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見合い肖像を丸めて捨てたら、額に当たった辺境伯が毎週「修正を頼む」と通ってきます

作者: 豆田 はち
掲載日:2026/08/24

「すばらしい。傷がどこにあったのか、まるでわからない」


 テオフィルは修復した指輪を光にかざした。私の顔ではなく、指輪を。


 正しい鑑賞態度である。


 宝石の台座には、以前の職人が欠けを隠そうとして盛った金が三層あった。私は小さなパレットナイフの先で余計な上塗りだけを剥がし、元の細工を掘り出したところだ。


「クロエの技術なら、王都でも評判になるだろう。結婚後は我が家の工房名で発表すれば、さらに格が上がる」


 来た。


 賞賛、金箔三層仕上げ。剥がすと下から他人の名前が出てくる。


「その場合、作者名はどうなりますか」


「もちろん我が家の名だ。君も家族になるのだから、同じことだろう?」


 同じではない。私の手とテオフィルの姓は、接着すらしていない。


「では、この縁談はお断りします」


「なぜだ?」


「格が上がりすぎて、私が見えなくなりそうですので」


 テオフィルは指輪と私を一度ずつ見た。指輪のほうを惜しそうに見たので、私は判断に自信を持った。


 指輪は修復できた。縁談は剥離した。工房の床には金粉ひとつ落ちなかった。上出来である。


「よかったわね、クロエ。断れて」


 姉のアドリエンヌは胸を撫で下ろした。


「先方には、あなたは気難しい職人だとだけ伝えておくわ。顔のことを言われたなんて、絶対に広めさせないから」


「まだ誰にも顔のことは言われていないけれど」


「あっ」


 姉の声が小さくなった。都合の悪い箇所だけ顔料を薄める癖がある。


 私が名を出さず、姉の工房名で仕事を受けるようになったのは、こういう善意が一層ずつ塗られた結果だった。


 技術は一流、名は出すな。ご注文は金箔、仕上げは透明人間らしい。


 もっとも、透明人間にも次の見合いは来た。


「好きな仕事を続けさせてあげる」


 ユルバンは帳面を開いて言った。


 まだ結婚していないのに、私の修正料が左頁に収入として記載されている。恐るべき筆の速さ。求婚より先に入金済みである。


「報酬は家計へ入れるとして、納期は婚家からの依頼を優先。作者名は夫婦連名がいい。君一人の名では取引先が不安がるからね」


「私の仕事を、私が続けるのですよね?」


「当然だ。私は理解のある夫になるつもりだよ」


 ひび割れ要注意。


 表面だけ乾いていて、下地はまだぬるぬるしている。触れば指紋どころか人生まで取られそうだ。


「お断りします」


「何が不満なんだ。仕事を禁じるとは言っていない」


「ええ。報酬と納期と名前を取るだけですものね」


 ユルバンは帳面を閉じた。私の収入が挟まれて見えなくなった。


「女一人で工房を持つのは難しいぞ」


「だから姉の工房におります」


 姉が扉の陰で力強く頷いた。そこだけ切り取れば頼もしい。私の作者名を伏せ、依頼だけを倍にした張本人でなければ。


 ユルバンが帰ったあと、姉はまた胸を撫で下ろした。


「今度も守れてよかったわ」


「何から?」


「いろいろよ」


「姉さんが持ち込む、いろいろから?」


 姉は依頼票の束を抱え直した。


 紙は喋らない。便利な盾である。ついでに、姉は私の机へ次の盾を置いた。


「辺境伯様から肖像画の修復依頼よ。古傷のある方だから、余計なことは聞かないでね」


「聞かない。見ればわかるから」


 人の顔を直す仕事ではない。絵についた傷を直す仕事だ。


 この違いを理解しない者が、なぜか見合いの席には多い。二人続いたので、三人目からは入場料を取りたい。


    *    *    *


 依頼票の束から、私の胸元が出てきた。


 正確には、現実の私には存在しないほど宝石まみれの胸元である。


「姉さん」


「はい」


「これは何」


「肖像よ」


「誰の」


「あなたの」


 見ればわかる。腹立たしいほど顔だけは私だった。


 腰は半分の細さに削られ、頬には薔薇色が足され、髪には真珠が増殖している。首飾りだけで工房の屋根が二度直せそうだ。肖像の中の私は、呼吸をやめる代わりに結婚市場へ出荷されるらしい。


