夢現
オリジナル小説です。
……まただ。
いつもいつも、分かっていながら同じ夢を見る。
今自分が佇んでいるのは、
漆黒の闇の中に幾つかの白い点が広がっている世界。
宇宙空間……とでも表現すればいいのだろうか。
無論、「コレ」が現実である筈は無い。
普通では有り得ない事象が起きてしまう事への説明。
それは全て妄想の一言で説明の付く「夢」であると判断するのが自然だろう。
……何処から現れたのか、いつの間に近付かれていたのか。
気付けば自分の周囲は約十匹にも渡る獣達に囲まれていた。
獣……それもトラやライオンといった肉食獣ばかりだ。
そんな獰猛な動物達に大勢囲まれて生き残れる道理は無い。
しかしこれは「夢」だ。
自分が今目にしているこの光景は、
気分を著しく害させる「悪夢」でしかない。
そう考えると、早く目を覚まそうと
眠ってしまった身体に力を籠める事に自然と集中する。
何故かは分からない。
この光景は夢だと頭で理解している筈なのに。
迫る肉食獣の姿を視認する度、
心臓の鼓動が恐怖で加速していくのが分かった。
早く……目を覚まそう。
そしてもう一度起きて、眠り直そう。
こんな夢を見続けたまま朝を迎えたくは無い。
「っ!」
布団を蹴飛ばしながら跳ね起きる。
……時刻は午前六時。
登校にはまだ早いが、かといって
今から二度寝するとそれはそれで寝過ごしそうな気がする微妙な時間帯。
「……」
額にびっしょりと汗が浮かんでいるのが分かる。
こんな日が数ヶ月前から毎日だった。
最近、寝ても寝ても寝た気がしない。
「はぁ……」
仕方なくオレは重い腰を上げて、汗を流す為に洗面所へと向かった。
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……最近悪夢に悩まされているオレの名は折紙嗣音。
悪夢に悩まされているとはいっても、
特に常人離れした頭を持っているわけじゃない。
至って普通の何処にでもいる男子中学三年生で、
本来ならこの時期、夢なんかより受験の事で悩まないといけない年頃である。
「おはよー、かーさん」
「……ん。 あぁ、嗣音か。
今日はやけに早起きなのね」
「……かーさん。いい加減こたつで寝るのやめろよ。
一々布団敷いてる俺が馬鹿みたいじゃないか」
「ごめんごめん。ちょっと昨日は友達から申請が来て___」
「はぁ……俺がパソコンばっかにハマってるのも
かーさんに似たのかねぇ」
適当に文句を言いながら、オレは顔を洗って洗面所を後にし、
居間のお袋に挨拶した。
俺のお袋……名は折紙柚子。
最近携帯アプリにはまって夜更かしする日々が続いている
ちょっと困ったお母さんだ。
ちなみに親父は既に仕事である。
今日は早めに帰るという事だったから、
もしかしたらオレが起きている内に会えるかも知れない。
「朝ごはん、そこに置いてあるから」
「あいよ」
オレは居間のテーブルに置かれた市販のパンに齧り付く。
噛み付いた瞬間に後悔した。
……まずい、中に玉葱入ってるなこれ。
野菜は苦手なんだよ。
「嗣音」
「わーってるよ残さねぇって」
オレは強引にパンを頬張り、お茶で流し込んだ。
後は適当に歯を磨いて、寝癖を直して。
着替えればいつもの学生生活が始まる。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
オレは耳にイヤホンを付けながら、振り向かずに答えた。
これが私生活。何の変哲も無い、ただのありきたりな日常だった。
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「でさー。お前昨日見た?」
「見た見た、意外だったなぁ。まさかあいつが打つとは」
通学路。
生徒達は先日のテレビの話題で賑わっていた。
男子は野球の話、女子はドラマの話で盛り上がっていた気がする。
気がする、というのもオレが直接話に入っていたわけではないからで。
耳から入ってきた情報を頼りにただ推測したに過ぎないからだ。
特に友達がいない……という訳では無いが。
通学路と通学時間の関係から、オレが登下校する際は
基本誰ともすれ違わないようになっていた。
