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3話 鮮血の竜

それから一時間後、一姫たちは城壁都市アヴィーニの外、五十人程の兵と共に平原に立っていた。

 アヴィーニの城壁から一キロ程離れた平原の地は、数多く戦闘があったことを示すように土には黒い灰が混じり、草花は枯れ果て茶色に変色している。


 なにより目を引くのが地面に刻まれた、巨大な爪で引っ掻いたような亀裂だ。ここに辿り着くまで多く見かけることができたそれは、禍々しく地に爪痕を残している。

 異彩な光景は町の中の様子と全く違って生気が感じられず、恐ろしく静かで風が吹くだけだ。


「…これが戦いがあった場所なのね」


 一姫は目を瞑り、胸に手を当てる。

 ─この地で多くの命が消え、血が流れたのだろう。


 平和な世界で暮らしてきた一姫が一生触れることが無かったであろうこの場所は、一姫は今まで感じたことがない異様な雰囲気を漂わせている。

 一姫がここいることすら場違い─そんな気さえ起こさせる。


 周りの兵は鉄の鎧で身を覆い、剣や槍、弓を構えて戦闘の開始を静かに待っている。


「んじゃ、嬢ちゃんにはこれ」


 兵士達一人一人に声をかけていたガルーは、最後に一姫にレイピアのような細身の剣を差し出す。


「…剣術なんて知らないわよ」


 そう言って剣を押し返そうとする一姫。


 ガルーは「違うんだよねー」と一姫に無理矢理剣を握らせる。


「ぶっちゃけた話、邪神軍との戦いに剣術なんて必要ないのさ。鈍い動きから繰り出される攻撃を避けてその剣で突き刺すだけでいい。それは刺突用の剣だから一刺しでいける」


「でも…」


 反論しかける一姫の肩を叩いてガルーは兵団の一番前に移動し、棍棒を腰から引き抜いて肩に担ぐ。


「僕も援護するから大丈夫!」


 蒼龍は一姫の頭の上から自信満々に言う。


「大半の敵はルキアは片付けちゃうから。兵士はルキアが打ち漏らした敵を倒すから、一姫はさらに打ち漏らされた敵を倒してね」


「大半って…邪神軍にそんなんで勝てるの?」


 いくらルキアが竜化して戦っても、相手は『軍』だ。

 こちらの戦力は小隊一つ分。

 戦力差は圧倒的であり、それを埋めなければ勝利をもぎ取れない。


 呆れた一姫の声に蒼龍は先程のような一姫を安心させるような優しい声でなく、冷徹な皇帝のような声で、


「勝てるかどうかじゃない。勝つんだよ─ルキアにここまでやらせてるんだから」


 蒼龍の言葉に息が詰まる。


「ルキアは竜化した時、力が暴走する。その力を使って邪神軍を殺していく…でもその分ルキアも傷ついていく…」


 ルキアを娘として扱い、父親として存在している蒼龍。

 ルキアのことを誰よりも心配しているのだろう。


「だから、邪神封印と共に消えてしまった最強の竜使いのレナーテを探していたけど…まぁ、いないよりマシかな」


 ちらりと一姫を見て、心の底から残念そうな声で蒼龍は呟く。


「…いま、何で私を残念そうな顔で見た?」


「べーつーにー?レナーテじゃなくて残念だとか、レナーテの方が良かったなんて微塵も思ってな─」


「絶対そう思ってるでしょ!!」


 レナーテを連呼する蒼龍の態度に苛立ちつつ、頭の上の蒼龍を叩こうとするが、蒼龍は軽やかに避ける。

 宙に浮かび、呑気にあくびをする蒼龍に、


「そのレナーテって、どんな人だったのよ?」


 ルキアの為にわざわざ連れてこようとしたのだから、実力は本物の竜使いだったのだろう。

 尋ねた途端、蒼龍は真面目な顔になる。


「美しい白金のような髪を持つ竜使いで、最強の竜使いの象徴である『ドラゴンテイマー』の称号を授けられたドリアスの巫女。その力で邪神を封印し、そして何処に消えた聖女」


