第一話 『電話』
「さよなら、ごめんね」
そう言って彼女は泣きながら電話を切る。その言葉に耐え切れなくて僕は何度も何度も電話をかける。だけれど、もう彼女は電話に出ない。そのシーンだけを、ずっと繰り返すのだ、目が覚めるまで。無機質な電話のコール音が嫌になるほどに
これは夢だ--
夢の中の僕はそれでも電話をかけ続ける。いい加減諦めろよ馬鹿だなと思いながらも、僕はそれをみていることしかできない。もう何度も見た夢だ。そのおかげで僕は電話のコール音が死ぬほど嫌いになってしまった。好きな人間もそれほどいないだろうが
しかし今日はやたらとコール音がうるさい、いつもなら最初の彼女の声につながるはずなのに鳴り止んでくれない、あぁうるさいなぁ...
「...はい」
『おう、悠。寝起きか?』
「木野さんの電話で起こされたんですよ。で、どうしたんですか」
寝ぼけた頭で携帯を取ると、夢とは違いスピーカーから聞こえてきたのは男性の声。現実でも電話が鳴っていたらしい。それにしても電話で起こされるなんて最悪の目覚めである。なるべく自然に起きたいから目覚ましもセットせずメールなんかの連絡ツールの通知も切っているというのに
『朗報だぞ。予約もそんな入ってないし、ここんとこずっと連勤してくれてたから、お前は今日休みだ。よかったな』
ゆっくり休めと言い残して、木野さんはそのままこちらの反応も聞かずに電話を切ってしまった。嵐のような人だ。正社員の仕事もそこまで忙しくはないだろうに
木野透。おそらく僕が二年前、つまり高校二年生の時に居酒屋マルタを始めてから一番お世話になっている先輩だろう。面倒見がよく、仕事も出来てなおかつ容姿も整っているときた。高身長とボクシングで鍛えたその体はそろそろ30を迎える男の体とは思えないくらいに引き締まっている。当然女性にモテる。人柄もいいし何より面白いので木野さん目当てで店に来る客は男女問わずかなり多い、マルタの顔役と言った所だ。ただ、女性関係はかなり乱れているようだけれど
そもそも僕が居酒屋マルタで働き始めたのは、夏休みのときに壊れたバイクを木野さんに見てもらったことがきっかけだった
学校に隠れて運転免許を取得し、友達から譲ってもらったボロボロの原付でツーリングしていたら、家からかなり離れたところで突然それは動かなくなってしまった。その時はものすごく友達を恨んだ覚えがある。きちんと点検、整備をしてもらわなかった自分が悪いのだけれど
本気でバイクを置いて帰ろうと思ったときに、トラックに乗った木野さんが現れたのだった。何も言わずに木野さんは荷台に僕のバイクを載せて一言、「乗れよ」とだけ言った。とにかく、とても暑い日でヘルメットを被った頭が汗で蒸れて、顔に張り付く髪の毛がやたらと気持ち悪かったのを覚えている
そのまま困惑しながらトラックの助手席に乗せられてついた先のバイク屋でいとも簡単にバイクを直してもらったのだ。その時はただただいい人だなぁ、ありがたいなぁくらいにしか思っていなかったのだが、その後に木野さんは言ったのだ。「直してやった礼として、ちょっと手伝えよ」と
助けてもらった手前、--正直ものすごく面倒だったが--断ることも出来ず、僕は初めてのアルバイトを居酒屋で経験することになった。最初はお酒の名前を覚えることすら大変だったが、今はそれなりに働けるようになった。まかないつきで自給も割りといい所を紹介してくれたと言う点では、木野さんに感謝している。ちなみにそのバイク屋が木野さんの実家だと知ったのはマルタで働き始めてだいたい一年くらい経った頃のことだった
