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1.演劇命

 すべてのスポットライトが一瞬にして自分に向けられる瞬間が好き。


 白く輝く光の集合体は強烈でまぶしい。夜空に煌めく一等星も真っ青だ。だけどわたしは絶対に目を細めたりはしない。逆にまぶたに力を込めてわずかに瞳を大きく開いてみせる。


 そうして、心から驚愕した表情を作って恋人にすがりつく。

 高い頭頂部で結わえた彼のポニーテールが大きく揺れた。


「お願い行かないでっ」


 横顔、よし。


 きっと客席では、恋に憂うわたしこと『お夏』の切なさがひしひしと感じ取れるだろう。涙もろい人ならこの時点で目が潤むこと請け合いだ。


 次はやや激し目に動いてみせたほうがいい。

 だから彼の胸元、浅葱色の羽織の襟を両手できつく握りしめて引き寄せる。


「お願い、わたしを置いていかないで! 土方ひじかたさんがいなくなったらわたし、どうすればいいの?」


 恋人はわたしとは間逆にすべての感情を押し殺し、そっとわたしの手に触れる。


「……すまない。だが俺がいなければ新選組は」

「だめ! このまま新選組にいたら土方さんは死んでしまうんだよ!」


 恋人がはっとした顔になる。


 なかなかいい表情じゃないか、と内心満足感でいっぱいになる。

 わたしを引き立てるのにふさわしい演技だ。


「お夏、なぜお前はそのようなことを知っている。ひょっとして長州か薩摩の間者なのか?」

「違うっ」

「じゃあお前はいったい何者なんだ」


 ぐっと息を飲み、答えられないわたし。

 両の手から力を抜き、だらんと体の横に垂らしうなだれる。

 だけど憂う横顔はばっちり決まっているはずだ。


「……そうか」


 恋人が悲し気に目を伏せ、静かに舞台上から立ち去っていく。

 それをわたしは追うこともできずにいる。


 煌々と照らされるライトを全身に浴び、舞台の中央でわたしはうつむき続ける――。



 *

 


「やめだ、やめやめっ!」


 部長兼演出家の金子の一喝で、スポットライトはすべて消され、代わりに天井に常設されている室内全体の照明がついた。明るさが戻るとともに周囲にざわめきが生まれ、声量は次第に大きくなっていった。演技中はつい忘れてしまうが、役者はもちろん、小道具や衣装なんかも含めてここには十数名が常にいる。


 丸めた台本を手のひらで叩きながら金子が近づいてきた。タオルを頭に巻くのがこいつのトレードマークだ。別に今が夏真っ盛りだからそうしているわけではない。季節を問わず、こいつの額にはねじったタオルが常に鎮座している。しかも肩や二の腕丸出しのタンクトップときたら、こいつの暑苦しい性格は誰が見ても分かるだろう。


「なあタエ、そんな適当な演技じゃ誰も泣けねえぞ。もっとどうにかしろって言ってるだろ」


 外見どおりの熱血野郎の言い分はわたしを白けさせただけだった。


「何言ってんの。わたしの演技は完璧だっつーの。問題は水谷の方でしょ」

「え? 俺?」


 我関せずといった様子であらぬ方を見ていた水谷が、長いポニーテールを揺らして振り返った。腰まである長髪はもちろん地毛ではない。本当の水谷はかつらの下に金に近い短髪を隠している。


 金子が偉そうに腕を組んだ。


「いいやお前だ。タエ、お前の演技は泣けないんだよ」

「何それ。こんなにかわいくてしかもコンクールで優秀賞を受賞したこともあるわたしの何が不満だっていうのよ」

「受賞って……。それは高校のときの話だろうが」


 あきれたようなため息を金子が漏らした。


「もう本番まで時間がないんだぞ。そんなんで大丈夫なのか」

「大丈夫だって。ばっちりに決まってるじゃん」

「……うちにもっと女の役者がいたらなあ」


 金子のつぶやきはいつものことだから無視する。


 ここR大学には大なり小なりの演劇部が三つ存在するが、ここはもっとも弱小の部で、役者は今は六人だけ、しかも女は二人しかいない。そのうちもっとも顔がよく演劇経験のあるわたしが常にヒロインを担当している。もう一人、一年生の鈴村さんという子がいるが、彼女はその他の役を衣装をとっかえひっかえして一人で全てこなしてくれている。


「ああ暑い。部長、なんでコンクールで時代物なんてやることにしたんですか。夏場は着物とかつらが暑くて仕方ないんですけど」


 不満を漏らしている男、水谷は二年生で、上背のある彼はよく男主人公に抜擢される。確かに顔は悪くはない。寡黙できりっとした感じは今回の役にもぴったりはまっている。今、水谷は右手に脱いだばかりのかつら、左手に浅葱色の羽織を持っている。確かにそれだけ重ね着すれば暑い。