「…白金の髪」


「僕はレナーテを探し続けた。そしてカズキの世界とロルマーナが繋がった時にレナーテの魔力を感知したんだ」


 実際連れてこられたのは平凡もどきの女学生だったのだからいい迷惑だ。


「…レナーテは私の住んでいた世界にいたのかな?」


「いたのかもしれないし、いなかったのかもしれない。でも、カズキの魔力と顔はレナーテにとてもよく似ている。それだけは確かな事実だよ─さあ、行こう」


 そう言うと蒼龍は規則正しく並び始めた兵士達の方に向かい、首を動かして一姫を呼ぶ。

 胸に渦巻いていた不安はいつの間にか消え、力強く地を踏みしめながら一姫は蒼龍のもとへ向かう。


「…もしかして緊張をほぐしてくれたのかな?」


 だとしたら案外憎めない奴だ。


 兵士達は横一列に並び、緊張した表情で前方にいるルキアを見つめている。

 ルキアは兵団から少し離れた場所に立っており、前をただじっと見つめている。


「ルキアは竜化したら完全に自我を失う。近づいたら死ぬから気を付けてね」


 一姫は一瞬冗談かと思ったが真顔の蒼龍を見て、近づいたら本当に死ぬのだと理解した。


「おいおい、ひよっこの嬢ちゃん苛めんなよ?ビビってるうちに化け物に食われるぞ」


「それこそ洒落にならないからやめて!…大丈夫大丈夫…深呼吸…!」


 隣のガルーの言葉にヒヤリとしつつ、平常心を保つため深呼吸をしてみる。


「…そろそろかな」


 蒼龍がポツリと呟いた瞬間、


 ─何もない遠くの草原の上に黒い塊が現れた。


 最初は影のように薄く透明な黒が二つほど現れた。

 だがその黒は徐々に濃くなり数を増やしつつ、人のような形を作っていく。


 遠方の黒い塊はこちらに近づき、完全に化け物─オークの姿になった。

 オークの軍団が現れ、兵団に緊張が走ったと同時に、


 ─ドンッ!と地に雷が落ちたような衝撃が叩きつけられた。

 砂が舞い、辺りが一瞬見えなくなり、吹き荒れる風に思わず目を瞑る。


 目を開け、前を向くと、

 ─そこにいたのは一匹の竜。


 トカゲに翼を生やした西洋の伝承に出てくるドラゴンに近いフォルムで、光り輝く黄金の体毛が目を引く。


 蒼龍に似ている姿形だが、その大きさは幼児ぐらいの蒼龍とは比べ物にならないくらいだ。

 五メートルはあるであろうその巨体は見るものを圧倒し、一姫は息を呑む。


 静寂に包まれた世界を引き裂くように、竜─ルキアは獣のような叫び声を上げる。


「キシャアアアアアアアアア!!!」


 それは叫び声より鳴き声、音波に近かった。

 甲高い音と共にルキアはオークの軍団に向かって大きな一歩を踏み出だす。


 たったの一歩でオークの軍団のすぐ前に迫り、大きく鋭い爪で横凪ぎにする。


 その一撃でオーク達の体が引き裂かれ、血が吹き出す。

 オークが反撃を起こすより先にルキアがもう一撃繰り出し、オークの数は大幅に減った。


「…凄い、これが竜の力…?」


 体を血で染め上げ、鳴き声をあげながらオークの群れを狩っていくルキアの姿に恐怖が身体中を駆け巡る。


「打ち漏らした奴等がこっちに来る、うかうかしてたら死ぬよ!」


 蒼龍の声に視線を前に向けると、ルキアの攻撃を切り抜けた数十のオークがこちらに迫ってくる。


「総員、かかれッ!!」


 団長らしき人物の掛け声と共に、兵士達が一斉に走りだし、オークに飛びかかる。

 剣が振るわれオークの体が二つに分断され、矢で頭を射ぬかれ、オークが次々と倒れる。


「うぇ…わ、私には無理─」


「─カズキ!余所見しないで、横から来てるよ!」


 残虐な光景に吐き気が込み上げ、目を伏せると、棍棒を振り上げたオークが横から迫る。

 動きは遅く避けるのには苦労しなさそうだが、不気味なフォルムが恐怖を煽り、動きを鈍らせる。


「ええい!もう自棄よこんなの!」


 体を捻りオークの攻撃を避け、そのままの体勢で剣を握りしめオークの腹に向かって突きだす。

 ─剣を伝い、柔らかい肉を貫通した感覚が手に伝わる。


