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ALICE ―Look me, and Die―  作者: 安藤真司
3/16

import Sightless;

日本国。

和の国。

世界で最も、機械化の進んだ国。

アリスはそのすっかり変わってしまった世界を眼下において、大きくため息を吐く。

最も、アリスの元いた世界は所詮、野上結が創り出した妄想の世界なので、具体的にどれほど変わってしまったのかは実の所きちんとは理解できていない。

(少なくとも『機械』なんてもの、なかったからなぁ)

アリスは世界の違いを、ついでに時の流れを実感する。

「さて、と」

一言呟くとアリスはポニーテールにしている髪を手でふわりと凪いだ。

すると同時に、アリスの首に鈍い光が灯る。

正確には、首から背中の肩甲骨あたりにかけて、刺青のように皮膚上に存在している紋章のような何かしらの幾何学的な黒色の模様が光り始めた。

鈍い黒色の光が零れると、アリスの眼前にやはり光るイヤホンのようなものが顕れた。

アリスはそのイヤホンを耳に装着する。

見事にアリスの耳の形にフィットするそれを耳に装着すると、今度は眼前に映像が顕れる。

「鳥さんでいいかな」

アリスが再度呟くと、映像にノイズがのった後に、急に鮮明な映像に切り替わる。

そこには何か空からの映像、のようなものが映し出されている。

そこら中をぐいぐいと滅茶苦茶に飛び回る、鳥の視界のような。

そんな映像だ。

どうやら情報の可視化(visualimation)とは別の現象らしい。

つまり、アリス自身の能力、ということだ。

「いた」

アリスは何かを発見し、そこに向けて動き出した。



日本国は諸外国に比べ狭い土地柄、及び島国という特性、進む人口の都市集中から強固なシステムが早くから完成していた。

普通、都市部にのみ情報の可視化システムは実装されているのだが、ここ日本国では非居住区(アネクメーネ)と認定されるエリアが最後まで存在していたために、全域で情報の可視化が見られる。

もはや拡張現実(オーグメンテッド・リアリティ)がある生活こそが現実(リアル)なのだ。

その首都、東京に政府(ガバメント)はそびえ立っている。

現在、日本国はおおよそ三つの生活段階が存在する。

そもそも人の住める環境ではない非居住区はさておき。

非居住区に近い生活として、未だ人が中心の場、田舎(カントリー)がある。

ここでは、いわゆる昔ながらの、人が数少ない機械を使い、人としての営みを行っている。

それを聞けば良い意味で捉えられるが、戦うことを諦めている人々、という以上の意味を持たない。

ある意味、ロボット達に最も蔑まれているといっても過言ではないだろう。

次に、ロボットが人を支配する領域、居住区(エネクメーネ)

居住区が現行世界で最もありふれたものであることは言うまでもない。

ロボット、アンドロイドが中心の世界。

人々はアンドロイドによって、使われている。

かつて人々が機械を、ロボットを作業に使っていたように。

そして三つ目の生活が。

「政府、ね」

政府。

日本国においては、現在の東京全域を指す言葉でもあるのだが。

ここで営まれている生活は、アンドロイドのみによる生活である。

強いて言うなれば、ごく僅かな人間のみはここ東京で生活することを許されているのだが。

「で、そこで何しているの?」

どこまでも高く高く、まるで大樹のごとく鎮座する政府や、その周辺の街を一望出来る、とある建物の屋上に、アリスは降り立った。

一望出来るといっても、位置的には非居住区の中である。

やや冷たい風が流れているが、幸いこの場所は耳をつく異臭もなく、わざわざ顔を覆う必要はなさそうである。

夜の闇に紛れて、漆黒のコートを着た男が、そこにいた。

「どうしてここに俺がいるとわかった?」

渋みのある、低い声で男が尋ねる。

男がすらりと長身なため、アリスは上目遣いに答える。

「鳥の視界を見たら、ここに人がいたから」

「鳥の視界を見た、か、そんなこと出来るのは次元Igの世界の中だけだと言われているが」

「私、野上結のオリジナル、アリス・リーフィンクって言うんだ、よろしく」

「あぁ、そうかい」

男が納得する。


これも世界で唯一、次元Igに関して自分の理想の世界を真の意味で創りあげた少女、野上結の特性として挙げられているのだが、総じて彼女の世界の住人は、普通ではありえないことを成し遂げることが出来る。