学校でも暇さえあれば寝ているので、
クラスの話題からはよく置いていかれやすい。
(ふぁ~あ……変に早起きしたせいで今日は眠いわ。
授業中寝て指導受けるのはアレだし……
今日も寝て過ごしますかね)
こんなのほほんとした考えだから
いつも自然と人付き合いが少なくなる。
オレは眠い目を擦り、未だ寝ぼけ眼のまま校門をくぐった。
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今日も特に何が起きる訳でもなく。
当たり前の日常が当たり前に過ぎていっただけだった。
何の変哲も無い。
退屈な授業を受けて、時に隠れて居眠りをするだけ。
適当に友人と話を合わせて、適当に道草を食いながら帰宅するだけ。
本当にいつも通りだった。
「……」
だが「いつも通り」という言葉は。
何処までを範囲にして言えるものなのだろうか。
オレにとって二秒前の光景はいつも通りそのものであったのだが。
二秒後の光景を、いつも通りだと割り切る事は出来なかった。
そう、オレにとって今この瞬間に経験している事はいつも通りではなかったのだ。
人通りが全く無い上に、原因不明の圧迫感を突然感じる。
こんな出来事が、いつも通りであってたまるものか。
「……ッ!?」
下校中の通学路。
唐突に胸が締め付けられるような圧迫感を感じた。
……これは。 この感じは。
悪夢にうなされているあの時の感覚と酷似している。
「くっ……」
咄嗟に周囲を見渡す。
しかし特に何がある訳でも無い。
いつも通りの通学路が広がっているだけだ。
だというのに何故。
何かに怯えるような。
何かに緊迫するような。
この胸の圧迫感は消えないのか。
「……時は来た」
オレの声じゃない。
背後から、声がする。
声色からしてまだ幼い少女のものか。
咄嗟に振り返る。
まだ、胸の圧迫感は治まらない。
「汝、不運にも定めに選ばれし者也。
平穏を望み、中和への回帰を望むならば
禍根との衝突、不可避の道也。
故に、汝に我らの力を授けよう」
振り返った先には少女がいた。
白い髪、危険性漂う赤い瞳。
身長は目測で130cm弱と小さめだが
その鋭い眼光も相まって、
本能が危険信号を告げている。
「今晩、夢物語にて汝を待つ。
汝が繰り返し垣間見た幻の意味。
汝の感受する不快への疑問。
全ての意味はそこで明かされる事となるだろう」
少女はなびかせたツインテールを掌で弄ぶと、
戦慄するオレを楽しそうに眺めながらその場から去っていった。
「……オレは頭がおかしくなっちまったのか?」
誰もいないいつもの帰り道。
オレはただ一人、消えない不快感に頭を抱えた。
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「……おい、大丈夫か?」
家に帰ると、いつもは仕事の関係で会えない親父が帰宅していた。
今日は早めに帰ってくるって話だったな。
「あぁ……ちょっと気分悪くなっちまってな。
多分寝不足のせいだと思う。
寝たら治るからそう心配する事でもねぇさ」
「そうか? ならいいんだが……
母さんはもうすぐ晩飯出来るって言ってるからな。
とりあえず今日は先に風呂入って、
飯食ったらとっとと寝ろ。
体調悪いんなら無理すんな」
親父、折紙壬午は
ちょっと口が悪い頑固親父だが
面倒見が良くていつもオレを気にかけてくれるいい親父だ。
今日は言葉に甘えてすぐ寝るとしよう。
体調悪そうな顔でフラついてても
親父やお袋を心配させるだけだろうしな。
『今晩、夢物語にて汝を待つ。
汝が繰り返し垣間見た幻の意味。
汝の感受する不快への疑問。
全ての意味はそこで明かされる事となるだろう』
寝よう……と思った所で唐突に先程の出来事を思い出す。
あぁ、気持ちよく寝たいと思っているのに
どうしていつもいつも思い出してしまうのか。
学校で居眠りする時は何とも無いのに。
夜に寝ようとすると必ずこれだ。
(……馬鹿げてやがる)
本当に、馬鹿げている。
中学生にもなって未だに夢でうなされているだなんて
人に聞かれたら笑いものだろう。
思い出してしまったせいで大分不快感はあったが、