 剣はオークの腹を突き抜け、刃先は空気に触れ、血が滴る。

 オークだった血と肉の塊はよろけつつ、地面に崩れ落ちた。


「─あ、あ…殺し、ちゃ」


 悲観する間もなく、一姫の目の前に別のオークが肉薄する。


「─ファルイーチェ!」


 蒼龍の呪文と同時に氷塊が現れ、オークに向かっていく。

 だが氷塊はやはり亀のように遅く、オークはそれを軽々避ける。

 その後ろから、


「─貧弱な嬢ちゃんよりもオレと遊ぼうぜ、豚野郎ー!!」


 ガルーの棍棒が横に振られ、オークの首から上が吹っ飛ぶ。


「嬢ちゃん気をつけな!豚どもに遠慮するとすぐに潰されるぜ!」


 ガルーは軽やかに飛び上がり、別のオークに向かっていく。


「カズキ、まだまだ来るよ!」


「もう帰りたい!!─うわっ!?」


 一姫の戯れ言を掻き消すようにオークが迫る。


「ファルイーチェ!ほらカズキ、いま!」


 蒼龍の合図と共に、オークの不意を突いた氷塊が身体中に突き刺さる。


 痛みに悶えるオークの心臓に剣を突き刺す一姫。

 鮮血が迸り、一姫の手が赤く染まっていく。

 剣を引き抜きつつ一姫は蒼龍に声をかける。


「いつまで!これ!つづくの!?」


「この戦闘はいつも短時間で決着がつく。こっちには竜─ルキアがいるから相手も長く戦わないはずだけど…」


 急に言葉を止め、考え込むような仕草をする蒼龍。

 その間氷の猛攻は止まらず、一姫に襲いかかるオークを氷塊で動きを止め、そこを一姫は止めを刺す、といった流れが続く。


 オークの数は減り続け、十数匹まで狩られたようだ。

 数の差を埋め、戦況はこちらが有利だ。

 このまま押しきれば勝てるかもしれない、一姫の心に希望が宿る。


 だが、


「─ヤバイかも」


 蒼龍の焦った声に冷や汗が染みでる。

 何があったのか尋ねるより先に、遠くにいるオークが行動を起こす。


 大群がルキアに襲いかかっている時、二匹の赤いオークが群れから離れ、左右にそれぞれ立っている。

 二匹は動くことなく、手に持った杖を高く挙げ、勢いよく地に叩きつけた。


 すると、杖が刺さった場所から黒い柱のようなものが生じ、天に向かって伸び直角に曲がる。左右から伸びたら黒棒が交わり、大きな長方形を作り出す。


 それは扉のようにも見え、漆黒に塗りたくられている。

 一瞬漆黒が揺れた、一姫にはそう感じられた。


 そして、その黒から染み出るようにオークが出現する。

 最初にいた数とは比較にならない軍団がこちらに向かって進行してくる。


「まさか、魔越の門から直接戦力を補強するなんて…不味いかも」


「ちょ、ちょっと!あんなの聞いてないわよ!?」


「いやー、あれを使うのは決戦まで無いと思ってたんだけど…もしかしてこの戦いで決着をつける気か?」


 これで相手の戦力は全回復だ。

 周りの兵にも驚きの表情が張り付いている。


 前方のルキアもオークの大群に怯むように後ろに後ずさる。

 だがそれも一瞬で、長い首を捻り口から赤い炎を放ち、


「キシャアアアアアアアアア!!!」


 赤いブレスはオーク達の体を焼き、溶かしていく。

 それでもオークは止まらず進み続ける。


「しつこい化け物どもがああああ!!」


 ガルーは横凪ぎに棍棒を振り、オーク達を殴り潰していく。

 だが多勢に無勢、オークの進軍は止まらない。


 戦況は徐々に傾き始め、オーク達の勢いが増していく。


「無限にオークが湧いてくるなんて、黒光りのアイツが湧くよりたちが悪い!なんとかできないの!?」


 一姫は剣を振り回しながら蒼龍に向かって叫ぶ。

 オークは知能が低いのか、一姫の無茶苦茶な剣技を派手に食らい、倒れていく。


 この状態にも慣れ始め、ガルーのいった通り、戦いは技ではないというのが身をもって感じられた。

 蒼龍は氷の剣を操り、オークに突き刺しながら、


「魔越の門は魔界と繋ぐゲート。オークを大量に呼び出せるけど、数だって無限じゃない。だからこれを出してきたってことは、相手はこの一戦でアヴィーニを攻略するつもりだね」


