乙女ゲームの継母に転生しました。嫌われ役のはずが娘が可愛いので舞台を壊します
乙女ゲームに転生したと思ったら、悪役令嬢本人ではなく、その子を“悪役に育てる継母”でした。
しかも、まだ小さな娘がびっくりするほど健気で可愛いです。
これはもう、断罪を待つどころではありません。
悪役を用意しないと回らない舞台なら、開演前に壊してしまえばいい。
そんな継母のお話です。
少しでも楽しんでいただけましたら嬉しいです。
花の香りがした。
磨き上げられた銀器が光り、廊下を行き交う使用人たちの靴音が小気味よく響く。
「その花は東の応接間へ。リディア様のお席からよく見えるように」
「フェルノア伯爵家のお嬢様は予定通り十一時に到着なさいます」
「リディア様にも、主役を立てる振る舞いを今一度お教えしておきませんと」
その言葉を聞いた瞬間、私は階段の踊り場で足を止めた。
主役を立てる。
視線が集まる席。
花の位置、立つ順番、歩く導線。
それは貴族の茶会の準備であると同時に、前世で嫌というほど見てきた舞台の仕込みそのものだった。
誰がどこに立てば美しく見えるか。
誰がどの角度で誰を見ると、観客はそこに感情を乗せるのか。
物語が自然に見えるように、裏方が全部整えてしまう技術。
胸の奥が、ひやりと冷えた。
思い出したのだ。
ここは乙女ゲーム『セレスティアの花冠』の世界。
王立学園を舞台に、平民出身の少女が恋と奇跡をつかむ物語。
そして私は、その主人公でも悪役令嬢でもない。
ローゼリア・アルヴェイン。侯爵家の後妻。
悪役令嬢リディア・アルヴェインを作り上げる、冷酷な継母だ。
今日、東の応接間で開かれる小さな茶会は、ゲーム序盤の重要イベントだった。
幼いリディアが、のちに主人公となる少女へ最初の棘を向ける。
その場にいた大人たちは「あらあら、侯爵令嬢らしいこと」と目を細め、可憐な主人公をいっそう引き立てる。
そうして少しずつ、まだ柔らかい子どもの輪郭に、
**“高慢な悪役令嬢”**という役が縫い付けられていく。
最初の一針だ。
ぞっとした。
「……リディアは、どこにいるの」
「お部屋でお支度中です。コルネリアがついております」
私は返事もそこそこに、娘の部屋へ向かった。
娘。
その言葉はまだ少しだけ手になじまない。
私はこの屋敷に嫁いで、まだ一年も経っていない。
侯爵ルシアンの後妻となり、前妻の忘れ形見であるリディアの継母になった。
ゲームの中の私は、この子を厳しくしつけ、歪んだ優越感を覚えさせ、主人公に噛みつく悪役へ育てる役目を担っていた。
でも、今の私の胸にあるのは、そんな感情ではない。
あるのは、たったひとつ。
七歳の子どもに、何を背負わせるつもりなの。
ノックもそこそこに扉を開けた私は、その場で息を呑んだ。
大きな鏡の前に、小さな背中が立っていた。
淡い金髪を結い上げられた少女が、白い指先でドレスの裾をぎゅっとつまみ、鏡に向かって懸命に言葉を繰り返している。
「あなたのような方とは、釣り合いませんわ」
たどたどしい。けれど一生懸命だ。
「身の程を、お知りなさい」
声は少し震えている。
「そのような品のない振る舞い、見ていられませんわ……」
最後はかすれて、少女は自分の言葉に傷ついたみたいに目を伏せた。
胸が、きゅっと痛んだ。
「リディア」
私が名を呼ぶと、彼女の肩がびくりと跳ねる。
振り向いた顔には、叱られる前の子どもの緊張があった。
「お、お義母様……」
「それは、誰に教わったの?」
責めるつもりはなかった。
でも、声は少し低くなってしまったらしい。
リディアはおろおろと視線をさまよわせ、それでも小さく答えた。
「コルネリア先生が……立派な令嬢は、こうお話しすると」
「立派な令嬢は、人を見下すの?」
「そ、その……ご自分より下の方には、きちんと線を引いて……負けないようにと……」
小さな喉がこくりと鳴る。
「お義母様に嫌われないように、ちゃんと覚えなくてはと思って……」
その一言で、私は全部わかってしまった。
この子は性格が悪いわけじゃない。
