40.対立
張按の地下下水道。
幾百年もの昔に築かれたと伝わっており、石を積み上げて造られたその通路は、まるで迷宮のように街を巡り、濁った水が流れている。
空気は重く、生温い。
鼻をつく臭気はあるものの、そこまで気にならないほどではある。
「うぅ.....隠れるためとはいえ、下水道に入る事になるとは........ 焰秋隊長が語ってた冒険者時代の話を思い出します.....」
「確か虫型モンスターや巨大鼠の話だったか。蔓絡人から隠れるために入ったが、ここにもそんなモンスターがいるかもしれない。一応、周囲には気を配れ」
そんな下水道の中、比較的広くなっている場所に翠鳳と孫覇、そして祐基の姿があった。
三人はフォルネストの追撃を避けるため、やむを得ずこの地下へと逃げ込んでいた。
「そんな事より紅蓮隊長が食われたんですよっ!?なんですぐに助けようとしなかったんですか!!」
祐基の怒号が下水道に反響する。
拳を強く握りしめ、孫覇を睨みつけていた。
「あの状況で助ける?無理に決まってるだろ。そもそもあいつは勝手に死にに行っただけだ、お前に落ち度はない」
対して、淡々と突き放すように孫覇は言った。
「俺は責任を感じて言ってるんじゃない!!なんで見捨てたのかって聞いてるんです!!」
「言っただろ、俺にとってあいつは殺したい存在だって。命を賭けてまで助ける義理はない」
「え!そうだったんですか!?」
「だからってッ....!!」
祐基は言葉を続けようとしたが、詰まった。
なぜなら、実際孫覇の行動が正しい事を祐基自身、理解できてしまっていたからだ。
あの状況なら逃げるのが正しく、紅蓮の行動は完全に自業自得である。
もしあのまま戦い続けていれば、フォルネストに有効な攻撃手段がなく、何もできぬまま皆殺しにされていたはずだ。
反論したいができない。
そして何より、フォルネストに対し何もできなかった自身の弱さに怒りが込み上げる。
祐基は拳を強く握りしめ、その震えを必死に抑えた。
「それに.....あいつはまだ死んでいない」
だが、ぽつりと落とされた孫覇の言葉に、祐基の拳から力が抜けた。
「.....え?」
「そうなんですか?」
「あぁ....古い文献だが、フォルネストの体内に飲み込まれたが何とか生還した兵士の記録がある。記録によると、奴の体内には空洞が広がってる」
「空洞......?」
孫覇は小さく頷く。
「奴は飲み込んだ人間をその空洞内で拘束し、徐々に栄養を吸い取り苦しませて殺す。人間を憎む性格が反映してるような捕食の仕方だ」
「それじゃあ紅蓮隊長は!?」
「その文献が本当なら、その空洞に囚われてるんだろう。だからまだ生きてるはずだ」
その言葉を聞いた瞬間、祐基は張り詰めていた息をゆっくりと吐き出した。
まだ間に合う。
まだ助けられる。
胸の奥にか細いが確かな希望の火が灯った。
「それじゃあ今すぐ助けに行きましょう!」
「ですね!紅蓮さんが干からびる前に何とか救出して.....「ダメだ」
祐基と翠鳳は動きかけた体を止め、同時に振り返る。
「え?孫覇さん?」
「冷静になれ」
孫覇は二人を見据え、淡々と言葉を重ねた。
「あいつを助けるって事はフォルネストを倒すってことだ。今の俺達にフォルネストを倒せるか?無理だ、断言できる」
その言葉は冷静で、残酷なほど現実的だった。
そして祐基自身、内心で無意識に頷いてしまう。
もしフォルネストに致命傷を与えられる可能性があるとすれば、祐基の持つ雷衝動しかない。
だが、その雷衝動ですらあの蔓には傷一つ付けることはできなかった。
底知れない硬さ。
矢は弾かれ、雷も通じない。
さらに、蔓絡人の胸の中心に存在する核。
あれを破壊しない限り、蔓絡人は再生を続ける。
フォルネストにも同じものがあるとすれば、そこに届かない攻撃はどれだけ放っても意味がない。
「現状の手札は少ない。祐基の雷衝動が効かないなら無理だ」
孫覇の考えを否定したいが理屈がそれを許さない。
(それでも......何か手はないのか?)
祐基は必死に頭を回した。
だがどれだけ考えようと、思い浮かぶものは何一つなかった。
「でも紅蓮さんすごく強いんですよ。あの人がいないのは帝国軍としても痛いのでは?」
「それはわかってる。だがもし無謀な救出作戦をして紅蓮1人どころか、お前と祐基と....最悪、雷衝動まで失う方が痛手だ」
「う〜ん.....けど、どのみちフォルネストも倒さないといけない敵ですし......」
「今じゃ無くていい」
孫覇は即座に言い切った。
「『双刀』の2人が揃った戦力が完璧な時にフォルネストは殺すべきだ」
「でも倒せるって紅蓮さん言ってたじゃないですか。解放さえできればきっと今倒せますよ!」
「だから今無理にそんな事....「ちょっと待って!」
孫覇の言葉を遮り、祐基が割り込む。
「ん、なんだ祐基」
「翠鳳さん...今、紅蓮隊長が倒せるって言ってたって?」
「え?はい、言ってたじゃないですか」
翠鳳は首を傾げつつ答える。
「フォルネストの前で孫覇さんと言い争ってる時...『フォルネストの蔓を壊せる技を私は持ってる』って。あれ倒せるって意味ですよね?」
祐基はその時の記憶を探り出す。
はっきりと断言できるほどの記憶ではない、だが。
(....確かに、そんな事を言っていたような)
あの蔓を壊せる技。
フォルネストを倒せる手段。
もしそれが本当なら。
(紅蓮隊長を助け出すことさえできれば......!)
