37.張按
「妙だな....」
孫覇がぽつりと呟く。
「孫覇....?」
「門に見張りの1人もいない....」
孫覇の言葉に祐基は城門の周囲を見た。
確かに、門の前にも城壁の上にも、人影が見当たらない。
巨大な門は完全に開いたままで、これでは盗賊や獣でさえ、何の妨げもなく通れてしまう。
警備があまりにも杜撰すぎる。
そう感じ、祐基は内心で小さく息を吐いた。
「お昼寝中ですかね?」
「なわけあるか」
「ああ.....念のため警戒して行こう。....孫覇.....門の手前で....停めてくれ.....」
「.......あぁ」
小さく重い返事をした孫覇は、孫覇は手綱を引いた。
馬車は速度を落とし張按の入り口、巨大な城門の目前で静かに停止する。
馬車から降りた祐基は、耳を澄ませ不思議な感覚を味わった。
この門、城壁を超えた先には街が広がっているはずなのだが、何故か人の声一つ聞こえない。
いや、それどころか人の気配そのものを感じない。
まるでこの大都市から人という存在だけが丸ごと消え失せてしまったかのような、あり得ない想像が脳裏をよぎる。
(まさかな....)
祐基はその考えを振り払い、気に留めず皆が降りるのを待った。
紅蓮、翠鳳と続き、最後に孫覇が御者台から降りる。
孫覇は手早く馬を近くの木柵に寄せ、縄でしっかりと結び留めた。
「.....静かすぎないか?」
「やっぱり孫覇さんもそう思いますか.....」
「皆んなでお祈りでもしてるんですかね?」
「アホらしいが仮に住民全員が黙祷していたとしても、そもそも人の気配がなさすぎる」
「.....ひとまず街の中に入るぞ。帝国の戦況を把握しなければならない」
紅蓮はそう告げると先頭に立った。
その背を追い、祐基たちは城門をくぐり、張按へと足を踏み入れる。
静寂に包まれた、異様な街の中へ。
◆
張按。
都の西隣の都市であり、城壁に囲まれた龍華帝国で最も商業が栄えている大都市。
国の経済の中心地と言っても差し支えなく、都市の総資産は国内第二位。
防衛設備、盗賊や獣・モンスターへの対策、さらには疫病への備え、衛兵の数に至るまで、あらゆるものが他の都市より遥かに優れている。
盗みや強盗を働こうとする者が現れないとまで言われる、徹底された防犯体制。
商人にとってはこれ以上ないほど安心して商いができる、理想の稼ぎ場である。
市民目線でも、この都市に来れば欲しい品が必ず見つかる、そう評されるほどの商品の数と商人の多さ。
海外から流れ着いた珍品が露店に並ぶことも珍しくなく、それでいて物価は他所より安い。
生活に困ることのない、豊かさに満ちた都市。
初代皇帝の遺言で、冠耀から都を移す際の候補地の一つともなっていた。
それほどに、現在の都に引けを取らない活気と輝きを放つ都市、のはずだった。
「なんだ.....これ......」
しかし、祐基たちの眼前に広がっていた光景は、その記憶とはあまりにもかけ離れていた。
見渡す限りの無人の街。
人影は一つもなく、声も足音も、生活の気配すらない。
誰一人として存在しないかのような、異様な静寂だけが街を支配していた。
「誰もいない......住民の方々はどこに.....」
「まるで突然消えたみたいだな....」
通りに並ぶのは、商品の一つも置かれていない露店と静まり返った家のみ。
人どころか鳥の姿すらも見当たらない。
孫覇の言う通り、まるで街から生物だけが一斉に消失したかのようだった。
「家の中にも....誰もいない。これじゃ空き巣が入り放題ですよ....」
「空き巣で済めばいいがな」
「え?」
翠鳳の軽い声に、孫覇が言葉を返す。
「もっと最悪を考えろ。住民が消えた理由はなんだ、いま帝国で何が起きている?」
「えっと.....亜人が攻めてきて.....あ!」
「そうだ、わかったか」
翠鳳は何かに気づいたように目を見開き、手をポンと叩いた。
「これじゃ亜人が攻め放題じゃないですか!」
「違う。既に亜人が攻めて来た後なんじゃないかって言ってんだよ」
あ...そっちかぁ〜と、まるでその考えは出てたかのように小さく呟く翠鳳。
そんな翠鳳を見ながら、孫覇は呆れの混じった大きなため息を吐いた。
その時だった。
「ん?紅蓮隊長、あれって....!」
祐基は石畳の端に落ちている何かに気づき声を上げた。
どう見ても蔓だ、ちぎられたような蔓が落ちていた。
だが、それが普通の蔓でない事は見ればわかる。
普通ではあり得ない太さ、人の腕を模したかのような形。
祐基はこの蔓、いや腕を知っていた。
これは、亜人の腕。
「蔓絡人....!!なぜ奴らがここに!」
「蔓絡人?....確か、体が蔓でできた亜人でしたっけ?」
紅蓮の表情が強張り、翠鳳は記憶を探るように呟く。
そして孫覇は眉をひそめ、はっきりと不快の色を浮かべた。
「これで確定したな。張按は既に亜人に襲撃されていた...!住民は全員逃げたか皆殺しにされたんだ....!!」
孫覇の言葉に、一同は言葉を失った。
張按に来るには西の都市から続く街道か、権香あるいは都の烙夭から伸びる道。
その三つの内のいずれかを使わなければならない。
冠耀を出発した祐基たちは、西の都市からの街道に今朝合流し、張按へと辿り着いた。
そしてその道中、敵の姿や痕跡は一切なかった。
つまり敵は西から来ていない。
となれば残る可能性は二つ、亜人は権香か都から来たということになる。
最も可能性が高いのは権香からの侵攻だろう。
敵の狙いは分からないが、都に住まう皇帝の首を狙っている可能性は十分にある。
都の南には海、鱗魚人が活動する海域だ。
東には一つ都市が存在するだけで、そこを越えれば同じく鱗魚人の支配下である海域にぶつかる。
唯一の逃げ道となる西、皇帝を狙っているのならこの都市を先に潰しておくのは合理的な判断だ。
だがそれは同時に、権香の陥落を意味していた。
それも張按を攻撃した後という事は、昨日の時点で既に。
「まさか.....権香が既に....!」
「くそっ!馬車に戻る!!すぐに都に行くぞ!!」
孫覇が叫び駆け出す。
「馬車に戻るぞ!!」
その背に続くように、紅蓮も声を張り上げた。
祐基と翠鳳も迷わず走り出す。
孫覇と紅蓮が焦って動き出した理由は、祐基にも理解できた。
昨日権香が落ち、張按が攻撃された。
この異様な侵攻速度を考えれば、亜人はすでに都へ攻撃を仕掛けているはずだ。
いや、最悪の場合既に陥落している可能性すらある。
間に合わなかった。
その言葉が祐基の脳裏に浮かび上がり、息苦しい緊迫感が胸を締め付けた。
その時だった。
「ヅルァァァァアアアアァァァァァァッッ!!!!」
背後から、空気そのものを引き裂くような咆哮が、突如として轟き渡った。




