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女性用の服ではなく、少年のようないでたちではあったが、朱の帝国の者にはない白い肌と、濡れたようにしっとりとした黒髪が美しい。
顔の周りに薄く削がれた髪を残し、緩く結い上げられた髪。さらさらと揺れる後れ毛。緊張のためか朱のさした頬が、白肌に映える。
山吹を見たチェインは、ぱちぱちと瞬きをした。
「あの……」
だが、発した声は思いのほかに幼い。
「千龍、アユの里の娘、山吹といいます。助けていただいてありがとうございます」
山吹はイギョンにとも、チェインにとも取れるように頭を垂れた。
「いえいえ、困ったときはお互い様です。さあ、お座りください」
イギョンが言えば、チェインが腰をずらして、山吹を隣に座らせる。
朱の帝国は机といすを用いることが多いのだが、イギョンは床にじかに座ることを好み、この部屋もすわり心地の良い毛皮が敷き詰められ、床にじかに腰をおろすようになっている。千龍の郷ではもともと机やいすを使う風習がないので、山吹にも違和感はないようだ。
「山吹殿。私はチェインの兄でイギョンと申します。この砦の守護は弟のチェインですが、なにぶん今回が一人で行う大仕事、今年は私が補佐としてついております」
「は、初めまして」
山吹はチェインの隣に正座をして座るとぺっこりと頭を下げた。
部屋を辞したイェンネイと入れ替えに膳が運び込まれる。
「うわ、なにこれ!?」
山吹が声を上げた。今までのしおらしい口調もどこかへ吹き飛んだようだ。
「前菜ですよ。ほら、これは瓜の一種でこちらは子カブです」
チェインが柔らかく微笑みながら山吹に説明をしている。
「ええええ?」
イギョンは、飾り切りを施された前菜に驚嘆する山吹と、それに答えるチェインを眺めながら、まるで一対の人形のようだと思った。
「すごい、こんな風にきれいに切れるなんて、信じられない」
繊細な芸術作品のような前菜を前に、山吹はいたく感動している。
「ほら、見ているだけでは腹は膨れません」
そう言うと、チェインは子カブを箸でつまみ山吹の口の前に差し出した。
それを、じっと見つめてから、山吹がぱくりとそれに噛みつく。
「鉄でできたナイフを使うのですよ。そうすればいくらでも薄く美しく切ることができるのです」
イギョンがそう説明する。
千龍の郷は、未だに鉄の使用を頑なに拒んでいる。精霊が鉄を嫌うからだという。千龍の民は精霊の教えと共に生きる民だ。
「鉄……」
そうつぶやき、しばし動きを止めた山吹だったが、次々と運ばれる見た目も味も上質な料理に、すぐにも心を奪われた。
どの料理にも、山吹は歓声を上げる。
特に最後に出てきた甘くとろけるような蒸し菓子は、口に入れたとたん、本当に身を震わせていた。
「明日、チェインにアユの里まで送らせましょう。今日はゆっくり休んでいってください」
食後の茶を口に含み、ゆったりとそう言うイギョンに山吹は「ありがとうございます」と、再び深々と頭を下げるのだった。
山吹の寝床はチェインの部屋の続きの間に用意された。
用意されたとはいっても、もともとその部屋はチェインの付き人であるイェンネイの部屋だ。イェンネイは山吹のために部屋を空け、使用人たちの寝泊りする大部屋へと移った。
まだ仕事があるという事で、チェインは部屋には戻っていない。最後まで山吹をかいがいしく世話をしていたイェンネイも、山吹を寝かしつけると「失礼いたします」と言い残して、部屋を出て行ってしまう。
たった一人になった山吹は、灯りを落としたその部屋で、初めて使う寝台というものの柔らかさに、戸惑い起き上った。
膝を抱いて、今日一日で経験した様々なことを脳内で再生する。記憶をたどり、精霊の森での出来事を思い出した。
あまりにいろんなことが起きたために、ずいぶん昔のことのような気がした。だが、腕や足に残る擦り傷や切り傷、どこかにぶつけたのか赤黒い痣が浮き上がる右の上腕を目にすると、精霊の森での出来事がまざまざと甦ってきた。
「朝霧……」
そう声に出すと、途端に不安が胸に広がる。山吹は一人膝に顔をうずめてすすり泣いた。
チェインはイギョンの部屋にいた。夜も更け、砦には静寂が訪れている。
「アユの里の長の娘か」
イギョンは何かを考えるように指先で唇をなぞる。
「ええ、春に兄上と共に神和ぎの里を訪れた際に彼女の父親に会いました。山吹も春、自分の父親が朱の帝国からの客人に会いに神和ぎの里へ出向いたと申しております」
チェインが補足する。
「アユの里のことは記憶にある」