気にしないように心がけて強引に寝る事にした。
辛いまま起きているぐらいなら悪夢にうなされた方がマシだろう。
悪夢のせいで寝不足なのだが、
だからといって悪夢を見たくないから全く寝ないなんてのは逆効果だ。
(……さっさと風呂入って飯食わねぇとな)
オレは眠い目を擦りながら浴室へと向かっていった。
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やる事を全て終わらせて、
いつもより早めに布団に潜り込む。
元から寝不足だったせいか、
意識が沈んでいくのにそう時間はかからなかった。
そしてオレが見た光景は案の定___
「やっぱりか」
宇宙空間で獣に囲まれている夢。
まぁ予想はついていた。
意識しないように気を配っていたのだが、
「気を配る」という時点で既に大分気にかけてしまっている。
結局また夢に出てしまった。
どうやらこの夢を見ない……というのは無理らしい。
落胆するオレなんてお構い無しに、
獣達は円を描く様にオレを追い詰めていく。
どうせ夢なのだ。
今もとてつもない圧迫感を感じているが、
だからといって幻を恐れる道理は無い。
ここらでこの夢に対して耐性をつけるべきだろう。
これから毎日、この夢を見続けたとしても
精神的にダメージを負わないように。
いつかは解決しないといけない問題だ。
「……」
一度決めてしまえば行動は単純だった。
いつもならここで必死に目を覚まそうと足掻き、
獣に噛み付かれる寸前で目を覚まして寝不足スタートなのだが
今回は真っ向から獣を迎え撃つ事にした。
どうせ夢だ、痛みは無い。
オレの都合の良い様に進む幻なのならば、
獣を倒す事だって可能だろう。
「……そろそろ寝不足ともおさらばしないとな」
オレの言葉に呼応するかの如く、
獣が唸りをあげて突進してきた。
足に噛み付き、引き千切り、そして咀嚼する。
痛い。
物凄く、痛い。
「がぁああああああああああああああああっ!」
痛い。
この痛みは幻なんかじゃない。
今まで感じた事もないような痛み。
痛みだけじゃない。
牙が食い込む鋭利な感覚も。
獣特有の動物臭い匂いも。
何もかも。
幻では説明が付かないほどにリアルすぎる。
「は……がっ……どう……な……て」
獣達が次々にオレに群がり、食い殺そうと試みる。
間違いない、このままじゃ死ぬ。
これが夢だろうと現実だろうと。
こんな状況にずっとおかれたら先に精神が死んで身体も死ぬ。
「力を欲するか」
獣に押し倒されて仰向けになったオレは
気付けば帰り道で出会った少女が空中に漂っている事に気が付いた。
なんだ、アレは。
寝不足のオレが見た幻覚だったんじゃないのか?
分からない、分からない。
最早何が現実で、何が夢なのか。
「汝の死に行く定めは不変の真理なり。
しかし汝、我に力を貸すならば
我が力を汝に授け、確定した運命に歪みを与えよう」
少女は心底楽しそうに、喰われるオレを楽しそうに見つめながら
歌うように呟く。
何を言っているのか良く分からない。
良く分からないけど
少女がオレに何かを問いかけ、
答えを得ようとしている事だけは分かる。
痛みが無い。
圧迫感も無い。
少女が問いかけている間だけは
完全にオレの身体は自由だった。
つまりは。
オレがこれから生きるも死ぬも返答次第という事。
「貸す。力でも何でも貸すよ。
だからお願いだ、助けてくれ。
オレはこんな所で訳も分からないまま死にたくない。
この場から生きて帰れる力があるのなら
オレはその力を手にしたい……!」
生き残る為に。
計画性も何も無く、
ただそれだけの為に発した切実な想いを
少女は歪んだ笑みで受け入れた。
「確かに聞きとげたぞ、嗣音。
汝はその名の通り数多の夢を嗣ぎ、
美しき戦慄を奏でる者と化すだろう。
汝の力を我が元に、対して。
我が力を汝の元に授けよう」
契約は成立した、と最後に一言だけ呟いた少女は。
オレを見下ろしながら軽く指を弾いた。
その瞬間、周囲を覆う獣は姿を消し。
欠損した身体のパーツも元に戻っていた。
残ったのは少女の酷薄な笑みだけだ。
「さて、状況故仕方が無いとはいえ、契約は契約だ。
しっかりと努めてもらうぞ、嗣音」