フォルネストを倒すための、決定的な一手を見つけた。
今まで見えなかった勝ち筋が、霧の向こうから輪郭を現した。
「あんなの咄嗟に吐いた嘘だろ。あいつの言葉なんて信用すんな」
「紅蓮隊長は嘘なんて吐く人じゃないです.....!!」
「いいや、あいつは平気で嘘を吐いて皆んなに迷惑をかける。そもそも紅蓮は腹の中だ。助けるにはフォルネストを倒さなきゃならないってさっき言ったろ」
「倒さなくても何とか口の中に侵入できれば....」
祐基のその言葉に、孫覇の眉がぴくりと動いた。
「アホな夢でも見てんのか?どうやってだ、あの巨体をよじ登って入るか?奴が寝てる間に入るか?それともお願いして入るのか?」
言葉を重ねるごとに、孫覇の声色は荒れ、怒りが露わになっていく。
「祐基くん小ちゃいですし案外行けるんじゃないですか?例えばフォルネストを転ばせて、驚いて口を開いた瞬間とか!」
「黙ってろ。とにかくダメだ、俺らはこのまま下水道を使って街を出る。そして都まで行くぞ」
それだけ告げると、孫覇は背を向け歩き出した。
だが、数歩も進まないうちにその足は止まる。
「....おい」
振り向くと、祐基も翠鳳もその場で立ち尽くしたまま孫覇を見ていた。
「嫌です、俺は紅蓮隊長を助けに行きます」
「私も....仲間を置いて行きたくないです」
迷いはなく、何を言われようと引かないと決めた者の目を2人は見せた。
「いい加減にしろ.....お前らの我儘に付き合ってられるほどこの国に余裕はないんだ!!都がすでに攻撃されてるかも知れないんだぞ!?何を優先するかくらい兵士ならわかるだろ!!」
孫覇は激昂した。
子供を叱りつけるような、だが本気の怒りを孕んだ声。
孫覇は祐基を睨みつける。
だが、祐基も一歩も引かなかった。
「わかりません!!まだ生きてる仲間を見捨てて俺は行けない!!」
「俺らが今、命賭けてまで救う価値があいつにはないんだよ!!」
「あの亜人王に勝つためにも紅蓮隊長の力は絶対に必要になります!!価値は十分にあります!!」
「確かにあいつは強い....だがあんな奴のために危険を冒す必要がないって言ってるんだ!!」
「それだいぶ私怨入ってますよ.....孫覇さんにとっては許し難い人でしょうが、俺にとっては命の恩人.....あなたの知る紅蓮はもういないんです!!」
その言葉に、孫覇の表情が歪んだ。
彼は一歩、また一歩と、床石を踏みしめながら祐基に近づく。
そして至近距離まで詰め寄り、祐基の胸ぐらを掴み上げた。
「あぁそうかじゃあ教えてやるよ!あいつが昔どれだけのクソ野郎だったか!!人の中身はそう簡単に変わらないッ!!」
「興味ない!!」
祐基は即座に叫び返した。
「俺が信頼し命を賭けたいのは...今、生きている紅蓮隊長だ!!過去に何があったか、過去どんな人だったかなんてどうでもいい!!いつまでも過去を見て、いつになったら今を見れるんだ!!」
祐基は力いっぱい、孫覇の腕を払いのける。
そして、背を向けて歩き出す。
「俺は紅蓮隊長を絶対に助ける.....!!どうしても言わなきゃいけない事も思い出した.....!!俺1人でもやり遂げて見せるッ!!」
そう言い残し、祐基は下水道の奥へと走り去っていった。
足音が遠ざかり、やがて下水道は元の静寂を取り戻す。
孫覇はその場に立ち尽くし、荒い呼吸を繰り返した。
乱暴に髪を掻き、歯を食いしばりながら、地面を睨みつける。
「孫覇さん.....」
翠鳳は崩れ落ちそうな孫覇の背に心配そうな眼差しを向け、そっとその肩に手を伸ばした。
「ふざけんな.....姉さんを殺した奴を......認めれるわけないだろ.......許せるわけないだろ.........」
葛藤のような苦しさを感じる声で孫覇は呟き、孫覇はゆっくりと踵を返す。
「孫覇さん?どこに行くんですか?」
「ついて来んな.....」
それだけ言い残し、孫覇は祐基とは反対の方向へと歩き出し、やがて下水道の闇にその背を溶かしていった。
残された翠鳳は、二人が消えたそれぞれの暗がりを見比べる。
しばらく迷った末、翠鳳は錫杖を垂直に立てた。
そっと手を離す。
錫杖は音を立てて倒れ、ある方向を指した。
どちらが祐基で、どちらが孫覇なのか、もはやそれは分からない。
だが翠鳳は深く考えず錫杖を拾い上げ、その倒れた先の下水道の奥へと歩き出す。
なるようになると楽観的に考え、彼女の足音もまた、静かに消えていった。