普通次元Igの世界製作(ワールド・メイク)によって得られた世界の住人は、その世界から出ることは出来ない。

つまり現実世界を訪れることなど、出来はしないはずなのだ。

しかし、野上結が創りあげた世界は、何故か完全に別個の世界として独立していた。

この現実世界の虚としてではなく、本物として存在していた。

そのせいで、彼女の生み出した住人であるところのアリスは現実世界と次元Igの世界を自在に行き来することが出来る。

また、その付加要素として。

アリスは元の世界で扱えていた自身の能力を、ここ現実世界で行使することが出来る。

彼女が持っていた能力は大きく、二つ。

不死であること。

自在に通信を行うことが出来ること。

前者は言うまでもなく、文字通り、死なない、という能力である。

厳密に言うならば、体が元の形を保とうとする能力、になるのだろう。

いくら傷つこうが。

いくら血が出ようが。

いくら骨が折れようが砕けようが。

いくら原型を留めなかろうが。

彼女は死なない。

その体は一瞬で元通りになる。

ただし。

その代償、なのか、当然といっても良いものなのか、誰にも分からないが。

精神は、人のそれである。

つまり、いくら傷つこうが体は元通りになるが、そのような事象に耐えれるように、人の精神は出来ていない。

痛みは痛みとして感じてしまうが故に、あまり心は長くは持たない。

よって、死なないかもしれないが、進んで死ぬべきではない、というのが実情である。

その辺りの感覚が、アリス自身から欠落している節もなくはないが。

また、後者の通信能力であるが、こちらは普通に使う分には非常に便利なものだ。

アリスは首の後ろから背中にかけてに刻まれている紋章の力から、光る通信機を生み出すことが出来る。

通信機によって行えるのは、通信機を渡した相手との声のやりとり、見ている視界の共有。

現代における携帯電話をいつでもどこでも行える、といったところか。

また、戦闘や急を要する場合においては更に、強制通信を行うことが出来る。

つまり、通信機を渡していない相手であっても、勝手に視覚や聴覚を接続してしまえる。

それによって相手の視界を盗んだり、あるいは自分の視界を相手に無理やり見せたりすることが出来る。

ただ、やはりそれは本来の使い方とは異なるためか、かなりアリスの体力や精神力を消耗させてしまう。

こちらも長時間持続させるのが困難だという点が欠陥だろう。


「それで、どうして俺の所に来たんだ?」

「私、クラドルの一員になったんだけど、あなただけいなかったから挨拶をしにね」

「へぇ」

男は言うと、胸のポケットから煙草を取り出した。

へぇ、この時代にも煙草なんてものが残っているのか、とアリスは感心する。

無論、その匂いはアリスには異臭と大差ない。

これまた昔ながらのライターで火をつけると、男は落ち着いた表情で息を吐いた。

口から吐き出された白い煙が鮮やかなグラデーションで空気に混じる。

「あなた、アンドロイドなのに煙草吸うんだ」

「あぁ、シーガンか誰かに聞いたか?」

「ん、いえ、あなたがぼーっとここにいるのが見えたから、何見てるんだろうって思って視界を見除いてみようと思ったら、あなたの視界は奪えなかった」

「なるほど、お前さんの視界を奪う能力は対象が生命限定だもんな」

「そういうこと」

男とのこの短いやりとりでアリスはアンドロイドに対する価値観を変えざるを得なかった。

そう、アリスが気付いた通り、この男はアンドロイドである。

だというのに、ごくごく普通にアリスと意思疎通を行った。

つまり、此処に立つ機械の塊は、一切合切『人』そのものと定義して、なんら問題はないのではないか。

(問題、ないのよね)

