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わたしを見て そばにいて触れて抱きしめて ~土方歳三と演じた四日間~  作者: アンリ
第三章 あなたへの想いを認めるまでの時間
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2.いなくなってしまえ

 ユイに同伴されてアパートに戻ると、迎えてくれたトシがぎょっとした顔になった。


「タエさん、どうしたのその顔!」

「いや、ちょっと」


 ははは、とから笑いをしながら視線を下にやる。


 驚くのも無理はない。泣きすぎて瞼はぼってりと腫れているし、鼻はピエロみたいに真っ赤だ。帰るまでお冷をずっと顔にあてていたけど全然効果がなかった。自分でもひどい顔だという自覚はある。


 そんな不細工な顔を好きな人に見られていると思うと羞恥で頬がほてった。

 だけどわたしの心中などおかまいなしに、トシはぐっと顔を覗きこんできた。


「辛いことがあるなら言って」

「……え?」

「また何かひどいこと言われたんじゃない? 僕がそいつをこらしめてやるよ。どこにいるの、そいつ」


 だんだん低くなっていく声音は、トシの怒りを忠実にあらわしている。

 不謹慎かもしれないが、それがうれしくてわたしは笑ってしまった。


「……タエさん?」

「いいの。大丈夫」

「でも」

「ほんと大丈夫。わたし、もう演技に何言われても傷つかないから。昨日トシと話して分かったんだ」


 心からの笑みを浮かべると、トシはほっとした顔になった。


「ならいいけど。でも何かあったら僕のこと頼ってよね。絶対だよ?」

「うん、そうする。ありがとね」


 二人見つめ合う数秒間、言葉はなくてもお互いの心は繋がっていた。

 こほん、とユイがわざとらしい咳をした。


「じゃ、わたしお邪魔みたいだから帰るね」

「え、もう?」

「うん。二人の様子見たら安心した。トシくん、タエちゃんのことよろしくね」

「はい!」


 気持ちのいい返事にユイが満足そうにうなずいた。


「タエちゃんはもう少し素直になること。でもって、しあさってのテスト頑張ってね」

「うん……。ユイ、ありがとう」

「緊急事態はいつでも有効だから、何かあったら呼ぶんだよ」

「うん、そうする」


 去っていくユイの背中を眺めながら、ドアの前、トシがほーっとため息をついた。


「ユイさんってタエさんのことをすごく大事にしてるよね」

「でしょ? わたしの自慢の友達なんだ」

「そっかあ。……なんだか二人を見ていたら近藤さんのことが懐かしくなったよ」

「近藤さん?」

「うん。近藤さんは僕の一つ年上で試衛館の若先生をしている立派な人なんだけど、僕にとっては実の兄のような存在なんだ」


 部屋に戻り、麦茶を飲みながらもトシの回想は続いた。


「僕にとって、近藤さんはいつでも憧れの存在なんだよね……」


 遠い目をして話すトシは、今はわたしを見ていない。


「試衛館のみんなで京都に行くと決まったとき、近藤さんは即決で僕を副長にすると言ってくれたんだ。俺にはトシ、お前が必要だって。俺の右腕はトシ、お前だって」

「……近藤さんもトシって呼ぶんだ」


 他に何を言っていいかが分からない。


「ああそう、そうなんだ。僕のことをトシって呼ぶのは家族以外では近藤さんとタエさんだけなんだよ。だからかな、僕、タエさんに名前を呼んでもらうだけで嬉しくなる」


 はにかむトシは可愛い。

 可愛くて……ずるい。


「ああ、こうやって話していると早く試衛館に戻りたくなるよ。みんなきっと僕のことを待ってるからさ」

「……もういい!」

「タエさん……?」


 見つめ返すトシを見たら――分かった。


「……やっぱりトシはこっちの人じゃないんだね」


 トシの眉がひそめられた。


 無言でそういう表情をすると、やっぱりトシは普通の人じゃないんだって分かってしまう。たぶん本人は無意識なのだろうけど、負の感情が鋭利すぎるのだ。現代人であればどれほどの怒りや悲しみが湧き上がっても人を傷つけ殺す衝動にまではそうそう発展しない。だがトシの場合はその閾値がきっと低い。現代人が自らを抑えるところを躊躇なく超える度胸と覚悟を備えている……そう思う。