「うるさい、文句を言うな! 今は新選組が流行っているんだ!」

「……それだけですか?」

「そうだ!」


 たっぷりと長い間をおいて、「……休憩してきまーす」と水谷が部室から出ていった。


 引き戸が開くと、廊下の向こうからふわっと清涼感のある風が入り込んできた。


 演技中、効果音等を使う関係で室内は窓を閉め切っていて暑い。小さくて古い扇風機二つがかたかたと回るだけのじっとりとした空間になってしまう。だからこそ、風一つあるかないかで、ここにいる部員たちは簡単に天国と地獄を行き来できる。


 一年と二年が手分けして黒いカーテンと窓を開けていくと、室内はより一層涼しくなった。四階に位置するこの部屋は風さえ通れば夏場も快適に過ごせるのだ。目線の高さにはケヤキの生い茂るてっぺんがちょうど見え、蝉たちがじーじーと泣き声を競っている。向こうに見える青い空と入道雲も、まさに夏の風物詩だ。


 誰もが手持ちの水筒やペットボトルで水分補給を始めた。タオルで額の汗をぬぐいつつも、濡れたTシャツの透け具合ばかりはどうにもならない。それは菊池もだ。


 菊池は休憩することなく、一人黙々とライトの動きや光量を調整している。機械工学部の菊池はわたしと同じ三年生で、たった一人で照明を担当している。Tシャツの手前を引っ張ってぱたぱたと涼風を胸の奥の方に取り込みながら見ていたら、真剣な面持ちだった菊池がふいにTシャツをぐっと引っ張り上げて顔を拭った。裾が上がったことでお腹の部分、引き締まった筋肉が視界に入り、手の止まったわたしは無意識でつばを飲み込んでいた。


 と、ばん、と遠慮のない力加減で頭を叩かれた。


「何すんだ!」


 振り向くと金子が丸めた台本を手に冷めた目でこちらを見ていた。


「お前は痴女か」


 一瞬にして頬が熱くなる。


「そういうことを言うんじゃないよ」

「だが菊池の腹を凝視していたのは事実だろうが」

「いいでしょ別に」


 いい腹筋をいいと思って何が悪い。


 むすっとしつつ、身に着けている着物を上半身だけ脱いでいく。もちろん下にはTシャツを着ている。菊池とお揃い、というか、我が演劇部員たる証のTシャツなので全員とお揃いなのだが、胸元に達筆で大きく『演劇命』と書いてあってけっこう恥ずかしい代物である。書いてあることは間違っていない。だが外では絶対に着れない。


 腰紐のところで着物をぶらんと垂れ下げ、自分の荷物を置いてあるところへ行き水筒の冷たい麦茶を飲んでいると、水谷がコーラの赤い缶を手にして戻ってきた。どうやらすぐそこの自動販売機に行っていたらしい。


「先輩は頭平気なんですか。暑くないんですか」

「暑いに決まってるじゃん」


 わたしも水谷と同じような長髪ポニーテールのかつらをかぶっている。だから当然暑くてしんどい。だけどこれをはずすと、わたしの肩よりも上のボブカットはきっとぺしゃんこにつぶれている。かっこ悪いからはずさない、それだけだ。


 水谷は何やら言いたげな表情ながらも無言でわたしの隣に座り、ぷしゅっとプルトップを開けた。続けてしゅわしゅわと小気味いい音が耳をくすぐった。


「……おいしそう、それ」


 ごくごくと喉を鳴らして飲む水谷の喉仏をついじっと見てしまう。

 缶に付着する水滴も涼し気だ。


「……飲みます?」

「待ってましたあ!」


 不承不承といった感じでぼそっと言った水谷の手から、さっと缶を奪い取る。喉に叩きつけるようにごくんごくんと飲み、ぷはーっと大きく息を吐くのがわたし流の炭酸飲料の飲み方だ。濡れた口は腕で豪快に拭くのもお決まりである。


「あーおいしい。ありがとね」

「……どういたしまして」


 一気に半分近く飲んだからだろう、戻された缶の軽さに水谷が悲し気に目を伏せた。水谷はしばらく缶の口を当てる部分をじっと見ていたが、やがてためらうようにすべてを飲み干した。


「はあ……」


 落とした肩には悲哀を感じる。


「ごっめーん。そんなに嫌だった?」

「そういうわけじゃないんですけど」

「麦茶、飲む?」


 申し訳なくなって自分の水筒を差し出した。


「コーラじゃないけどいい?」


 水谷は水筒のこともしばらくじっと見つめ、やがて大きくため息をついた。


「いいです、大丈夫」

「そう? よかった」


 こんなに暑いのに水筒の中身を減らしたくはないから、言質をとったらさっさと鞄にしまう。

 あ、もちろん、先に水谷の貴重なコーラを略奪した悪い女はわたしなのだが。

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