面と向かっていて、露ほどにも嫌悪感が無い。

ただ外見がそうだ、という問題は、当に越している。

話に聞き、画像や映像で見るのとは全く異なる感覚。

目の前にいる者への敬意すら、思わず顕わにしてしまいそうだ。

人間そのものである顔も然り。

煙草に火を点け、人差し指と中指で煙草を支えて一服する様も然り。

『あなたの視界は奪えなかった』から『この男がアンドロイドである』と理解し、返答した会話の内容然り。

アリスは別段、学に精通しているわけではないので、『人』という定義を知らないが、これを人と呼べない理由は。

何もない。


<< 人 >>

ひと。

言葉を持つもの。

空気の振動に意味を付加するもの。

互いに分かった風で、通じていない意思疎通を完了するもの。

過ちを繰り返すもの。

自分の身が第一であるもの。

心があるもの。

意思があるもの。

己があるもの。

自己の存在意義を問うもの。

ないものねだりをするもの。

欲望を隠すもの。

死を恐れるもの。

生を甘んじるもの。

嘘をつくもの。

常に本物を求めるもの。

この世で最も愚かなもの。

偽りの愛に溺れるもの。

不完全な生命体。


アリスは僅か以上の感動を胸に秘めつつ、表ではいつも通りの自分の調子で話を元に戻す。

戻す、というより初めの自分の疑問をきちんと解消してしまいたいが為に質問を繰り返した。

「それで、煙草って大丈夫なものなの?」

男は飄々とした声音で応える。

「まぁ、煙草で不調になった奴を俺は知らんな」

そういうものなのか、と一瞬アリスは納得しかけるが、そこは問題ではないことにすぐ気付き矢継ぎ早に疑問をぶつける。

「煙草の煙によって何か体内の部品が劣化したりしないの?それにそもそも美味しいのそれ?っていうか誰がこの世界で煙草作ってるの?」

「知らん、上手い、知らん」

「壊すわよ」

「せめて殺すと言ってくれ」

残念なやり取りを経て、男の評価を二段階ほど下げる。

女の子の質問に真面目に答えないとは如何なる事があっても許されない。

いつの時代でもだ。

などと胸中で嘯き、自分はそこまで女の子女の子してないよなぁとアリスは勝手に自己完結する。

「旨いよ、至高だね、プログラムが成功報酬を与えているだけにすぎんがこの味はそうでなくとも好ましいだろうよ」

黒いコートに黒いハットを深めに被り黒のパンツに黒の革靴、と全身を黒に染めたこの男が、洒落た仕草でハットの淵を斜めに、くい、と上げた。

おかげで顔がよく見える。

男の顔には無精髭が生えているがそれは不衛生よりも大人の渋みを印象として与え、なだらかな風に反発している男性にしては割合と長い髪が一層、大人の雰囲気を演出している。

一言で評するならば、今風な大人が昔ながらの刑事の格好をしてみた、とでも言えばおおよそ正しいだろうか。

アリスにしてみればここは未来なので、未来風な人が昔のドラマの格好かなんかをしてみている、程度の認識となる。

そんな男はきっちりとした角度でアリスに対してお辞儀をした。

「俺は『クラドル』の一員、弐晩(にばん)だ、今話した通りアンドロイドだが、どうぞよろしく」

アリスも改めてこのアンドロイドに見えない男――弐晩――に向き直る。

そして同じくらい姿勢を正して挨拶をする。

「アリス・フィーリンクです、この度クラドルの一員となりました、どうぞよろしくお願いします」

「あぁ」

突然の挨拶に面食らいながらもすぐさま対応出来るのはアリスの踏んできた場数のおかげであろう。

時に秒単位で修羅場を潜り抜けてきたアリスは、彼女自身としては不本意ながら、アドリブには強いのであった。

ちなみに誰が煙草を作っているのだ、という疑問にはついぞ答える気がないらしい。

彼の頭脳をもって、否、Absolute Intelligence(完全知能)をもって忘れるはずもないだろう、答える気がないのか、面倒になったか。

(あ、そういえば)

と、ここでアリスは兼ねてから気になっていた別の事を尋ねてしまう。

「そういえばさ、どうしてこの組織の名前、『クラドル』って言うの?揺りかご(cradle)って正しい読みは『クレイドル』じゃない?」

このことは少しだけ引っかかっていた。

発音が違うので初め一葉から聞いたときは上手く聞き取れず、一体何のことを指しているのか少しだけ悩んでしまった。

時代の変遷によって『cradle』の読み方が変わってしまっただけならいいのだが、それ以外に理由があるなら聞いておきたい。

「大したことじゃない、俺が唯一人形(ヒューマノイド)だからな、土人形(cray doll)と似ているってシーガンが避けてくれたのさ」

それなら初めから組織名を揺りかごにしなければよかったのではないだろうか、と突っ込んではいけない。

アリスの興味としてはそんなところで、どうしてそもそもの話、組織名が揺りかごなのかはあまり気になっていない。

こうした妙な間合いはもしかしなくても天衣無縫悠々自適に生きる野上結の影響だろう。

(でも、なんだ、いい話じゃない)

