45.あの日への道
部隊員が長城へ来てから、一ヶ月。
厳しい訓練を終えた兵士達は、荒野の先を見据えて長城の歩廊の上に並び立つ。
東部方面第二偵察部隊、初の荒野偵察任務が今まさに始まろうとしていた。
長城には門が存在しない。
そのため歩廊からロープを垂らし、それで荒野へ降りるしか方法はない。
装備とロープの準備を進める長城の兵士たちの横で、孫華は整列する仲間たちを見渡し、静かに口を開いた。
「皆んな....いよいよ今日、荒野に入ります。知っての通り、荒野は危険な亜人の住処。私たちの任務はあくまで偵察だから、基本的に戦闘は避けて進む」
一人一人の顔を確かめるように視線を向ける。
「けど、避けては通れない戦いは必ずおきるもの、心して行こう!大丈夫!この1ヶ月の訓練で貴方達は成長した!亜人が相手だろうと絶対勝てる!!」
孫華は微笑み、仲間達を鼓舞した。
力強く、そして自分の勇気を分け与えるように。
「「「はっ!!」」」
それに対して、隊員達は強く応えた。
一切の恐怖を感じさせない、勇敢な声で。
ただ1人を除いて。
「紅蓮!元気ないわよ!ほら笑顔笑顔!」
「.....ふん」
紅蓮は無愛想な表情でそっぽを向く。
「おい!無視すんなよ!」
その態度に腹を立てたか、孫覇が声を荒げた。
「いいのよ孫覇!きっといつか心を開いてくれるから!」
「でも.....」
「そうだ、シスコン野郎が私に話しかけるな」
「あぁ!?」
一触即発の空気。
孫華は出発前だというのに疲れた表情でこめかみを押さえ、深いため息を吐いた。
「もう....仲良く行きたいのにな」
幸先の悪さを引きずる中、部隊は龍鱗の長城を降り、第一回偵察任務を開始した。
今回、総司令部より与えられた任務は、ここ最近目撃数が急増している亜人、毒蠍人の調査だ。
数が増えたのか。
それとも何らかの目的を持って派手に動き回っているのか。
長城を攻めるための前準備をしている可能性も否定できない。
そのため部隊は、毒蠍人の巣が存在するとされる地点を目指す。
移動手段は徒歩だ。
今回のように、目標地点が2日以内に到達できる距離の場合は基本的に徒歩での移動と決められているが、偵察任務によっては距離がそれ以上となる場合もある。
その場合は馬での移動となる。
長城から離れ、岩山に囲まれた見晴らしの悪い肌色の大地を歩く第二偵察部隊。
先頭を歩くのは部隊長の孫華。
その後ろに続く全10名の部隊員達は三列に隊形を組み、周囲を警戒しながら歩を進めていた。
岩山以外に見えるものは何もない。
そもそも荒野にあるのは小さな森や湖と川、あとは遥か昔に魔王軍の幹部が建てたとされる廃城...『冥界城、魔道機人が作られているとされる工場が存在するくらいで、人が住み着いた歴史がないため人工物がない殺風景な世界だ。
歩いているとたまに、魔道機人の体の一部と思われる鉄の破片が転がっていたりするくらいで目新しさは皆無。
ただ、何もないのは運が良い事だ。
何かがある、いるとすれば荒野では亜人の可能性が最も高い。
偵察任務において何よりも優先すべき事は敵と出会さない事であり、戦闘は極力避けなければならない。
亜人の基礎戦闘力は人間を上回る。
もし戦闘になれば無傷では済まない。
それもここは荒野の中、長城と違い人の世界から遠く離れた場所で助けもない。
怪我人が出れば撤退は困難になり、それ自体が命取りとなる。
だからこそ、亜人を見つけても音一つ立てずにやり過ごす。
それが偵察部隊の鉄則だ。
その後、結局部隊は1日中歩き続けたが亜人と会敵する事も視認する事もなく、川の近くで一夜を過ごした。
これは極めて珍しい事だ。
通常であれば1時間も行動すれば亜人と遭遇する確率は、ほぼ確実と言っていいほど高い。
孫華はこれを「神様が皆んなを愛してる結果だよぉ〜!」と言って笑い、部下たちの緊張を和らげた。
初めて荒野に足を踏み入れた兵士たちは、その言葉に笑顔を返し、敵と出会わなかった幸運を素直に喜んだ。
ただ1人、紅蓮を除いて。
◆
「着いた.....」
翌朝、部隊は特徴的な形をした岩山の前へと辿り着いていた。
まるで『近づくな危険』と知らせるような、棘のような岩が幾つもできている。
自然にできたものなのか、あるいは誰かが削って作ったのかはわからないが、良い目印になる。
