言わぬが花
一部完結の連載となっています。
昨日は、涼子さんのお店の美雪さんという女の子に
お寿司をご馳走してもらいました。
アルバイトが休みだったので本屋さんで立ち読みをしていたら
美雪さんから電話があり、早い時間にお店に来てくださいと言うので
いきましたら、美雪さんが木の箱に入った海苔巻きを僕にくれて
お茶も入れてくれました。
どうしてご馳走してくれたのかは分かりませんが、美雪さんはお客さんに
貰ったけれど、お寿司があまり好きじゃないので、よかったら食べてと言いました。
美雪さんは高橋さんのことをいろいろ聞きました。
彼女はいるの?とか、一人暮らし?とかほとんど高橋さんの話でした。
僕は何も知らないので、ごめんなさい分かりませんと言いましたが
美雪さんは悲しそうな顔をするのでなんだか悪いような気がしました。
でも本当に知らないので黙っていると、美雪さんは台湾のことをいろいろ聞きます。
だから、屋台の話とか、台湾で日本のテレビが見られること、オートバイが沢山
走っているので空気が悪いことなどを話しました。
そして食べ終わると、もうすぐお客さんが来る時間になったので、急いでお礼を言って
帰りました。
美雪さんは高橋さんが好きなんだと思います。
でも、高橋さんは多分涼子さんが好きだと思いますから、難しいと思います。
僕がそれを美雪さんに言わなかったのは前に涼子さんから
教えてもらったことを思い出したからです。
それは・・・
言わぬが花
口に出して言わないほうが味わいもあり、差し障りもなくてよい
例 そこから先は言わぬが花
肌触りのいいビロードのソファーにゆったりと腰掛けると、
涼子は一人タメ息をついた。
もう6年か・・・。
今は亡き男の姿を探すように、店内をぐるりと見渡す。
重厚な入り口の扉、毎日涼子の手によって生けられる花瓶の花。
磨き上げられたカウンター。その後ろには名前の書かれたボトルが並び
マーブル模様の大理石テーブルが二つ。
赤い絨毯の上にはコーヒー色のソファーがテーブルを囲むように
置かれ、壁にはカラオケ用のテレビが収められている。
こじんまりとして寛げる空間だが、今年で13年になる店内は
手入れはされているもののくたびれている感が否めない。
何度も改装しようとしたのだが、男の思い出まで消えてなくなりそうで
手を出せずにいた。
美雪ちゃんのことどうしたら良いかしら?・・・。
あたかも男がそこにいるかのようにつぶやくと
言わぬが花って言いたいんでしょ。
と笑って煙草に火をつけた。
美雪が店にアルバイトに来るようになってから、半年になろうとしている。
水商売に学生を使うことに抵抗があったものの
親しくしている料理屋の女将に紹介してもらった彼女が面接に来た態度を見て
涼子は即決した。
美雪は有名大学に通う21歳のいまどきの女の子であったが
そう美しい容姿ではないものの、聡明な態度と清潔感があり、
何より人の心を和ませるような優しい笑顔の持ち主だった。
おかげでこの半年、出勤前の同伴も安心して出かけられる。
なじみの客からの評判も良く、今では彼女目当ての客も少なくない。
その中の一人に 立川 進という板前がいた。
人見知りする彼はいつも一人でふらりと飲みに来ては
カラオケをするでもなく、黙って水割りを決まって5杯飲み帰って行く。
そんな彼に美雪は甲斐甲斐しく世話を焼き、男もだんだんと
打ち解けて少しずつ笑顔を見せるようになっていった。
それからしばらくして美雪が彼と同伴するため入店する時間が
遅くなる日が続いていたが、連れ立って現れる彼女達の様子は
いつも変わりなく、大して気にも留めていなかった。
「美雪ちゃん最近立川さんと仲いいのね。あの人前は誰ともはなさなかったのに
すごいわ」
お客が途切れて前に帰った客の使ったグラスを洗い片付けをしながら
涼子はさりげなく言った。
「そうなんですか?結構気のいいおじさんですよ」
「どこに食事に連れて行っていただいてるの?」
「違うんです。実は立川さんにお料理習っているんです。
花嫁修業ですよ。彼に食べて欲しいから」
「そう。美雪ちゃん彼いるんだ。」
「今はまだ片思いですけどね。もう少しまともな物ができるようになったら