「…とんだ初出陣だわ。ルキアがいるから大丈夫って話じゃなかったの?」


「そのはずなんだけどね。…竜使いがいないことに気がついて対策を練る頃だから油断できないよ、ほいっと」


 話しつつも攻撃を緩めることなく、蒼龍は氷塊を巧みに操る。

 ルキアも負けずと剣を振り回しつつ、状況を確認する。

 オークが門から止めどなく溢れてきてこちらに流れている。


 ルキアも炎のブレスや爪で引き裂く攻撃を繰り出すが、数の多さに倒しても倒してもオークの進行は止まらない。

 魔越の門とやらは二匹のオークによって出現しているらしく、邪魔をしないためか二匹に近付くオークはいない。


 ふと、一姫に考えが浮かぶ。


「ねえ!魔越の門とかいうのを支えているあの二匹を倒せれば、これ以上他のオークは出てこれないんじゃない!?」


 戦況が逆転したのは魔越の門が現れてからだ。

 ならば、二匹のオークを倒して魔越の門を閉じることができれば戦況は元に戻るかもしれない。

 だが蒼龍は一姫の考えに否定的で、


「じゃあ、カズキはあの門に近づけるかい?」


「…無理です」


 蒼龍の一言で論破されてしまった一姫は小さくなる。

 魔越の門があるのはオークの群れの一番後ろだ。

 たどり着くにはオークの群れを越える必要がある。


「じゃ、じゃあ!群れを避けるために横から突撃するのは?」


 二匹のオークは群れを避けるために左右に立っている。

 横から攻めれば無駄な戦闘をせずにたどり着けるだろう。

 蒼龍はため息混じりに、


「…歩いていく気?」


「あ…」


 魔越の門はかなり遠くにあり、二匹のオークも徒歩では無理な所にいる。

 ただでさえ疲弊している兵士達に行かせるには無理がある距離だ。


「でもあの門を何とかしないと勝機がないのも確かだしね。戦線維持もそろそろキツくなる頃だ」


 蒼龍の言う通り、兵士達の疲労の色が濃くオークに押されている。

 このままでは町に到達されるのも時間の問題だ。


「どうすれば…」


 一姫はそう呟くと無意識にルキアに目を向ける。

 ルキアがこの戦いの核だ。

 ルキアが戦えなくなれば勝ち目は完全になくなる。


 幸いなことにルキアには疲労の色は見えず、淡々とオークを狩っていく。

 ふと一姫の目に、ルキアの後ろに回り込む不思議なオークが映る。


 そのオークは血のような赤色の体で棍棒をもっておらず、オークらしからぬ風貌だ。


「なにあのオーク?…こっちに来るわけでもなくて、ルキアの後ろで何を─」


「─まずいッ、ルキア!!」


 突如、蒼龍がルキアに向かって飛びだす。


「ちょっ蒼龍!どうしたのよ!?」


 一姫も慌てて追いかける。


 その間一姫は赤いオークから目を離すことが出来ず、オークを見つめながら走っていた。

 不吉を漂わせるその赤は、不安を煽っていく。


 ─何か良くないことが起こる、一姫の本能が告げる。

 霊感が強かった一姫が異能の霊なんかに遭遇したときにも似ている感覚。


 これがあるときは大抵ろくなことにならない。

 そして、その読みは当たっていた。


 赤いオークはルキアの背中に向かって手を伸ばし、その手から赤い炎が発生し─