そしてその岩山の影。
地面が抉られるように、大きな穴が空いている。
穴の奥から、何体もの蠍のような影が這い出てきては荒野へと散っていくのが見えた。
あれは毒蠍人。
2本の太い脚。
腰より生える背を支える4本の虫の脚。
先端に針を生やす尾。
そして、右腕が鋏でできているのが特徴の、茶褐色の外骨格に覆われた虫の亜人だ。
ここは龍華帝国が把握している毒蠍人の巣、三カ所の内の一つである。
長城から最も近く、今回の偵察任務の目的地に指定された場所だ。
「いい皆んな?あの中にも恐らくかなりの数の毒蠍人がいる。私たちは今からあの巣の中に入って、最近動きが活発になっている原因を調べに行かないといけない」
その言葉に兵士達は固唾を飲んだ。
それはつまり、大量の亜人が待ち受ける敵の巣に足を踏み入れるという事であり、必然的に命の危険は荒野を歩くよりも遥かに高い。
そんな馬鹿な行動をいざするとなると、いくら覚悟を決めていようと手は震えてくる。
「ただこの人数で入ったら絶対見つかっちゃうので班を二つに分けます」
「分ける?」
「うん、巣へ潜入する班とここで待機する班。潜入班は私を入れてあと....そうだなぁ.....2人で行きます。......一応聞きたいんだけど行きたい人いたりする?」
孫華は部隊に尋ねると、2本の手がほぼ同時に挙がった。
紅蓮と孫覇だ。
「私が行きます」
「俺も行く.....!」
紅蓮は緊張した様子が一切なく答えるのに対し、孫覇は体が僅かに震えており、隠しきれない恐怖の色が映っている。
「孫覇.....貴方はできれば残ってて欲しいんだけど......」
「俺だって1人の兵士だ.....特別扱いは辞めて姉さん.....!姉さんが行くなら俺も行く!」
体は正直だが、その瞳は心の覚悟を映していた。
孫華はしばらく黙り込み、そして孫覇の肩に両手を置いた。
その目を真っ直ぐに見つめて。
「.....そうね、でも一つだけ約束して」
声は部隊長ではなく姉になっていた。
「もし危なくなったら私を助けようとは思わず絶対逃げてね。自分が助かる事だけを考えて。約束できる?」
短い沈黙の後、孫覇はゆっくり頷いた。
「わかった。だから.....そんな状況にならないよう俺がしっかり支える....!」
その言葉に、孫華はふっと笑った。
「うん!良し!じゃあ私と孫覇、そして紅蓮の3人で巣の中に入るわ!」
孫華は弟から部隊員たちへ、そして1人の兵士へ視線を移し指示を告げる。
「う〜ん....倫秀、あなたにこの班の指揮を任せるわね」
「はっ!」
「じゃあ...........はいこれ!」
そう言うと孫華は部隊の荷物袋から二つの道具を取り出し、倫秀へと手渡した。
導火線の付いた灰色の球体と、ダイヤルが付いた1箇所だけ穴の空いた小さな箱だ。
「隊長....これは?」
「音響爆薬っていう火薬兵器の一つ。爆発するとものすごく大きな音が出るから気をつけてね。もう一つ渡した箱には火石が入ってて、ダイヤルを回すと中の火石が空気に触れて、導火線に火を点けられる仕組み。あ、絶対空に投げて使ってね!」
火石とは空気に触れると凄まじい熱を発生させる鉱石であり、この箱にはそれが納められている。
火の確保が困難な状況でも火薬兵器を扱えるよう、国が作った専用器具である。
「もしも私たちが巣に入っている間に外で何か問題が起きたら、それを使って私たちに知らせて。すぐに戻るから」
「はっ!了解です!」
「逆に潜入してる私たちもそれを使う場合があるから、その時は私たちを置いて長城へ真っ直ぐ帰還してね」
その言葉に、兵士たちの血の気が引いた。
仲間を置いて撤退する、それは兵士として理解していても口にするのを躊躇う選択だ。
だが孫華は迷いも感情も挟まず平然と、それを任務の一部として告げてきた。
この人は見ている場所が違う、そう兵士たちは痛感させられる。
「は....はっ....!」
声を振り絞るように返事をし、倫秀は深く敬礼をした。
孫華はそれを見ると、巣の方へと体を向ける。
「それじゃあ行くよ孫覇!紅蓮!」
「おお!」
「.......」
孫華と共に2人は歩き出す。
岩山の影に口を開ける毒蠍人の巣。
闇の奥から微かに亜人の気配が伝わってくる。
三人は一度も振り返らず、その中へと足を踏み入れていった。