「なぜ辺境伯様の依頼束に?」


「だって、先方は婚約相手も探しているって。あなたの腕を正当に評価してくださる方なら、今度こそ——」


「依頼へ見合い肖像を混入させるのは、正当な評価ではなく異物混入」


「会ってから断っても遅くないでしょう?」


「前二人もそう言った」


 私は肖像を巻いた。


 一点物の婚約用肖像だそうだ。絵師が三か月かけ、姉が三日隠し、私が三秒で筒にした。最短記録である。


「外へ出してくる」


「どこへ?」


「私の視界の外」


 工房の扉を開け、抱えた筒を脇へ払った。


 ぼすん。


「ぐっ」


 肖像が、背の高い男の額へ当たった。


 男は一歩だけ後ろへよろめき、同行者の手を断って姿勢を戻した。鼻筋がわずかに右へ曲がっている。依頼票にあった古傷の特徴と一致。


 辺境伯本人に見合い肖像を投げつけた場合の修正料は、まだ料金表にない。


 姉が息を吸った。徒弟たちは刷毛を落とした。


「辺境伯様」


「クロエ嬢か」


「はい。たいへん失礼いたしました。いまの品は納品物ではありません」


「そうか」


 辺境伯様は足元の筒を見下ろしたが、拾わなかった。


「開いても?」


「なぜ許可をお求めに?」


「君が捨てようとした物だからだ。所有者の意思を確認すべきだろう」


 私と姉は顔を見合わせた。


 最初の一手から予定にない。こちらは無礼を詫びる準備をしていたのに、向こうが境界線を引いてきた。戦場が違う。


「構いません」


 辺境伯様はそこで初めて肖像を拾い、巻き癖を押さえながら広げた。


「これは君か」


「絵師はそう主張しています」


「君はそう主張していない?」


「首から下は、宝石商と細身の別人です」


 辺境伯様は肖像と私を見比べた。テオフィルは指輪を、ユルバンは帳面を見た。三人目は私の顔を見た。


 困る。採点表にない。


「なるほど。虚飾を嫌う修復師からの修正指示か」


「違います。拒絶です」


「見合いの?」


「肖像の。見合いもです」


「二つを同時に?」


「効率を重視しました」


 辺境伯様は大真面目に頷いた。


「よく伝わった」


 伝わっていない気がする。


「次は受け取りの許可を求める」


 彼は筒を私へ差し出す前に姿勢を正した。


 徒弟の一人が口を半開きにし、もう一人がそっと閉じてやった。姉だけが両手を組んでいる。祈るな。まだ事故報告の途中だ。


「ところで、私の依頼品を見てもらいたい」


「いまですか」


「予約した日時はいまだ」


 額を赤くしたまま言われた。貴族の額は硬い。いや、そういう問題ではない。


 工房へ入るにも、辺境伯様は敷居の手前で止まった。


「入っても?」


「どうぞ」


 一度、鼻先まで入ってから許可を取ろうとした客がいた。辺境伯様は靴の先すら越えていない。


 姉が用意した彼の肖像は、巨大な金縁に収められていた。騎乗姿の辺境伯様。広い肩、暗い外套、遠くを見る目。そして顔の中央には、定規で引いたような真っ直ぐな鼻。


「損傷は右下の剥落ですね」


「それも頼みたい。だが、先に顔を直してほしい」


 またか。


 現実の男が肖像へ寄せるため、こちらへ鼻を差し出してくる。三人目も同じ下地だったら、今度こそ入場料を取る。


「私は外科医ではありません」


「承知している。絵の鼻だ」


 辺境伯様は肖像を指した。


「真っ直ぐすぎる。元へ戻してほしい」


 私の採点表が白紙になった。


「騎乗時の古傷だ。見合いには不利だからと、絵師が勝手に直したらしい」


「普通は、描かれたほうへ顔を直したがります」


「鼻をもう一度折れと?」


「そういう方もおります。もう少し婉曲ですが」


 辺境伯様は自分の肖像をしばらく眺めた。


「この男と結婚する女性は、初対面で鼻が違うと思うだろう」


「そこを気になさるのですか」


「他に何を気にする?」


 爵位。領地。財産。婚家の格。妻の収入。妻の名前。


 口まで出かかった目録を飲み込み、私は絵へ向き直った。


「元の角度へ戻すには、追加料金がかかります」


「なぜだ。線を曲げるだけでは?」


「真っ直ぐに塗り潰した下から元の線を探し、肌色を合わせ、光の位置もずらします。鼻一本でも顔全体の印象が変わりますので」


「わかった。払おう」


「見合いに不利になる修正ですよ」


「だから直す」


 冗談が通じない。脅しも通じない。料金だけが正しく通った。


「最終修正は依頼人立ち会いで行います」


「いつ来ればいい?」


「来週の同じ時刻に」


「工房へ入ってもよい時刻は?」


「予約時刻なら、入る許可も含まれます」


「そうか。では次週、許可を得た時刻に来る」


 辺境伯様は依頼票の作者欄を見た。


 そこには姉の工房名だけがある。


「修復師の名は?」


「公表しておりません」


「公表ではない。依頼した相手の名を知りたい」