 ルキアの背に向かって炎の柱が発射された。


「シャアアアアアアアア!!!」


 炎で身を焼かれる痛みにルキアが叫ぶ。

 首をくねらせ振り返り、赤いオークを爪で引き裂く。

 オークは一瞬で体が半分に切断され、片方の握りこまれた拳で生々しい音と共にペシャンコに潰された。


 ギョロり、血走った赤い目でルキアが近づいた一姫を見たような気がした。

 そして、


「グルアアアアアアアアァァァァァ!!!」


 狂ったような叫び声を上げ、オークの血で赤く染まった拳を一姫に向かって振り下ろす。

 直撃すれば即死を免れない攻撃に一姫は反応できず、目の前に拳が迫り、


「─ふぎゃあ!?」


 拳が直撃する直前、もふもふした腕に体を引き寄せられる。

 抱き寄せた相手は素早く後方に飛び下がり、ルキアの攻撃を避ける。


「バカ野郎!ミンチになる気か!?」


「ガルー、さん…?」


 ガルーが咄嗟に一姫を避難させなければ今ごろ一姫はペシャンコだっただろう。

 その事実に体が震えだす。

 ガルーのふかふかした体を抱き締めつつ、一姫は、


「…ルキアはどうしちゃったの?」


「暴走状態のルキアは敵味方の判別ができない。視界に入ったものを手当たり次第攻撃するんだ。だがら僕たちはなるべくルキアの視界に入らないように後方にいた。けど…」


 ルキアは向かってくるオークを潰しつつ、こちらにも攻撃を繰り出す。

 敵味方が入り交じる戦地でルキアの攻撃は、どちらに対して繰り出されているのかもはや判別できない。


 険しい表情で蒼龍はルキアを見つめ、


「魔法が使える貴重なハイオークを使ってルキアを封じるなんて相手も本気みたいだね」


「そうだな。ああなること前提で魔越の門を用意したのなら、辻褄があうな」


「…つまり、どーゆうことでしょうか?」


 話の流れを理解出来ない一姫は遠慮がちに尋ねる。


「相手はともかく後ろから魔法で攻撃された。ルキアは当然僕たちを認識するし、ルキアが僕らを敵として認識した状態でオークを大量に送り込めば勝敗はどちらに傾くかなんて…わかるだろう?」


 背後からの攻撃は後方の我々をルキアに認識させるもの。

 さらにルキアは敵味方を判別できないから、必然的にこちらも攻撃対象になる。

 その状態で魔越の門で追い討ちをかければ、ルキアという最大戦力を失ったに等しいこちらは不利だ。


「まさに、国の興廃この一戦にありってことね…」


 それだけ相手も本気でこの一戦で決着をつける気だ。

 今さら撤退したところで無意味で、選択股は一つしかない。


「んで、どうする蒼龍?このままじゃ戦線は崩れるぞ」


「…魔越の門を破壊出来れば…でもそんな戦力は…もうない」


 悔しいそうに呟く蒼龍。

 ルキアの暴走、兵士達も迫り来るオークで手一杯。

 打開策なんてない絶望的な状況だ。


 その間にも戦況は悪くなっていく。


 ルキアは炎を吐き、爪を振りかざし、敵味方入り交じった鮮血を浴びる。

 なぜ町の人々がルキアを恐れていたのか、今ならわかる。


 血で真っ赤に染まった巨体は肉食獣を連想させ、鋭い爪は恐怖を煽っていく。

 そんな姿を見て誰が正気を保っていられるだろうか?