土人形に重なるから、発音を変えてしまおうとは、それだけ聞けば随分と残念な理由だが。

この弐晩に対して敬意を払うならばそうした細かな気遣いは当然ともいえる。

アリスとて、今そこにいる弐晩の事を土人形だと形容することはしたくない。

人だから。

「それで、結局何しているの?」

「街を感じているんだ」

「意味わかんない」

「ずかずか物を言う奴だな、距離感の掴み方が上手いのか、ただ失礼なのか判断に困るが」

「小悪魔的で可愛らしい、と呼んでくれていいのよ」

「どの口が言いやがる、ったく」

弐晩が呆れ、煙草をトン、トンと指で叩く。

彼の一々手馴れた動作で、思わずアリスも煙草の味が気になってくる。

しかしまた、なんとも人間くさい動作だ。

合理さの欠片もない、無駄に格好の良い行動を弐晩が取っていることが、アリスには可笑しい。

その含みのある笑みが気になったのか、今度は弐晩が疑問を呈する。

「なんだ?」

「いや、あんまりにもおかしくって、その、実際に会うのは初めてだったから」

「俺みたいなロボットにか?」

「あなたみたいに格好良く煙草を吸う『人』に、よ」

「俺は人じゃ、ねぇだろ」

弐晩が食い気味に言葉を挟む。

アリスも負けじとすぐさま言葉を返す。

「人に決まってるでしょ、人じゃないよって言える思考が既に」

弐晩はそれに面食らったのか、思わず声を失う。

アリスに言わせれば当然、その様だって人間であると言ってしまえる。

フレーム問題に直面したわけでもあるまい。

自分の意思で、言葉を失くしたのだから。

思索するような顔を見せた弐晩が、次に言葉を継いだのはしかしほんの数秒後だ。

「なぁ、だがよ、俺が人に見えるか?」

またしても飛び出してきた同種の疑問符に対して、アリスは吐き出す息に呆れを混ぜた。

「見える」

そう断言したアリスを物珍しそうな顔で弐晩が真っ直ぐに見つめる。

あまりにも真剣な表情で見てくるので、アリスは少しだけ恥ずかしい。

言うほど男慣れしているわけでもないアリスである。

見つめられるのは精神衛生上宜しくない。

そんな胸中を知らない弐晩が落ち着いた仕草で一服つく。

ゆっくりと煙草の味を堪能してから、自身の感じた違和感を言葉にしていく。

「あのだな、俺は普通、人に見えないはず、なんだが」

「んと、どういうこと?」

「不気味の谷、だよ」

今度はアリスが首を傾げる。

何が言いたいのかが分からない。

不気味の谷なら、超えたのではなかったか。

アックスが言っていたはずだ。

知能に関しては完全知能が。

容姿に関しては人形(ヒューマノイド)が。

人間そのものと談じれるロボットを完成させたのではなかったか。

「厳密にはそこに加えて、『動き』に関してもかなり重要な技術革命があったがな、この情報の可視化に時同じくして」

「動き、あぁ、確かにいくら見た目と知能が良くてもカクカクした動きのロボットじゃあ人間には見えないものね」

「あぁ、簡単にはピコ・ロボットの開発だな」

「また聞き覚えのない感じね」

「ナノ・ロボットってのは聞いたことあるか?」

「うーん、小さなロボットだよね、でもなぁ、少なくとも私のいた世界にはあんまり機械ってなかったからなぁ、結の世界ならともかくさ」

「ま、微小なロボットてな認識で間違いない」

そこは今は置いておくか、と言う弐晩にアリスも頷く。

確かに動作が人と遜色ないことと、見た目は別の技術なのだろうが、弐晩が言いたいのはその話ではないらしい。

「知能は確かに、完全知能を搭載している、単純に見た目も人だろう、動きがぎこちないこともなかろうな」

「なら、それって人じゃない?」

「外見、或いは動作」

「んん?」

すると弐晩はすっと自分の目を指差した。

その動作から、アリスもある仮説を立てる。

自分は人に見えないのだという彼が、目を示した。

つい先ほどのアックスの言葉を反芻する。

確か、アンドロイドが人っぽく見えるために重要な要素は、『目』だったはずだ。

目で、世界を見ていること。

目で見ている世界を共有していること。

それこそが、互いが互いを認識する上で最も大事なことなのであると。

そう結論付けられたらしい。

つまり、弐晩が言わんとしていることは。

「なに、もしかして目が見えないの?」

「カメラが搭載されていないんだよ」

表現の違いはあれど。

アリスは弐晩の様相を正確に言い当てた。

「じゃあ何、今私の事も」

「見えていない」

意外な事実にアリスも若干心から落ち着きが消える。

そうなのか、この男、見えていないのか。

それで一体何が言いたいのかといえば。

恐らくはこう続くはずだ。


世界を共有していないロボットは、不気味の谷を超えてはいない、と。


「世界を共有していないロボットは、不気味の谷を超えてはいない」

アリスの予想に違わず、弐晩はそう言った。

自分はつまり、世界を見えていない。

世界の見えていない自分は、世界を誰とも共有していない。

今目の前にいるアリスとも。

仲間だとしているクラドルの三人、シーガン、アックス、フロイナとも。

この世界の誰とも世界を共有していない。

世界を共有しないロボットが、人と同じように動くことはない。