愛されたくて、褒められたくて、必死に“正解”を覚えようとしているだけだ。
しかもその正解が、誰かを傷つける言葉ばかり。
私はゆっくりと彼女の前にしゃがみ込んだ。
「違うわ」
「……え?」
「立派な令嬢は、誰かを傷つける練習なんてしないの」
青灰色の瞳が大きく見開かれる。
「でも、先生は……」
「先生が何と言っても、私が今そう言ったの。覚えるなら、こっちを覚えなさい」
そう言って、乱れていた髪飾りをそっと直す。
その程度のことで、リディアは息を止めたみたいに固まった。
「よく頑張ったわね」
今度は、本当に時間が止まったようだった。
褒められると思っていなかったのだ。
その顔を見た瞬間、胸の奥が熱くなった。
「……ほんとうに?」
「ええ。本当に」
かすれた声でそう返すと、彼女の睫毛がふるりと震えた。
そのとき、部屋の奥から冷ややかな声がした。
「奥様。それは少々、感傷的すぎるかと」
振り向くと、教育係のコルネリアが立っていた。
きっちりと結い上げた髪、乱れのない服装、正しさを固めて人の形にしたような女だ。
「リディア様は侯爵令嬢です。いずれ多くの者の上に立つお方。情けと格の使い分けを、幼いうちから身につけていただかねば」
「格を示すために、七歳の子どもへこんな言葉を教えるの?」
「上に立つ者は、ときに嫌われる冷たさも必要です」
「それは強さではなく、ただの型でしょう」
「型は大切ですわ。型があるからこそ、令嬢は令嬢として完成するのです」
その物言いに、背筋が冷えた。
完成。
完成って何。
誰かに嫌われるための令嬢が、完成品だとでも言うの。
「……少し下がっていて」
「ですが」
「下がって」
ひときわ低い声で告げると、コルネリアは唇を引き結んだ。
不満はあっても、今ここで逆らうつもりはないらしい。礼だけして一歩引く。
扉が閉まったあと、私は少しだけ目を閉じた。
前世の私は、舞台の裏方だった。
人の立ち位置を整え、光を当て、空気を作り、観客が感情を乗せる瞬間を設計する側だった。
でも、それは本人が望んで舞台に立つから成立する。
これは違う。
子どもに役を押しつけて、大人がそれを見て満足するだけの茶番だ。
私はリディアへ手を伸ばした。
「今日の茶会、怖い?」
「……少し」
「行きたくない?」
「行きたくない、わけでは……ありません。ちゃんとできれば、皆さまに褒めていただけるかもしれないので」
「ちゃんとって、何をすること?」
「お義母様や先生に、恥をかかせないことです」
なんて健気なんだろう。
その瞬間、はっきり決まった。
私はこの子の継母で終わるつもりはない。
「リディア」
「はい」
「今日は誰かを負かす日ではないわ」
「……え?」
「あなたは、そのままでいいの。もし誰かがあなたを無理に嫌な役へ立たせようとするなら、私が止める」
「ほんとうに……?」
「本当に」
「上手にできなくても?」
「上手に嫌な子になる必要なんてないわ」
彼女の目がじわりと潤んだ。
泣くのをこらえるように、きゅっと口を結ぶ。
偉い。
でも、こんなに偉くなくていいのに。
「行きましょう」
私が手を差し出すと、彼女はためらいがちにその指先へ触れた。
壊れものに触るみたいに、そっと。
その軽さに、胸の奥で決意が鋭く固まる。
この子を悪役にはしない。
◇
東の応接間は、まるで小さな劇場だった。
光の入り方。
花の配置。
子どもたちの席の距離。
会話が“大人たちの耳にほどよく届く”ように整えられた椅子の角度。
私は一歩踏み入れた瞬間に悟った。
これは茶会じゃない。
配役確認の場だ。
「まあ、アルヴェイン侯爵夫人。ようこそお越しくださいました」
主催の伯爵夫人が笑う。
その顔に張りついた期待を、私は見逃さない。
「本日はリディア様とアイリスで、きっと素敵なお話が弾みますわ」
「ええ、そうなるとよろしいですわね」
微笑み返しながら、私は娘の手をそっと握る。
リディアの指先は、少し汗ばんでいた。
会は穏やかに進んだ。
花の名前。最近読んだ絵本。好きなお菓子の話。
