家族
玄関を入ると、左手にユニットバス。右手に靴箱代わりのカラーボックス、一口のコンロと流し台、小型冷蔵庫がずらっと並ぶ。
その奥に六畳のフローリングがあり、子供のころから使ってるミニチェストとローテーブルが空間をしめ、布団を敷けばもう歩く場所もない。
これだけが郁子の住む部屋だった。はじめは狭さに息がつまりそうだったが、もう慣れた。
窓辺にさがる洗濯物のせいで湿っぽい匂いがするが、これもいつものことだ。
郁子はいそいそとローテーブルの前に座り、膝先にエコバッグを置いた。
買い物でわくわくするなんて、ずいぶん久しぶりだ。浮き立つ心で、茶碗をくくる紐にハサミをいれる。使いまわしらしく、けばだったビニール製の紐はくるくる丸めてごみ箱へ。
それから一客一客、慎重な手つきで並べていくと、テーブルは茶碗に占領された。
郁子は一番下になっていた一客を両手に持ち、中から高台まで見分する。どこにもカケやヒビは見当たらない。古びたようすもないし、絵付けがにじんでるとか色が抜けているとかもない。
それこそショッピングセンターなどの瀬戸物市で普通に売っていそうな品だった。
「ほりだし物、かな。こっちもきれいな色してる」
普段息をつめて暮らしているから、たまに独り言でもつぶやかないとおしゃべりを忘れそうになる。郁子は空咳をしながら、今度は茶碗に重ねられていた色紙を手に取った。
指先でしわをのばす、その和紙に似た手ざわりの厚い紙はそれぞれ色違いで、一番上が落ち着いた青。二枚目は明るいオレンジで、次は淡いピンク。そして残り二枚は白。
捨てるのももったいなくて、郁子はハサミと一緒にチェストの上の小物入れにしまいこんだ。
テーブルを占領する五客の茶碗は、さっと洗って水切りかごに伏せる。
郁子一人だから、ここにはいつもマグカップと茶碗と、一枚の皿しかない。だが、すかすかのかごが今日は満員になった。
まるで家族が増えたみたいで、郁子は少しだけ笑う。笑うのも久しぶりで、頬がつっぱる感じがした。
食器の数は、家族の数だ。これだけあると、大家族の家のようだ。
お父さん、お母さん。妹と兄さん。家族みんなで囲む食卓。その手には、お揃いの茶碗。
料理は湯気を立てていて、気さくに話しながら、笑いあっていて。
郁子は家族を知らない。だからドラマやCMの光景をイメージして笑い、いまさらの淋しさに胸をつまらせた。
郁子の戸籍には母の名前しかなく、彼女はその顔すら知らない。育てくれたのは祖母だった。
母は高校卒業後、就職した会社を三日で辞めたことで祖父と大喧嘩をし、家を飛び出してしまっていた。
戻ってきたのは十年後で、腕に生後まもない赤子を抱いていた。
おやじ死んだの? あっそ。父親? 出てっちゃた。子供? 女。名前? まだだけど、恋千にしようかなって。あ、華梨もかわいいかも。
座布団の上に寝かされた孫の横に置かれたバッグを目にとめた刹那、祖母は煙草をふかす娘の頬をはりとばしていた。
赤赤と塗った唇から血を滴らせながら「ババァシネサラセ」と吐き捨て、バッグをひっつかんで出ていった。
それ以来、母の消息は知れない。