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千龍の郷と朱の帝国  作者: 観月
婚姻という事
19/23

4

 朝霧は木々の奥を覗く。少し窪んだそこには、曲がりくねった小川があった。

 朝霧の足首までもないような流れの中に、二頭の猪の子どもがいた。丸々と太ってかわいらしい。

 何故かその猪の子から朝霧は視線が外せなくなる。

 上流に向かって歩き始めた猪に誘われるように、後を追って行った。


 細い川だった。

 朝霧は、ともすれば木立に消えそうになる猪の子を、目の端に絶えずとらえる。

 小雨ではあったが、降り出した雨も朝霧に味方していた。降る雨が朝霧の匂いと気配を消してくれるおかげで、猪の子たちに気付かれることなく後を追うことが出来た。

 木々の間から帯状の太陽の光と、優しい雫が降り注ぐ。

 小川の幅が幾分大きくなったところで、その流れは大きく右へと蛇行していく。

 猪の子の姿がその先に消え、朝霧はハッとして、少し足を速めた。

 曲がった先は大きな水たまりになっており。そこ二匹の瓜坊が、並んでこちらを向いていた。まるで追いかけてくる朝霧を待ち構えてでもいたかのようだった。

 朝霧は恐怖を覚えて息をのむ。

 二匹の瓜坊にではない。その二匹の後ろに真っ白な一匹の巨大な猪が、アーモンド形につりあがった真っ赤な瞳でこちらを見ていたのだ。

 三頭は、明らかに朝霧を見ている。

 白い猪は今まで見たことも無いほどに大きい。

 朝霧の腰はひけ、足から力が抜けそうになる。

『アサギリ……お前が新しい神子だね?』

 朝霧の頭の中に声が響いた。

 低いけれども、女性らしい声だった。

(精霊!?)

 その真っ白な猪は二匹の子どもを押し分けるようにして朝霧に近づいてくる。

 朝霧は恐怖を覚える。目の前の白い猪の放つ気には、怒気が含まれていたからだ。

『ホスミも年かね? 精霊の森で殺生の禁を犯そうとしたお前に、何も罰を与えないなんて』

 そう頭の中で響いた声に、笑いの波動がかぶさる。

 白い猪は、朝霧に目を向けたまま、足を踏み鳴らした。

 ――――このまま、繁みの枝を伝って、木の上にでも逃げようか? と考えるが、体が全く動かない。

 こんな時、双子の姉ならすぐに行動できたかもしれない。しかし朝霧は、動くどころか、その場にしゃがみこみそうになってしまう。


 バシャッッ!


 激しく水音が立った。

 猪は跳躍し、朝霧はぎゅっと目をつむった。

 次に来る衝撃を覚悟していたのに、ふわりと浮くような感覚に包まれる。まるで空中で一回転したかのような浮遊感に、朝霧は目を開けた。


「保澄!」


 朝霧は、保澄に抱きかかえられていた。

 白い猪は霧のように霧散し、辺りに漂ったその白い霧が、人形ひとがたに集まりまとまっていく。

『ほ、ほほほほほほほ……!』

 女の笑い声がこだまする。

 大イノシシがいた場所には、真白い豊かな髪を尻の下まで伸ばした、美しく若い女が立っていた。

『悪ふざけが過ぎよう伯偉、朝霧は私の神和ぎだ』

 朝霧は大きな保澄に、まるで赤子を母が縦抱きにするように抱えられている。

『ほう、保澄、お前いつから朱雀のようなことをぬかすようになった?』

 保澄はそっと朝霧を浅い川の中へと下ろしたのだが、朝霧のひざはがくがくと揺れ、保澄の手にすがってようやく立った。

 朝霧は、それでも一生懸命に足に力を込めた。

 保澄の手から離れると伯偉と呼ばれた白い精霊の前に立つ。

「せ、精霊の伯偉さ、ま。申し上げます。私は、精霊の森の中で狩りをいたしました。いえ……。で、でも、そこが精霊の森だとは知らなかったのです。それに、あの……」

 弓を射たのは私ではありません。

 そう答えようとして、どうしても、そう答えることが出来ない。

 確かに射たのは山吹だが、共に狩をしていたのだ。弓を射なくても同罪だ。獲物が死ななかったのは、運が良かっただけにすぎないのだ。

 結局朝霧は弁解の言葉を失った。

「申し訳ありませんでした。何なりと罰をお受けいたします」

 朝霧は、震えながら水の中にひざまずこうとする。

『よいわ!』

 伯偉の鋭い声が、朝霧の動きを止めた。

 腰を落とそうとしたまま、固まった朝霧は、またゆっくりと立ち上がる。その間にも体は小刻みに震えてしまう。

 保澄の瞳の色は藍色だった。同じ精霊でも、伯偉のそれはまるで透き通った紅玉ルビーのように燃えている。ただ二柱とも同じように、その瞳には虹彩がない。それは思った以上に異彩を放ち、眼の中にぽっかりと違う世界への穴が開いているようだった。

 その赤く燃えるアーモンド形につりあがった瞳でじっと朝霧は見つめられている。

 背後にいる保澄の元へ走り寄り、その手にすがりたくなる気持ちを朝霧は必死に耐えた。

『ふん。よく見れば子どもではないか。よい。子どものしたこととして、許して使わすわ。それに、お前は保澄の気に入りだ。動物の精霊である私と、水の精霊である保澄とでは格が違うからな。ここは、折れてやるわ』

 伯偉は朝霧から顔をそむけると胸の前で腕を組み、つんと顎をあげた。


 南の朱雀。北の保澄。

 朝霧も聞いたことがある。

 昔、北の山脈から東南に広がるこの世界では、何か大きな願い事をするのならその二柱の精霊に祈りを捧げよと言われていたらしい。

 今となっては朱雀は消え、保澄も精霊の森奥深くにその身を隠した。

 もともと精霊は、保澄、朱雀、一角、翆月、蛇漆という五行五精霊と、その他にあまたの動物の精霊がいた。

 その中で北の山脈より東南に広がる地域に住む精霊が保澄と朱雀。山頂きに蛇漆。山脈から西に広がる世界は、翆月と一角という精霊が支配する土地だった。

 自然を司る五行の精霊は動物の精霊よりも強大な力を持つ。

 今現在千龍を守るのは、その五行五精霊の一つ、保澄なのだ。

「ありがとうございます」

 それでも朝霧は、精霊である伯偉への礼儀は忘れない。いくら保澄に守られているとはいえ、自分はなんの力もない小さな子どもにすぎないのだから。

 伯偉は腕を組んだままだったが、軽く顎を引き、また朝霧を見た。

 許されたことにほっとして、腰が砕けそうになる朝霧を、保澄は再び抱き上げた。

『くっ、くくくくくく……はははははは!』

 突然伯偉の高らかな笑いが広がる。

『保澄! わかった、わかったぞ。その娘、かの双子の片割れと同じ魂の匂いがする』

 伯偉はそう言うと、また、狂ったように体を二つに折って笑い始めたのだった。


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