 ─だから、竜使いが必要なのだろう。


 ドリアスの心読を使って竜と意思を通わせ、共に戦う。

 それができるのは一姫しかいない。


「──あ」


 一姫の頭に考えが浮かぶ。

 だがそれを言い出すには勇気が、決意が足りない。

 心の奥底にある恐怖がその勇気を掻き消し、口を閉ざしていく。


 わなわなと一姫の口が震えだす。

 蒼龍が不自然な一姫の様子に気がつき、


「どうしたのカズキ?…もしかして変なこと考えてない?」


 蒼龍もどうやら一姫の考えに気がついたようだ。

 ゆっくりと口の中の恐怖を乾いた空気と一緒に吐き出し、気持ちを整える。


「竜使いが、私がルキアと気持ちを通じ会わせることが出来れば暴走は止まるんでしょ?だったら─」


 ─私がルキアに触れて正気に戻す、そう言おうとしたが、震えで口がうまく動かず、中途半端になってしまった。


「─無茶だ!ルキアは嬢ちゃんすら自分に害のある存在としか認識できない!近づいた途端に肉塊になるぞ!!」


 ガルーは一姫に向かって必死に、思いとどまるように説得する。


 きっとガルーは本気で一姫のことを心配しているのだろう、荒々しい口調に焦りが伺える。

 蒼龍は見定めるような鋭い眼差しで一姫を見つめ、


「一歩間違えばカズキ─君は死ぬ。荒れ狂う竜の前に立ち、制することが出来るのかい?」


 厳しい眼光に思わず目を後ずさる一姫。


「─っ」


「勇気もなければ決意にも欠ける。何故、ルキアの前に立ちはだかるのかい?」


「おい…蒼龍…」


 ガルーは驚いた表情で蒼龍と一姫を交互に見る。


「迷いは動きを鈍らせる。何が君を駆り立てるの?」


 きっとそれを理解しないままルキアに近づいたら失敗する、蒼龍はそう言っているのだ。

 厳しい言葉を受け、一姫は何故こんなことを言ったのか考える。


 この賭けに近い作戦は失敗する確率の方がずっと高い。

 一姫は竜使いとしては素人どころかやったこともない。


 失敗すればルキアに殺される、分かっているはずなのに逃げるという選択は思い浮かばなかった。

 思い浮かぶのは町での光景。人々から恐れられ、嫌悪されて、悩んで苦しんで。


 町の人々の為に頑張っているのに報われないなんて、そんなの悲しすぎる。

 だから、


「私は町を守ってくれるルキアに報われて欲しい。ルキアが傷つかずに済む方法が私の中にあるのなら、私は迷わない!」


 ルキアのためにやれることがあったのにそれをしなかった。

 できることがあったのに、そんな後悔が一番悔しい。


 ─バカみたいな理由だ。


 そんなことで命を危険に晒すなんて馬鹿げてると思われるかもしれない。

 でも、


「ルキアは私をオークから助けてくれた。その恩を返すために私は進む─ただそれだけよ」


 言葉に出すうちに震えが止まり、手に力が入るのが分かる。

 意思を秘めた目で蒼龍を見つめ返す。

 蒼龍は少し驚いたように、


「怖くないの?」


「怖いわよ、今すぐ逃げたしたい。でも、私だって戦える、戦力になるんだから」


 静かに笑って本音をこぼす一姫。

 蒼龍は一姫のおでこをポンと叩き、


「いいよ、カズキに任せてみる」


 蒼龍は手をぐいっとこちらに伸ばす。

 それがハイタッチを求める仕草だと気がついた一姫は、苦笑しつつ手のひらで優しく触れる。


「…はぁ、オレを無視して話を進めんなよ」


 ガルーはいじけたようにため息をつき、


「んじゃ、これもってけ嬢ちゃん!」


 ガルーは手からグローブのような装置を外し、一姫の手に装着させる。


「これって確か…グラップ一号?」


 ガルーの派手な登場を演出した小型装着─グラップ一号。

 開いた穴から鉤がついた縄が発射され、機械がそれを巻き取ることで鉤が巻き付いた部分に飛び移ることができる。


「そう!改良に改良を重ねた試作品ッ!これを使ってルキアに接近しな」


「え?でもあんな曲芸はプロにしか出来ないんじゃ─」


「よし行ってこい!!」


 ぐいぐいとガルーに押され、暴れるルキアの背中の前に立たされる。

 ガルーはグラップ一号が装着された方の腕を掴んでルキアの方に向け、


「まっ、ちょ待っ─」


 一姫の言葉より先にガルーはグラップ一号のスイッチを押し、鉤縄が発射される。