「クロエです」


「では依頼票へクロエと書いてくれ。支払う相手を間違えたくない」


 姉が小さく口を開いた。


 私は署名欄の空白を見た。


 見合い肖像は丸めて捨てた。ところが、ぶつけられた本人は私の名前を拾おうとしている。


 しかも来週も来る気だ。鼻一本にしては、たいへん長い修復になりそうだった。


    *    *    *


 翌週、辺境伯様は扉の前で待っていた。


「入っても?」


「予約時刻ですので、どうぞ」


 次の週も待っていた。


「入っても?」


「どうぞ」


 さらに次の週も——いや、鼻の修正は二回で終わるはずだった。


「本日は何のご依頼ですか」


「左目が、実物より威圧的に描かれている」


「実物も十分です」


「では修正不要か?」


「確認料だけいただきます」


「払おう」


 正規の修正料は、毎回私宛ての封筒に入っていた。姉の工房を通す手数料も別に計算され、依頼票の作者欄には必ずクロエとある。


 その翌週は外套の襟。


 次は馬の耳。


 さらに次は背景の雲。


 肖像画も貴族も、素直に直ってはくれない。とくに後者は毎週、自分で新しい修正箇所を発見してくる。


 ただし、工房へ入る前には待つ。絵へ触れる前には聞く。修正料を値切らない。私が残した線を、姉の工房名で覆わない。


 姉が「辺境伯様ならいつでも」と扉を開け放っても、彼は私の返事があるまで敷居を越えなかった。


 上塗りではないらしい。


 その判断だけを済ませ、私は好意という厄介な染みを見なかったことにした。職人にも手をつけない損傷はある。


「鼻の修正費について聞きたい」


 七度目の来訪で、辺境伯様は請求書を持ち上げた。


「高すぎましたか」


「安すぎる」


「値上げをご希望の依頼人は初めてです」


「真っ直ぐに描き直すより手間がかかったのだろう」


「曲がったものを元の曲がり方へ戻すのは、案外難しいのです」


「なら、私の鼻は高級品だな」


「曲がり具合に希少価値がございます」


「追加で払おう」


「調子に乗らないでください。鼻一本です」


 辺境伯様の口元が動いた。笑ったのだと思う。古傷のせいか、笑みまで少しだけ左右が違う。


 私は請求書の端を揃えた。


 笑われる前に欠点を数えるのが、私は上手い。彼は一つも訂正しなかった。


「次の請求項目です。背景の雲を減らした分、絵具代は差し引きます」


「労賃は?」


「増えます」


「正しいのか?」


「私が正しくします」


「では頼む」


 誰も先ほどの二文に触れなかった。


 姉は奥で依頼票を束ね、徒弟たちは刷毛を洗った。辺境伯様は修正料に不足がないか数え直し、私は彼の肖像へ向かった。


 飾りを減らすたび、絵の中の男が本人へ近づいていく。


 最後に残ったのは、私の見合い肖像との並置だった。


 姉は二枚を大きな金の額へ収め、婚約用の展示へ出すつもりでいた。私の返事はまだだというのに、外堀だけは額装済み。世話焼きに金箔を貼ると、たまに攻城兵器になる。


「公開前の最終確認です」


 私は脚立に上がり、二枚の位置を確かめた。


 片方は曲がった鼻を取り戻した辺境伯様。


 もう片方は宝石と細腰を足された私。


 並べると、詐欺の規模が倍になった。


「そちらは直さないのか」


 辺境伯様が私の肖像を見て言った。


「一点物です。いまから大きく手を入れれば公開日に間に合いません」


「公開したい?」


 そんな質問をするから、手が止まる。


「依頼は受けました」


「聞いたのは依頼ではない」


 金の額の中で、知らない私が微笑んでいた。


    *    *    *


 金具が鳴った。


 かちり、ではない。


 べきっ。


 嫌な音には、たいてい十分な根拠がある。


「下がって!」


 上部の固定具が壁から抜け、大額が前へ傾いた。真下には辺境伯様がいる。


 徒弟たちが散った。


「額が!」


「辺境伯様、右へ!」


「右は棚です!」


 遅い。


 私は脚立から身を投げ、作業台の小さなパレットナイフを掴んだ。厚い絵具は傷つけず、不要な層だけへ潜り込ませる、私の手の延長だ。


 落ちてくる金縁と画布の間へ刃を差し込み、留め布を一息に裂く。


 布が鳴った。


 画布が額から外れ、ふわりと前へ倒れる。


 私はそれごと辺境伯様の胸へ飛び込み、外套を掴んで引き倒した。


 どおん!


 金の額が床を割った。


 工房が跳ねた。瓶が震え、刷毛が転がり、姉の悲鳴が一拍遅れて天井へ刺さった。


「無事ですか!」


「私は無事だ。君は?」


「肘を打ちました」


「医者を」


「先に絵を!」


「絵より君だ」


 大真面目に怒鳴られた。耳が痛い。


 勝った。何にとは言えないが、絵より先になった。こんなところで職人の順位表を更新させるな、私!