弐晩の表現を借りるならば、カメラ機能を持たないアンドロイドは、カメラ画像から得られる情報が全てカットされているのだ。

他のアンドロイドと比べて、自らの持てる情報量が圧倒的に少ない。

少ない情報しか持たないのであれば、いくら高速の計算機を保有していても仕方がない。

同じように動くことなど、出来ない。

「別に、盲目の人間が人間じゃあないと言いたいわけじゃねぇぞ?」

「分かってるわよそんなこと」

そんな勘違いはしていない。

無論、生まれつきにせよ後天的にせよ、盲目の人の持てる情報量は普通の人よりも少ない。

中には、盲目の人に対する偏見を持つものや、嫌悪を抱く心無い人間も全くいないと言えば嘘になるかもしれない。

悲しいことに、である。

しかし今弐晩が言いたいのはそういう人間社会の闇に関してではない。

ロボットの話だ。

技術の話だ。

カメラ機能のない弐晩は、目の見えない弐晩は、不気味の谷を超えてはいない、はずなのだ。

だと言うのに、アリスがそんな弐晩に対して、一切の不気味さを、違和感を感じないのは何故か。

それこそが、弐晩の指摘事項である。

「目、本当に見えないの?」

「嘘ついてどうする」

「じゃあ今私のことも全然視えてないんだ」

「一応な、視覚以外に情報の密度ってのは視ることが出来る、というより検知することが出来るから、そこにお前さんがいることはわかるぜ」

「情報の密度って?」

「自分の周囲にどれだけの情報が集まっているか、だな、基本的には視覚以外のセンサーが沢山内蔵されてるって認識で別段問題ない」

「そう、なんだ」

アリスは戸惑う。

目の前の人間らしいアンドロイドが、光のない世界に生きていることを知って、ただただ普通に。

目が見えない、という自分では中々理解しづらく、けれど五感の中で最も情報量の多いとされる機能がないことの大変さくらいは察せられる。

だからどう返していいのかがわからない。

言うべき言葉が見つからない。

だがそんなアリスの様子、つまり戸惑うという状態は弐晩が予想していた反応とは違うものであった。

「なぁお前、どうして俺が人間に見えるんだ?」

どうして人間に見えているのだ。

どうして、普通に親しい仲にある者の不幸を嘆くような顔をしているのだ。

弐晩にはアリスこそ異様に映る。

そのアリスの返答は、弐晩の予想通り予想を外れた思想からくるものだった。


「だって、人間じゃない存在っていうのは私みたいなもののことを言うんだよ?」


弐晩は思わず呆けた言葉を吐き出してしまう。

「は?」

アリスの顔を見れば。

全くの真顔。

どころか、自分のことよりも弐晩のことを心配するような表情。

「あれ、煙草、落としてるよ?」

弐晩が言われて足元を見ればどうやら驚きからか、煙草を落としてしまっていたらしい。

「アリス・リーフィンク、お前さんが自身を人間じゃないと言い、俺を人間だと言い張る理屈が俺には理解できんのだが」

新しい煙草を胸ポケットから取り出し、火を点ける。

気のせいかそうしたプログラムからか、気分が安らぐのを感じる。

落ち着いた頭が、人を遥かに凌ぐ速さでアリスの思考回路に近づこうとする。

だがしかしそれらしい答えは見えてこない。

「私は、化け物かそうでなければ悪魔みたいなものだよ、知ってるでしょ」

「知らんな、俺達の言うところの人間、とは確かに異なる存在と定義したほうがいいのかもしれないが」

「結の理想の世界の住人、オリジナル、もちろんそれだけじゃ、ないけれど」

「俺に言わせれば、野上結の方がよほど人間をやめているんじゃないかと思うが」

野上結は世界の創造主だ。

その世界に生まれたが故に、野上結に願われたが故に、自在に世界に干渉することが出来るようになったのがアリスである。

二人を比べればどちらが異常かなど、百人が百人、野上結だと答えるだろう。

「結はさ、一葉さんと一緒にいるからもう大丈夫なんだよ」

アリスはどこか悲しそうに、宙を仰いだ。

声色にも少し、哀愁が漂う。

「人って、どこからどこまでを人と定義できるんだろうね」

「少なくとも、人から生まれたものを人と呼ぶべきだろうぜ」

「身体的にはさ、ちょっと腕が義手だったり脚が義足だったりしてもそれは当然人だよね」

「だろうな」

「そうやってパーツを一つずつ一つずつ機械に変えていってさ、例えば脳だけが残ったそれは、人なのかな」

「さぁ、な」

「あるいは、作りあげたロボットに心があれば、それは人なのかな」

「それはだが、元々どういった存在なのかが大きいだろ」

「元々?元々が人間なのか元々がロボットなのか、ってことかしら?」

「あぁ、多かれ少なかれ、元の自分になろうとは動くもんだろ」

「なら、私はどうなんだと思う?」

そこで弐晩の口が塞がる。

言葉が継げなくなる。

野上結から生まれたともいえるアリスだが。

それは、人から生まれたと定義してよいものなのだろうか。

「でも、そういう見方をしたら、あなたも人じゃなくなっちゃうね、人から生まれた、わけじゃあないし」

また、哀しそうな笑顔。

その儚い雰囲気で感じて、ようやく弐晩は違和感の正体に気付く。

(あぁ、なんだ全く)

