第三話 『契約』
天気は雨、目の前にはゴスロリ少女、そして痛い言動。いったいなんだというのだ。右腕に感じる買い物袋の重さも忘れてただひたすら僕は困惑していた。というか既に目の前にいる不気味な少女に関わらずとっとと逃げ出す算段を始めていた。今ならまだ間に合う、この娘が話しかけているのはきっと僕じゃない。後ろに誰もいないけど
そうこう考えている間に少女は少しずつ近づいてくる。早く逃げなきゃ、何をされるかわかったもんじゃない。そう思いはするのだけれど、まるで蛇に睨まれた蛙のように体がまったく動かない
少女は既に一歩踏み出せばぶつかってしまうほどの距離まで近づいていた。この距離になると顔がよく見えるが、整いすぎたその容姿が逆に不気味なほどの美少女だった。けれどそんなことはまったくどうでもよくなるほどに、僕は恐怖を感じていた。ただ痛い台詞を突きつけられただけだというのに
何故だかわからないが彼女には本当に僕の魂を奪ってしまうような、そんな凄みのようなものがあった。刃物で突かれるとかそういった意味ではなく、文字通り魂を奪われてしまうような、凄み
怯えきって動けなくなっていると、彼女は更に半歩近づいて、僕の雨に濡れた頬をその白すぎる手で触れた。今気づいたんだけれど、この娘、まったく濡れてない
彼女の顔がふいに近づく。その綺麗な瞳に映っていた僕の顔は、きっと物凄く情けないことだろう。僕は目の前の得体の知れない恐怖に抗おうと、上手く動かない口を必死に動かし、喉から漏れる息ではなくきちんと声を出そうとした。人間本当に恐怖を感じると声も出ないということはどうやら嘘ではないらしい
「ちょっ、ちょっと待ってくれ僕は―――――ッ!??」
僕のとてつもなくかっこ悪い命乞いも最後まで言葉にはならなかった。なぜなら、言い終わる前に彼女に唇を塞がれてしまったからである。実に四ヶ月ほどぶりのキスは恐怖に支配されきった僕の頭を瞬時に蕩かしてしまうほどの威力を持っていた。とても柔らかいのに、何故かすごく冷たい。温度を感じないその唇を、僕は渾身の力で引き剥がした
「いっ、いきなり何するんだよ!」
そう問いただすと、彼女はキョトンとしながら眉を八の字に曲げ可愛らしく首を傾げた。まるで何を言っているかわからないといったように
「何って...契約よ。さっき言ったじゃない、『貴方の魂を頂く』って」
「オーケー君の精神が中学二年生からまるで成長していないのはよーくわかった今すぐ親御さんに連絡するから携帯を貸してくれ」
痛すぎる。馬鹿馬鹿しい。僕はただの痛い娘にここまでびびっていたのか。それにしても初対面の人間にキスなんてふざけてる。すごくよかったとか思ってないからな、本当だぞ
僕が早くよこせと手を出すと、またさっきと同じようにキョトンとした目で見つめてくる。とぼけているのか...あるいは本当に意味がわかってないのか。おふざけにしては性質が悪すぎる。僕の中では既にヤバいの意味がただの変質者にシフトしていた。この娘はちょっとおつむが残念な娘なんだ。なまじ顔がめちゃくちゃいいだけもったいない。いや、それだから許されてるんじゃないか?今までにもこういうことを繰り返しているんだったらちょっとした問題だろう。僕は他の男とは違うからな、ちゃんと警察に送り届けるぞ
「とりあえずこの雨だし、どこか雨の当たらないところにうつ、ろ...う??」
そこでふと、さっきから自分に雨粒が当たる感覚がないことに気がついた。天気は見ての通り土砂降りだ。水溜りにも波紋は拡がり続けている。雨をさえぎる遮蔽物なんかも僕の頭の上にはない。当然だろう、ついさっきまでは滝のような雨に困らされていたのだから
どういうことだ...?と今度は僕が首を傾げつつ、一向に携帯を差し出す気配のない彼女にとりあえず名前と住所を聞いてみることにした
「君、名前は?どこに住んでるの?」
住所はきちんと覚えておかないと警察に届ける時に困るぞ...あ、このまま交番に連れて行けばいいのか。いやでも道端でいきなりキスされましたとか男の僕が言っても信じてもらえるだろうか。下手したら僕のほうが痴漢か何かで捕まりかねない。とてつもなく厄介だぞ...
「私は悪魔リリス、夜の魔女。ある目的のために魔界からはるばるやってきたわ!」
「交番じゃなくて病院に行こっか。心配しないで、いい病院紹介してあげるから」
ダメだこれは。しかも冗談じゃなく本気で言ってるっぽいところが