 鉤縄はルキアの首に向かい、輪を描いて首に巻き付く。


「──ガァ」


 ルキアが目だけをギョロりと動かす

 鋭い視線はこちらを射抜き、赤い瞳が怒りでさらに赤々と輝く。


 怯んだら負けだ、そう自分に言い聞かせてルキアから目を離さないように厳しい表情で見つめる。


 覚悟を決め、飛んでいく位置を見定める。

 狙うのは首。そこなら心読が一番良く作動する。

 ルキアがこちらに振り向こうとする刹那─


「カズキ…ルキアを頼んだよ」


「おっしゃ、嬢ちゃん行ってこい!」


 蒼龍の言葉と共にガルーはもう一度グラップ一号のスイッチを押し─

 前触れなく一姫の体が浮き、引っ張られるようにして前に引き寄せられる。


「わっひゃあああああ!?」


 勢いよく縄が巻き取られ、高速でルキアの首に飛んでいく。

 意外と飛ぶスピードも速ければ、宙に浮かぶ感覚も恐怖しかない。

 風が顔に当たり、痛みを感じさせる。


「ガァアアアアアアア!!」


 ルキアは首を動かし鉤縄を解こうとするが、逆に鉤が首に食い込みんでいるようだ。


 咆哮をあげて痛みに身を震わせ、一姫を凪ぎ払おうと爪を一姫に向ける。

 爪は一姫の目の前。

 回避も出来ず、引き裂かれる直前─


「─ファルイーチェ!!」


 突如、出現した氷塊がルキアの手に直撃し、わずかに攻撃の軌道がずれる。

 鋭い刃は一姫の前髪を切り捨て、一姫の体には一歩届かなかったようだ。


 鉤縄がルキアに巻き付いている部分を除いてすべて収納され、一姫はルキアの首にしがみつく。

 ルキアが一姫を振り落とそうともがき、馬のように走り出した。


 地に這うオークを踏み潰しながら、文字通り風のように突き進むルキア。

 あまりの速さに首から手を離し、グラップ一号からわずかにのびる縄を掴み、落とされないように踏ん張る。


 キリキリ、グラップ一号の内部から縄が裂かれるような音が響く。

 縄一本でルキアに振り落とされそうになる一姫を支えるのも限界に近い。


 ルキアは暴れまわりながら辺りを駆け回り、苦しそうに唸り声をあげる。

 一姫はルキアの首にゆっくりと手を伸ばし、


「ルキア…大丈夫だから…!」


 手がルキアの首に触れた。

 だが、


「─ッ!?」


 ─体に入ってきたのは、黒い闇。


 あまりの衝撃に思わず手を引っ込める。

 首は心読がうまく発動する場所。

 なのに、ルキアの心は読めない。


「いや、読めないんじゃない。闇が深すぎて、そこまで辿り着けないんだ」


 ルキアの心を闇が支配し、片手ではうまく心読が発動できないのだ。

 なら両手で、そう思うがもう片方の手を伸ばすにはグラップ一号から手を外さなければならない。


 全速力でルキアが走り回る中、片手だけで振り落とされないように踏ん張るのは無理がある。

 幸い、グラップ一号はグローブ型なので、外すのには苦労しないだろう。


「どうすれば…」


 絶体絶命のこの状況を打開しなければ一姫は終わりだ。

 焦れば焦れるほど思考は泥沼に沈んでいく。

 ブチり、遂にグラップ一号からのびている縄が一姫を支えきれず、分断されてしまった。


 ─もう駄目だ。


 一姫は地面に叩きつけられる衝撃を想像し、目を固く瞑る。

 だが、いくら待っても衝撃は来ない。

 体を包むのはふわりと浮き上がるような感覚、これは─


「むぐぐ…念力ー!!カズキ、ルキアとネクトを繋ぐんだ!急いで!!」


 青い体を真っ赤にしながら蒼龍が叫ぶ。


「ァガアアアアアアア!」


 ルキアは体をジタバタさせるが、前に進まない。


 蒼龍の念力によって一姫は宙に浮かび、ルキアも動きが止められているのだ。

 だが、念力の力は長くは持たない。

 一姫はグラップ一号を放り捨てて、両手を使ってルキアの首を思いきり抱き締める。


 その直後念力は解かれ、ルキアは再び勢いよく走り出す。


「ルキアああああああああ!!!」


 自身を奮い立たせるため、一姫は腹の底から叫ぶ。

 ─こうしているこの瞬間すら、恐怖が沸き上がる。

 叫んで気持ちを誤魔化さないと手を離してしまう。

 逃げたい、逃げ出したい、弱い感情ばかりが浮かび上がって─。


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