と心の奥底でにやり、と笑う。

弐晩にはアリスのことは見えないが、しかし情報としては知っている。

いくら大人ぶろうと、アリスは少女だ。

少女らしい悩みを抱えていて、然るべきなはずである。

「そうやって自己嫌悪するのは、よくないと思うがね」

「じっ、自己嫌悪してるわけじゃ、ない」

露骨にアリスの返答がぶれた。

「友人、恋人、家族、いや家族は兄がいるんだったか、そういうのが、欲しいんだろ」

もっと言えば、それを持たない自分を嫌っている。

それを持とうともしない自分を嫌っている。

全く閉じた世界だけで生きている。

兄と二人だけで生きている。

それ以外の何某とは関わりを持たない。

『人』とは他の人と関わりを持たずに生きていくことは出来ないはずで。

なら、自分は人じゃないんじゃないか。

などと。

「そんな風に、足りない自分に理由が欲しいんだろ」

友人が、恋人がいないことに。

自分の所為じゃないという理由があれば。

どれだけ楽だろう。

だがそれを初対面だからといって弐晩は許してやるほど甘くはない。

「俺にカメラ機能がついていない理由、知ってるか?わかるか?」

アリスが、ううん、と否定する。

そんなアリスに弐晩は語る。

「世界で初めて、完全知能と人形が融合したのは、融合した『何か』が作られたのはここ日本だった」

弐晩は自分達を、ロボットを、アンドロイドを『何か』と形容した。

まるでその核は厳重に梱包されて、ブラックボックスになっているかのように。

「それぞれ別個に発展してきた技術は日本で集約され、出来上がったそれの名を、プロトタイプということでゼロと名付けた」

「ゼロ、確か政府(ガバメント)の総帥ね」

「あぁ、奴だな、ゼロが完成に至り、そして人同様に動き出したのをいいことに、次々に次世代機、ファースト、セカンドの開発が進められた」

そう語る弐晩は、宙を仰いでいる。

彼なりに思うところがあるのだろうか。

アリスは一言一句聞き漏らすまいと、真剣な眼差しで彼を見つめる。

「早速ファーストも完成し、量産体勢に入ろうとした人類はここで自身の過ちに気付く」

「過ち?ゼロが人間の愚かさに気づいて反旗を翻したこととか?」

「そんなことは正直、誰もが予期していただろうよ、そのための予防策もとってあった、つまり人間の制御下におくような細工を施してはいた」

「なら、過ちって」

「ゼロには想定外の能力が備わってしまった、それも人間には制御不可な能力が」

そこまで言われて、アリスは一つの現象を脳裏に浮かべる。

人間に制御できない能力。

だが、この世界に、実在する不思議な力。

そんなもの。

当の自分が持っているではないか。

「ゼロは次元Igに、干渉できたのね」

「ご明察、その通りだ」

次元Igへの干渉。

次元Igの世界で扱えた力を、現世に顕現させる力。

まさに、野上結のみが成し得たはずの現象を、どうやらゼロは我が物としてしまったらしい。

「原因はまぁ、次元Igって摩訶不思議の存在も、この世界で発現する際には、一応この世界の物理現象に則って発現していたことがおおよその原因らしい」