イギョンがいわくありげにチェインを見て言葉をつづける。
「アユの里は千龍の郷の中でも南部に位置する大きな集落だ。我が北の砦からも最も近い位置にある里だったはずだ」
「ええ、私もそう記憶してます」
「……おまえ、あの娘をどう思う?」
イギョンは脇息にもたれ上目づかいにチェインを見た。チェインは兄の前で足を崩さず、すっと背筋を伸ばしていた。
「それはどういった意味で、でしょう?」
イギョンの真意を測りかねて、チェインは質問で返した。
イギョンはチェインから視線を外すと、しばらく考えるように空に視線を彷徨わせる。
くつろぎ、脇息にもたれながら考えに沈む様子の兄は、弟から見ても魅力的だった。イギョンには男としての妖艶さがある。背は高いが、細身でしなやか、切れ長の目と細い顎を持っていた。
「あの山吹という娘を、嫁にもらうつもりはないか?」
ようやくチェインへ視線を戻したイギョンは、笑みの形に唇を吊り上げると、そう言い放った。
チェインは、三人の兄たちの中でイギョンを一番好いていた。
長兄のオーリンは年が離れていたし、三男のリャハンは生まれつき体が弱かく、優しくはあったがあまり顔を合わせたことがなかった。
チェインが生まれた時、朱の帝国の五行府の導師によって「この子は、十五の年になるまで仙山の山の中で育てよ。でなければ早くに命を落とすことになるだろう」という告げが下された。導師のお告げにより仙山に籠って育てられたチェインの元を、一番に尋ね慰めてくれたのは二番目の兄のイギョンだった。
だがいきなり会ったばかりの女の子を嫁にしてはどうかかという兄のことばには驚いた。
今日は疲れたと、自室にようやく戻ったチェインは暗い室内を、寝台まで一直線に歩いく。
寝台に腰を下ろし、深いため息をつくと何をする気にもなれずにそのまま仰向けに倒れ込んだ。目をつぶる。ああ、ちゃんと履物を脱がなくてはと、頭の片隅で考えた時、耳の奥に鼻をすすりあげるような音が届いた。
ハッとして起き上がると、いつもならイェンネイがいるはずの続きの付き人の部屋に今日は山吹がいることを思い出す。
チェインは重い体を起こすと、部屋を仕切っている幕を押し開けて、山吹の様子を伺った。
山吹は寝台の上でひざを抱え、顔をうずめて泣いていた。
そっと近づいたチェインは、山吹の背中側に腰を下ろす。
「どうしました? 悪い夢でも見ましたか?」
静かに声をかけ、震える背中をさすってやった。
山吹は小さい。年ははっきりと聞かなかったが十歳前後であろうとチェインは考えている。
疲れたから、すぐに眠ってしまうだろうと思っていたのに、慣れない場所で寂しい思いをさせたのなら、かわいそうなことをしたと思う。
「ううん」
ずびっと、音を立てて洟を啜りながら山吹は顔をあげた。
「私、お姉さんなのに、朝霧を守ってあげられなかった」
「朝霧とは?」
山吹は狩の際に崖から落ちて、川に流されたと言ってはいたが、その詳細についてはチェインも聞いてはいなかった。
「私の双子の妹。今日、一緒に狩りに出たの」
「ああ」
「それでね、気付かないうちに精霊様の森に入っていて……、朝霧がとめたのに、ウサギを射てしまったの!」
山吹は、そこまで一気に言うと、涙のために二の句が継げなくなってしまった。ふうっと、大きく息を吐き、ひっくと横隔膜を震わせる。
チェインは履き物を脱ぐと寝台に乗り上げ、足の間に山吹を挟み、背後から小さな体を抱きしめてやった。
ひくっと山吹は喉を震わせると、こらえかねたように振り返り、チェインの首にその細い腕を回した。小さな頭を擦り付けられた喉元が濡れる。山吹の流した涙の感触だ。
「精霊様の……お怒りをかってしまったんだわ。朝霧は、無事かしら? 私……」
「大丈夫ですよ。山吹。明日一緒に千龍の郷へまいりましょう。きっと、朝霧も、アユの里に帰ってます。何も心配はいりません」
チェインの中には多くの疑問があったが、不安と悲しみでいっぱいの山吹にそれを聞くことは出来なかった。
山吹を刺激しないように、寝台にその体を横たえてやる。首に山吹の腕をからませたまま、なだめるように背中を撫でさすってやっていると、しばらくして胸元から寝息が聞こえだした。
「おやすみ山吹」
山吹のすべらかな黒髪に唇を押し当ててささやいた。そのまま自身も深い眠りに誘われる。
何も知らない真っ直ぐな子どもを、黒い謀の渦巻く世界に貶めてしまうのではないか。そこへ貶めてしまうのは自分自身かもしれないというのに、腕の中の存在を守ってやりたいと、チェインは睡魔に引きずられる意識の中、山吹を抱く腕にわずかに力を込めた。