フェルノア伯爵家の娘、アイリスは可憐な子だった。
栗色の髪に柔らかな笑み。誰かを押しのけるようなところはひとつもない。むしろ、周囲が彼女を“主役”として持ち上げているだけだとわかる。
「リディア様、この薔薇のお菓子、とても綺麗ですね。どれがいちばんお好きですか?」
アイリスが無邪気に問いかけた、その瞬間。
空気が変わった。
ここだ。
ゲームの記憶が鮮明によみがえる。
リディアはここで、平民育ちのアイリスを見下すような言葉を口にする。
それをきっかけに、周囲の大人たちの中へ「この子は感じが悪い」という印象が刻み込まれる。
少し離れた位置で、コルネリアが視線を送った。
言いなさい。
覚えた台詞を。
そう命じる、冷たい合図。
リディアの喉がこくりと鳴る。
膝の上で小さな拳を握りしめ、震える声で口を開いた。
「あなたのような……」
そこで私は、カップを静かにソーサーへ置いた。
澄んだ音が、部屋の空気をきっぱりと割る。
「その続きを、言わなくてよろしいわ。リディア」
一瞬で、応接間が凍りついた。
貴婦人たちの視線が、いっせいにこちらへ向く。
伯爵夫人の笑みが引きつる。
コルネリアの顔色が変わる。
私は娘の隣に立ち、よく通る声で言った。
「まだ七歳の子どもに、誰かを見下す練習をさせる必要はありません」
「侯爵夫人……?」
「本日の茶会が、子どもたちの交流の場であるなら結構です。ですが、もし配役の確認であるなら、我が家は降板いたします」
ざわり、と場が波立った。
「は、配役などと……何をおっしゃって」
伯爵夫人が取り繕おうと笑う。
でも私は笑わない。
「侯爵家の娘に高慢な台詞を言わせ、フェルノア嬢の可憐さを引き立てる。見事な席次でしたもの。舞台の準備としては、たいへんお上手ですわ」
「誤解ですわ、そんなつもりでは」
「誤解なら安心しました。では今後は、子どもの会話を見世物にするような場の作り方はお控えになるとよろしいでしょうね」
伯爵夫人の頬がぴくりと引きつる。
そこへコルネリアが一歩前へ出た。
「ローゼリア様、それではリディア様のためになりません。上に立つ方には、毅然とした物言いが」
「毅然とした物言いと、幼い子どもへ人を刺す言葉を覚えさせることは別よ」
「しかし」
「黙りなさい」
自分でも驚くほど、声は冷たかった。
「子どもに傷つけ方ばかり教える教師は不要です。コルネリア、あなたを本日限りでリディア付き教育係の任から解きます」
場が、息を呑んだ。
「な……っ」
「正式な書面は後ほど送ります。下がりなさい」
コルネリアの顔が赤く染まる。
けれどここで取り乱せば、自分が何をしてきたかを自白するようなものだとわかっているのだろう。彼女は唇を噛み、黙って一歩下がった。
私はゆっくりと周囲を見渡した。
「念のため申し上げます。リディアは悪役ではありません」
誰も何も言わない。
だから私は、もう一歩だけ前へ出た。
「誰かの都合でこの子に嫌われ役を押しつけるなら、私はその舞台ごと壊します」
静まり返った部屋に、言葉が澄んで落ちた。
隣で、リディアの小さな手が私の手をぎゅっと握る。
見下ろせば、怯えながらも必死に私を見上げていた。
その向こうで、アイリス・フェルノアがほんの小さく頭を下げた。
礼にも、安堵にも見える仕草だった。
私は一礼した。
「失礼いたしますわ」
そうして娘を伴い、会場を後にした。
背中にいくつもの視線が刺さる。
ざわめきが広がる。
でも、もうどうでもよかった。
娘の手は震えていた。
それでも、離れなかった。
◇
屋敷へ戻るころには、噂はすでに風より早く駆けていた。
侯爵夫人が茶会を壊した。
教育係をその場で解任した。
伯爵家に恥をかかせた。
娘の躾に失敗した腹いせではないか。
勝手に言えばいい。
私はその全部を、玄関で脱ぎ捨てる泥のように感じていた。
けれど家の中には、別の重たい空気が待っていた。
書斎で向き合ったルシアンは、いつもの静かな顔に困惑を浮かべていた。
「ローゼリア。今日の件だが」
「ええ」
