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似たもの同士のエピソード

帰郷

作者:

先に投稿した短編『似たもの母娘と完熟桃』の続編となります。

が、この作品から読んでいただいても特に差し支えはないと思われますのでご安心を。

 何日間か分の荷物が入ったキャリーバッグをガラガラと音を立てながら引きずり、ようやくわたしは電車を降りた。

 目の前に広がるのは、小さな田舎町の光景。なんとなく空気が美味しいように感じられて、大きく深呼吸をする。

 ――久しぶりに降り立った故郷は、今年も変わらぬ姿でわたしを迎えてくれた。


(りん)ちゃん!」

 声のした方に目をやれば、こちらへと手を振る人影が見えた。ガラガラと鳴る耳障りなキャリーバックの音と共に、そちらへ駆け寄る。

 駅でわたしを出迎えてくれたのは、二人の女性だった。

 まずわたしに手を振ってきた女性の方が、ふんわりとわたしの手を握る。

「立派になったわね」

「お久しぶりです、絢乃(あやの)さん」

 わたしを眺めながらおっとりと微笑む女性――絢乃さんは、わたしの伯母にあたる。

 わたしの母親の姉である彼女は、母親に顔かたちがよく似ていた。だけど常にひんやりした表情だった母親とまるで違い、この人はいつも優しくおっとりした笑顔を浮かべている。

「せやけど、変われへんもんやね。凛は昔から童顔やさかいなぁ」

 そんな絢乃さんの隣で、もう一人の女性が屈託なく笑った。

 彼女の言葉に、思わず頬を膨らませる。

「そんなことないもん」

「ほら、そういうとこ。子供にしか見えへんで」

「むぅ……だけど、そういう若菜(わかな)ちゃんだってほとんど変わってないじゃん」

 わたしの文句に、彼女――若菜ちゃんはハハッと笑った。

「よう言われるわ」

「あんたね、開き直ってないでちょっとは変わる努力をなさい」

 絢乃さんが若菜ちゃんを軽く小突く。わたしもそれを見て笑った。

 若菜ちゃんは絢乃さんの娘、つまりわたしの従姉にあたる。わたしよりも二つ年上なんだけど、お姉さんのような存在というよりは、どっちかというと同世代の友達という感覚で接している。それはきっと、彼女が元来持つ、独特の雰囲気がもたらしているものなのだろう。

