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千龍の郷と朱の帝国  作者: 観月
神和ぎ為り
13/23

5

 朝霧は精霊を見送ると滑り落ちるように、梯子を伝いおりた。

 精霊様からツゲを頂いたら、まずは神和ぎたちの前でツゲの内容を報告しなくてはいけない。

 ――――頂いたツゲを一刻も早く皆に伝えたい!

 朝霧は、神主様が待つ住居へと急いだ。


「神主様っ!」

 息を弾ませて、入ってきた朝霧に神主はチロリと目の端を向けた。

「ツゲを頂いたのかい?」

 しわの寄った声が、ゆるりと尋ねる。

「はい!……あの、それで……」

「まあ、落ち着きなされ」

 そう言うと、炉の中で灰に刺さったかめの中から杓で湯を掬い、炉の脇に用意してあった、木製の器にたっぷりと注ぎいれる。

「飲みなされ。朝霧はそれをのみ終えてから来るんだよ」

 そう言うと、その場にいた飛沫たちに「さ」と一声かけて、皆と一緒に住居を出ていってしまう。

 朝霧は、一人残され早く飲もうとするのだが「あつっ!」と、顔をしかめると、ふうふうと、息を吹きかけた。

 ずっ、と一口すする。

 よくよく考えてみると、朝霧は朝に粥を食べたきり、ほとんど飲まず食わずだったのだ。

 熱い湯が腹から全身に沁みわたっていくようだった。


 ようやく湯を飲み終えた朝霧は、皆が集まっているはずの神殿に向かう。

 神殿は、高床になっているので、階段を上って、戸口の前に立つ。

 ふう、と息を吐き、顔をあげて神殿入口の引き戸を開けた。

 神主を先頭にずらりとその後ろに並んだ神和ぎ。

 アユの里の家族や北の砦からの客人はその脇の壁面に沿うように一列に並んでいる。

 緊張しながらも、朝霧はまっすぐ前を向いて、一人上座に座る。

 精霊様からのツゲを頂いたものは、神主よりも上位に座るのだ。

 朝霧が上座に腰を下ろすと、無言でその場の全員が床に額をつけた。

 衣擦れの音が、やけに大きく聞こえた。

 朝霧も、一度軽く頭を下げる。


「申し上げます。

 今日より初めのつごもりの明け方から嵐がやってまいります。午後には雨風が強くなり、河が決壊します。各集落に残ることはまかりならぬとのことです」


 朝霧の申し上げが終わる。

「保澄様よりのツゲ、かしこみ畏み、受け取りもうす」

 そう述べると神主は面を上げ、手を合わせてしばしの黙とうをささげる。

 やがて神主が手をほどき「朝霧、神和ぎ為りの儀、大義じゃった。これよりそなたは正式な神和ぎとなった」

 朝霧は手をつき深く一礼をする。

 通例ならば、ここで神和ぎ為りの儀は終わるはずだった。


「神主様、保澄様よりもう一つツゲを頂いてまいりました」


 そう言うと朝霧はぐるりと左を向き、控えていたチェインとイギョンのいる方角に体を向ける。

 「保澄様より、朱雀の息子たちへのツゲにございます。

 申し上げます。

 嵐の晩に、山が崩れます。砦より、千龍への三つ目と七つ目の曲がり目。朱の帝国への四つ目の曲がり目の補強をせよとのことです」

 申し上げが終わると、朝霧は顔をあげる。

 チェインが朝霧に向かって膝を進めた。

 先ほど見た神主のありようを思い出す。

 チェインは深々と顔を伏せると「保澄様よりのツゲ、しかと受け取りもうした」と述べたのだった。



 それからの千龍の郷の者たちと、北の砦の者たちは、やって来る嵐に備えて休む暇もない日々となった。

 つごもり、といった。後十日以上先の話だが、充分日はあるようにも思える。だが、崖の補強をするとなると、思いのほかに時間はかかる。

 千龍の郷でも、ほとんどの集落が川べりに存在していたので、皆、保存用の食料などを甕に入れ、山の中の洞穴へと運び入れる。運ぶのが無理なものは、集落の中の保存用の高床の住居へと運び込む。

 大きな嵐となれば高床住居ですら流されてしまうのだが、何もしないよりはましだろう。

 河と共に生きる千龍の民にとって、川の氾濫は珍しいことではない。何年に一度かはこうした災害が里を襲う。避難も手慣れたものだった。


 人々がは出来うる限りの備えをし、嵐を迎えた。

 つごもりのその日、朝から厚く垂れこめるような灰色の雲は空一面に広がっていた。生暖かい風が強く吹き付け始める。

 いくつもの川の流れる千龍の郷は、山中にこういった時のためのいくつかの洞穴を持っている。大きい集落は、集落で一つの洞穴を持っていたが、小さいものだと、いくつかの集落で共同の物を使用する。

 アユの里は、千龍でも最大の集落のうちの一つであるから、専用の避難窟を持っていた。

 人々は、そこをめざしぽつりぽつりとかたまりになって山を登っていく。

 

「絶対に連れて行く! でなけりゃ私もここに残るから!」

 すでに集落のものは全員山の中へ避難していた。人気ひとけのないアユの里に、山吹の声が響いた。

 里長は、たいてい最後に里を出るものだ。

 飛沫が支度を終え、かめを一つ背負って住居の外に出ると、山へと続く裏木戸の辺りで娘の山吹と妻の初雪が言い合いをしている。

 山吹は北の砦の守護から託されている白点の手綱を握っている。

「山吹っ! いつまでも駄々をこねるんじゃありません!」

 初雪の甲高い声がひときわ大きく耳を打った。

 初雪のあの剣幕には真昼や朝霧だったら折れていう事を聞くところだが、山吹だけは幼ないころから初雪に負けてはいない。

 もしかすると、一番初雪に気性が似ているのかもしれない。

 飛沫は吹き付ける風の中、二人の元へ足を向ける。

 おおかたの喧嘩の原因は分かっている。

 山吹の持つ手綱の先にいるもの。白点だ。

 馬というのは意外に神経の細かな生き物だと知った。確かにここに白点を置いて行くのは現実的ではない。

 飛沫がゆっくりと近づくと、初雪と山吹が一緒に振り返る。


「山吹、白点を連れて行きなさい」

 飛沫が言うと、初雪の息をのむ音が聞こえる。

「長様!」

 初雪のそれは、長に対して非礼とも取れるほどのきつい声だった。

 山吹は、ぱっとはじかれたように「父さま、ありがとう!」というと、白点と共にあっという間にその場を去る。

 飛沫は、妻と二人になると「すまないな」と、下手に出た。

「長様、示しがつきませんでしょう? 長として、千龍の掟を破るおつもりですか!?」

「いや、そうではない」

「では……!」

 初雪の声を突風がさらった。飛沫が空を睨む。

「馬を使役しているわけでは無い。預かっているものに何かあっては、アユの里の名折れであろう? 行くぞ初雪。降り出しては、難儀だ」

 有無を言わせぬよう、強い声でそう言いおくと、飛沫は里を後にする。その後ろを、無言で初雪はついて行った。


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