休みになったとはいえ特にすることもないので、もぞもぞとベッドから這い出た僕はとりあえず洗濯と掃除をすることにした。衣類は毎日洗う量出るわけではないので、いつも休みの日にたまったぶんを洗濯すると決めている。脱いだものはそのまま洗濯槽に入れることにしているので、そのまま風呂場のシャワーを引っ張ってきて水を貯める。とにかく家賃を抑えたかったので、多少の不便には目を瞑ることにしていた
そのまま三分ほど待つと、水が満タンになったようで、排水のホースから水が流れる音がした。急いでシャワーの蛇口を閉め、戸棚から液体洗剤を取り出しキャップいっぱいぶんを洗濯槽に入れる。スタートのボタンを押すと、ごうんごうんと大きく唸りながら洗濯機が回りだした。古い型なので多少うるさいのはしょうがない、なんせ父親からただでもらったものだ
その間に狭い部屋に掃除機をかけてしまうと、途端にやることがなくなってしまった。これといって趣味も無ければ友達も少ないため、家事をすませてしまえば後はベッドの上で惰眠を貪るくらいしか選択肢がなくなってしまうのだ、外出もあまり好きではないし
ベッドの上で横になりながら天井を見つめふと思うのだ。こんな人生の予定じゃなかったのに、と
暇な時はふと考えしまうのだ、どうしてこんな人生になってしまったのだと
思い浮かぶのは一人の女の子の顔。そして彼女と過ごした平凡で幸せだった日々。高校を卒業して、一人暮らしを始めて、これからだったはずなのに
高校の時馬鹿みたいに勉強してやっと受かった大学も行かなくなった。退学も時間の問題だろう。父親は放任主義で、そのことについては何も触れず、ただただ毎月銀行の口座に生活に困らない程度のお金を振り込むだけ。僕に対して興味を失ってしまったのかもしれない。最後のやり取りは、「毎年の母さんの命日には呼ぶ」のメールだけ。家族として一応法事には顔を出せということらしい
高校の同級生は、そのことを知った当時、「彼女に振られたくらいでそんな落ち込むなって、元気出せよ。遊ぼうぜ」なんて言って肩を叩いてくれたものだけれど、僕は「そうだね」と一言返して毎晩毎晩原付を飛ばして走り回った。原付には珍しいスポーツタイプのそのバイクは、80キロ以上は出ていたと思う。それでも何かが収まらず、アクセルをひねり続けた。その後彼らとは連絡すらとっていない
いっそのことトラックでもぶつかってくれればいいのになぁ、と思いながら走っていたら、マフラーからいきなりぷすんぷすんと音がして、僕の愛車は走ることをやめてしまった。やむを得ずコンビニに停まってコーヒーを買って出てきたらいきなり土砂降りに降られてしまって、僕の心の何かがぷつんと切れてしまったのだろう。その日は年甲斐も無く大泣きしながらずぶ濡れになってバイクを押して帰った。その時に改めて、自分がまだただの子供に過ぎないことを実感した。そして明日からの生活に不安を感じた頃、みかねた木野さんがまたマルタで働くことを薦めてくれたのだった。それからバイクは直してない
以来、僕は外出を嫌うようになり、何に対しても消極的になってしまった。娯楽に対しても、さらには人間に対しても
そして頭の中でずっと考えるのだ、何故、どうしてと
彼女の存在がここまで大きかったことを認識して、また泣いた。願わくば、あの日に戻りたいと。何度も何度も彼女と連絡を取ろうとして、やめた。それからというもの、忘れることに必死だったのに、今度はあんな夢を見るようになってしまった
「...馬鹿だな、本当」
ぴーっと洗濯機が全ての作業を終了したことを告げた。立ち上がりたくないとごねる体を無理やり起こし、水を吸った衣類たちをハンガーにかけていく。この作業とおなじくらい、人生は単純だったはずなのに
全ての洗濯物を外に干すと、壁にかけた時計の針はまだお昼前の11時を指していた。考え事をしていたらなんだかやけに疲れてしまった。12時を過ぎたらお昼を作ろう、それまで少し眠ろう...
再びベッドに横になると、僕の体はすんなりと眠りに落ちていった