「……っていうか、若菜ちゃんは先に帰ってきてたんだね?」

 尋ねると、若菜ちゃんはあぁ、とうなずいた。

「会社と掛け合ったら四日も有給もらえたで、骨休めも兼ねて昨日から帰っとんのよ」

 そうなんだ、とわたしは返事をした。

 若菜ちゃんもわたしと同じく故郷を離れていて、今は関西の出版社に勤めている。ちなみに口調が関西弁交じりなのは昔からで、関西に住み始めてからうつったものではない。

「さぁ、二人とも。立ち話はそこまでにして行きましょう。もうみんな集まってるわよ」

 若菜ちゃんと話していると、絢乃さんがパンパン、と手を叩いてそれを中断させた。

「はぁい」

 若菜ちゃんと揃って返事をし、素直に従う。

 絢乃さんを先頭に、わたしたちは渡辺(わたなべ)家――わたしの実家へと向かった。


「凛ちゃんは、確か北陸の大学に行ったのよね」

 道中絢乃さんにそう尋ねられ、歩きながら「はい」と返事をする。

「お休み、ちゃんともらえたの?」

「もともと今日から三日間休講なんです」

「そうなの。じゃあ、せっかくだからゆっくりして行ってちょうだい」

「はい」

 ふいに、それまで愛想よく微笑んでいた絢乃さんが憂い顔になり、うつむいた。

「……そういえば、あの子も……菊乃(きくの)も、北陸の大学だった」

 囁くような、絞り出すような声。わたしはおずおずと、絢乃さんの顔をうかがった。彼女の目もとが、かすかにキラリと光っている。

「お母さん」

 たしなめるように、若菜ちゃんが口を開いた。

「一周忌迎えたら、泣くのは終わりなんじゃなかったんか? あれからもう何年経ったと思ってんの」

「……そうね」

 若菜ちゃんに叱咤された絢乃さんは涙を拭うと、無理に笑ってみせた。

 その笑顔に、胸がちくりと痛む。若菜ちゃんも眉をハの字にしながら絢乃さんを見ていた。

 なんとなく暗い雰囲気のまま、それ以降は誰も一言も話さなかった。


「――ただいま」

 玄関を開けて中へ入ると、出迎えてくれたのは兄だった。

「お帰り、凛」

 もうしばらく会っていなかったはずなのに、兄は以前と何ら変わりがなかった。

 もちろん大人の男性としての色気のようなものが増えてきたり、体つきもしっかりとしてきてはいたけど……そんな変化は、じっくり見てみないとわからない。

 思わず、口に出してしまっていた。

「お兄ちゃんって……なんでずっと、昔のままのように思えるのかな」

 兄はきょとんとしたあと、少し笑った。

「何だい、藪から棒に」

「まぁ、なんとなくわかる気がするけどな」

 隣にいた若菜ちゃんが口を挟んだ。

(さとる)は、昔から大人みたいにしっかり者やさかい」

「あぁ……確かに」

「あのね、若菜。それは先入観ってやつだよ。いくら僕より年下だって言っても、一つしか違わないのに……お前があまりに抜けてるからだ。僕はいたって普通だよ」

 兄が澄まし顔でぴしゃりと言い放つ。「放っといてんか」と、若菜ちゃんは拗ねたようにそっぽを向いた。

 兄は若菜ちゃんより一つだけ年上なのだけど、一緒に並んだ二人を見ているととてもそうには見えない。兄はもとから大人っぽいので年上に見られて当然だが、若菜ちゃんの方も小柄な見た目と仕草から、実年齢より幼く見えるのだ。

 兄もそれをわかっているのか、若菜ちゃんには普段わたしにしないような態度を取る。若菜ちゃんも同様に、兄に対してはことさら子供っぽくなる。

 それが二人の付き合いの深さを物語っているようで、昔はちょっと嫉妬してしまうこともあったけど、今はむしろ微笑ましく感じていた。

「三人とも、早くこっちにいらっしゃい」

 奥から祖母の声がした。もう親戚たちはみんな揃っているようだ。

 まだ何やら言い合いをしている二人を先導するように、わたしは奥の座敷へと向かった。


 昔ながらの広い座敷には座布団が十枚ほど並んでいて、その上にはちらほらと人が座っていた。

 祖母に手招きされ、空いている場所に三人並んで座る。

「そういえば菊乃叔母さんのお通夜のとき……悟、立とうとして足しびれて()けてもうたよな」

 若菜ちゃんが兄を見て笑う。当時はぼうっとしていたからほとんど何も感じていなかったけど、今になってそういえばそんなこともあったな、と思い出す。

 学生服姿の兄がバランスを崩し派手に転ぶ光景を思い出して、プッと吹き出してしまった。

 兄が顔を赤らめながら、ゴホンとわざとらしく咳払いした。

「あの時はまだ若かったんだよ、僕も」

「二十代前半の働き盛りが言う言葉かいな」

「ふふっ……」

「ほら、凛にまで笑われた」

「……忘れろ。ほら、もう始まるから二人とも前向いて」

 そこはさすがの兄で、うまい具合にはぐらかされてしまう。

 わたしは隣に座る若菜ちゃんと目配せすると、声を立てず笑った。


 背筋を伸ばし、改めて前を見ると、そこにあるのは見慣れた仏壇。真ん中に飾られた大きな写真に写るのは、仏頂面の、絢乃さんによく似た顔。

 彼女は渡辺菊乃――わたしが中学生の時にこの世を去った、わたしの母親だ。

 今日はその母の、七回忌法要の日だった。


 一時間ほどの読経を済ませると、次は納骨された墓のある近所の小さなお寺へと向かう。

 そこで再び十分ほどの読経を済ませ、説教と呼ばれるお坊さんのお話を聞きながら、出されたお茶とクッキーのようなおせんべいをいただく。

 そういえば三回忌の時は、すでに高校生になっていたはずのわたしと若菜ちゃんが『子供だから』と気を遣われ、お茶じゃなくてオレンジジュースを出されたことがあったっけ……と思い出す。

 あの時は二人して、『もう子供じゃない!』と言いながらジュースを片手にむくれたものだ。『二人とも童顔だからだよ』とからかう兄の声も、同時によみがえってくる。

 今回はさすがにジュースは出されなかったね、と若菜ちゃんと言いあいながら、わたしは寺の名前が刻まれたおせんべいを美味しくいただいた。


 再び家に戻った時にはすでに夕方で、少し日が沈みかけていた。それからわたしたちは、少し早い夕食を摂ることにした。

 この日のために父が注文したパックのお弁当を親戚たちに配り、父が集まったみんなに挨拶をする。

「本日は亡き妻、菊乃の七回忌法要にお越しくださり、誠にありがとうございます――……」

 父は、母が亡くなった当時はやっぱり元気がなかった。表向きはしっかりとしているようではあったけれど、わたしたち家族には、それが無理をした姿なのだということは一目瞭然で。

