。




 わたしはトシの背中に腕を回した。


「劇の二人だって、きっとこうなることを望んでいたんだ……。だよね、トシ?」


 うん、とトシがうなずく気配がした。


「だったらわたしたちが二人の想いを成就させてあげなくちゃ。それができるのはわたしたちだけだよ。恋に生きる結末を選ぶ二人がいたっていいよね。だってそれが演劇だもん。架空の世界で思うままに生きられるのが演劇の魅力なんだもん」

「そうだね……。タエさんの言うとおりだ……」

「わたしたちはまだ演じ続けているんだって思って? これがわたしたちの最後の稽古、最後の舞台なんだって想像してみてよ。そしたらさ、最後くらいこの真っ直ぐな二人のために別の道を演じてあげたっていいでしょ?」


 夢見るように滑らかに語っていく。


「手を取り合って二人で逃げて、どこかでひっそりと幸せに暮らすの。お互いだけがいればいい、そんな単純な世界で、そんな単純な幸せに包まれて……そうやって二人は死ぬまで暮らすんだ……」

「うん……すごくいいね。すごくいいよ……」


 わたしは恋の熱にすっかりやられている。


「いつか子供が生まれて、孫も生まれて。別に刺激的なことなんてなくていいんだ。誰にも注目されなくてもいい。でもさ、死ぬ間際まで二人は一緒にいるんだ。ずっとずっと一緒にいるんだ……」

「そんな未来が……あってもいいね……」

「その未来の最初の一歩ってさ、きっとこんな感じだと思う。衝動のままに触れ合って抱き合って、飽きることなく朝日が昇るまでぴったりとくっついているんだ。だから……」


 同じ願いをもう一度口にするため顔をあげると、言葉は唇で奪われた。



 もう言葉はいらなかった。

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