「ええと、じゃあ私のこの視界を共有したり奪ったりって力にも、何かしら物理的な説明がつくの?」

「この世界ではな」

「ふぅん」

わかったような、わからなかったような。

アリスとしては微妙にはぐらかされているような感覚もあるが、一旦は置いておくことにする。

「物理現象が相手ならば、俺達コンピュータは人よりもよほど強いからな」

「まぁ、今更そんなことに異論はないけど、そんな理由なの?」

ひょっとすれば、物理学者に怒られるかもしれない発言も、アリスはほどほどに聞き流しておく。

「とにかく、ゼロの予想外の能力に人間は急遽、製作途中だったセカンドから、ある機能を奪った」

(そういう、こと、か)

アリスにこの話の終着点が見える。

弐晩の物語るは、初めから自分の事だったはずだ。

であれば、当然。

「あなたから世界を奪ったのね、カメラ機能を失くして」

「セカンドだから二番で弐晩ってな、全く、人間は駄洒落が好きらしい」

目の前で哀しそうな顔を見せる、セカンド、否、弐晩に対して、アリスもまた、柔らかい笑みと僅かな寂しさを織り交ぜた表情を見せる。

どうせ、その表情も弐晩には見えないわけだが。

「だからな、俺にカメラ機能が付いていないのは次元Igへの干渉を避けるためだった、それはつまり人同様に機械ごときが次元という壁を凌駕することを忌避されたからだ」

次元Igとは、人の理想に合わせて形を変え顕れる世界だ。

つまり理想を持つものしか、自身の理想を象ることのできるものしか、次元Igへ誘われることはないのだ。

それが出来てしまうということはそのまま、理想を持つ、現在に不満を持つ、感情を持つ人間である、と論ぜざるを得ない。

これが、人である、と認めざるを得なくなってしまう。

人を目指して作成した機械が人以上に人らしくあってしまう事実に、恐らく工学者達は様々な想いを抱いたことだろう。

不安か焦燥か、それでも飽くなき探求の念か。

果たしてセカンドは、弐晩は世界との繋がりを絶たれた。

人でないと、分かるようにするために。

「俺は人じゃねぇんだよ、どこまでも、な」

さも当然のように弐晩は言い切り。

その言葉に返せるだけの台詞を、アリスは持たなかった。

持たなかったので、アリスは弐晩が伝えようとしたことに関してだけ話を続ける。

「なら、あなたから見れば、私は甘えているように見えるのかしら」

「あぁ、お前さんこそ人間だろう」

続け、しかし自分でも譲れない部分は、譲らない。

いかに弐晩の話が事実であろうと、それによってアリスの心が何か変わるわけでもない。

アリスにとって、自分は化け物かなにかで、弐晩は人間に見える。

「そっか、じゃあお互いにお互いを人間だと譲れないわけだ」

そんなアリスの頑固さに、弐晩は笑う。

「はっ、なら勝手にするさ、お前さんが好きにするように、な」

「うん、そうしよう」

勝手な同意を互いに取り付け、互いに微笑む。



乾いた笑みを浮かべる二つの影が。

二つの心無き心が。

二つとも言えない不完全なそれらが。

不完全な物語を紡ぎだしたのはきっと。


きっと――。

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