 今も、あまり父は母の話をしたがらない。母がいなくなったために減ってしまった我が家の収入を補うように、また母を忘れようとするように、ひたすら仕事に打ち込んでいる。

 再婚の予定などは聞かない。しかしうちの親戚にも口うるさい仲人好きのおばさんというものがいるようで、父にちょくちょく再婚を薦める話が出ているというのは、祖母から聞いていた。当の父は、まったくもって聞く耳を持っていないようだが。

 わたしは父がもし再婚し、新しい母親ができるとしても、きっと反対はしないだろう。父も一人の人間だし、母以外に誰か愛する人ができたとしても、不思議ではないと思っているから。

 だけど――再婚などせず、亡くなった母をいつまでも愛している様子の父を見ていると、何となくほっとしてしまう……というのが本心だったりもするのだ。

 子供としての内心は、ちょっと複雑なのである。

「――というわけで、ささやかではありますがお召し上がりください」

 父の言葉が締めくくられ、直後に「乾杯!」という音頭で、カップに入ったビールを近くの人たちと軽くぶつけ合う。

 ちなみにわたしは成人したばかりなので、まだあまりお酒は飲めない。付き合いとしてたまに飲む程度だ。

 一方、兄や若菜ちゃんは普段からよく飲むようだ。ここだけの話、二人とも成人する前から飲んでいたりするのだが……。

 わたしが座っていたテーブルには、わたしと兄、若菜ちゃん、父、絢乃さん、伯父の椋介(りょうすけ)さん、そして母方の祖父母がいた。各々好きなように話しながら、和やかにパックのお弁当を口にしていく。

「どうや。凛は、大学頑張っとんのか」

 椋介さんが、ビールを飲みながら聞いてきた。彼は関西の出身なので、普段から関西弁を使う。若菜ちゃんが昔から関西弁交じりの口調なのは、そのためだ。

「えぇ」

「そうか。何の勉強しとんのや?」

「別に、月並みですよ。経済学です」

「ほうほう、そうかそうか……」

 言いながら、もう一杯ビールをつごうとする。その姿を、隣にいた絢乃さんが半眼で見つめていた。

「あまり飲みすぎないで下さいよ」

「わかっとるわ……」

 椋介さんが肩をすくめる。思ったよりも、椋介さんは絢乃さんの尻に敷かれているようだ。

 それからわたしの大学での話をしたり、若菜ちゃんや兄の仕事の話をしたりと、近況報告や世間話などが続いたが……話題が故郷であるこの町のことになった時、ふと祖母が掠れた声でポツリと言った。

「変わって、いくんだね。何もかも」

「そうだな」

 祖父も、寂しそうに目を伏せる。

「時代が変わっていくごとに、周りを取り巻く環境も変わる。両親も、兄妹も、菊乃も、みんな、いなくなってしまった……」

 その言葉に、祖母は涙ぐんだ。ぐすっ、と鼻をすするような音が、妙に周りに響く。椋介さんも絢乃さんも、兄も、みんな辛そうに顔を歪めた。

 昔から、いろんなことが変わってしまった。そのことは、わたしもうすうすと感じていた。

 あの頃は……わたしがこうして一人暮らしをするようになるなんて思っていなかったし、ましてや母が亡くなってしまうなんて想像すらしなかった。

 だけど……あの出来事がなかったら、わたしはずっと、母に愛されていないと思い込んでいたかもしれない。あの出来事があったからこそ、母の思いを知ることができたのだと、感じずにはいられない。

 もちろん、マイナスもあった。悲しみとか、喪失感とか、そんな感じたくもない思いが胸を占めた。それは今も変わらない。

 母方の祖父母は母の死に相当なダメージを受けたのか、それまでやっていた家業をすっかりやめてしまった。いわく、何もする気が起きなくなってしまったのだという。

 時代が進むごとに、失うものは多い。

 得るものが多くなっていくごとに、逆にそれを失うのが怖くなる。

 本当は、時代なんて変わってほしくない。ずっと、楽しかったあの頃のまま、時間が止まっていてほしいと何度思ったことだろう。

 でも、それでも……。

「それでも……生きていくしかないんだよ」

 それまで漂っていた沈黙を破るように発されたその言葉に、シン、と周りが静まり返った。その場にいたみんなが一斉に、声の主を見る。わたしもその声の主を――若菜ちゃんを、見た。

