清算
どこかで猫がけんかしている。突拍子もない、たがの外れたような甲高いおたけび。
びくりととび起きた郁子に、聞きなれた幼い声がかけられる。
「おはよう、おねえちゃん。お寝ぼうさんだね」
テーブルの上は、動物園になっていた。
せっせとグレーの折り紙をたたむ手を止め、すーちゃんが笑う。
居住まいを正しながら、郁子は生唾と言葉を飲みこんだ。
浩二さんの事故、あなたがなにかしたのと、聞きたいのに、聞けない。
怖くて、聞けない。
にこにこと笑うすーちゃんの向こうから、また、さっきのおたけびが響いた。合間の「はなせぇ」というがなり声は、ハナエのものではないだろうか。
「おねえちゃんがお寝ぼうさんだから、パパとママが先にはじめちゃったよ」
あわてて席を立つと、カウンターの中が見えた。
ゆうべの郁子のように、倒れているハナエ。細い麻ひもで高価なハムのようにされたその両脇に、お父さんとお母さんはしゃがんでいる。
「――なに、してるんですか」
震え声の問いに、ハナエはぎろりと目をむいた。郁子をみとめると、大きく口を開いて罵声をあびせようとしたが。
それより早く、お父さんがその口へなにかを投げこんだ。
まともに喉の奥へ落ちていったのだろう。ハナエは喉をそらし、身体をけいれんさせる。
がくがくと震える郁子の手を、音もなく隣に立ったお母さんがひいた。
「……や、さわらないで……」
拒み足をふんばる郁子を、どうしようもないだだっこを見るようにやんわりとねめつけ、そして強い力でカウンターの中へ連れて行く。
床に落ちて踏まれたキャベツの青い臭いが、鼻についた。
お父さんがにっこり笑って、郁子を迎えながら、冷蔵庫横の製氷機から、一個、また一個と氷をとりだしては、ハナエの口の中へ押し込んでいく。
丸丸としていた頬は、不格好に角ばる。鼻からかろうじて息はできているが、それでも苦しそうだった。
「やめてください、死んじゃいます」
お父さんの右腕に郁子がすがれば、お母さんがその手をひきはがす。
「私たちは、搾取されるためだけに生きてるんじゃない」
「僕たちは、踏みつけられるためだけに生きてるんじゃない」
二人の声はほの暗く、目に一片の感情もない。うろのようだった。
「これは正当な権利の行使」
「これは正当な自衛の手段」
お母さんが郁子の手を開かせる。お父さんがその上に氷を乗せる。
冷たい。
止めようもなく震える郁子のてのひらに、氷ははりついている。
二人はその手をとると、ハナエの口をふさがせた。氷と氷がぶつかり、ごりごりと音を立てる。
「……ぁ――」
いやいやとハナエの顔が動く。ひときわ大きく身体をひきつらせ、動かなくなった。
郁子はそろりと放した手と、目を見開いたままのハナエを、交互に見つめた。
死んだ?
殺した?
誰が?
私が。
私が、殺した。
ふらふらと立ち上がる郁子の目の前を、水色の紙ヒコーキがよぎった。
軌跡をたどれば、すーちゃんが笑っていた。
「帰ろう、お姉ちゃん。おなか空いたね」