「事情は聞いた。だが、あの場であそこまで騒ぎにする必要があったのか?」
予想通りの言葉だった。
彼は悪人ではない。
ただ、家庭の中で静かに積もる痛みに気づくのが遅い。
「では、いつ止めるおつもりでしたの」
「……何?」
「娘が本当に誰かを傷つける子になってから? 皆が“ああ、あの令嬢は性格が悪い”と納得してから?」
「私はそんな意味で言ったのではない」
「でも結果としては、そういうことですわ」
ルシアンが言葉に詰まる。
私は怒鳴らなかった。
もう曖昧にしたくなかっただけだ。
「あなたが忙しかったことは理解しています。侯爵としての仕事がある。前妻を亡くした痛みもある。それを軽く見るつもりはありません」
「……」
「ですが、そのあいだにリディアは、“立派な令嬢”になるために、人を刺す言葉ばかり覚えさせられていました」
彼の瞳が、はっきりと揺れた。
「彼女はそうすれば褒められると思っていたのです。嫌われないために」
そのとき、扉の向こうに小さな気配がした。
振り向くと、半開きの扉の影からリディアがこちらを見ていた。
途中から聞いていたのだろう。顔色が悪く、今にも引き返しそうだ。
「リディア、おいで」
私が呼ぶと、彼女はおそるおそる入ってきた。
ルシアンも娘に気づき、表情を強張らせる。
「お父様……」
その細い声に、彼の喉仏が上下した。
「今日のこと、怖かった?」
私がそう尋ねると、リディアは小さく頷いた。
それから勇気を振り絞るように、父を見上げた。
「わたくし……悪い子になりたかったわけでは、ありません……」
ルシアンの顔が変わる。
「でも、そうしたほうが立派だと……皆さまに恥をかかせないと……思って……」
最後の言葉は、涙で少し滲んでいた。
ルシアンはゆっくり膝をつき、娘と目の高さを合わせた。
大きな手が宙で迷う。抱きしめたいのに、許されるかわからない父親の手だった。
「リディア」
「……はい」
「すまなかった」
短い。
けれど、今の彼に言える精一杯の本音だった。
「おまえがそんなふうに思っていたことに、私は気づかなかった」
「お父様……」
「立派であることより先に、おまえには幸せでいてほしかった。本当は、そう思っていたのに」
リディアは目を丸くした。
それから、ためらいながら一歩近づく。
ルシアンはその小さな動きに救われたように、そっと娘を抱き寄せた。
ぎこちない。けれど、たしかに父親の抱擁だった。
リディアも少し迷ってから、父の服をきゅっとつかむ。
その光景を見た瞬間、ようやく胸の奥の力が少し抜けた。
家族が、やっと始まる。
しばらくして、ルシアンが私を見上げた。
「ありがとう、ローゼリア」
「礼を言われることではありませんわ」
「それでもだ。私が遅かった」
「ええ。とても遅かったです」
「……手厳しいな」
「今さら甘くしても仕方がありませんもの」
そう返すと、ルシアンは小さく苦笑した。
それだけで、書斎の空気が少しだけ柔らかくなる。
だが、問題はまだ終わっていない。
「しばらくリディアを領地へ移したいと思います」
「領地へ?」
「ええ。王都の空気から離すべきです」
ルシアンはすぐには答えなかった。
侯爵としての計算と、父としての感情を秤にかけている顔だった。
「……たしかに、今の王都は彼女に優しくないな」
「優しくないどころではありませんわ。次の茶会、次の夜会、次の招待。皆、今日の続きを欲しがるでしょう」
「続きを?」
「高慢な侯爵令嬢と可憐な少女の対立です。壊れたのなら、きっとまた舞台を組み直そうとします」
ルシアンは眉間を押さえ、それから頷いた。
「領地で休ませよう。学園の準備についても見直す」
「ありがとうございます」
そのとき、ルシアンの腕の中からリディアが顔を上げた。
「……わたくし、逃げるのですか?」
その問いに、私は首を振る。
「逃げるのではないわ」
「では、何ですの?」
「あなたの人生を、あなたに返しに行くの」
「わたくしの……人生」
「ええ。それに少しだけ、遠足よ」
リディアはきょとんとした。