 若菜ちゃんは、いつもの人懐っこい笑みを湛えてはいなかった。顔には表情がなく、ガラス玉のような目は空っぽで、何も映してはいない。

 そういえばお葬式の時、母の遺体を一心に見つめていた彼女も、こんな目をしていたと思い出す。きっとあの時のわたしも、同じような表情を浮かべていたことだろう。

 いつもの関西弁ではない、淡々とした口調で、若菜ちゃんは言った。

「失うものが多くても、哀しくても、苦しくても……それでも、生きていくしかないんだよ。それが、この世に生を受けた生き物としての、業ってやつだよ」

「若菜……」

 もとから皺くちゃな顔をさらに皺くちゃにさせながら、祖母が若菜ちゃんを見る。祖父は相変わらず、哀しそうに目を伏せたままだ。他のみんなは、困惑したように若菜ちゃんを見ていた。

 やがて重苦しい沈黙を湛えたまま、みんながゆっくりと食事を再開させる。それでもわたしは食べる気にならず、ただうつむいたまま唇を噛んでいた。


「――ごめんな、変なこと言うて」

 夜。

 母方の祖父母をはじめとした親戚たちがみんな帰っていった後、客間に布団を敷くのを手伝いながら(若菜ちゃんたちは今夜うちに泊まることになっているので、そのための布団だ)、若菜ちゃんが申し訳なさそうに言った。

「若菜ちゃんのせいじゃないよ」

 わざと明るい声を出し、無理やり微笑んでみせる。なんだかとても、胸が痛かった。

「時代が変わるのは仕方ない。若菜ちゃんの言うとおりだよ。もう……生きていくしか、ないんだ」

「そうや」

 若菜ちゃんは、はっきりとした口調で言った。

「生きていくしか、ないねん」

「……うん」

「……もう、寝よう。明日はみんな休みやし、なんかゲームでもしよか」

 それまでの暗い雰囲気を払拭するように、若菜ちゃんがにっこりと笑う。わたしもつられて笑いながら、うなずいた。

「そうだね」


    ◆◆◆


 次の日は、前日と打って変わってとても楽しい日となった。

 兄が二階の物置から出してきた人生ゲームを、家にいたみんな――私と兄、父、絢乃さん、椋介さん、そして若菜ちゃんのメンバーでやった。

 途中椋介さんが『月に旅行へ行く。二十万ドル払う』などというわけのわからないマスで止まってしまい、みんなで爆笑したり、逆に絢乃さんが大金を手にして大盛り上がりしたり、そうしている間に策略家の兄がコツコツとお金をため、結果億万長者になったり……。

 昨日のことなど忘れ去ったかのように、みんなで笑いあった。

 それは昔と全く変わらない、楽しくも優しいひと時だった。

 ただ一つ、母がこの場にいないことを除いては。


 その日の夕方に若菜ちゃんたちは家へ戻り、次の日にわたしは北陸の方へと戻った。

 若菜ちゃんとは帰る日が同じだったけれど、行く方向は全く違うので、電車に乗るため駅に行っても、もう会うことはなかった。

 電車を待つ間に、わたしはもう一度故郷の姿を見た。あの時とは何も変わらない、パッとしない小さな田舎町。

 いつか、この光景も変わってしまう日が来るのだろうか――……。

 果たしてわたしは、それを受け入れることができるのだろうか。それとも、祖父母のように、大きな喪失感と絶望を感じるのだろうか。

『それでも……生きていくしかないんだよ』

 ふいに若菜ちゃんの言葉がよみがえり、わたしはふぅ、とため息をついた。その音は、もしかしたら震えていたかもしれない。

 決意を改めるように、手にしたキャリーバッグの取っ手を握りしめながら、わたしはやって来た電車へと乗りこんだ。

短編『似たもの母娘と完熟桃』の、6年後ぐらい。凛(私じゃないですよ、主人公ですよ)も大学生になりました。

基本は作ってますが、あちこちにちりばめられた小ネタは実話が多いです。さぁ、どれがそうなのか当ててみよう(笑)


今回新キャラを結構出しましたが、私的には若菜ちゃんがすごく気に入ってたりします。関西弁キャラいいですよね~。

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