 なおちゃんの指導なんかなくても、きっとトシは新選組の副長たらん人物になれるのだろう。だってトシはそういう強い人で、そういう道がトシの目の前には広がっていて、トシ自身がその道を歩みたいと熱望しているのだから。


(じゃあ……じゃあわたしは?)


 その疑問はふいに湧いて出てきた。


 ついさっきユイの前で『恋を始めない』と宣言したばかりなのに、二人の間に芽生えかけた恋心を一方的に無視され、わたしはトシの非情さに腹が立って仕方がなかった。


(じゃあわたしは?)


 一度気づいてしまえば、その疑問は無視できるものではなかった。


「……トシなんて早くいなくなっちゃえばいいんだ」


 口にすると、もう感情の流出は止められない。

 トシの一突きを起点にして、心の防波堤はあっけなく粉砕してしまった。


「トシなんてさっさと帰っちゃえ! わたしの前からいなくなっちゃえ!」


 言い捨てるや、わたしは戻って来たばかりのアパートから飛び出していた。



 *



 ようやく太陽が地の底に沈み、代わりに群青に近い闇色の空が天上を覆うころ。

 校門を出ようとしたところでわたしの姿を見つけた水谷は、分かりやすく息を飲み、足を止めた。


「……先輩」


 普段感情をあまり表にださない水谷にしては驚きが強い。


 目の前に立ち塞がるわたしはきっと地獄の門を守護する鬼のようだろう。そう見えても仕方がない形相をしているはずだ。トシのことを一方的になじってアパートを出てから、わたしはまっすぐにここに来た。そして水谷が出てくるのをずっと待ち構えていたのだ。汗で髪が額や頬に張り付いているし、昼間泣きすぎて腫れたままの瞼も、真夏にずっと外にいたことで過剰に火照った頬も、今のわたしの風貌はヒロインとは間逆だ。


「まだみんなは部室にいるよね」


 問うてはいるが、こいつが稽古後、いの一番に帰るのはいつものことだ。


「え、ええ」


 ぎくしゃくとうなずく水谷を、わたしは血走った目で睨み付けた。


「今すぐ例のテストを受けたい。ついてきな」


 水谷の目がやや見開かれた。


 大股で水谷に近づきその腕を無言でとる。そのまま強引に構内へと歩き出そうとしたが、三歩も歩かないうちに水谷に逆に引かれて進めなくなった。


「なにしてんの。行くよ」


 振り返ると水谷は常の無表情に戻っていた。


「いいえ、行きません」


 冷静な物言いがわたしの怒りに着火した。


「行くって言ったら行くんだ!」

「いいえ。俺は絶対に行きません」

「……なんだって?」


 これほど低い声を発することができるなんて、自分でも知らなかった。


 思い通りにならない水谷のことが憎くて憎くてたまらない。

 まだ演劇を始めて間もないくせに、後輩のくせに。

 怒りの理由を見つけるたびに怒りが増幅していく。


 もう一度怒鳴るために口を開きかけたところで、先に水谷が言った。


「そんなにテストを受けたいなら、まず俺に先輩の演技を見せてください。まだテストまで三日あるのにそう言うくらいなんだから、きっと素晴らしい演技ができるようになったってことですよね」


 いちいち言い方が癪にさわる。

 頭に血が昇り過ぎておかしくなりそうだ。


 スムーズに呼吸ができない。言葉がうまく出てこない。頭が正常に回らない。


 わたしの手を水谷が掴んだ。


「さあ、行きましょう。すぐそこに声出せる場所知ってますから」


 主導権を奪われ、わたしは水谷に引きずられるようについていった。

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