 徒弟たちが、床の穴と倒れた私たちを交互に見た。


「お二人とも無傷……」


「床だけ致命傷……」


「額縁の負けです」


「実況はいいから起こして!」


 辺境伯様が先に立ち、私へ手を差し出しかけて止めた。


「触れても?」


 この状況でも聞くのか。


「お願いします」


 手を取ると、一度で引き起こされた。温かい。硬い。頼むから工房の真ん中で確認させないでほしい。徒弟たちの目が増える。


 外れた画布は裂けていなかった。


 二人分の肖像が、割れた床の上へ横たわっている。重い金縁だけが落ち、塗り足された顔は無事。


 無事であることに、腹が立った。


 私は作業台へ画布を広げた。


「クロエ?」


「一点物なので、切れば納期までに作り直せません」


「ああ」


「弁償になります。婚約用としても使えなくなります」


「そうだな」


「姉さんの工房にも損が出ます。評判も落ちるかもしれません」


 姉は口元を押さえたまま、何も言わない。


「それでも、これは残しません」


 刃を入れた。


 宝石を切り落とす。


 現実にはない細腰を切り落とす。


 窮屈な笑みの端も落とした。肖像の中の私は、飾りを失うたびに小さくなるのではなく、ようやく一人分の場所へ戻ってきた。


 画布の切れ端が床へ滑った。


「弁償します。破談も受けます」


「誰が破談にすると?」


「辺境伯様です」


「私はまだ婚約の承諾を得ていない」


 正論で刺された。


「では、見合いを取り下げますか」


「君が望むなら」


「展示は」


「取りやめる」


「肖像の公開も?」


「しない」


 返事が速い。名誉も金も納期も並べない。姉の顔色も見ない。


「私の肖像まで外れましたが」


「構わない」


「修正料をずいぶん払ったのに」


「公開しなくても、直したことはなくならない」


 辺境伯様は切り落とされた宝石ではなく、残った私の顔を見た。


「君が残したくないものを、私の都合で飾るつもりはない」


「せっかくの婚約用肖像ですよ」


「婚約より先に肖像が完成するほうがおかしい」


 それは姉に言ってほしい。


 けれど姉は、床の切れ端を拾おうとも、私へ謝ろうともしなかった。ただ依頼票を胸に抱え、口を閉じている。


 辺境伯様は割れた床の手前で膝をつき、外れた画布の端を持ち上げた。


「どこまで残したい?」


 私が決めるまで待っていたのだ。


 彼が持ち上げたのは、切れた画布の端だけだった。直すものも、残すものも、私の代わりに決めない。


「匿名なのは、謙遜ではなかったのだな」


 辺境伯様の声が低くなった。


「名を出したくないのだと思っていた。違った。出したあと、顔まで値踏みされるのが嫌だったのか」


「技術を褒める方は多いです。そのあとで、名前か報酬か時間を持っていきます」


「私は?」


「鼻の修正料を増やそうとしました」


「不足だと思った」


「知っています」


 そこが困る。


 欲しいものを取り上げる者には、断ればいい。返し続ける者には、隠れている理由が少しずつ足りなくなる。


「辺境伯様」


「何だ」


「残った画布へ、私を描き直しても構いませんか」


「君の肖像だ。私に許可を求める必要はない」


「いいえ」


 私は彼の肖像の隣を指した。


「そこへ、私が立っても?」


 辺境伯様は返事をしなかった。