その顔が、今度は年相応で可愛い。
「遠足、ですか」
「そう。好きなお菓子を持って、本を持って、きれいな景色を見に行くの」
「ジャムクッキーも?」
「もちろん」
「ミルクの飴も?」
「もちろん」
「……たくさん?」
「たくさん」
そこでようやく、彼女は初めて子どもらしくふわっと笑った。
その笑顔に、ルシアンまで目を細める。
その顔、もっと早く見せてほしかったわね。
◇
出発の朝、空はよく晴れていた。
王都の屋敷の前には馬車が用意され、荷物は最小限にまとめられている。
リディアは小さな鞄を抱え、絵本とお菓子箱がちゃんと入っているか何度も確認していた。
その様子を見ていると、侍女頭のベルタがそっと近づいてくる。
「奥様」
「何かしら」
「学園側と、王家筋の方々が今回の件をかなり気にしておられるようです」
「ずいぶん早いわね」
「リディア様のお立場が……予定と違ってしまったのでしょう」
私はその言い回しに、笑いそうになった。
予定と違ってしまった。
なんて正直なのかしら。
つまり最初から、あの子には役目があったのだ。
高慢な侯爵令嬢。
可憐な主役を引き立てる嫌われ役。
誰かの恋や栄光や成長のために、冷たい台詞を吐き、最後には石を投げられる側。
冗談じゃない。
「結構よ」
「奥様?」
「予定通りに進めたいのなら、最初から子どもを筋書きに入れなければよかったの」
ベルタの口元がわずかにゆるむ。
「王都のことはお任せください」
「頼りにしているわ」
私はそう返し、馬車へ向かった。
リディアは一人で乗るのが少し不安らしく、扉の前でもじもじしている。
私は先に乗り込み、手を差し出した。
「おいで」
「……はい」
小さな手が、今度は昨日より少しだけためらいなく私の手を取る。
馬車が動き出した。
窓の外で、王都の石畳がゆっくりと後ろへ流れていく。
リディアはしばらく外を見ていたが、やがてほっとしたように私の隣へ寄ってきた。眠いのか、まぶたがとろんとしている。
「少し寝てもいいわよ」
「でも……」
「遠足の最初は、体力温存が大事です」
「そういうものですか?」
「そういうものよ」
納得したらしい。
彼女はこくりと頷き、そっと私の袖をつまんだまま目を閉じた。
可愛い。
呆れるほど、可愛い。
私は窓の外へ視線を向けた。
王都の尖塔が少しずつ遠ざかっていく。
あの街には華やかさがある。
磨かれた言葉も、整えられた笑顔も、美しい舞台も。
でも、その美しさのために子どもが泣くなら、そんなものは壊れてしまえばいい。
リディアの頭が、こつんと私の肩に当たる。
軽くて、あたたかくて、守るべきものの重さがする。
私はその小さな頭を支えながら、心の中で静かに誓った。
この子を悪役にはしない。
誰かの都合で嫌われる役を押しつけられるくらいなら、私は何度でも舞台を壊す。
相手が社交界でも。
学園でも。
王家でも。
物語は筋書き通りに進めば、美しいのかもしれない。
けれど私は知っている。
本当に心を動かす舞台は、
そこに立つ人が、自分の足で立っている舞台だけだ。
だから私は、この子の人生を取り戻す。
この子が泣くための物語ではなく、笑うための物語へ書き換える。
馬車は王都を離れ、やがて緑の匂いを含んだ風が窓の隙間から吹き込んできた。
その風は、少しだけ自由の匂いがした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
継母という立場は、どうしても最初に疑われやすく、冷たく見られやすい役どころだと思います。
だからこそ今回は、そんな立場の女性が「嫌われ役でもいいから、この子だけは守る」と腹をくくる話を書いてみました。
リディアのように、褒められたくて、愛されたくて、一生懸命“正解”を覚えようとしてしまう子は、たぶん物語の中だけではなく、いろいろな場所にいるのだと思います。
その子に向かって「それはあなたの役じゃない」と言ってくれる大人を書きたかった、という気持ちもあります。
ありがとうございました。