告白しようと思うんです。彼大人だし、何もできない小娘だと思われたくないですから」
ふーん。と若いのに古風な考えの美雪に関心しながらも
毎日彼女に付き合い楽しそうに酒を飲む立川を見ると
彼が美雪の心の内を知っているとも思えず
少しだけ気になった。
大学の試験が近くなると美雪は何日か店を休んだ。
その間に訪れた立川は、明らかに彼女を探す目で店内を
見渡す。
「こんばんは、立川さん。今日は美雪ちゃんテスト勉強でお休みなの
今日は私で我慢してくださる」
「いやあ、我慢なんて。ママに相手してもらえるなんて光栄です。」
そう言うと、いつもの水割りを飲んでいる。
おや?今日は6杯目・・・。
いつもより多めの酒に少し酔った立川は改まった口調で
涼子に聞いた。
「美雪ちゃん辞めたら困るよね」
「もちろんですよ。今家のナンバーワンですからね。」
ママも含めて3人しかいない店でナンバーワンもないのだが
洒落のつもりでそういうと
「そうかー、あいつ頑張りやだからなー。教えてやった料理も
家でもおさらいして作ってるみたいだし。
そんなに根つめなくても家に入ったら俺が手伝ってやるのにさー。
可愛いい女ですよね。
そっかやっぱりすぐはまずいかなー」
????
「あのー立川さん。何がまずいのかしら」
「いやね、あいつ俺の好物ばかり教えて欲しいっていうから
前々からおかしいなとは思っていたんですよ。
それにね、俺もこの年でしょ。
いくらなんでも20以上も離れてたらねー犯罪ですよ。」
「あのー美雪ちゃんに何か言われたんですか」
恐る恐る涼子が尋ねると短い指で頭を掻きながら
「これが上手く作れるようになったらお嫁さんになれるかなー
なんて言うもんだから・・・。」
といって男は恥ずかしそうに笑った。
ま、まずい。この状況は明らかに・・・。
何か言おうと口を開くが言葉が見つからない。
天真爛漫な彼女と、女に免疫のない男が過ごした
微笑ましい時間はいつの間にか
男の心を天まで昇らせてしまったようだ。
どちらが悪い訳でもない、だがこのままでは・・・。
かなり言葉を選んで涼子は言う。
「立川さん。特定の子にあんまり優しくしたらいけません。
一応女は3人いるんですからね、やきもち焼いちゃいますよ。
それに若い子はね、周りの評判で気持ちが変わるんです。
もし、美雪ちゃんが親しくしている人がいるなんて
分かったら、皆さん大ブーイングだわ。
そしたらどんな男だとか聞かれるでしょ。
もちろん他の人は躍起になって悪く言うでしょう。
そんなこと聞いたらそんなものなのかもなーって
あっという間に気が変わっちゃうものなの。
だから彼女が卒業して一人前になるまでは
様子を見たほうがいいんじゃないかしら。」
言うだけ言うと様子を窺うように立川を見た。
しばらく考え込んでいるふうだったが、困ったように顔を上げ
「そうですよね、これからの時代女も社会勉強しないといけないですよね
分かりました。俺も男だ。
あいつに男って言うものを一年かけて分からせてやりますよ」
分かってなかった・・・。
やがて試験明け晴れ晴れとした顔で美雪が出勤してきた。
手に寿司を持っている。
「あら、どうしたの」
「今、店の前で立川さんに会って差し入れだってもらったんですけど
一個だけなんですよね。
家には3人いるってわかってるのに。
気が利かないなー。ママ良かったらこれどうぞ。
私、生もの苦手なんですー。」
「 あ ありがとう・・・」
そう言って受け取った海苔巻きは切ない恋の味がした。
結果がどうなるかは分からない。
だが今は それから先は言わぬが花。
僕はどうして美雪さんが生ものを嫌いなことを言わないのか
不思議です。他のもなら食べられるのに。
それに、好きな人の分だけあげるのはいけないことだと
初めて知りました。台湾ではお金持ちじゃない人は皆彼女の分だけあげます。
そして、それがとても喜ばれます。
僕の知っている女の人はあまりいませんので、そう思っていましたが
違うことが分かってびっくりしました。
女の人と付き合うとお金がかかりそうです。
劉英雄は今日の作文を書き終えると、先ほど食べた寿司の味を
複雑な思いで思い出していた。