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 ここに足を踏み入れたものは、決して生きては帰れない。


 暗く、湿った森の奥深く。そこにはまるで日の当たる所のない。暗く、陰湿な毒林檎の楽園。


 ある日毒の果実は男と出会う。果実は男に恋をした。まやかしの香りには誘惑されない。その美しい姿も偽りだと気付き、騙されはしなかった。清き瞳と正しき心。その男に、毒林檎は恋をした。


 そこへ眩い光がそそのかす。ここに現れるはずのない幻のような奇跡の光。囁くのは、毒林檎への甘い不実。

『殺してしまえばいいんだよ。そうすれば彼はお前のものさ。他の女に取られるのなら、いっそ殺してしまえばいい』



――



 青年は私をもぎ取ったあと、目の前でゆっくりと音もなく膝から崩れ落ちる。そうして私は、毒林檎の姿から妖精の姿に。羽と人の体を得た私はそこから羽ばたき、横たわる青年の肩にとまる。

『これで彼は私のもの』――そのバランスのよく取れた容姿も、真っ直ぐな瞳も。決して派手な外見ではない。言ってしまえばとても地味。でもなんだかそれが潔くて、醜い私にはとても美しく映った。

 けれども――気が付いてしまった。虚ろな彼のその瞳は、開くことも閉じることもない。言葉を発しなければ、こちらを見つめてくれるということもない。彼はどんな話を聞かせてくれたんだろう。その瞳にこの世界はどう映ったんだろう。彼はきっと、真実を語ってくれたに違いない。

 それでも――気付いた時はもう遅い。私は彼を殺してしまった。


 ここに足を踏み入れたものは、決して生きては帰れない。そう。私たちの存在が、そうさせてしまった。私たち毒林檎に定められた運命だった。どうして生まれてしまったんだろう。どうして私はこんな命に。ごめんなさい、ごめんなさい……。


 いくら涙を流そうと、死んでしまった者は二度と生きては帰らない。自らの感情で、自らの可愛さ故に相手の死を選んでしまった。あの人への気持ちはなんだったというの? そしてこの気持ちはなに!? 相手の幸せを願えなかった――それは愛という綺麗な物ではなかった。ただの妄想。偽りで飾られた、ただのわがままだった。


 ――毒林檎は涙を流す。流した涙は自らを真の姿へと変える。鱗が剥がれ落ちるように、その視界も真実を映し始めた。清らかな涙がまやかしを打ち消す。それはまるで奇跡のよう。先程までの、虚無に満たされた景色は消えた。


 光の正体は、赤い目をした白い蛇。

『消えなさい、幻覚を見せる蛇よ。こんなものには私は騙されない――彼への心が愛だというのなら、私は彼を殺さない!』

 その揺るぎない心は、卑しい蛇を真っ直ぐ射抜く。その迷いのない瞳に睨まれた蛇はすぐさま逃げた。

『青年よ。よく聞きなさい――我が身はその名も毒林檎。食べればひとたび命を落とす』――だからお逃げ。早く、速く私の前から。そう、思えば思うほど切ない。

『私は本能から、あなたに食べて欲しかった。他の誰でもなくただあなたの手で、その口で。それが幸せなんだとずっと思ってきた』――でもそれは間違いだった。愛する者を殺して、幸せになりたいとは思わない。だから早く逃げて……それが一番正しいのだから。

『だけど、そこに横たわる仲間たちを見なさい。彼らは既に息がない』

 男を森から逃がしたいと、はやる気持ちを抑え――毒林檎は静かに真実を語る。そして己の願いを告げる。


『どうか、あなただけでも生きていて。これは私のわがままです。早くここから――』

 しかし、その言葉は青年の耳には届いていないのだろうか。その瞳からはまことの涙が――青年の頬を伝う。毒林檎は突然のことに戸惑いを隠せない。

「そうか。とても幸せそうな表情をしていたから気が付かなかった」――それが初めて聞いた、彼の言葉。純な瞳から真の涙を流した青年は、傍らの仲間に手を合わせた。そうしてそのあと林檎の方を見る。

「僕だけは貴女のおかげで助かったようだ。真実を話してくれてありがとう。その涙にも感謝する」


 戸惑っていたが、林檎はその言葉を受け取る。

『あなたは何でもお見通しなのね。ただ、この涙には感謝しなくても結構よ。自分の愚かだったことへの後悔の涙だから――おかげであなたを殺さなくて済んだのだけれど』

 毒林檎の自らを嘲笑うような言葉を青年は、涙を拭って笑った。

「それは全くおかしな話だ。毒林檎のはずが、殺さなくて済んでよかったとは」

 青年が笑ったことになぜだか林檎は苛立った。

『ええ、そうね。自分でもそう思うわ――死にたくなければ出ておいき! 今すぐ! ここから――』

 しかし、林檎の警告は遮られる。青年は木の枝からその果実をもぎ取った。

『な、何を』

 青年はてのひらの林檎をその口へ近づける。

『おやめなさい、そんな事をすればあなたは死んでしまう! 私はあなたのことが――』

 しかし、青年によって時は止まった。


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