 曲がった鼻の下で、唇が一度閉じた。喉が動く。彼の手が画布を持ったまま、ほんの少し強くなる。


「私の隣に?」


「肖像の中では、です」


「中だけ?」


 冗談を額面どおり受け取る男が、初めて余分な一語を拾った。


 私は切り落とした宝石を足先で脇へ寄せた。


「展示日までに考えます」


「公開は取りやめると言った」


「私が公開します」


「したいのか」


「はい」


「見合い肖像として?」


「いいえ。修復師クロエの作品として」


 私は息を吸った。


「それから、エヴラール様」


 呼び名を変えると、彼の眉が上がった。


「肖像の外でも、隣を空けておいてください」


 金の額は床を割った。残ったのは、塗り足されていない二人の顔だった。


 承諾の言葉は、彼の口からすぐには出なかった。


 代わりにエヴラール様は、私の切った画布を両手で持ち直した。傷口へ触れないよう、端だけを選んで。


「どのくらい空ければいい?」


「近すぎると描きにくいです」


「では、君が決めてくれ」


 私は新しい木枠を持ってこさせた。


 金箔は使わない。切断跡を隠さず、二枚だった画布を一枚の簡素な縁取りへ張り直す。


 エヴラール様の曲がった鼻を残した。


 私の頬を勝手に赤くしなかった。


 宝石の代わりに仕事着の袖を描き、刃を持つ指へ絵具の染みを置いた。彼の隣には、彼より少し狭く、けれど誰にも削られていない私の場所を作った。


 最後に署名欄を二つ描いた。


 一つには、修復師クロエ。


 もう一つには、肖像の二人が選んだ名前を。


    *    *    *


 公開の日、姉は展示札を白紙のまま差し出した。


 言い訳も、美辞麗句も、勝手な工房名も書かれていない。


「ここ、お願い」


 それだけだった。


 私は展示札へ自分で記した。


 作者、クロエ。


 修復、クロエ。


 依頼人、エヴラール。


 姉は札を奪わず、金槌と釘を私へ渡した。私が位置を決めるまで、壁の前で待っていた。


 白い壁には、簡素な木枠の肖像が掛かった。


 曲がった鼻の男。


 宝石のない女。


 縁には切断跡が残り、近づけば一度壊したことがわかる。それでも二人の顔は隠れていない。


 前の求婚者たちが噂を聞いたとは、姉から聞いた。


 それだけだ。


 指輪を誰の名で飾るかも、他人の収入をどの帳面へ入れるかも、もう私の仕事ではない。剥がした上塗りを、わざわざ拾い直す職人はいない。


 エヴラール様は肖像の隣ではなく、私の隣に立った。


「次はどこを修正する?」


「ありません」


「鼻の角度は?」


「追加料金です」


「払おう」


「そうではなく、毎週通う口実を修正してください」


「では、何と書けばいい?」


「自分でお考えください」


 彼は依頼票を取り出した。


 本当に書こうとしている。私はその紙を取り上げた。


「今日は依頼人ではないでしょう」


「何だろう」


「そこも私に修正させる気ですか」


「許可が出るなら」


 署名欄は一つで足りるはずだった。隣から覗き込む鼻が、少々邪魔である。


 私はその鼻を手のひらで押し戻した。


「近すぎます、エヴラール様」


「離れたほうがいいか?」


「そのままで結構です」

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